毎日、それなりにたのしく暮らしています。
まんがを描かなくても、こまごまとしたやることはいろいろあって、カレンダーが予定で埋まっていき、それなりに忙しい日々も過ごしています。
それでいいと思っていました。
別に、自分がまんが描かなくても、自分よりまんがの上手なひとや、描きたいことをたくさんもっているひとが、いっぱいいっぱいいることを知っています。
だから、正直、もう描かなくてもいいや…って思っていました。実際、長いこと描いていないから、この状態で、自分はまんがを描きます、と言うのは、もうおこがましいと思っていました。
今日は、音楽祭がありました。市内の小中高生のみなさんが、この日に向けて、合唱や合奏の練習を重ね、数分間に凝縮して、その成果を発表する日です。(と、プログラムに書いてありました)
どの学校も、ほんとうによかったと思います。小学生が、毎日毎日練習しているの知っていましたし、中高生の吹奏楽部の演奏も、とても上手でした。吹奏楽部の子供を持つおかあさんが、土日もお弁当持って、朝から夕方まで練習しに行っていたのだ、と教えてくれました。
でも、想像して、少ししんどくなりました。
そして「何のために、そこまで?」と思ってしまったのです。
数ヶ月が凝縮されたという、音楽は、演奏され、どんどん消えていきます。
今、ここで、自分が、子供たちの演奏を聴いている事に、いったい何の意味があるのだろう?と思いました。
ひとたび、こういう考えにとらわれてしまうと、もう、ほんとうに、なぜ生きているのか、何もわからなくなります。舞台で、光を浴びて、きらきらしたトランペットやチューバ…綺麗だけど、子供たちの歌声も、リコーダーのメロディもきれいだけど…、いったい、これはどういうことなんだろう。
きっと、聴きに来ている保護者の人たちは、自分の子供が、よくここまで成長したなあ…としみじみしていらっしゃることと思います…。それは、頭で考えたらわかるんです…。今、わたしはどうしてここにいるんだろう…それも、頭で考えれば説明はつくんです…。
でも、わたしは、音楽を聴きながら、何か本質的なものを見失っていました。
漠然と、やっぱりまんがを描いた方がいいのかな…と思いました。描いていれば、すべての意味をつなぎとめられるのかもしれない…と思いました。どうして、別に上手くもないのに、まんがを描くの?ろくに金に換えられるわけでもないのに、なんの意味があるの?…という誰かの声がします。これは多分、自分自身の声です。自分の存在の意味の無さをツッコむのは、自分の勝手だと思いますが、その気持ちを持っていると、ふとしたきっかけで、他人の存在や、もっと広げて、この世界まで、意味の無いものに思えてしまうのです。それは、きっと危険なことです。
今日は、少し疲れたみたいです…。
自分で浄化していく問題なので、余計なお世話だからコメントすまい・・・と思ってたのですが、やっぱり書きます。遅レスですんません。
漫画なんて、絵なんて、仕事で依頼されて描く場合以外は「好きだから」やるだけだと思います。
誰も求めてなくても、他に上手い人がどれだけいても、自分の作るものが評価されなくても、
「わたしゃー、描きたいから描くんじゃーーー」
というだけの物だと思います。
アマチュアの音楽もスポーツもそうでしょう。
(親が子供にやらせてるやつは怪しいでけすけど)
作家活動はモチベーション維持が一番難しいと聞きます。
うちの旦那は美大の油絵科卒なのですが、同級生全員が作家志望だったのに、現在も作家なのは1割に満たないそうです。
別に誰からも求められないのに自主的に作家活動を続けるのは本当に難しい。
別にアートだって漫画だってイラストだって、生活に必要ないもんねぇ・・・
モチベーションが下がる時期もありますよぅ。
なまこさんの人生にとって「漫画」が必要なら、また描きたい欲求が湧き上がって来る日もあるさー。
幸いにもネットという作品発表の場もありますしね。
私も今、漫画描けないんですよ~。恋人できたら恋愛漫画とか描けなくなりました(苦笑)
でも絵は描いてます。
いつかまた漫画を描きたくなる日が来ると楽観的に漠然と思っております。
コメントどうもありがとうございます。
うーん、やはりこういうこと書くといろいろな方が心配してくださって、ちょっと申し訳ないような…どうもすみません。
あとですね、たくさんの方が読む可能性のある公開ブログ上ではお話しにくいいろいろなこともあるので、そこのところはお口にチャックしてですね…、えっと、とにかく、元気になりました。売り物もこまごまと作っちゃったし、やっぱ夏コミの申込書も入手しようかのうヨボヨボ…という感じです。(大丈夫か)
ところで、恋を知ったあららさんのCMに登場する女の子が可愛くなったという評判です。
ガンジーさんの言葉を、このときのわたしに贈ります。