海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「風流無談」第11回

2008-06-01 22:01:35 | 「風流無談」
 「風流無談」第11回 2008年5月2日付琉球新報朝刊掲載

 名護シアターが閉館し北部から映画館がなくなってから、スクリーンで映画を見る機会がめっきり減ってしまった。いい映画があって見たいと思っても、そのためだけにヤンバルから北谷町美浜や那覇まで行くのは、なかなか大変だ。那覇までの往復に高速道路を使えば、その料金だけで映画代を上回ってしまう。時間的にも半日は費やすし、帰りは疲れて映画の余韻も薄らいでしまう。映画だけではない。演劇や音楽会、美術展、講演会、シンポジウムなど見たい、聴きたいと思う企画は多いのだが、諦めることの方が多い。
 何か調べたいと思っても事情は同じだ。例えば沖縄戦について調べようと思っても、県立図書館や公文書館、平和祈念資料館は那覇以南にしかない。県立美術館・博物館、国立劇場沖縄など主要な公共文化施設は那覇市とその周辺に集中していて、ヤンバルの住民が利用する機会は少ない。離島に住んでいる人たちからすれば、沖縄島内にいるだけヤンバルの人はまだましだと言うことになるかもしれない。だが、公共文化施設のこの偏在ぶりは、人口比率からすれば仕方がない、ということで片付けられていいのだろうか。
 人、金、物、情報その他、首都圏への一極集中がよく問題になるが、沖縄でも事情は同じなのだ。県内紙の文化面に原稿を書く人は、大半が中・南部に住んでいるから、そういう不満を感じることもないのだろう。施設の運営や企画内容が問題になることはあっても、那覇とその周辺への公共文化施設の一極集中が問題になることはない。逆にこういうことを書くと、不満があるなら那覇に住めばいいじゃない、とでも言われそうだ。
 一方で、人の嫌がるものは、人口の少ない地域へと押し付けられる。その最たるものが軍事基地で、名護市辺野古や東村高江への米軍基地建設が進められている。在日米軍再編計画では、嘉手納より南の基地を「返還」して、北部に集約するという案が出されている。普天間基地の辺野古への「移設」がその柱となっているが、それが実現すればどうなるか。
 返還された土地の再開発によって新たな商業地や住宅地ができ、公共施設も造られるだろう。人や物、金、情報の新たな流れがそこに生まれる。普天間基地や牧港兵站基地の「返還」により、那覇への一極集中から他地域への分散化が促されるという見方もあるかもしれない。だが、それは嘉手納以南の話であって、北部は疎外されるだけでなく、中南部の発展のための犠牲にさらされる。
 基地がもたらす雇用や収益に頼るよりも、そこを再開発した方が雇用も収益も増えるという成功事例を、北谷町美浜や那覇市の新都心が示している。先行する再開発地との競争や既存の商業地の衰退、基地就業者の再雇用などの問題があるにしろ、基地がもたらす事件や事故を含めて検討すれば、撤去=再開発した方が地域社会にとってプラスになるという認識は着実に広がっているだろう。基地がなかなか動かない現実はあるが、宜野湾市や浦添市も再開発の計画を進めている。
 だが、そのために北部地域への基地集中化を許していいのか。基地建設で土建業者などの一部が潤うことはあっても、それは一時的なものだ。基地の集中化により北部地域が発展することはあり得ない。それどころか、中南部で再開発される商業地に北部からの人口流出が進んでいくだろう。今でさえ地域から子どもの声が消え、小・中学校の統廃合が進んでいる現実が北部にはある。その上さらに若い世代の流出が進んでいけばどうなるか。
 ヤンバルの豊かな自然の中で暮らす元気なおばー・おじーというイメージがマスコミによってばらまかれているが、高齢化する地域の中で日々の生活に困り、将来に不安を感じているお年寄りも多いはずだ。医療・福祉面において弱者切り捨てが進む政治状況の中で、基地の集中化まで進めば、ヤンバルの住民は安心して暮らすどころではなくなる。
 基地建設によって海は埋め立てられ、大量の海砂採取で砂浜も消失する。森は破壊され、貴重な動植物も絶滅に追いやられていく。ヤンバルの一番良いところが失われ、最悪の基地が造られるのだ。そこでは米軍との一体化を進める自衛隊の訓練も行われるだろう。それによって生ずる問題は、航空機による爆音被害だけではない。横須賀での米海軍兵によるタクシー運転手刺殺事件とそっくりの事件が、鹿児島県で自衛隊員によって引き起こされた。基地の集中化は必然的にそのような事件や演習事故の多発化を生み出す。
 人口の少ない地域に基地を持っていくのは合理的判断だ。そう主張する人は県内にもいる。仲井真県政も北部地域への基地集中化を進めているが、北部の住民は心しなければならない。ことは政策レベルの問題だけではない。かつて北部の住民をヤンバラーと呼んで蔑み差別した歴史は、沖縄の中で克服されたのだろうか。疑問を抱かずにおられない。 

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1 コメント

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Unknown (Stray-Cat)
2008-06-03 22:42:20
私は嘉手納基地を枕に寝ているもので、今朝も6時15分にまさに暴力としか言いようのない、巨大なエンジン音が2回響きました。この暴力に私達はけして慣れてしまうことなんかありません。毎日、ハラワタの煮えくり返る思いで凶暴な音の方向をみます。
最近の、那覇新都心の繁華街などを歩くと、軍事植民地沖縄の影はひとつも見当たりません。屈託のない顔で楽しげに歩く人々ばかりです。那覇・島尻の人たちと話すと、危機感の温度差があまりに激しいことに驚かされます。島尻の人には基地反対を嘲笑されたことすらあります。かつての、やまとが、いまや那覇島尻にあるわけです。分断して統治という原則を貫く日本政府はまったく狡猾そのものです。
基地という超絶な暴力の痛みを知るものとして、今のやんばるの現状から目を背けることはできません。平和・文化・経済・教育・医療、そして尊厳の格差・差別。昔、県民が共有できていた感覚や怒りは、いまはもう、やんばるや離島にしかないのかと思うと、悔しい限りです。しまんちゅの本当の古里なんじゃないのか、やんばるは!
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