俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

イエスの戯言ですか

2006-10-05 03:08:05 | ATOP
 まぁまた説教くさい話になるんですが、人を思うことって意味あるかないかではなく、なんていうんでしょう、それが優先順位第一項なのかイマイチ分からないところです。特に最近は。

 もちろんそれが大事でないとか思っているわけではないです。ただ人の気持ちを考えるとか人を思うことって、案外都合のいい言い訳な気がします。そういうことを言えばあたかも正義みたいなことを勘違いしているんじゃないかとすら思うときがある。なんかそういうことを口にする人に限って、現実逃避してごまかしているか、本当に人のことを考えていないような気がする…そう思うのは私だけなんでしょうか。
 こういうこと言ってるせいか、私は人のことを思えない人間だと思われがちです。もちろんあながち間違ってないわけですけど(何。でもまぁもちろん私も木の股から生まれたわけじゃないし、れっきとした人間であるから人のことぐらい思えます。思えると言うか、考えます。自然と考えてるものですし、思ってるもんじゃないですか。ただそれがどの程度かと言えば、人よりもレベルが低いのかもしれませんがね。
 ただ人を思うことを口にしてなんか言うのはかまいませんが、私が最終的に腑に落ちないのは人を思う前に人を知らないといけないんじゃないだろうか。相手を知らなければ思うことなんて程遠いし、やっぱり知らないで思うことを何かの口実にするのは明らかに都合のいい言い訳な気がする。
 もっと現実的な話をすれば私には無償の愛を提供できないという限界を持っています。相手を知れば知るだけ思うことはできるが、知らなければ思うことなどできない。皮肉を言えば人を思うなどと公言できる人は、イエスキリストのごとく広い心を持っているんじゃないでしょうか(笑。
 そういう皮肉は置いておいて現実問題、本当に人のことを思えば優しくすることだけが人を思うことではないはず。1つの失敗に対して、相手のことを考えれば「次ぎ頑張ればいい」と言うことが本当に正しいか私には疑問です。もちろん最終的にはそういうところにたどり着くであろうし、そういうフォローが必要だと思う。ただ最初から「次頑張ればいい」と言って済ますのは、現実から目をそらしているだけでしかないと思う。正直、次があればねって私は考えてしまいます。失敗したときにどこが問題であったか、何が問題だったかを追及できなければ、次も一緒なんだから。ましてやここぞというところで1回きりのことだったら、次なんて存在しない。だから失敗と言うのは重く受け止めなければならないはずだし、ましてや本当に人のことを考えるなら真実を伝えなければならないことだってあるはず。そう思うから駄目なものを駄目と言う勇気を持ち続けたいと思う。これも都合のいい言い訳だが、それが人を思うことになるから(笑。それはある意味では恋であるし、愛でしょ。