自由主義史観研究会ホームページの「歴史論争最前線」に、「集団自決冤罪訴訟の不当判決は何ゆえか?」と題する南木隆治氏(沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会会長)の文章が載っている。08年4月19日に掲載されたもので、大江・岩波沖縄戦裁判の一審判決について書かれたものだ。その中で南木氏は、〈結果は「原告らの請求はいずれも棄却する」という大変不当な判決でありました〉と述べ、〈しかし、重要なことは、判決では、被告大江健三郎氏が法廷で弄したまやかしについては、ことごとく否定していることです〉として以下のように記している。
〈大江氏は、『沖縄ノート』は、赤松・梅澤両隊長を特定したものでもなく、名誉毀損表現もないと強弁しましたが、判決は『沖縄ノート』の表現が、「集団自決という平時ではあり得ない残虐な行為を命じたものとして、原告梅澤及び赤松大尉の客観的な社会的評価を低下させるものと認められる」とし、大江氏が、法廷で述べた曽野綾子誤読説についても、『沖縄ノート』が必ずしも文法的な厳密さを一貫させた作品であるとは解されないとしています。そして「一般読者が普通の注意と読み方で沖縄ノートの各記述に当たった場合、『あまりに巨きい罪の巨塊』との表現は……渡嘉敷島の守備隊長の犯した罪か、守備隊長自身を指しているとの印象を抱く者も存するものと思われる」として一蹴したのです〉。
〈控訴審では、原審で弄し続けた大江氏の匿名論、曽野誤読論、タテの構造論といった文学風まやかしは、すでに外堀を埋められてもはや通用せず、大江氏の良心を気どった偽善の仮面がついにはぎ取られる事になります〉。
〈控訴審では必ず逆転すべく、すでに様々な作戦を立てているところですが、必ず勝訴できると確信できます。一審で勝訴して、二審で逆転されては無意味です〉。
原告の梅澤・赤松両氏の請求が棄却され、不当判決と糾弾する一方で、『沖縄ノート』の「あまりにも大きな罪の巨塊」という表現については、一審判決が原告側の主張を受け入れたと評価し、〈大江氏の匿名論、曽野誤読論、タテの構造論といった文学風まやかし〉は〈外堀を埋められてもはや通用〉しないとうそぶいている。
「罪の巨塊」という表現の解釈をめぐる問題は、この裁判の大きな論点の一つであった。原告側がこの裁判を起こす際に、赤松元隊長を貶め人格攻撃をしている、とまっ先に批判した表現であり、曾野氏と大江氏だけでなく山崎行太郎氏も加わって「誤読論争」も起こった。
ところで、南木氏をはじめとした原告側支援者の願望とは裏腹に、控訴審判決では「罪の巨塊」の解釈について原告側の主張は退けられ、大江・岩波書店の主張をより受け入れた判断が下された。あれほど論争や話題になった割には、このことについて触れた発言や文章をほとんど目にしない。控訴人やその支援者らが意気消沈して沈黙しているせいかもしれないが、以下に、一審(原審)と二審(控訴審)の判決文から該当部分をそれぞれ引用し、その違いを確認しておきたい。
〈これらの表現のうち「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも大きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」との部分について、被告大江は、罪の巨塊とは自決者の死体のことであり、文法的にみて、「巨きい罪の巨塊」が渡嘉敷島の守備隊長を指すと読むことはできない旨供述する。
しかしながら、沖縄ノートは、全体として文学的な表現が多用され、被告大江自身、「巨塊」という言葉は日本語にはないが造語として使用した旨供述するように、必ずしも文法的な厳密さを一貫させた作品であるとは解されない。被告大江の供述を踏まえて沖縄ノートを精読すると被告大江の供述するような読み方も理解できないではないが、一般読者が普通の注意と読み方で沖縄ノートの各記述に当たった場合、「あまりにも大きい罪の巨塊」との表現は、慶良間列島の集団自決を強制した守備隊長を批判する前後の文脈に照らし、渡嘉敷島の守備隊長の犯した罪か、守備隊長自身を指しているとの印象を強くする者も存すると思われる。
もっとも、そうであるとしても、その表現は、集団自決を強制した罪の大きさを表現する方法として特徴ある表現ではあるものの、極端に揶揄、愚弄、嘲笑、蔑視的な表現とまでいうことはできない〉(「一審判決文」210~211ページ)。
〈別紙「第Ⅸ章 抜き書き」の論評は、確かに、いわば魂を内側からえぐるような激しさを有するものであるが、章あるいはひとつながりの論旨の全体を通してみると、論者の立場からはまさにそこで伝えんとする意見に対して必然性のある言葉と表現及び事柄(素材)が選ばれているものと評することができる。論旨に沿って相関連し展開する文章の中から、使われた個々の用語を取り出して並べ、赤松大尉を「アイヒマン」「者」「罪の巨塊」「ペテン」などとして揶揄、愚弄、嘲笑、罵倒し、いたずらに個人を貶め、人身攻撃をするものというのはあたらない。ここで論評の対象とされているのは、論者を含めた本土の壮年の日本人全体の姿であり、赤松大尉個人を対象とするものではなく、その直接的自決命令そのものを対象として告発せんとするものでもない〉(「二審判決文」267ページ)。
〈控訴人赤松は、曾野綾子の読み方にならって「あまりにも大きい罪の巨塊」とは赤松大尉を表現したものであると主張するが、「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊の前で、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」との部分を前掲の文脈の中で位置づけるならば、被控訴人大江が、罪の巨塊とは自決者の死体をあらわすものであり、文法的にみても「巨きい罪の巨塊」が渡嘉敷島の守備隊長を指すと読むことはできないとするのは、首肯でき、これが赤松大尉を神の立場から断罪し、揶揄、愚弄したものとはいえない〉(同)。
以上明らかなように、一審においては、「罪の巨塊」という表現の解釈について、大江氏の主張を〈理解できないではない〉とする一方で原告側の主張も認め、〈一般読者が普通の注意と読み方で沖縄ノートの各記述に当たった場合〉〈渡嘉敷島の守備隊長の犯した罪か、守備隊長自身を指しているとの印象を強くする者も存すると思われる〉としている。
ただ、その場合でも、〈その表現は、集団自決を強制した罪の大きさを表現する方法として特徴ある表現ではあるものの、極端に揶揄、愚弄、嘲笑、蔑視的な表現とまでいうことはできない〉としていることは、きちんと押さえる必要がある。南木氏は意図的にこの部分については触れず、一審判決が大江氏の主張を〈一蹴した〉かのように書いているが、それは自分たちに都合の悪い部分は伏せた上での誇張にすぎない。
さて、二審判決文では、控訴人赤松氏の主張をしりぞけ、〈被控訴人大江が、罪の巨塊とは自決者の死体をあらわすものであり、文法的にみても「巨きい罪の巨塊」が渡嘉敷島の守備隊長を指すと読むことはできないとするのは、首肯でき〉とし、大江氏の主張を全面的に認めている。そして、大江氏が〈神の立場〉から赤松大尉を〈断罪〉〈揶揄〉〈愚弄〉しているとした、曾野綾子氏の批判に基づく控訴人側の主張も、一審に続きしりぞけている。
一審判決について大江氏は、裁判長がよく『沖縄ノート』の主張を読み取ってくださった、と評価していたが、二審の判決文は一審以上に、大江氏や岩波書店にとって高く評価するものとなったのではないか。特にこの「罪の巨塊」についての判断には満足したことであろう。
逆に、控訴人や南木氏をはじめとしたその支援者らは、逆転どころかさらに厳しい判断を下され、打ちのめされたであろう。外堀どころか内堀まで埋まっていたのは自分たちであり、今や完全に頭まで埋まってしまったことを自覚させられたはずだ。反発や批判をする気力もくじけてしまったのか、二審判決後の原告側の動きは不活発で、南木氏が管理する原告側のブログもお寒い限りだ。
「罪の巨塊」の解釈をめぐる二審の判断に、曾野綾子氏や徳永信一氏、藤岡信勝氏、南木隆治氏らがどう考えているか、見解をうかがいたいものだ。
〈大江氏は、『沖縄ノート』は、赤松・梅澤両隊長を特定したものでもなく、名誉毀損表現もないと強弁しましたが、判決は『沖縄ノート』の表現が、「集団自決という平時ではあり得ない残虐な行為を命じたものとして、原告梅澤及び赤松大尉の客観的な社会的評価を低下させるものと認められる」とし、大江氏が、法廷で述べた曽野綾子誤読説についても、『沖縄ノート』が必ずしも文法的な厳密さを一貫させた作品であるとは解されないとしています。そして「一般読者が普通の注意と読み方で沖縄ノートの各記述に当たった場合、『あまりに巨きい罪の巨塊』との表現は……渡嘉敷島の守備隊長の犯した罪か、守備隊長自身を指しているとの印象を抱く者も存するものと思われる」として一蹴したのです〉。
〈控訴審では、原審で弄し続けた大江氏の匿名論、曽野誤読論、タテの構造論といった文学風まやかしは、すでに外堀を埋められてもはや通用せず、大江氏の良心を気どった偽善の仮面がついにはぎ取られる事になります〉。
〈控訴審では必ず逆転すべく、すでに様々な作戦を立てているところですが、必ず勝訴できると確信できます。一審で勝訴して、二審で逆転されては無意味です〉。
原告の梅澤・赤松両氏の請求が棄却され、不当判決と糾弾する一方で、『沖縄ノート』の「あまりにも大きな罪の巨塊」という表現については、一審判決が原告側の主張を受け入れたと評価し、〈大江氏の匿名論、曽野誤読論、タテの構造論といった文学風まやかし〉は〈外堀を埋められてもはや通用〉しないとうそぶいている。
「罪の巨塊」という表現の解釈をめぐる問題は、この裁判の大きな論点の一つであった。原告側がこの裁判を起こす際に、赤松元隊長を貶め人格攻撃をしている、とまっ先に批判した表現であり、曾野氏と大江氏だけでなく山崎行太郎氏も加わって「誤読論争」も起こった。
ところで、南木氏をはじめとした原告側支援者の願望とは裏腹に、控訴審判決では「罪の巨塊」の解釈について原告側の主張は退けられ、大江・岩波書店の主張をより受け入れた判断が下された。あれほど論争や話題になった割には、このことについて触れた発言や文章をほとんど目にしない。控訴人やその支援者らが意気消沈して沈黙しているせいかもしれないが、以下に、一審(原審)と二審(控訴審)の判決文から該当部分をそれぞれ引用し、その違いを確認しておきたい。
〈これらの表現のうち「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも大きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」との部分について、被告大江は、罪の巨塊とは自決者の死体のことであり、文法的にみて、「巨きい罪の巨塊」が渡嘉敷島の守備隊長を指すと読むことはできない旨供述する。
しかしながら、沖縄ノートは、全体として文学的な表現が多用され、被告大江自身、「巨塊」という言葉は日本語にはないが造語として使用した旨供述するように、必ずしも文法的な厳密さを一貫させた作品であるとは解されない。被告大江の供述を踏まえて沖縄ノートを精読すると被告大江の供述するような読み方も理解できないではないが、一般読者が普通の注意と読み方で沖縄ノートの各記述に当たった場合、「あまりにも大きい罪の巨塊」との表現は、慶良間列島の集団自決を強制した守備隊長を批判する前後の文脈に照らし、渡嘉敷島の守備隊長の犯した罪か、守備隊長自身を指しているとの印象を強くする者も存すると思われる。
もっとも、そうであるとしても、その表現は、集団自決を強制した罪の大きさを表現する方法として特徴ある表現ではあるものの、極端に揶揄、愚弄、嘲笑、蔑視的な表現とまでいうことはできない〉(「一審判決文」210~211ページ)。
〈別紙「第Ⅸ章 抜き書き」の論評は、確かに、いわば魂を内側からえぐるような激しさを有するものであるが、章あるいはひとつながりの論旨の全体を通してみると、論者の立場からはまさにそこで伝えんとする意見に対して必然性のある言葉と表現及び事柄(素材)が選ばれているものと評することができる。論旨に沿って相関連し展開する文章の中から、使われた個々の用語を取り出して並べ、赤松大尉を「アイヒマン」「者」「罪の巨塊」「ペテン」などとして揶揄、愚弄、嘲笑、罵倒し、いたずらに個人を貶め、人身攻撃をするものというのはあたらない。ここで論評の対象とされているのは、論者を含めた本土の壮年の日本人全体の姿であり、赤松大尉個人を対象とするものではなく、その直接的自決命令そのものを対象として告発せんとするものでもない〉(「二審判決文」267ページ)。
〈控訴人赤松は、曾野綾子の読み方にならって「あまりにも大きい罪の巨塊」とは赤松大尉を表現したものであると主張するが、「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊の前で、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」との部分を前掲の文脈の中で位置づけるならば、被控訴人大江が、罪の巨塊とは自決者の死体をあらわすものであり、文法的にみても「巨きい罪の巨塊」が渡嘉敷島の守備隊長を指すと読むことはできないとするのは、首肯でき、これが赤松大尉を神の立場から断罪し、揶揄、愚弄したものとはいえない〉(同)。
以上明らかなように、一審においては、「罪の巨塊」という表現の解釈について、大江氏の主張を〈理解できないではない〉とする一方で原告側の主張も認め、〈一般読者が普通の注意と読み方で沖縄ノートの各記述に当たった場合〉〈渡嘉敷島の守備隊長の犯した罪か、守備隊長自身を指しているとの印象を強くする者も存すると思われる〉としている。
ただ、その場合でも、〈その表現は、集団自決を強制した罪の大きさを表現する方法として特徴ある表現ではあるものの、極端に揶揄、愚弄、嘲笑、蔑視的な表現とまでいうことはできない〉としていることは、きちんと押さえる必要がある。南木氏は意図的にこの部分については触れず、一審判決が大江氏の主張を〈一蹴した〉かのように書いているが、それは自分たちに都合の悪い部分は伏せた上での誇張にすぎない。
さて、二審判決文では、控訴人赤松氏の主張をしりぞけ、〈被控訴人大江が、罪の巨塊とは自決者の死体をあらわすものであり、文法的にみても「巨きい罪の巨塊」が渡嘉敷島の守備隊長を指すと読むことはできないとするのは、首肯でき〉とし、大江氏の主張を全面的に認めている。そして、大江氏が〈神の立場〉から赤松大尉を〈断罪〉〈揶揄〉〈愚弄〉しているとした、曾野綾子氏の批判に基づく控訴人側の主張も、一審に続きしりぞけている。
一審判決について大江氏は、裁判長がよく『沖縄ノート』の主張を読み取ってくださった、と評価していたが、二審の判決文は一審以上に、大江氏や岩波書店にとって高く評価するものとなったのではないか。特にこの「罪の巨塊」についての判断には満足したことであろう。
逆に、控訴人や南木氏をはじめとしたその支援者らは、逆転どころかさらに厳しい判断を下され、打ちのめされたであろう。外堀どころか内堀まで埋まっていたのは自分たちであり、今や完全に頭まで埋まってしまったことを自覚させられたはずだ。反発や批判をする気力もくじけてしまったのか、二審判決後の原告側の動きは不活発で、南木氏が管理する原告側のブログもお寒い限りだ。
「罪の巨塊」の解釈をめぐる二審の判断に、曾野綾子氏や徳永信一氏、藤岡信勝氏、南木隆治氏らがどう考えているか、見解をうかがいたいものだ。
一審で曾野綾子をご覧になったのですか。うらやましいです。私も一度はこの「神話」創作者を見てみたいものです。
曽野は法廷に出る事ないでしょうね。手榴弾配布証言をした元兵事主任・富山(新城)真順と面会したかどうかを、被告側弁護人から訊かれる事は必至だと思います。
20年前の家永裁判では「そんな人知らん」「会ってない」と嘘をつき通しましたが、今回はそんなふてぶてしい態度には出られないでしょう。世の注目度が違います。
以前からキー坊さんが曽野綾子の「神話の背景」における石田郁夫批判に着目して原典にあたっておられますが、私もそれに触発されて彼女のルポルタージュ軌範論に、俗人らしく迫ってみようと思いました。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1297798/
なお、触発源キー坊さんはコチラです。
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-110.html
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-111.html
http://keybow49okinawan.web.fc2.com/siryou.html