作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

3月14日(金)のTW:奥平康弘氏の著書『「萬世一系」の研究』について2

2014年03月15日 | 書評

ものとなった。今ようやく奥平康弘氏の著書そのものを読みはじめたけれども、改めて痛感させられることは、奥平康弘氏の憲法学の学識に比べれば私のそれなどは到底及びもつかないものであることである。それにしても、奥平康弘氏の「天皇制」に対する嫌悪感というものが、一体何に起因するものなのか、


という疑問が生じる。そもそも「天皇制」という用語自体が、マルクス主義の用語であるし、少なくとも皇室に敬意を抱くものは不必要にそうした呼称は使用しないものである。少なくとも「天皇制」という用語には、自然法思想を認めない実定法主義のにおいがする。ヘーゲル主義の立場からは必要とあれば


「君主制」という用語を使用するだろう。それはとにかく、確かに憲法学に関する学識には奥平康弘氏の足許にも及ばない私が、「天皇制は民主主義とは両立しえないこと,民主主義は共和制とむすびつく」として裴 富吉という朝鮮人学者らしい人によってまとめられた奥平氏の『「萬世一系」の研究』の結論


に対して「その悟性的で、破壊的、革命的な氏の結論」として批判したのも、ヘーゲル哲学を支持する者としての立場からだった。ヘーゲルはその著書『法の哲学』の中で「立憲君主国家制」の意義とその必然性を論証している。その論理を正しいと認める立場からすれば、奥平康弘氏の著書に示された


「天皇制は民主主義とは両立しえないこと,民主主義は共和制とむすびつくほかないこと」という結論は、ヘーゲルの終生批判した悟性的思考そのものでしかないものである。その悟性的思考の論理の帰結は、フランス革命や中国の文化革命といった暴力的で破壊的な結末をもたらすものとして歴史的事実として


も明らかである。ヘーゲル哲学の特質はその科学としての性格にある。彼が「国家と自然法思想」の論理を明らかにした著書『法の哲学』もそうで、ヘーゲルは国家の形態としては『立憲君主制』を至高のものとして絶対的なものとして論証している。このヘーゲル哲学を支持する立場からは、奥平氏のように


国家の論理として「天皇制は民主主義とは両立しえないこと,民主主義は共和制とむすびつくほかないこと」という結論は出て来ない。憲法学者としてのこうした奥平氏の思想に対して、「こんな悟性的な思考しか出来ない三文学者が、日本の「最高学府東京大学」の法学部で学生たちに憲法を長年教えてきた。


これでは日本国がアメリカや中国のような悟性国家になるのも無理ない」と批判した根拠もそこにある。ヘーゲル哲学は「科学」でもある。『法の哲学』によって論証された結論としての国家の論理としての「立憲君主国家体制」に対して、奥平氏が「共和制国家」を主張するのであれば、少なくともヘーゲルの


『法の哲学』を批判してからでなければならないだろう。マルクスなどはそれがわかっていたから、それが正しかったか間違っていたかはとにかく『ヘーゲル法哲学批判』を行ってから彼自身の「共産主義国家観」を明らかにしようとしたのである。それに対して、奥平康弘氏の著書『「萬世一系」の研究』を


読み始めても、奥平氏にはヘーゲル哲学を研究した足跡はほとんど見あたらない。ヘーゲルは彼自身の哲学を少なくとも「科学」として主張している。論証された必然的なものとして国家体制としての「立憲君主国家体制」をヘーゲルは結論としている。だからもし、奥平氏が憲法学者として「共和制国家」を


主張するのであるならば、ヘーゲルが彼の著書『法の哲学』のなかで明らかにした「国家と自然法思想」の論理の破綻を証明すると共に、「天皇制は民主主義とは両立しえない」「民主主義は共和制とむすびつくほかない」ところの奥平氏自身の「共和制国家観」を論証する必要があるだろう。


奥平康弘氏の『「萬世一系」の研究』は今ようやく読み始めたばかりで何とも言えないけれども、多少読みかじっただけでの印象ではあるけれども、奥平氏の「国家観」や「共和制論」には、悟性的思考の特徴しか感じられないように思う。そこには抽象的で無味乾燥の、観念的で具体性を見いだせない。第一に


頻出する「天皇制」という用語がそれである。そもそも奥平氏には「自然法思想」はなく、ケルゼンの人工的な「実定法思想」しか頭の中に無いようでもある。いかにもアメリカ人のような「人権」の所有者としての抽象化された「人間」と「自由と民主主義」の「合衆国=united nations」しか


存在しないようで、伝統とか民族とか皇室とかいった、歴史と風土の印影を帯びた人間も国家も見あたらない。一体どのような時代を背景に奥平康弘氏のような思想が育まれたのだろうかと思う。私の拙い書評に対して懇切な返信を送ってくださった都立大学で教授をされていた橡川一朗氏のことを思い出した。


核戦争によって荒廃した国を手に入れるよりも、物資が十分供給されている国に手をつけるほうが賢明ではないだろうか。そこで戦争は心理戦の形をとるようになり、誘惑から脅迫に至るあらゆる種類の圧力を並べ立てて、最終的に国民の抵抗意志を崩してしまおうとする。(スイス政府『民間防衛』)

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戦争は嵐が草木を打ちのめすように我々を打ちのめすだろう。持ちこたえなければならないのは軍隊だけではない。全国民が軍隊の背後で抵抗しなければならない。軍隊は、その背後に国民の不屈の決意があることを感じたとき、はじめてその任務を完全に遂行できるのだ。(スイス政府『民間防衛』)

shuzo atiさんがリツイート | RT

今日では大規模な空挺作戦が可能なので、わが国土も瞬時にして戦場となり得る。その場合、住民の疎開は不可能であり無意味である。地上で戦闘が行なわれ、または地表が放射能や毒物で汚染された場合には、住民は地下の避難所で生き延びなければならない。(スイス政府『民間防衛』)

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「3月13日(木)のTW:奥平康弘氏の著書『「萬世一系」の研究』について」少し時間に余裕も出来はじめたので、以前に批判したことのある、元東大教授で憲法学者の奥平康弘氏の著書『「萬世一系」の研究』... goo.gl/KBy6p5


「3月13日(木)のTW:奥平康弘氏の著書『「萬世一系」の研究』について」少し時間に余裕も出来はじめたので、以前に批判したことのある、元東大教授で憲法学者の奥平康弘氏の著書『「萬世一系」の研究』を読み始めた。以前に「憲法学者奥平... fb.me/6y42zsi3F


日本の指導者はひたすら自らの資質と能力の向上に励んでほしい。何よりも「死の四分五裂」に耐える百年五百年を覚悟した忍耐力を付けてほしい。これからの日本は中国への対応の仕方で命運が決まるから。「戦略的忍耐」こそ必要。 fb.me/14xJz7CVG  

「関係改善の糸口はつかめぬまま」に耐えきれずに自ら動いてはならない。ルーピー・オバマ大統領や偏執の韓国、中国がしびれを切らして彼らが動き出すまで。


 
 
 
コメント
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