うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

現像

2011年03月10日 | 忘れかけていたこと

フィルムを使ういわゆる銀塩カメラを使っていたときは、現像という言葉をしきりに使った。

いわゆると言ったのは、銀塩ということばが写真に使われるハロゲン化銀の代表のように使われる謂れがよくわからないからである。

写真には臭化銀、塩化銀、沃化銀が使われると聞いたが、銀臭、銀沃は感じがよくないからだろうか。

お"化"けに面白さは感じても"学"の嫌いな私には、このへんのことがわからず、理由の現像ができないでいる。

フィルムカメラと呼ぶと、カメラがフィルムのように薄い形になったものを想像するので銀塩などと気取った呼び方を誰かがしたのだろうか。デジカメが出てくるまではこういう呼び名は聞かなかった。

名前というものは区別が必要になると生まれるらしい。

ものごとは、名前がつくとそこに何かがあると思ってしまうが、名前だけで実態があるかのように見せかけるのも、人間の悪智恵のひとつだから、名前が立派かどうかは優劣の判断材料にはならない。

一国の首長の所属する政党に綱領がなかったり、大佐と呼ばれる人が軍隊に所属してなかったりすることもあるのだから。


現像のことに戻ろう。

なぜこの言葉を持ち出したのか。それは「RAW現像ウルトラテクニック」「RAW現像プロフェッショナルテクニック」という本の広告を見たからである。

現像というからには画像に関係があるはず、そう、RAW画像という呼び方があるのだ。

デジカメで撮ったばかりのナマのデータをRAW画像と呼ぶらしいが、人間が眼で見ることができるから「画像」なので見えないうちに画像と呼ぶのも何か変だなという気がする。

画像のようで画像でない、見えるはずでも見えません、それは何かとたずねたら・・・歌になりそう。

くだらない老文はさておき、RAW現像のテクニックとは、画像にできるRAWデータを、仕上がりで見る大きさに応じてどう研ぎ出すかということではないかと想像する。

超大画面で見るように作った画像を、パソコンに取り込んで何ギガになったと自慢してみても、フライのころもに使うパン粉を60メッシュの打ち粉用ふるいで細かくしているようなもので、意味がないのである。

老乱視で見るには、どうやらデジタルハイビジョンの画像は必要なさそうである。