俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

いじめ

2006-10-18 02:42:14 | 社会問題
 今日は少しまじめに福岡の中2の自殺について考えてみる。

 というのも今日は先輩に「お前の親父とかはどう考えているの?」と訊かれたのがそもそも。正直、私としてはこの事件にそれほど興味を持っていなかったので、一応教育者である親父とこのことについて話したこともなかった。
 まぁまず考える上で、教育委員会や学校、校長・教頭、中1時の担任教師の不誠実な態度は考えないこととする。というかアレを不誠実という一般的見解が私にはいまいち共感ができない。正直あんなものじゃないかと思うのは私だけだろうか。別に養護するわけではないが、私がそういう立場にあったらそうするような気がするし、ごまかしたい気持ちは必ずあるはずだから。でも二転三転するのはよろしくないと思いますけど。最終的には誰かが責任取らないと収まらない現在の日本社会を考えれば、いつ次の自殺者が出てもおかしくはない。そんな気がします。
 んで、いじめについて考える。正直、普通に考えれば良いことではないのだろうが、どの社会においてもいじめがあるような気がする。私が生きてきた20年間にもいじめと私が認識できた覚えがあるものは確かにある。そう考えれば確かに私はいじめを助長したということでもあり、加害者でもあるんだと思う。つまりはこの事件における担任教師やクラスメイトとさほど変わらない。さすがに申し訳ないことをしていたとは思うが、一概に私が悪いということとも思えない。
 いじめを肯定するわけではないが、無意識・意識にかかわらず、人は人を傷つけている。それと普段から自分の環境は自分で作るものと考えている私からすれば、いじめられている側が6割方悪い気がする。いじめられるべくしていじめられているんじゃないかとさえ思える。結局、自分自身を守れるのは自分しかいない。親が守ってくれるわけでもないし、教師が守ってくれるわけでもないし、友達が守ってくれるわけでもない。そう考えれば、自殺という選択肢を選んだのは生きているときに自分自身で環境作る力がなかったのだろうし、ある意味では自殺することではじめて自分自身の環境を作り出すことができたのかもしれない。寂しい話ではあるが…。
 少し本題からはずれてしまうかもしれないが、いじめという現象は人間が本来持っている精神作用というよりも、日本人が抱えた精神作用なのではないだろうか。昔から日本人は自己防衛的攻撃心を抱いているとよく言われていて、今現在もそれがより強くなった気がする。周りから攻撃されるだろうから、攻撃するというちっちゃい考えだが、これが第2次世界大戦を起こした原因の1つであるからバカにできない。その精神がいじめという現象・行為にあるはず。自分自身を守るために、他人を虐げる。だから無意識・意識を問わずして人は人を傷つける。
 正直なところ、傷つけ合うところはギブ&テイクなんだと思う。それをそう思わないで人を傷つけないで生きていこうと考えるのはイエス様レベルの人間か、現実を理解できない人、自殺を選ぶ人だ。誰かが生きるといきるということはその裏では誰かが死んでいるということ。そういった現実を理解しようとしないで、NOいじめを言っている人は偽善者なんじゃないか。人は他人をいじめているのは間違いない。それが個人か集団かの話。ただ集団の問題にしたがるのはごまかしたいだけで、冷静に自体を見つめてみれば特定および個人の問題に根ざしている。最終的に個人と周囲、個人と他人という感覚が失われない限り、いじめはなくらないのだろう。
 学校側の不誠実な対応とかを批判するのは構わないが、担任教師の普段の対応が間違っていたと私は思わない。自殺した人が英雄になるわけでもないし、自殺したことが弱者だったことを示すわけでもないし、教師が自殺に追い込んだ最大の原因でもないし、クラスメイトが傍観者で悪者なわけでもない。ともかくとして教師に一生を通して償うとか言わせた世論は責任を取るべきなんじゃないだろうか。