読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

伝統のロシア文学の復活、「イワン・デニーソヴィチの一日」(A・ソルジェニーツィン著 木村浩訳)

2007-07-07 09:52:49 | 本;小説一般
「1962年の暮、全世界は驚きと感動で、この小説に目をみはった。当時作者は中学校の田舎教師であったが、その文学的完成度はもちろん、ソ連社会の現実をも深く認識させるものであったからである。スターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日を初めてリアルに、しかも時には温もりをこめて描き、酷寒(マローズ)に閉ざされていたソヴェト文学界にロシア文学の伝統をよみがえらせた芸術作品」。(新潮社HP)

「作家にとっては自分のことを書くのが一番やさしいことを私は承知しています。しかし、私にはロシアの運命を描くことが一番重要であり、一番興味があるように思われました。ロシアが体験したドラマ全体の中でもっとも深刻なものがイワン=デニーソヴィチたちの悲劇です。私はラーゲルのことで世間一般に広まった間違ったうわさと対決してみたいと思いました。わたしはラーゲルにいたときから、その生活の一日を描くことを心にきめていたのです」。(A・ソルジェニーツィン)

「『午前五時、いつものように、起床の鐘が鳴った』という簡潔な書き出しで始まり、最後は『シューホフは、すっかり満ち足りた気持で眠りに落ちた....こんな日が、彼の刑期のはじめから終りまでに、三千六百五十三日あった。うるうどしのために、三日のおまけがついたのだ...』」で終わっている。ラーゲル(強制収容所)の一日を、その起床からはじめて、員数検査、現場作業、食事風景、点呼、就寝とその平凡な日課を克明に描きながら、そのあいだにソビエト社会のあらゆる階層の人々を登場させ、彼らの行動と会話を通じて、ソビエト社会そのものを歴史的奥行きを持って浮彫りにしている)。

「主人公イワン=デニーソヴィチ=シューホフは、当局から『シチャー854番』としか呼ばれていないが、まぎれもないロシアの百姓である。ラーゲル暮らしはもう八年になるが、それというのも自分はドイツ軍の捕虜だったと『正直に言った』からである。だが、彼は極限状況とでもいうべきラーゲルの中にあっても旺盛な生活力を発揮し、厳しい作業現場でも思わず仕事に熱中して、作業中止の声がかかっても、『仕事のできばえを一目眺めずにはいられない』ほどである」。

「また、自分のもらったなけなしのビスケットを惜しげもなくバブテスと信者のアリョーシュカにやってしまう好人物でもある。このロシアの大地から生まれた生粋の百姓こそ、スターリンの過酷な個人崇拝の時代にも耐え、ソビエト=ロシアをナチス=ドイツの侵攻から守りぬいた原動力であったと言えるだろう。いや、帝政ロシアの昔から革命後の今日に至るまで、一貫してロシアの大地を支えてきたバックボーンであると言っても過言ではあるまい」。(HP「HOMEPAGE OF DUCHESSLULU」)

「ラーゲリ(強制収容所)は文学的なテーマではないのだと言う(無論、それは政治的テーマでもない)。ラーゲリはソルジェニーツィンには理解出来なかった「事実性」としてあるのだと言う。ラーゲリと言う「事実性」は、東に依ればソルジェニーツィンには政治的にも文学的にも「解消不能」のものだった。まず、例えばナチスの収容所のようにそこにはユダヤ人だから収容されると言う理由がないのである同じスターリン体制下に暮らしながら、一方はラーゲリに突然収容されることになり、一方は普通に暮らしていると言う「事実」。そこには「確率」の問題しか見えてこないのである」(HP「文学の遠吠え」から東浩紀『郵便的不安たち』朝日新聞出版社)

数十年前に何かのきっかけでソルジェニーツィンの「ガン病棟」(1968年-1969年/新潮文庫)を読んだことを記憶していますが、内容はすっかり忘れてしまいました。ちょっと検索してみると、「アレクサンドロフ郡の田舎地方で暮らす人々がガンと無緑の生活を迷っていたことから一帯の百姓たちが、お茶代を節約するために、茶ではなくて白樺に寄生するチャーカというきのこを煎じて飲んでいたことをマースレニコフ博士が発見する」という内容が話題になったとありましたが、私の記憶には全くありません。ちなみにこのチャーカは「幻のきのこ」「森のダイヤモンド」と呼ばれるそうです。

本書については、先に引用した先達の記事が文学的位置づけ、ストーリーを語ってくれているので私の出る幕はないわけですが、先日書いた村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」の絡みで少しだけお茶を濁します。この小説ではノモンハン事件が取り上げられていて、間宮中尉を通して語られる強制収容所の様子が描かれています。これはまさにイワン・デニーソヴィチ(シューホフ)がいた世界です。

<ノモンハン事件;1932年に成立した満洲国は、ホロンバイルの南方境界について、従来の境界から10~20キロほど南方に位置するハルハ河を新たな境界として主張、以後この地は国境紛争の係争地となった。1939年にこの係争地でおきた両国の国境警備隊の交戦をきっかけに、日本軍とソ連軍がそれぞれ兵力を派遣し、交戦後にさらに兵力を増派して、大規模な戦闘に発展。>

彼らを苦しめた強制収容所の大元締め「髭のオヤジ」は、ソビエト連邦第2代最高指導者のスターリンですが、その在位は1922年4月3日–1953年3月5日までの31年間にも及びます。ヒトラーが行ったユダヤ人排斥という民族浄化ではなく、同じ血を分けた民族の粛清という大義名分は後に1956年、ソ連共産党第一書記ニキータ・フルシチョフによる「スターリン批判」によってその一部が暴露され、価値を失いました。


ロバート・デュバルがスターリンを演じた映画「独裁/スターリン」(アイヴァン・パッサー監督 1992年)を観ると、小心者としての彼が描かれています。その結果としての「大粛清」の犠牲者数は諸説あるようですが、裁判により処刑されたものは約100万人、強制収容所や農業集団化により死亡した人数は一般的には約2000万人と知られています。1997年の文書の公開により、少なくとも約1260万人が殺されたことを現政府のロシアが公式に認めています。ナチスによって殺害されたユダヤ人や少数民族の合計が900~1100万人といわれるそうですから、筆舌に尽くしがたい数です。

本作は1971年にフィンランド出身のキャスパー・リード監督によって映画化されています。これを機に是非観てみたいと思いました。


レクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン(1918年12月11日 - )は、「ロシア生れの作家で90年代ロシア再生の国外からの提言者。1918年、北カフカス、キスロヴォツクに生まれる。敬虔なクリスチャンの母と祖父母に囲まれて成長。1941年ロストフ大学卒業と同時に第二次世界大戦に従軍。誕生の半年前に戦死した父と同じ砲兵大尉となる。1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され、欠席裁判で懲役8年を宣告される。収容所に送られ後に流刑。1958年にニキータ・フルシチョフによって名誉回復される」。

「1962年、スターリン時代の収容所の1日を描いた処女作『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し世界的ベストセラーに。1964年10月15日のフルシチョフ失脚から暗転。1970年度ノーベル文学賞を受賞するも、1974年2月12日逮捕、国家反逆罪でレフ・トロツキー以来45年ぶりの国外追放処分を受ける。スイスを経て、1976年9月米国に移住」。

「1982年9月、密かに短期来日。過酷な運命を耐え抜いたロシア正教徒としての神の信仰で宗教界のノーベル賞とも言える1983年度テンプルトン賞受賞。ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカで1990年8月ソ連市民権回復。同年9月、『甦れ、わがロシアよ~私なりの改革への提言』はソビエト国内で2,650万部が出版されソ連国民の白熱の議論を呼んだ。ゴルバチョフは同月25日ソ連最高会議の席上で彼の論文を絶賛。ロシアの再生に大きな影響を与えた。1994年5月27日亡命先の米国からロシア連邦に帰国。1997年5月からロシア科学アカデミーの正会員(芸術院)。 2007年6月13日ロシア文化勲章を受章」。(ウィキペディア)


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