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日本語の諸問題 (36) 文語形容詞語尾「し」について

2015年12月03日 | Weblog

「古い」「高い」「深い」などの形容詞語尾「い」は古語の「古き」「高き」「深き」の「き ki 」の  k 音が消失したものである、(例、古き良き時代)。文語形容詞の活用表では「古き」は連体形、言い切る形の「古し」は終止形となっている。この「し」についての説明はいっさいない。以前、書いたように、この「し」には意味がある。それは「たる」や「なる」と同じで「そういう状態にある」との意味の助動詞であり、英語の  be  動詞に当たるものである。

 私の文法理論では、形容詞語幹に様々な接尾語が付いて単語が作られてゆくことはすでに述べた。この場合、「高い」、「広く」の「い」や「く」に意味はない。ただ単に形容詞や副詞を形成する接尾語にすぎない。「安かろう」は「やす・から・う」が音変化したもの、「安かった」は「やす・かり・た」が音便化して「安かった」となったものである。動詞の「取る」「走る」が「取った」「走った」となるのも「 取り・た 」「 走り・た 」からきており、同じ音変化である。文語形容詞の活用表にある「かる」(そうある)が現代語にも生きているのである。しかるに、国文法では形容詞は活用(語形変化)するのであり、「かる」は独立した助動詞ではなく、たんなる活用語尾である。同じく「高し」の「し」も助動詞とは認定されていない。あくまでも日本語形容詞は活用(語形変化)するものなのである。

 -日本語形容詞は活用などしないー

 英語の形容詞は比較・最上級以外は活用(語形変化)しないが、ドイツ語やロシア語の形容詞は活用する。ドイツ語では  gute nacht  (おやすみなさい)、また  guten morgen (おはよう) のように英語の  good  に当たる語幹  gut  はその修飾する名詞の性によって語形変化(語尾変化)する。この場合  gute も  guten も意味は変わらない。日本語形容詞が「良い、良く、良かった」などと活用すると我々日本人は思い込まされているが、「良い」「良く」「良かった」はまったく意味の違う別の言葉である。これを活用すると決めた明治の国語学者の言語に対する認識不足に唖然とするばかりである。

 日露戦争・日本海海戦の有名な電文「本日、天気晴朗なれども波高し」を英語に訳すと、Today weather is clear, but wave is high. となる。「高し」の「し」はこの  is  に相当するものである。「し」は「する」の名詞形(連用形)であり、語幹「高(たか)」に付いた接尾語にすぎない。朝鮮語の  ha-da (する)には「そうである」との意味もあり、日本語の「し」と一致する。たとえば、「誠実である」を朝鮮語では「誠実 ha-da」と言う。そう考えるには合理性がある。阿倍仲麻呂の有名な歌「・・・三笠の山にい出し月かも」は「い出たる月かも」と言えるし、古今和歌集の序文の「近き世にその名聞こえたる人」も「その名聞こえし人」とも言い換えられる。勿論、「し」を使った方が詩文としては優雅である。このように「し」は「たる」と同じ意味を持つ助動詞とすべきである。またこの「し」は古歌で「・・大和しうるわし」と言うように強調の意味にも使われる(「大和こそうるわしい」の意味)

 -動かざること山の如(ごと)しー

 この「ごとし」は文語文法では助動詞に分類されている。現代語では同じ助動詞ではあるが「様(よう)だ」と国文法教科書にはある。この「ごとし」も「ようだ」もこれで一つの単語とされている。これはおかしい。「ごと」と濁音化しているが、元は「こと(事)」であり、明らかに名詞である。「古語辞典」にも「こと」の意味として、「物事(ものごと)」「言(こと)」「同様、同一」などがあると説明されている。これから「ごとし」は現代語では文語表現としてのみ残り、漢語の「様(よう)」に取って代わられ、断定の助動詞「だ」が付いて「ようだ」との言葉が出来たと考えられる。つまり、文語の「ごとし」の「し」と現代語の「ようだ」の「だ」は同じ意味なのである。また、「ようだ」は口語で「ようです」とか「ようである」とも言える。なお連体形は「ごとき」と「ような」となる。国文法では「様(よう)」は形容動詞とされているが、ただ単に助動詞「なる」を、現代語では「る」が落ちて助詞化した「な」を取るだけである。「こと」も「様(よう)」も名詞なのである。

 <追記>

 国文法で正しく活用(語形変化)すると言えるのは「読む」「書く」などの動詞と「たる」「なる」「かる」などの助動詞だけである。形容詞や形容動詞などは元々活用などしない。語幹部分に様々な接尾語がくっ付いたものにすぎない(膠着語)。その活用も語尾が   -a  -i  -e   の三種類に変化するだけである。400年前の宣教師ロドリゲスもそのことに気付いていた。(勿論、当時の発音は今とは少し違うが・・)

 日本語で日常ふつうに使われる「賭け事」とか「賭けマージャン」の「賭け」という言葉は「かけソバ」「掛け軸」とか「虹のかけ橋」「衣文掛け」「見かける」「読みかけです」などの「かけ」と同一の言葉である。「国語辞典」にも「かける(掛、懸、賭)」と出ている。「かける」とは「空中に浮かんだ不安定な状態にある」意味であり、「水をかける」「ハシゴを掛ける」とか「命をかける」という言葉がそれを示している。そこから、派生して「天(あま)翔ける鳥船」などの表現が生まれ、「駆ける」「かけ足」の意味にも使われるようになった。また、「仕掛ける」とか「呼び掛ける」のように、動作を始動させる意味にも派生している。

 この「かける」の語幹「かけ」が独立した名詞として「賭け」ができている。それが国文法では「かける」の語幹は「か」で「け、け、ける、ける、けれ、けろ」と活用し、「かけ」はその連用形であり、それが名詞化したものである。こんな説明では実際、義務教育の子供たちが国文法を理解できないのは当然である。世界で自国の言語(母国語)の文法を嫌って拒否するのは日本だけであろう。大学の国語・国文法の先生方はこの事実を知っているのだろうか。それとも、真実、知らないのだろうか。一度、中学の教壇に立って国文法を教えてみれば分かるはずである。国語学者が国文法に固執する限り日本語に未来はない。

 

 

 

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1 コメント

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答えの出ない疑問 (syun)
2018-04-10 06:33:54
形容詞の終止形語尾の"し"が、過去の助動詞"き"の連体形"し"、またサ変動詞の連用形と同じであるということは、
形容詞の活用で"き""け""く"と活用することにはどういった意味があるのでしょうか? 過去の助動詞"き"が、"せ""し""しか"と活用するのだから、サ行やカ行のこれらは、指示詞のような語と語を繋ぐ接着の役割なのでしょうか。
また、形容詞の シク活用とク活用で、後者は活用する時、終止形語尾の"し"が脱落することに、どういった実質的意味がありますか?
また、形容詞と形容動詞の本質的な差異はなにかあるのでしょうか。それぞれ、連体形語尾が、"き"、"かる"、"たる"、"なる"で名詞を修飾するとき、違いがあるのでしょうか。
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