あすきなまこブログ

七宝焼を焼いています。

冷たい腕

2008-07-31 21:37:50 | 人生
きのうの朝、わたしの父親が心停止したとの連絡が入り、母とともに病院にに駆けつける。病院に着くと、挿管して、人工呼吸器つける処置をやってもらっているところだった。いちお落ちついて、あと胸のレントゲン取ったり、血を採ったり…。

…肺炎になっているらしいんだが、蘇生直後よりいろんな数値は落ちついていて、「家族はどう対応したらいいですか。」という母の問いに院長先生は、「普通にしていてください。」と言われたんで、すぐにすぐ死ぬような事もなさそうな気がしたのだが…こればっかりは、まあわからない。おばあちゃんが死んだ時は、挿管してから半月だったなあ…と。

CO2ナルコーシスだったのだろう…ということだ。前の夜、呼吸が苦しそうだったので酸素を吸わせてくれたそうで、それで身体がこんなに酸素があるんだ、もう息しなくても良いんだ…と勘違いして、呼吸が止まり、そして二酸化炭素が溜まり、それで心停止に至ったのだろう…ということだった。調べたら、CO2ナルコーシスの時は、それまでの苦しさから解放されて気持ちいい…らしい。そんな情報も読んだ。…気持ち良かったならよかったかな、なんて、少し救われた気もした。


で、今日は、母は、朝昼夕と3回病院に行って様子を見ていた。夕方に行く時に、わたしもついていったのだが、体温がなかなか上がらないとのことだった。全身にじっとり冷や汗をかいていて、それがクーラーで冷されているのか、はっきり書こう…死人のように冷たかった。触っていても、どんどんこちらの手のひらの熱が奪われていく感じだ。

やっぱし、きのう、三途の川を渡りかけてたところをひきもどされちゃったのかなあ…いやいや、このひとクリスチャンだからローマ法王の帽子を触りかけていたときに…待って、ローマ法王ってカトリックだよね、お父さんはプロテスタントだからちゃうんじゃない、いや、似たようなものでしょ…なんて母親と、家の台所でバカ話をしていたのだが、実際、あまりにつめたくて…ほんとうに、死ぬべきところをひきもどしてしまったのかも、なんて、心をよぎる。でも、病院では、出来るだけの処置はしてくれるわけで。

母は、できるなら挿管はして欲しくない主義で、できるだけ自然死に近い形を望んでいる。「苦しそうだから、かわいそう。気の毒だ。」と母は言う。(それでも彼女は、夫が入院して2年半、毎日通い続けた。休んだのはただ1日だけだったという。)
だが、今の時代、病院で挿管しない…というのは手をこまねいているのと同じなのだろうから、しないわけにはいかない感じがする。おばあちゃんの時も、そんな印象だった。ここではない別の病院だったが、母が「挿管はしないでください。」と事前に頼んでいたのだが、やはり祖母の呼吸が止まったのを看護婦さんが見つけて、よってたかって挿管されちゃった…という感じ。やめてくれとも言えず、家族はドアの外に出されて、待たされたっけ。

人工呼吸器で生き長らえている人はゴマンといるわけで…。だから、このまま、また父の命が尽きるまで、見守るのがスジなのかとも思う。

わたしは、病院に来た時は、冷たいようだが、その人の痛みから自分を切り離すことに慣れている。その痛みや苦しみをまともに自分に投影してしまったら、立っていられないからだ。

父にかけていた何枚かのフェイスタオルと、大判バスタオルは、もう汗で湿っていたので、全部取り替える。それから、母は、ぬるま湯で絞ったタオルで、彼の顔と頭を拭いた。そばで人工呼吸器がプーカプーカ言っている。時折、自発呼吸が出ているのを知らせるランプがつく。

父親の、冷たい手足。まだ、この手にその感触が残る。
「死ぬまで生きるのが、いちばん大切な仕事なのよ…」というTONOさんのまんがの中の言葉でしめくくってみる。