海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「小林よしのり沖縄講演会」をめぐって

2008-11-26 23:52:23 | ゴーマニズム批判
 雑誌『SAPIO』08年11月26日号の「ゴーマニズム宣言」第36章で小林よしのり氏が、日本青年会議所沖縄地区主催の講演会のことを書いている。その中で〈わしの講演と同時刻に「言論封殺魔」の講演があるらしい〉〈以前、先生がやった時も、目取真俊という左翼が同時刻にぶつけてきたよね〉と書いていて、笑ってしまった。
 沖縄は基地、環境、教育、歴史、経済、文化等々、いろいろと問題や話題の多い島のせいか、土日ともなれば講演会やシンポジウムがいくつも重なり、どれに行こうかと迷うことはざらにある。「言論封殺魔」とお得意のイメージ操作で中傷している人物が、わざわざ同時刻にぶつけてきたと考えるのは自意識過剰だろう。
 以前、小林氏が沖縄でやった講演会の際、私がシンポジウムを同時刻にぶつけてきた、というデマもこれまで何度か書いている。これについては同シンポジウムが持たれた経緯がほとんど知られてないので、小林氏が書いていることを真に受けている人もいるだろう。この際なので経緯を明らかにしておきたい。以下に引用するのは、本ブログの11月18日付で紹介した『目取真俊 講演録』(第9条の会・オーバー東京 編集・発行)の一節である。
 
 〇四年の八月に雑誌『SAPIO』で「新ゴーマニズム宣言SPCAL沖縄論」の連載が始まり、〇五年八月に宜野湾市の沖縄コンベンション・センターで「小林よしのり沖縄講演会」が開かれました。〇四年夏以降の小林よしのり氏の動きも、これまで見た「靖国応援団」、自由主義史観研究会の動きと根っこで繋がっているのではないかと思います。実は「靖国応援団」の中心である徳永信一弁護士と小林氏は、薬害エイズ訴訟の支援を通して旧知の間柄なのです。二人がどのような関係を保っていて、どのように示し合わせて行動しているかについては、注意してみておく必要があります。
 「小林よしのり沖縄講演会」について話したいのですが、千名以上の参加者があって盛り上がりました。沖縄県内で実行委員会が作られて小林氏を呼んだのですが、この集会が大きな話題となり、問題となった一番の理由は、当初、参議院議員の糸数慶子さんがゲストとして出ることになっていたことにあります。ポスターやチラシに載ったゲスト・糸数慶子という名前を見て驚いて、糸数さんの支持者をはじめ多くの人が、疑問や抗議の声をあげたのです。
 私も糸数さんにメールを送って、小林よしのり氏がこれまで従軍慰安婦問題でどういう発言・主張をしてきたか知っているのか。それを知った上でゲストとして出るのか。出ることが政治的にどんな意味を持つか分かっているのか、などを問い質しました。県知事選挙を翌年にひかえて、糸数さんは野党候補の有力な一人として名前が挙がっていました。もし糸数さんがゲストとして参加し、壇上で小林氏と握手している写真を撮られ、それがインターネット上に流れて「褒め殺し」のような形でキャンペーン材料に使われたらどうなるか。これは罠ではないか。そういう懸念も私は持っていました。
 私だけでなく多くの人が糸数さんを説得したのですが、糸数さんの方は小林氏の主張に反論する自信があったようで、ゲストとして出る意思をなかなか変えませんでした。その態度に呆れて糸数さんを支援する団体を辞めてしまう人も出ました。反論すると言っても、小林氏が九十分講演したあとに、ゲストのあなたと一時間対談しても、あなたが話せる時間は三十分もないでしょう。どうしても討論したいというのなら、双方同じ時間話せるように別の場を設定してやったらどうですか。私の方からはそういうこともメールで書き送りました。
 最終的に糸数さんが所属する沖縄社会大衆党の幹部が集まって話し合いが持たれ、不参加が決定されたようですが、糸数さんは不満だったようです。そのあとAさんという人を通して私に連絡がありました。小林氏の講演会と同日同時刻に、糸数さんがシンポジウムを開きたいと言っている。そこでこれまでの経緯などを話したいと言っている。目取真さんもパネリストとして参加してほしい、ということでした。 
 私は小林氏の講演会を聴きに行く予定だったのですが、申し出を引き受けました。それまで糸数さんにメールを送って説得したこともあり、ここで引き受けないのは無責任だろうと思ったからです。ただ、同日同時間にやるのはまずいだろうと思いました。ろくに宣伝する余裕もなく人集めも大変だし、別の日にやった方が、聴く側も両方参加できていいだろうと思いました。
 しかし、結局自分の意見は言いませんでした。糸数さんが同日同時間にやりたいというなら、それを優先すべきだろうと思ったからです。それで急遽シンポジウムが設定されて、ほとんど宣伝をする時間もないまま当日を迎えました。打ち合わせがあるので私は早めに会場に行ったのですが、そしたらAさんからその場で、糸数さんが参加できなくなりました、と言われたわけです。急に都合が悪くなった、ということで詳しい説明はされませんでした。
 結局私とあと二人でシンポジウムをやったのですが、その後、あたかも私がこのシンポジウムを呼びかけて開いたかのように、小林氏は「ゴーマニズム宣言」でキャンペーンしているわけです。実際にシンポジウムを仕掛けた糸数さんは、何も関わっていなかったかのような顔をして、知らんふりです。
 シンポジウムからしばらく経ってあるマスコミ関係者から、シンポジウムの前の夜に、糸数さんが小林氏のスタッフと会っていた、という話を聞かされました。真偽を糸数さんに確かめてはいませんが、前日まで何の知らせもなく、会場にきて初めてシンポジウムへの欠席を知ったあのときの状況を考えると、小林氏と糸数さんの間で、何らかの政治的な取り引きがあったのではないか、と私は考えています。
 「小林よしのり沖縄講演会」をめぐるこのときの糸数さんの対応は、翌年の県知事選挙で彼女が候補者となる段階で、明らかにマイナスとなりました。政治的判断力および脇の甘さをさらしてしまったからです。それまで彼女を支持・応援していたのにこの問題があって、自信を持って推せない、という人もいました。結局、糸数さんは自己過信からくる判断ミスによって墓穴を掘ってしまったわけです。
(『目取真俊 講演録』13~15ページ)

 「小林よしのり沖縄講演会』が宜野湾市のコンベンションセンターで開かれたのが05年の8月である。同年同月に梅澤氏と赤松氏が大阪地裁に大江氏と岩波書店を提訴している。そして、『SAPIO』で「ゴーマニズム宣言SPECIAL沖縄論」の連載が始まったのが、その一年前の04年8月だった。その頃は元軍人の山本明氏や「靖国応援団」を自称する弁護士グループが、梅澤・赤松両氏に裁判提訴をはたらきかけていた時期なのだ。
 「靖国応援団」の一人であり、大江・岩波沖縄戦裁判で原告側代理人の中心となった徳永信一弁護士は、薬害エイズ訴訟を通じて小林よしのり氏とは旧知の間柄だ。徳永氏が裁判の情報を小林氏に提供し、それを小林氏が利用して「ゴーマニズム宣言」に書き、さらに徳永氏が裁判の意見陳述書に小林氏の文章や『誇りある沖縄』を利用するということもあった。
 04年から05年にかけての時期は、日本の「防衛計画」が北方重視から西方重視に大きく転換し、在日米軍再編とも連動して、対中国との関係で沖縄の軍事的重要性が自衛隊・米軍に再確認される時期なのである。それは「沖縄の負担軽減」をうたって在沖米軍削減が示される一方で、「抑止力の維持」を強調して沖縄における自衛隊強化が急速に進められる形で現実化している。
 詳しくは『講演録』を読んでほしいが、この時期に「靖国応援団」、自由主義史観研究会、小林よしのり氏らが一斉に沖縄に目を向け始めたのは、東アジアにおける日本・米国・中国の軍事的角逐において、沖縄が持つ意味を彼らなりに押さえているからだろう。
 小林氏がくり返し沖縄に来て、講演をしたり「ゴーマニズム宣言」で沖縄を取り上げるのは、決して「金」のためではない。中国に対抗するために沖縄を「国防」の拠点としたいからなのだ。八重山に住むJC役員との関係を強めているのも、小林氏なりの思惑があるのだろう。
 

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