ふと今日思ったのは、マナーは技術なのか精神論なのか。私は深く考えたことがなかったんですが、冷静に考えてみると私はマナーは技術だと思います。いわゆる処世術なんでは?と思います。
マナーに好きも嫌いもないっちゃない。だってマナーっていうのはかなり形式的なもので、本質的になにか忘れてきた礼儀作法と言えない?もちろん、気遣いというか心遣いはマナーと違うと思うよ。別にマナーという言葉の概念に文句つけたいわけではないが、マナーはできるべきことでなく、できないといけないものであると私は思う。つまりできてなければアウトで、そこに好きも嫌いもない。精神論は関係ない。関係あるとすればできなければならないという倫理観ぐらいなものだ。
だから最初に言ったようにマナーは処世術である。気遣いというか心遣いはまた別の問題として考えなければいけないと思うんですね。それをごっちゃにして考えるのは難しいように思うなぁ。みなさんはいかがだろう?
マナーに好きも嫌いもないっちゃない。だってマナーっていうのはかなり形式的なもので、本質的になにか忘れてきた礼儀作法と言えない?もちろん、気遣いというか心遣いはマナーと違うと思うよ。別にマナーという言葉の概念に文句つけたいわけではないが、マナーはできるべきことでなく、できないといけないものであると私は思う。つまりできてなければアウトで、そこに好きも嫌いもない。精神論は関係ない。関係あるとすればできなければならないという倫理観ぐらいなものだ。
だから最初に言ったようにマナーは処世術である。気遣いというか心遣いはまた別の問題として考えなければいけないと思うんですね。それをごっちゃにして考えるのは難しいように思うなぁ。みなさんはいかがだろう?
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