うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

お掃除

2011年03月16日 | 忘れかけていたこと

掃除の型には、とりあえず型と徹底型がある。
二つの型を交互に取り混ぜないと掃除は行き届かない。

とりあえず型ばかりでは、目に見えないところの汚れやゴミがなくならない。
徹底型にこだわれば、途中で、資料の点検整理や回顧感情にひたるなど、掃除に無関係のことが始まってしまう。

私たちのパソコンにも、とりあえずと溜め込んだゴミが溜まりがちである。

かさばるのはどちらもPのつく写真画像とプログラムで、写真画像は思い切りだけで片付くが、プログラムの掃除はなかなか厄介である。

[コントロールパネル]→[プログラムの追加と削除]では、アンインストールできないことがしばしばある。

Microsoft Office system などもその仲間で、うっかり削除すると後で困ることがあるので簡単にはできないようにしてあるらしいのだが、試用版を削除したいときには、これが意地悪ロックのように思えてくるから、ユーザーとは気ままな人種である。

さて、[プログラムの追加と削除]でうまくいかないときには、別の方法があって、私の試用版はこれで払拭することができた。

Windows XP SP-3 の場合、その手順は次のとおりだった。

1.[Win]+[R] ・・・これは [スタート] → [ファイル名を指定して実行] とやっていることは同じだがずっと早い。

2.[名前] ボックスに「control appwiz.cpl」と入力・・・これはここの文字をコピー・貼り付けすれば素早くできる。

3.[Enter]・・・アプリケーションの一覧が現れる。

4.ゴミを探して捕まえる。・・・たとえば Office system 製品をクリック。

5.[削除] をクリック。

3に出てくるのはコントロールパネルから呼び出した画面と同じだが、働きは違っていた。

なぜと言われても、知らないから聞かないでほしい。


目立たせない

2011年03月15日 | 忘れかけていたこと

講習会で教材のデータの入ったCDが配られた。

「どこに入れるんですか」「横にCDより少し大きめの四角い切込みがあるでしょう」「ありません」

あれ?このパソコンは最新型で、CDドライブがないのか。
FDドライブはだいたい世代遺産になっていることはわかるが、進化の波はもうそこまで来たのか。
考え過ぎは視力を阻害する。思い込みは目をかすませる。
CDドライブがないのではなく、入り口のわかりにくいお店のように、目立たなく作ってあったのだ。

一度知ってしまえば二度目に探すことはないが、わざわざわかりにくくする理由がわからない。
ディスクの出し入れはダサいという感覚がデザイナーにあったのだろうか。
ことによると、これは商業デザイナーがやった仕事か。
工業デザイナーなら、外見を機能より優先させるようなことなしないと思うのだが。


無料はご案内まで

2011年03月14日 | 忘れかけていたこと

「ご利用のパソコンを高速化

レジストリクリーナーでお悩み解決 Microsoft認定!今すぐダウンロード」

ついつい誘惑に手元が震えてダウンロードしてしまった。
その名は"RegistryBooster"。
ダウンロードは無料、ちょっと動かしてみるまでは無料、つまり、入口のドアを開け、中のドアにあるのぞき窓から見るまでは自由というわけ。

しかし、のぞき窓から中がすっかり見えるはずがない。
もう一つドアを開けるには会費を払わなければならない。
どれぐらい効果があるのかもわからないものに、食いついてみるほどの余裕も野次コンもないからそこで引き揚げた。

使わないものは邪魔だからアンインストールしようと「コントロールパネル」→「アプリケーションの追加と削除」で探す。ない、見つからない。
「レジストリーブースター」というプログラムを動かすコマンドが、レジストリーに紛れ込んで見えなくなってしまっている。

えい、ままよと、C:\Program Files から該当の \Uniblue フォルダーを探し出して中身を削除する。
どうしても削除させずに頑張るフォルダーやファイルがある。
まあ消せるだけは消してしまえと、居座り組はとりあえず無視しておく。

翌日 Windows を起動したらさっそく仇を取られらた。

嫌味なメッセージ窓が2個、[OK] といってやればそれ以後の動作に影響はないのだが、これでは起動のたびに毎回出てくる。

「パソコン高速化」と逆ではないか。
何とかしないと、毎日邪魔ものを取り除かなければならない。

こうなれば徹底点検清掃しかなかろう。
レジストリーのバックアップを取ってから、レジストリエディタ→「編集」→「検索」で、「Uniblue」と入力して検索、いきなり削除すると危ないから、頭に"$"マークをつけた名前に変える。それを何度も辛抱強く繰り返す。
くまなく探して5~6箇所、$で閉じ込め、動けなくしたら出てこなくなった。
$稼ぎは $に弱い、ざまあみろ。

似たようなことが前にもあった。
2010年9月5日の「無料」という題で書いた「Windows エラーを無料でスキャン」がそれだった。
相手が名前を変えただけで同じものだったのかもしれない。

「無料」にも、たちのよくないのがある。「マイクロソフト・ゴールド認定パートナー」と、もっともらしく書いてあるのにも怪しいのがあるから、うっかり手招きに誘われないほうがよい。


掛け声

2011年03月13日 | 忘れかけていたこと

地震、津波で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。


「更新されたバージョンが利用可能です」起動すると画面の真ん中にメッセージの窓が現れる。
これまで気に留めてなかったが、こういう窓は画面の端に現れるのは少ない。まん真ん中に出てくる。
相手にせず [キャンセル] でもよいのだが、新しければバグも減っているだろうし、多少使い勝手も良くなっているかもしれないから [ダウンロードしてインストール] のボタンを押す。
もう5~6度は試しただろうか。そのたびに「しばらくしてからお試しください」という返事。
それが [ダウンロードしてインストール] ボタンを押してしばらくしてから現れる。
しばらく、またしばらく。

サポート・サイトはないのかと検索すると、半年ぐらい前の記事で日本でサポートも始めたという記事だけが見つかった。
「いらっしゃい、面倒見ますよ」の掛け声だけで、入口も受け付けもない。
人を集めて、名が売れて、それだけでやった気になる掛け声ビジネスもあるのか。

何をやるのも勝手だが、被災地復興の邪魔だけはしないでほしい。


悪魔ちゃん

2011年03月11日 | 忘れかけていたこと

インターネットは見て便利、探すに便利、使って便利、だがどういう仕掛けでその便利さが生まれているのか、知っている人は少ない。

なぜかというと、知らなくても使えるからなのだが、知らなくてもいいといわれると知りたくなるもの。

 

インターネットのことを知りたい人向けに、インターネットよりあとから生まれたお嬢さんの書いた日記がある。

本にもなったが、まずはWebで見る手もあり。


「小悪魔女子大生のサーバエンジニア日記」

   http://co-akuma.directorz.jp/blog/


爺の回りくどい気まぐれな奮闘記などより、ずっとソフトで親しみがもてると思う。


現像

2011年03月10日 | 忘れかけていたこと

フィルムを使ういわゆる銀塩カメラを使っていたときは、現像という言葉をしきりに使った。

いわゆると言ったのは、銀塩ということばが写真に使われるハロゲン化銀の代表のように使われる謂れがよくわからないからである。

写真には臭化銀、塩化銀、沃化銀が使われると聞いたが、銀臭、銀沃は感じがよくないからだろうか。

お"化"けに面白さは感じても"学"の嫌いな私には、このへんのことがわからず、理由の現像ができないでいる。

フィルムカメラと呼ぶと、カメラがフィルムのように薄い形になったものを想像するので銀塩などと気取った呼び方を誰かがしたのだろうか。デジカメが出てくるまではこういう呼び名は聞かなかった。

名前というものは区別が必要になると生まれるらしい。

ものごとは、名前がつくとそこに何かがあると思ってしまうが、名前だけで実態があるかのように見せかけるのも、人間の悪智恵のひとつだから、名前が立派かどうかは優劣の判断材料にはならない。

一国の首長の所属する政党に綱領がなかったり、大佐と呼ばれる人が軍隊に所属してなかったりすることもあるのだから。


現像のことに戻ろう。

なぜこの言葉を持ち出したのか。それは「RAW現像ウルトラテクニック」「RAW現像プロフェッショナルテクニック」という本の広告を見たからである。

現像というからには画像に関係があるはず、そう、RAW画像という呼び方があるのだ。

デジカメで撮ったばかりのナマのデータをRAW画像と呼ぶらしいが、人間が眼で見ることができるから「画像」なので見えないうちに画像と呼ぶのも何か変だなという気がする。

画像のようで画像でない、見えるはずでも見えません、それは何かとたずねたら・・・歌になりそう。

くだらない老文はさておき、RAW現像のテクニックとは、画像にできるRAWデータを、仕上がりで見る大きさに応じてどう研ぎ出すかということではないかと想像する。

超大画面で見るように作った画像を、パソコンに取り込んで何ギガになったと自慢してみても、フライのころもに使うパン粉を60メッシュの打ち粉用ふるいで細かくしているようなもので、意味がないのである。

老乱視で見るには、どうやらデジタルハイビジョンの画像は必要なさそうである。


紙様

2011年03月09日 | 忘れかけていたこと

2世紀のはじめに蔡侯紙(さいこうし)ができてから、人間はずっと紙と付き合い、紙のお世話になってきた。
ペーパーレスなどと簡単に言われても、人間は紙をまったく使わずに情報のやり取りをすることはできない。

パソコンが普及して、情報はディスプレイ上で確かめ、ディスクや半導体メモリーに保存できるようになった。
それでも、紙に慣れ親しんだ人々は、いったん紙に印刷されないと何か不安にかられるらしい。
写真なども、持ち運びの都合上なら、さすがにケータイより紙1枚のほうが薄いから、紙に印刷したくなるのはわかる。

去年のことだが、面白い講座があった。
ある人は、ネットで顔を見ながら会話ができるようになったと話してくれた。
次の人は、印刷した写真を郵便で送らなくても、ネットで受けた側ですぐに印刷でるシステムができたと話してくれた。
顔を見ながらの会話のとき以外の写真もすぐ送れます。ただそれには別の装置が必要です。こういうことになる。
それぞれの部署が少しずつ違った方式を開発する。それぞれに売りさばこうとする。
使う側ではひとつの機械で両方できれば便利なのだが、それでは売る物の数が増えない。

データの電子化もだいぶ進んではいるが、紙に書いた形のまま電子データに置き換えて、はいできましたとなっているものがほとんどだろう。

電子データは、検索、計算、並べ替えが簡単にできるところに価値があるので、保管場所を小さくすれば満願というものではない。

紙に書いて扱ってきた様式は、データの扱いには邪魔なところが多い。
邪魔な部分も後生大事に、形を崩さずPDFなどという厄介なデータ方式に取りすがっていることが多いのだ。

人間の智恵は、紙様、とくに日銀発行のあの紙様の呪縛から抜け出せずもがいているように見える。


早起き

2011年03月08日 | 忘れかけていたこと

自分の寝起きの悪いのを棚に上げて、パソコンの寝起きの悪さを不満に思う。

そうだ、Hさんは「できない理由を並べ立てるより、どうすればできるかを考えよう」とおっしゃった。

ひととおりのことはやってみよう。

[コントロールパネル]→[システム]で [システムのプロパティ]ウイザードが起動する。

そこで、[詳細設定]タブをあけ「起動と回復」にある [設定]ボタンを押すと、「起動システム」と「システムエラー」の設定窓が現れる。

パソコンが、使用条件に合わない余分なことをやっていると寝起きが悪くなる。

この「起動と回復」には、必要でない命令が書かれているように思う。

まず「起動システム」の中の「オペレーティング システムの一覧を表示する時間」を見る。

既定では[30]秒間となっている。

OSはいま一つしか使ってないから、一覧の表示は多分無関係だろう。しかし、あとで何か不都合が起きるといけないので時間のゼロ指定はやめておこう。
秒単位の最短なら1秒でどうかと、30を1に書き換える。

「システムエラー」にある「管理者へ警告を送信する」という仕事は、LANにつながっているパソコンでなければいらないだろうからチェックをはずす。

「デバック情報の書き込み」は(なし)では何か不安だ。
既定の [最小メモリダンプ] がいちばん速そうだからそのままにしておく。

[OK]ボタンで設定を終えて再起動、こころなしか速くなった気がする。

これは「研究」ではないから、私には時間の比較データはいらない。
速くなった気分だけで十分だ。

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マイクロソフトやパソコンメーカーは、Web にサポート情報をいろいろ載せている。
「起動と回復」に関係のありそうな記事は下のページで見ることができる。

起動システム 解説
http://support.microsoft.com/kb/882565/ja

https://www.fmworld.net/cs/azbyclub/qanavi/jsp/qacontents.jsp?rid=638&PID=2605-8184

システムエラー 解説
http://support.microsoft.com/kb/307973/ja

デバック情報の書き込み 解説
http://support.microsoft.com/kb/315263/ja


配置

2011年03月07日 | 忘れかけていたこと

ブログの記事を書くとき、行頭を何文字か下げたい場合がある。

自分の記事の場合には、プレビューが用意されていれば、そこで確かめることができる。

しかし、ほかの方のブログにコメントする場合には、書き込みボタンを押してしまうと修正のきかない場合もあるので、あ、しまった、と思ってももう遅い。

ブログのご主人に消してくださいと頼むのも手数をかけることになるので、あとから言い訳の追っかけコメントを書くこともある。

(失敗例)→ http://k23ot.at.webry.info/201103/article_1.html

行頭に中点をひとつ打っておいて、そこからスペースで調整すればほぼ考えた位置に収まるが、なかなかぴたっとはいかない。

8個の文字で円形配置にして回文を載せようなどとはじめに思っても、何か気の利かない形になってしまう。

上手な文字配置の仕方、どなたか教えてください。

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HTMLなら「 」と半角で no break space タグを入れれば、半角スペース1個分の空白を入れられるが、テキスト入力のコメントの場合どうすればよいのか、さて。


欠速

2011年03月06日 | 忘れかけていたこと

 

Google Chrome は速さが売りものと思って常用にしていた。

Hさんは、印刷のときページの大きさを調整できないから不便だと言う。

その話を聞いたとき、ページの大きさぐらいいいではないかと思っていたが、もっと困ったことに気づいた。

画像入りの記事を印刷するとき、範囲指定して[印刷]→[選択した部分]とお願いしても、文字だけしか印刷されないのである。

肝心の画像部分が印刷されなければ、その印刷物は役に立たない。

Print Screen で取り込むのも気の利かない手だから、Internet Explorer に起動しなおして印刷した。

拙速を尊ぶという言葉がバブル成長時代にはやったが、画像が印刷できないなどは、拙速ではなく欠速だ。

Internet Explorer を、もう使わないからといってアンインストールしてしまう拙速に走らなくてよかった。

だが、Google Chrome の表看板には「あなた次第でもっと快適に」と書いてある。

このあなた次第が、ヘボな使い方を責められピコピコハンマーでコツンとやられたような感じで、いかにも悔しいのである。

 

 


座標

2011年03月05日 | 忘れかけていたこと

 

地図を見るのが苦手の人がいる。
地図の上で、自分のいまいる位置、あるいは立つであろう位置を見定めることができないらしい。
そんな人には、地図を描いてあげてもまったく意味をなさない。

絵を描くのが苦手の人は、ことによると地図が苦手かもしれない。
パターン認識が薄いのだろうか。
「薄い」と簡単に書いたが、関西のある地域では、「ウスい」が関東の「トロい」を意味するから、その手の悪口ではないことを断っておく。

地図を見る頭脳活動には、パターン認識のほかに、もうひとつ座標認識が必要だ。
どちらの方向にどのくらい行ったらどこに行き着くかという感覚である。

パソコンでマウスを使うのが苦手な人も、地図が苦手なのではないかと思う。

マウスの苦手の人に出会ったら「あなたは地図を見るのがお嫌いですか」と聞いてみる手もあるのだが、もう少し心の座標が近づかなければなどと思っているうちに聞くのを忘れてしまう。

勉強会で「マウスポインターは画面の左上よりもっと左や上には動かせないのだ」というOさんの話を聞いて、なるほどと思った。

動けばいいからととくに気にせず、というよりは知らずに使っていたが、マウスにはマイナス座標がなかったのだ。

通常グラフを描くとき、x=0, y=0の原点は、左下だが、パソコンのマウス操作も、文字の書き込みも、印刷も、画面の左上が原点になる。

マウスがたびたびパッドからはみ出したり、何かにぶつかって行き場に困ったり、難渋する人には、デスクトップで、まずポインターを左上にもって行き、マウスの位置を自分の使いやすいパッド領域の左上に動かして、そこから操作を始める習慣をつけるよう勧めるとよさそうだ。

そこから左上には、どうゴシゴシこすり付けてもマウスポインターが行かないことを体感できればよいのだが、さて、地図を持って歩いても自分がどこを歩いているのか見当のつかない人にそれができるだろうか。


半角

2011年03月04日 | 忘れかけていたこと

 

「半可くさい」という言葉があった。

「なまかじりのような」ぐらいの意味だろうか。

自分のことを言われているような、何かむずむずする言い回しでもある。

それとは全然関係はないが、文字・記号の入力に半角/全角という区別がある。

全角という使い方は、日本独自のものなのだろうか。

いや、中国語やハングルは全角でなければ書けない。

アルファベット以外の文字には、独自の文字コードがなければならないだろう。

使わないから知らずに済んでいる、済ませている、ということはいくらでもありそうだ。

それとは逆に、いつも使っていながら、こうでなければならないと知っていながら、たびたび間違うことがある。半角/全角の区別もその仲間だ。

エクセルの書式設定や数式で、半角でなければならないところに全角で書き込んで気づかなければ、いくら気の利くエクセルでもいうことをきいてくれない。

オツムの単純な人々が考え出したことだから、すべて半角でなければとなってしまった。

あるいは、パソコンの神様がそうお決めになった。

半角/全角でもなんでも、面倒なことは神様が決めたことと思えば腹も立つまい。

 

 


目印

2011年03月03日 | 忘れかけていたこと

書類に綴じ穴をあけるとき、折り目をつけてパンチの目印と合わせる。

事務の仕事をした人は、どこかでめぐり合っている場面だ。
エクセルで書類を作るときに、しるしが印刷されるようにしておけば折り目をつけなくてよい。
うまい方法はないかと質問があった。

折角の思い付きをふみ潰すのはよくないから、こんな方法はどうかと答えておいたが、紙の中央を見つけるぐらいのことは、印刷に頼らなくてもよいので、自分では使う気はない。

1.A列のところにもう一つ列を挿入する。

2.新しい A列の 行1 からデータの入っている最終行までを結合し、一つのセルにする。

3.この縦長のセルに「-」と記入する。

4.[セルの書式設定]→[配置]で、[垂直方向の配置]を「中央寄せ」にする。

  水平方向は標準のまま、左寄せ。

5. A列の 幅を画面を見ながら適当に調整する。

6.[ページ設定]→[余白]で上下を同じにする。

  左はゼロに、右は試し印刷して調整する。

ものごとには、実用価値と、考案道楽の価値との両方がある。
しるしつけは、考案道楽の部類に属する。

考案道楽は、政治に持ち込まれると困ったものになるが、パソコンの世界なら、頭のスポーツとしての価値は認められるだろう。


案内

2011年03月02日 | 忘れかけていたこと

スーパーやホームセンターで、商品のありかを尋ねると、その棚の前まで案内してくれる。どこそこにあるから自分で探せとはめったに言わない。

通路の番号などを教えてくれることもあるが、サービスカウンターで、そこを離れられない人に聞いた場合である。

パソコン・ソフトのヘルプの多くは、答があるのかないのか、不明のままに自分で探さなければならない。

検索方式の場合は回答ゼロということもある。

キーワードをいろいろ変えてみてたどり着くこともあれば、あきらめることもある。

案内の仕方は、売り上げとの相関によるのだろう。

商品を直接売るところでは、モノの目の前まで客を連れて行けば売れる確率は上がる。

ソフトウエアのヘルプは、上手に案内したところで、それがもうひとつ売れるわけではない。

合理的経営の浸透、あるいは侵食によって、顧客とは売り場でカネを払う人間であり、永い付き合いをする人間ではなくなったのだ。


やって見せて

2011年03月01日 | 忘れかけていたこと

やって見せて  

  言って聞かせて させてみて

      ほめてやらねば 人は動かず

などと、ずる賢こそうな歌があった。

ほめてやって、させるほうがしめしめと思っているうちに、ほめられ、おだてられなければ動かない人間が増えていく。

自分から進んで何かしようとはしなくなっていく。

ほめられそうもないことにはなるべく動かないよう、智恵以前に、習慣が脳へ命令する。

パソコンを何台か並べて共用で使う場がある。

マウスを動かそうとすると、前回の終わりにコードをくるくる巻いてあった姿のままでUSB端子に突っ込んである。

片付けるのに楽だから、使う不便は我慢する、逆転珍発想である。

こういうのも、なるべく動かないようにという習慣のついた人の仕業だろう。習慣は本人が望んでつけたことではないから、気の毒ではあるのだが。

やって見せることにも、ひとつ困ったことがある。

やって見せる喜びがそれだ。

人に何かを教えるには、はじめの歌も、はじめのほうは役に立つ。

「させてみて」がいちばん肝心なところなのだが、教えるほうがやって見せる喜びに浸ってしまうと、させてみてまで行かずに終わってしまう。

「まねぶ」ところ、体験する番まで回って来ずに、中途半端な学習になる。

させてみるよりやったほうが早いと感じるのは、なんでも時間短縮はよいという集団現世病で仕方のないことだが、そこでじっと我慢がいるのだ。

教えるということは、それを楽しんでばかりはいられない、辛いこともあるのだ。