今年の6月23日(沖縄戦慰霊の日)に栗原佳子著『狙われた「集団自決」』(社会評論社)が出版された。
著者の栗原氏は上毛新聞社、黒田ジャーナルを経て、現在はフリーのジャーナリストとして大阪を活動拠点に「新聞うずみ火」の発行に携わっている。大江・岩波沖縄戦裁判では第一回から傍聴し、同裁判の支援連絡会の世話人としても活動してきた。
それだけに本書では裁判の経過がよく整理され、経過に沿って分かりやすくまとめられている。梅澤裕氏(座間味島元戦隊長)らが大阪地裁に提訴する以前から、藤岡信勝氏らの自由主義史観研究会が裁判につながる動きを始めていたこと。原告側の支援者が傍聴席の多数を占めていた裁判が始まったばかりの頃の様子。大きな山場となった証人尋問や本人尋問における法廷でのやりとり。双方の弁護団の主張、活動や支援者の動きなど、一審・二審の判決にいたる過程の重要なポイントが整理され、的確にまとめられている。本書を読めば、大江・岩波沖縄戦裁判がどのような狙いで起こされ、その問題点、特徴は何であったのかが把握できる。同裁判について知りたい人には格好の一冊である。
現在では、梅澤氏やその支援者らが裁判を起こした主要な狙いが、「集団自決」の軍命や強制を示す記述を教科書から削除させることにあったことが明白となっている。本書では、同裁判と記述削除を行った教科書検定のつながりや文部科学省の動き、教科書執筆者たちのとりくみが記され、さらに、軍命と強制を削除した教科書検定に抗議し、07年9月29日の県民大会に結実する沖縄側の動きについても詳しく記されている。
また、「集団自決」の生存者や遺族、大江・岩波沖縄戦裁判や教科書検定問題に関わった人々の生の声が数多く収められている。とりわけ、沖縄戦当時座間味島の助役・兵事主任・防衛隊長を兼ねていた宮里盛秀氏の妹さんや娘さんの声が伝えられているのは意義深い。
村の幹部としての立場上、座間味島の「集団自決」で大きな役割を担わされてしまった宮里盛秀氏は、大江・岩波沖縄戦裁判のなかでも焦点となった人物である。その宮里氏が、米軍が上陸したら「玉砕」するよう軍から命令を受けていたことを示す証言を、妹の宮平春子氏が行った。裁判や教科書検定問題のただ中で明らかにされた同証言は、大きな注目を浴びた。宮里氏の肉親が裁判や教科書検定問題をどのように考え、向き合ったのか。亡き兄、父への思いをはじめ、遺族の戦後や現在の姿が本書には記されている。このように座間味島、渡嘉敷島、慶留間島における「集団自決」(強制集団死)の生存者の声を数多く伝えているのも本書の特色である。
大江・岩波沖縄戦裁判が起こされ、さらにそれが教科書検定問題へと広がって大きな話題となってから、関連する書籍がかなり出版されている。その中で、裁判の傍聴はもとより、教科書検定をめぐる沖縄代表と文部科学省の交渉の場、9・29県民大会や沖縄島での抗議集会、慶良間諸島での動きなど、大阪、東京、沖縄・慶良間諸島という三つの現場を直接取材し、多くの証言を交えてここまで立体的に捉えた書籍は他にない。
現場に身を置いて書くというジャーナリスとしての姿勢が本書には貫かれている。大江・岩波沖縄戦裁判や教科書検定問題、「集団自決」(強制集団死)の問題に関心のある人にぜひ読んでほしい一冊である。
著者の栗原氏は上毛新聞社、黒田ジャーナルを経て、現在はフリーのジャーナリストとして大阪を活動拠点に「新聞うずみ火」の発行に携わっている。大江・岩波沖縄戦裁判では第一回から傍聴し、同裁判の支援連絡会の世話人としても活動してきた。
それだけに本書では裁判の経過がよく整理され、経過に沿って分かりやすくまとめられている。梅澤裕氏(座間味島元戦隊長)らが大阪地裁に提訴する以前から、藤岡信勝氏らの自由主義史観研究会が裁判につながる動きを始めていたこと。原告側の支援者が傍聴席の多数を占めていた裁判が始まったばかりの頃の様子。大きな山場となった証人尋問や本人尋問における法廷でのやりとり。双方の弁護団の主張、活動や支援者の動きなど、一審・二審の判決にいたる過程の重要なポイントが整理され、的確にまとめられている。本書を読めば、大江・岩波沖縄戦裁判がどのような狙いで起こされ、その問題点、特徴は何であったのかが把握できる。同裁判について知りたい人には格好の一冊である。
現在では、梅澤氏やその支援者らが裁判を起こした主要な狙いが、「集団自決」の軍命や強制を示す記述を教科書から削除させることにあったことが明白となっている。本書では、同裁判と記述削除を行った教科書検定のつながりや文部科学省の動き、教科書執筆者たちのとりくみが記され、さらに、軍命と強制を削除した教科書検定に抗議し、07年9月29日の県民大会に結実する沖縄側の動きについても詳しく記されている。
また、「集団自決」の生存者や遺族、大江・岩波沖縄戦裁判や教科書検定問題に関わった人々の生の声が数多く収められている。とりわけ、沖縄戦当時座間味島の助役・兵事主任・防衛隊長を兼ねていた宮里盛秀氏の妹さんや娘さんの声が伝えられているのは意義深い。
村の幹部としての立場上、座間味島の「集団自決」で大きな役割を担わされてしまった宮里盛秀氏は、大江・岩波沖縄戦裁判のなかでも焦点となった人物である。その宮里氏が、米軍が上陸したら「玉砕」するよう軍から命令を受けていたことを示す証言を、妹の宮平春子氏が行った。裁判や教科書検定問題のただ中で明らかにされた同証言は、大きな注目を浴びた。宮里氏の肉親が裁判や教科書検定問題をどのように考え、向き合ったのか。亡き兄、父への思いをはじめ、遺族の戦後や現在の姿が本書には記されている。このように座間味島、渡嘉敷島、慶留間島における「集団自決」(強制集団死)の生存者の声を数多く伝えているのも本書の特色である。
大江・岩波沖縄戦裁判が起こされ、さらにそれが教科書検定問題へと広がって大きな話題となってから、関連する書籍がかなり出版されている。その中で、裁判の傍聴はもとより、教科書検定をめぐる沖縄代表と文部科学省の交渉の場、9・29県民大会や沖縄島での抗議集会、慶良間諸島での動きなど、大阪、東京、沖縄・慶良間諸島という三つの現場を直接取材し、多くの証言を交えてここまで立体的に捉えた書籍は他にない。
現場に身を置いて書くというジャーナリスとしての姿勢が本書には貫かれている。大江・岩波沖縄戦裁判や教科書検定問題、「集団自決」(強制集団死)の問題に関心のある人にぜひ読んでほしい一冊である。
図書館に無かったのでリクエストしました。先日やっと連絡があり借りることが出来ました。
まだ中程までしか読んでおりませんが、大変分かりやすく非常に参考になっております。
タイトル:星「肝心要なる照屋さん」
投稿者名:ni0615
http://www.youtube.com/watch?v=nPZz66ixfWA
[桜 H21/7/27]その最後半部分。
(大高未貴 28:18)復帰直後にですね、いろいろ座談会とかされたときにですね、あの空気の中で誰もが「鉄の暴風」にだまされて集団自決は当然軍命令だと思っていた時期にそういったことを発言しておられる、その理由は何ですか?
(星雅彦 28:38)あのね、まあ、ちょっと話を変えますけどね、角度を変えるけど、ええ、この話は先ほど、え~、奥さん(※1)から《といいながら右手で画面の外の奥氏を指し示す動作》ちょっと伺ったんだけど、いわゆる戦後の後始末、この問題がどうしても根にあるんですね。集団自決問題も実は援護法の背景があって、そうなっていくわけよね、それを、あたかもそうでないかのごとくね、ええ、いってるけどね、一番肝心な要になる照屋さん(※2)という人がいるでしょう、照屋昇雄さんていう、彼をどうしてチャンと起用してくれなかったのかと、彼は非常にポイントに居る人なんだけどね、(センテンスの途中でチャンネル桜側が強制カット、Fade Out 29:34)
※1 沖縄在住の元海上自衛隊員・奥茂治氏のことだと思われます。このとき奥茂治氏はカメラサイドに居たのでしょう。右手で「奥さん」を指し示す星氏の動作から伺えます。奥茂治氏は、照屋昇雄氏を探し出しプロモートした人物の一人であることは、チャンネル桜水島総氏のビデオ取材記に記述されています。
なお2005年5月「歴史教科書をつくる会」藤岡信勝氏に照屋昇雄氏を引き合わせたのは同じく沖縄在住の元自衛隊員の恵隆之介氏であると藤岡氏は記しています。
※2 星雅彦氏は、照屋昇雄氏の証言の信用性が失われていった裁判の経過を、知らずに発言しているのでしょうか? 私には星氏の思い込みが、2005年段階の藤岡信勝氏の次元への「逆戻り」としか思えません。
■第一審判決より「照屋証言」に関して
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1214.html#id_04460841
■第二審判決より「照屋証言」に関して
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1735.html
「集団自決」の認識が「援護法」によって左右されたかどうか? 関係者の心理的な側面と事実認識の側面との2つは、切り分けきれない輻輳があるかもしれません。
しかしその虚を突いたとはいえ、梅澤裕氏による念書略取事件や、照屋による赤松命令書偽造のような作り話は、判決が示す通り、とうてい世の中では通らないということです。
http://www.youtube.com/watch?v=ur6rdRd8tMo
既報のバージョンでは、
>4、最後に星が照屋昇雄を持ち上げるが、その話が始まったかと思うところでチャンネル桜側が突然カット
でしたが、あたらしいバージョンではインタビューの後に、キャスターである井上和彦が、星氏の軍命令否定は照屋昇雄証言を根拠にしているかのような解説を加えています。
ところが星氏は。「うらそえ文芸」14号では照屋昇雄のことには一切触れておらず、井上いうような根拠あるいは「私が一番注目している照屋さんの話」という自身の言葉の裏づけについて、何の説明もしていません。
これは星雅彦氏に問いたださねばならないことです。
なお、「照屋証言」のビデオの書き起こしは、拙ブログにおいて、近日中に留意点メモをつけて近く公開する予定です。
しかし、彼が1996年に「沖縄戦ショウダウン」を新報に書いた時に、新聞社は「厚遇」を止めるべきだったと思います。上原氏はその中で、薄弱な根拠でもって、慶良間の「集団自決」軍命説を否定しているのです。
2007年、「教科書書き換え」問題盛り上がりの時に、新報は「パンドラの箱を開ける時」を連載させながら、新聞社の方針にそぐわないと、間もなく中断させているのです。新聞社の上原氏への対応も拙かったと思います。
上原氏と星氏が出た「チャンネル桜」を見ました。
それにしても、上原氏は大田元知事への恨みつらみを長々と語っているのですが、『うらそえ文藝』の特集とどういうつながりがあるのでしょうか。
上原氏はこれまで琉球新報や沖縄タイムスに何度も長期連載を行ってきました。
上原氏ほど沖縄の県内紙に厚遇されてきた書き手も少ないと思います。
星氏にしても、『週刊新潮』7月16日号の桜井良子氏の記事に「私はこの三十数年来、琉球新報で3ヶ月に1回、『美術月報』を執筆してきました」という発言があります。
三十数年にも渡って「美術月報」を書けるということは、異例の厚遇ではないでしょうか。
そういう人たちが、原稿掲載を拒否されたことをもって、琉球新報、沖縄タイムスを潰す云々とまで言っているのですから呆れます。
それにしてもこのお二人は、太田良博氏や牧港篤三氏をはじめ、渡嘉敷島の元村長らが健在の時に、どうして議論を起こさなかったのでしょうか。
関係者が故人となって反論できなくなってから、言いたい放題しゃべっている姿を見ると情けないですね。
なお、慎んで下記の訂正をさせていただきます。
×米軍基地反対が強く叫ばれた中でも、「鉄の暴風」が読まれ続けたのは何故か、それが米軍迎合ではないからではなかったからではないのか。チャンネル桜は意識的にその問いを避ける。そして星氏や上原氏もまた、いっさいを「援護法」に還元して大事なことを忘れさせようとしている。
○米軍基地反対が強く叫ばれ、復帰に至る1972年までの中でも、「鉄の暴風」が読まれ続けたのは何故か? 必ずしも米軍迎合ではないからであろう。チャンネル桜は意識的にその問いを避ける。私の学生時代1970年ごろ、本土の同世代においては沖縄を象徴するものは、ヴェトナム反戦と連動した米軍基地反対闘争だった。それは今も基地返還運動、基地移転反対の声として連綿として続いている。
星氏や上原氏はいまや、そうした歴史を棄てようとしている。そうして、慶良間の悲劇については、いっさいを「援護法」問題に閉じ込め、大事なことを忘れさせようとしている。
上原正稔氏、星雅彦氏のふたりはついに「チャンネル桜」の番組に出演しました。
「1/2【沖縄集団自決】うらそえ文藝・星雅彦氏、1フィート運動・上原正稔氏に聞く[桜 H21/7/27] 」
http://www.youtube.com/watch?v=nPZz66ixfWA
私としては星雅彦氏の転落を信じたくなかったのですが、これで決定的となりました。
大城将保(嶋津与志)氏ら沖縄県史編纂人脈にある識者の皆さんも、この2人に対する批判あるいは忌憚の無い意見を表明していただきたいと思います。それがないと、沖縄県民はもとより私のような裁判に注目したヤマトンチュウも、もやを拭いきれません。むろん諸氏の見解に幅広いスペクトルがあることは歓迎します。
上記の桜ビデオを聞いての私の第1印象です。
1、上原=星の「うらそえ文芸」対談の再現
2、上原の長々とした自己顕示と太田元知事への恨み節
3、恨み節を退屈気に聞きながらノートの端をバリバリとかきむしる星
4、最後に星が照屋昇雄を持ち上げるが、その話が始まったかと思うところでチャンネル桜側が突然カット
おそらく、なぜ照屋氏を証人席に立たせなかったのか、といった原告弁護人批判でも始まったので、カットしてしまったのでしょうか?
で桜ビデオは、
「2/2【沖縄集団自決】「軍命令」とせざるを得なかった事情・照屋昇雄氏に聞く[桜 H21/7/27] 」
へと続きます。
http://www.youtube.com/watch?v=LsVIOTLd-vQ
チャンネル桜専属キャスターの大高未貴氏が今回改めて照屋氏に取材したのかと思ったら、期待におお外れ、それは旧ビデオ「軍命令はなかった」(H19.4.5)でした。・・・・奥茂治氏らのまえで照屋氏が語るもの。チャンネル桜社長水島総氏も同席し後半で質問の声あり。
これは、“援護法審査会議に赤松が出席し東大総長茅誠司に説得される、それを照屋昇雄が見ていた”という、荒唐無稽なもの。 私は書き起こしましたので、まったく不整合な箇所は幾らでも指摘できます。
こんな人物を 「真相の核心」として期待していたという星雅彦氏の言には、いかに立場を変転させたとはいえ耳を疑います。
このビデオの内容は、当時の「正論」に水島氏が要約していますが、そこでは、事実関係の荒唐無稽さは覆い隠されています。おそらく星雅彦氏は、産経新聞の記事かこの「正論」記事しか読んでいないのでしょう。 今からでも遅くはありません。照屋昇雄氏のなまの「証言」に接するべきです。
その上で「照屋証言」の虚偽をスルーするような人が、『鉄の暴風』の不確実性をなじったところで、説得力はないでしょう。
いずれにしても、沖縄の知識人は「収容所列島にいるから真実を語れない」(上原)とまで言われて、黙っている必要はもう無いとおもいます。
~~~~~~
(追記)
後半ビデオのスタジオ部分で井尻某氏が、「沖縄は72年まで米軍の占領下にあった、占領下の言論であったことを忘れるな」と繰り返しているが、沖縄の戦後の言論が、「米軍は解放軍」から「米軍基地反対」へと移行していった長い足跡を、井尻らチャンネル桜は完全に無視しようとしている。
「沖縄を返せ!」の意味を無視し捻じ曲げることが一定の効果をあげているのかもしれない。 「米軍基地反対」「祖国復帰運動」など体験したものあるいは書籍を読んだ者には残る記憶を、WEBにも遺す努力が必要になってきた。
米軍基地反対が強く叫ばれた中でも、「鉄の暴風」が読まれ続けたのは何故か、それが米軍迎合ではないからではなかったからではないのか。チャンネル桜は意識的にその問いを避ける。そして星氏や上原氏もまた、いっさいを「援護法」に還元して大事なことを忘れさせようとしている。