この本の副題に ー 戦国最初の「天下人」ーとある 。おそらく近年、東大教授が言い出した「この時代(戦国時代)は天下の意味は京とその周辺のことであった」との説を引用した結果だと思うが、この説自体とんでもない俗説である。すでに私が「信長の天下布武について」で書いたように、漢語「天下」の意味は中国も日本も古代から現代に至るまで不変である。文字どおり「天(あめ)の下(した)」である。
ーこの時代、三好長慶を「天下人」と書いている文献史料はなかったー
たしかに、三好長慶は名目上の天下人である12代将軍足利義晴、13代義輝を近江に追放して京と畿内九ヶ国を支配していた。さらに、足利将軍に代って朝廷と交渉したり、実際、将軍の権限を代行している事例があったことが本書に書かれていた。だからと言って、この時代の公家、武家、寺社などに残された史料の中に三好長慶を「天下人」と呼んでいる例はなかった。天野氏はこの時代の膨大な文献資料に目を通し本書を書いている。このことには頭が下がる思いであるが、やはり、見つからなかったようである。当然である。その時代の人たちは誰も三好長慶を「天下人」とは見なしていなかったからである。ただし、京を支配する実力者であるとは思っていたであろうが・・。
ー日本国で「天下人」を指名できるのは天皇だけー
織田信長が安土城を築き、甲斐の武田勝頼を滅ぼした段階で、朝廷は信長を天下人にしようと画策して、信長に「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」どれでも好きなものを選べと提示した。ところが、信長はすべて蹴った(正確には、返答をしなかった。天皇の命を無視したのである)。朝廷の驚きと不安は相当なものであったろう。過去の源頼朝や足利尊氏とは違うと、信長は天皇や朝廷を廃止して自分が皇帝になろうとしているのではないかと・・。これから本能寺の変、朝廷黒幕説が出ている。この三職とも天皇が任命するものであり、朝廷の官職なのだから。つまり、天皇の臣下になることを意味する。では、三好長慶に朝廷からそのような打診があったのだろうか。この天野氏の本にはないし、その他、この時代を扱ったいかなる著作物でも見たことがない。三好長慶は形式上、足利将軍の家臣である管領・細川晴元のそのまた家臣、摂津・守護代にすぎない。
ー鎌倉幕府の成立に関する奇妙な高校教科書ー
SNSで見つけたのであるが、山川出版社の高校日本史教科書には鎌倉幕府の成立についてとんでもない間違いが書かれていた。それには、鎌倉幕府の成立は私が習った1192年(源頼朝が征夷大将軍に補任された年)ではなく、特定の年は書かれておらず次のようにある。
「 1185(文治元)年・・・諸国に守護を、荘園や公領には地頭を任命する権利や1段当たり5升の兵粮米を徴収する権利、さらに諸国の国衙の実権を握る在庁官人を支配する権利を獲得した。こうして東国を中心にした頼朝の支配権は、西国にもおよび、武家政権としての鎌倉幕府が確立した」つまり、頼朝が様々な政策を実行する過程で鎌倉幕府が序々に成立して行った、と言っているのである。
この教科書の執筆者は基本的な誤りを犯している。源頼朝の時代には「鎌倉幕府」との言葉はなかった。「鎌倉幕府」「室町幕府」「江戸幕府」は明治以後に作られた歴史用語である。天皇が頼朝を征夷大将軍に補任して初めて使える言葉であることはすでに書いた。守護・地頭の設置(1185年)を中心に置くのなら 当然、「頼朝政権の成立」か「鎌倉武家政権の成立」とするしかない(「幕府」との言葉は使えない)。ところが「鎌倉幕府」との用語は普通に使っている。この矛盾に執筆者自身は気付いていない。いや、気付いてはいるが、政治的イデオロギーからあえて無視しているかのどちらかであろう。つまり、天皇の任命ということに嫌悪感を持っている人。日本の歴史は天皇(朝廷)を抜きにしては語れない。たしかに、日本国を支えてきたのは全国津々浦々の無名の日本人の力であることは事実であるが、中央政府の歴史はそれとは違うものである。(この出版社の高校日本史教科書は戦後、東大の左派系学者が代々書いてきたものである)
この鎌倉幕府の問題は当然、室町幕府、江戸幕府へと波及してゆく。今、手元に山川出版社の教科書がないので何とも言えないが、多分、室町幕府と江戸幕府の成立も、足利尊氏や徳川家康が様々な合戦や政治活動の結果、生まれた武家政権であり、天皇(’朝廷)が征夷大将軍に任命した年ではないと思う。そうでなければ「鎌倉幕府の成立」との整合性がとれない。この教科書の執筆者は明治の日本史学者が決めた「幕府」の意味を完全に否定している。それなら、「幕府」とか「幕藩体制」などの用語自体いっさい使うべきではない。「鎌倉幕府」は「鎌倉武家政権」で十分である。
結論として、現代の日本で「日本は万世一系の天皇が統治する国である」などと書かれた日本史教科書はないように、同じく、「鎌倉幕府の成立は源頼朝が天皇により征夷大将軍に補任された年ではない」と書くような教科書もまた、あってはならないのである。この両者とも日本の歴史を歪曲している。その日本史学者個人がどのような政治思想を持とうと、現代日本は思想信条の自由が保障されており自由であるが、公教育の場にそれを持ち込むことは許されない。この日本史教科書を検定パスさせた文科省の見識のなさに唖然とするばかりである。義務教育で学んだ鎌倉幕府の成立は1192年、ところが、高校日本史では1192年ではないと教師は言う。日本の生徒は一体、どちらを信用すればいいのか? 一度、文科省の担当者に聞いてみたい・・。
<追記>
前に書いたが、世界中どの国であれ、いかなる独裁者でも言語の意味を勝手に変えられない。(唯一、例外として、日本のある一流大学教授は別として・・?)。あるテレビの歴史番組に出演していた日本史学者が「戦国時代には天下の意味は京とその周辺のことだった」と話していた。その人はその後、天下は現代風の意味に変わって行ったと言っていた。とんでもない間違い、俗説である。この『三好一族』の著者、天野氏もその俗説に惑(まど)わされた被害者と言える。三好長慶は「戦国最初の天下人」ではなく、「戦国最初の天下人の魁(さきがけ)」とするのが一番正しい評価であろう。京とその周辺九ヶ国を支配し、天下人への第一歩を踏み出したが、結果的に、「天下人」にはなれなかったのであるから・・。
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