週明けの8日は朝、瀬嵩の浜からカヌー15艇で出発した。抗議船2隻と合流して辺野古弾薬庫下の海域まで漕ぎ、くばま(小浜)で行われている作業に監視・抗議行動を行った。午前中は先週までに積んだ布団かごの上に栗石を敷き固め、鉄板を置く作業が行われた。
クレーン車が前に進めるように足場を作る作業で、黄金週間中の波よけだったらしい手前の3袋の布団かごを取り去ったあと、午後からいよいよ捨て石の投下が始まった。
瀬嵩の浜で昼食をとったあと、くばまの前まで戻るとすでに捨て石の投下が始まっていた。浜の手前のフロートは大玉が二重になり、海保のゴムボートが前をふさいで警戒にあたっている。フロートを越えるだけでも難しい状況だが、これまでより大きな石材が投下されるのを黙って見ているわけにはいかない。カヌーメンバーは各自でできる限りの抗議を行った。
https://www.youtube.com/watch?v=4PhSDMWZDZQ&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=6FoAiDE9oE0&feature=youtu.be
投下される石材が山積みになり、潮が満ちるにつれ波しぶきが上がる。石灰岩の粉末も白く上がり、海の汚濁が発生する。投下される岩が音を立て、大浦湾の破壊が目の前で行われている。フロートを越えて抗議した市民は海保に拘束されていったが、海保はいったい何を守っているのだろうか。
4月25日に行われたセレモニーから12日が経ち、大浦湾への捨て石の投下が本格的に始まった。海底のサンゴや海草、魚介類などの生き物を圧殺して、これから大量の捨て石が海に投下されていく。海での投下阻止・抗議行動と同時にゲート前での資材搬入阻止・抗議行動がいっそう重要となっている。この状況を止めるのは市民一人ひとりの行動しかない。辺野古に結集を!
この日はほかにスパッド台船の1隻が移動して、海保の浮桟橋の近くに新たに設置された。スパッド台船Aでは掘削棒が海に下り、作業員も乗っていて海底ボーリング調査が行われていた。黄色と白のクレーンが付いた台船もやぐらにガイドパイプが入っていて、調査が行われていた。
実際にはまだ海底の地質調査も終わっていないのだ。軟弱な地盤が見つかり、いずれ設計変更を迫られるだろうが、それまでにとにかく埋め立てを強行的に進め、沖縄県民をあきらめさせようというのが政府・沖縄防衛局のたくらみである。
だが、この島に住む者があきらめれば、災いは自分の身に降りかかってくる。自分だけではない、子や孫の世代にもだ。それを思えば、どうしてあきらめることができるだろうか。