あすきなまこブログ

七宝焼を焼いています。

F先生に会えた

2008-07-02 17:45:18 | Weblog
F先生の個展に行ってきた。
…先生のHPにリンクを張って、詳しくご紹介してしまいたいが、ちょっと差し障りのあることをこれから書こうと思っているので…。

個展会場に着いた。受け付けのお姉さん方に一礼して、中を見ると、F先生のお姿が。
いきなりうれしくて、声をあげそうになってしまったが、そこはおさえる。お客様が何人もいらしていて、その方たちとお話されていた。

まず、作品を見て回った。すべて新作とのこと。
わたしは、F先生の絵は、デカい、裸婦の群像をおもに見てきたので、小さな風景画や薔薇の花などがかかれた静物画にちょっと戸惑った。良いかんじだし、やさしい色合いではある。
いつもの群像のエスキースもあって、うん、これこれ、でもちっちゃいな…なんて思ったり。

一通り見て、少し待って、先生とお話する事が出来た。
「わたし、いつも、群像を見ていて、学校でも先生からそれを習っていたので、先生の風景画や静物ってはじめて見たかもしれないです…。」と、まあどうにでも取れるように言ったら、F先生ったら
「やっぱりデパートなどの展覧会だと、裸婦なんかは少し差し障りがあるのでね、
まあ、妥協の産物と言うか。」

「やっぱり!?」
わたしは、すっかりうれしくなってしまって、声が高くなってしまった。やっぱりF先生だ!変わっていない!!「よかった、あたし、先生がすっかり丸くなってしまわれたのだったら、どうしようかと思いました!」
なんだか、なんだか失礼なこと言っちゃってるけど、でも、あたしの大好きだった、ゲージツ家のF先生だわ…なんて思ったり。ぺろんと言っちゃうところがスキですせんせいっ。
学生時代、F先生って、学生のこと「ははは、ばーか。」ってよく言われてましたよね。親しみを込めて。あたし、そう言われるのイヤじゃなかった。それから、そうとういい絵を描いても「悪くない。」としか言われないんだ。
でも、それは、わたしら若造のことを、ライバルだと思ってくださっていたからなの。卒業パーティーの時、そう聞いて、胸が熱くなりました。わたし、同人まんがばっかりに情熱を燃やしていた不肖の生徒だけど、あの言葉はすごい、勇気になりました。


「でも、とんがってる物ばかりが偉いわけではありませんものね。デパートにいらっしゃる方が見て、素敵だと思って、家に飾りたい、傍に置きたい…って思われる事も大事ですものね。」なんて言ったり。うなづかれる先生。
「あなたも、(妥協とか)そう言うのを感じることがありますか。」と言われたので、ほんとうに少しだけした仕事のことを聞いていただいたり。興味のないジャンルを描かなければいけないことがあったけれど、仕上げてみたら、また違った世界が開けたり…なんて。

あと、少し奥様ともお話した。いつか遊びに行かせていただいた時のドライカレーがおいしかったことをお伝えした。


学生時代、先生のおうちに遊びに行ったとき、厳しい目をした、青年の自画像が壁にかけられていた。印象派以前みたいな、暗い色使いの。
でも、わたしは、あの、若い時の先生の、瞳と魂が、今もちゃんと、77歳の先生の中にあることを確信しながら、その画廊を去ったのでした。

「また、ゆっくりお話しましょう。」と言ってくださった。ほんとにそうなったらいいな…と思った。実現するかはわからないんだけど…、そして、わたし、ほんとに口ばっかりアレだし、熱い魂だけはあるんだけど、内実が伴っていないので、なにか先生にお見せできるものを創ってから会いにいきたいの…。お絵かき教室のことも、お話したかった…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先輩とセデス

2008-07-02 13:03:12 | Weblog
頭痛薬はセデスが好きだ。バファリンも飲むけど、セデスのことを思うと、いろいろ思い出がひろがるのだ。

Ⅰ先輩の訃報を聞いてから、もう、一年半が経ってしまったけれど、まだお墓に行くことが出来ないでいる。この調子だと、何かが大きく動かない限り、行かずにすんでしまうかもしれないな…。


(以下、ミクシィ日記からいろいろ転載)

大学に入学したてで、漫画倶楽部に片足を突っ込んでいたころ、わたしは、まんがが上手くなりたくてなりたくてしかたなかった。上手いひとをみつけるとドキドキしていた。

I先輩とお話させてもらった時のこと、よく憶えている。I先輩は、サンデーでデビューしたてだった。部室の前のほの暗い廊下で、戸の前にたたずみながら、横に並んで、まんがのことについて、いくつもいくつも、わたしは質問した。いつまでも話していたかった。たしか原稿も見てもらったように思う。
でも、I先輩を疲れさせてしまったのか、しばらくして「もういいかな?」と言われて、わたしは「はい…。」と答えて、その時間は終わってしまった。
廊下の向こうは明るくて、あの光と影の色を、今も思い出せる。

それから、マニキュアのエピソードを。
やっぱり、倶楽部の部室にて。彼は窓辺に座っていた。わたしの爪の、透明のマニキュアを見つけてくれた。なんて言われたんだっけ。「爪、綺麗にぬってるね。」そういうのも、まんがのネタになるから、見てしまうんだ…というようなことを言われた。わたしは「あ、でもこれは、ベースコートだから。」って答えた。少し、恥ずかしかった。

わたしは、結局、漫画倶楽部に正式に在籍することはなかった。…一年生の夏の終わりには、もう行くのをやめちゃったんだっけ。(…なんてことを思い出すと、本質的に協調性のない人間なんだなあ…。でも、何人かの友達は出来たし、こんな風に思い出に残る先輩とも出会えた。)

あ、セデスはですね、わたしがとある同人誌即売会で、ホモ同人誌を売っていたらI先輩が買っていってくださったんです。その時に、財布をカバンから出す時に、見えた頭痛薬がそれ。そのころ、わたしは、頭痛薬なんかほとんど飲んだことがなかったので、なんだか憧れてしまったんですよね。


時が流れてわたしは4年生になり、一度、ごく短い投稿作品がある雑誌に載ったことがある。小説JUNEという雑誌で、(それはぶっちゃけ、少女の好む美少年ホモ雑誌だったのだけれど)そのころI先輩と、もう一人の先輩とお茶を飲む機会があり、I先輩がわたしの作品を雑誌で読んで下さっていたと知り、とてもうれしかった。I先輩が東京へ行く、少し前のことだったか。

Ⅰ先輩は東京に行って、どなたかの専属アシスタントをはじめたと聞いた。



…その後はもう、I先輩と会うこともなかったし、わたしもあの頃のことを何もふりかえることなく日々を過ごしてきた。

そして、訃報を聞いたのだ。2006年の10月ごろ、東京のご自分のお部屋で、一人で亡くなられていたらしい。Ⅰ先輩のお友達と、もう一人東京でⅠ先輩と親しくしていた方が、第1発見者となったそうだ。

当時の漫画倶楽部の有志で、Ⅰ先輩の作品集を出そう…という話も出ているようだが、その後、連絡もなく…。

Ⅰ先輩の作品でひとつ、印象に残っているものがあるので、また、そのうちご紹介しますね。…そのときは、ペンネーム出しちゃっていいのかな…。

(ああ、いくつかの日記を切り貼りしているので、いまいちまとまっていなくてすみません…。)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする