チベット当局、3月10日の抗議運動で13人を拘束=現地紙(ロイター) - goo ニュース
1989年は、ベルリンの壁が取り払われた年である。この年に東ドイツ、ハンガリー、ポーランドなど東欧共産国やユーゴスラビア、ルーマニアなど中欧共産国でも政権が崩壊して行った。その後、ロシアにおいてもソビエト共産党政府は崩壊し、第二次世界大戦後以来続いた冷戦の構図が崩れ始めることになる。中国でもすでに、これら諸国の共産党政府の崩壊に先立って、学生たちが天安門前広場に集結して民主化を要求して立ち上がっていた。
本来なら、社会主義・共産主義政権が軒並みに世界的な凋落の波に襲われたときに、中国共産党政府もその倒壊の運命に巻き込まれることがあってもおかしくはなかった。しかし、学生たち反体制側勢力の戦術の拙さと小平の強硬な戦術が功を奏して、中国の人民民主主義国家は延命することになる。
天安門事件で中国の民主化運動を制圧することに成功した小平は、中国国内ではその後開放改革路線を敷き、経済的な豊かさを追求することによって、国内矛盾を深刻化させることなく乗り切ろうとした。
その一方で、中国国内のチベット自治区などに居住するチベット民族と中華人民共和国を形成する漢民族の中国共産党政府とのあいだの矛盾が深刻化しつつあった。この事実はすでに多くの人に気づかれつつあったことだが、中国の報道管制もあって公然化することもなかった。中国政府の立場からすれば、中華人民共和国の成立にともなって隣国であるチベットを解放したことになるのだろうが、それがかならずしもチベット民族の主体的な選択ではなかったことも、その後に多くの問題をはらむ原因にもなっていた。
中国の経済発展にともない青蔵鉄道の開設などチベット地域への進出もすすみ、漢民族とその資本がこの地域にも流入することになる。そのためにチベット民族の自給自足的経済は貨幣経済へと変質し中華経済圏へと組み込まれて行った。それがこの地域の民族間の軋轢をさらに深刻化させることになった。
しかし、短期的にはとにかく、いつまでも民衆の自由に対する欲求を押さえつけていることはできない。国内外の民衆の自由に対する要求を満たし得ない国家は、長期的な観点からは倒壊せざるを得ない。中国や北朝鮮が現在の国家体制のままで存続できる期間はそれほど長くはないはずである。
中国も北朝鮮もいずれ、しかるべき時に体制転換を図らざるを得ないときが来る。ただ問題は、それがかってのチェコスロバキアのように比較的流血の少なかった「ビロード革命」のような穏健なかたちで変革を実現できるのか、あるいは、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊をさらに規模を大きくした形でハードランディングせざるを得ないのか、それはわからない。北京オリンピックや上海万国博が終了してから、その後に国家目標を中国が探し出せないときが焦点になる。そのとき、中国の国内矛盾や周辺民族との矛盾がどのような形で噴出するかである。
それが、共産党政府の崩壊という体制変換として実現するのか、あるいは、日本やアメリカとの対外戦争という形での外部に対する矛盾の転化になって現れるのか、それはもちろん、現在の段階では予測はつかない。
もっとも理想的であるのは、現在の中国人民民主主義国家が平和裡に、欧米西側諸国のような自由民主国家へと体制転換が図られることである。そのことによって国民が国内矛盾を合法的に自力で解決してゆく制度が確立されなければならない。そのことによってチベット民族の自治や自由も拡大できるだろうし、また、北朝鮮問題も解決に向けて前進する。
日本は北朝鮮に対しては拉致問題や核兵器問題を抱えてはいるが、この問題はもはや北朝鮮一国を相手にして解決できる段階ではなくなっている。
北朝鮮問題はすでに中国問題と一体化し、中国問題の解決なくして、――それは中国が日本や欧米の価値観を同じくする自由民主主義国家へと転換することことであるが、それなくしては北朝鮮問題(拉致や核)も、現在発生しているチベット問題などの中国周辺の民族問題も、根本的な解決をはかることができない。
それに中国の民主化は、日本が真に自立した独立国家になるためにも必要である。中国やロシアが現在のような体制のままでは、日米安全保障条約の解消などは机上の空論にすぎず、日本国内からのアメリカ駐留軍の撤退も幻想に終わる。自力の軍事力を日本が必要十分に確立しうるためには、どうしても中国やロシアの国家体制の変換が前提になる。
中国国内の同一民族のみならず、周辺異民族の自由と民主化の要求に対しては、日本にできることは、インド、オーストラリア、アメリカ、その他の欧米民主主義諸国と協力しながら、自制と自重を求めつつ中国の国家体制の平和的な変革の環境を追求して行くこと以外にない。
しかし、現在の中国で実権を握る「人民解放軍」や北朝鮮の「先軍政治」の実情から言っても、このことはきわめて困難な課題にはちがいない。
やがて五月に胡錦濤主席が日本を訪れる。そのとき、日本の指導者たち、福田首相や町村官房長官は中国国内の自由と人権の問題について胡錦濤主席に対して、どれだけ明確に懸念と配慮を説得できるだろうか。それは同時に日本の政治指導者たちの自国の国家理念についての認識と信念の度合いが試されることでもある。それを断固として行うことが中国との紛争を少しでも抑止することになる。死を恐れるものは自由を享受することもできない。
それともやはりお茶を濁すことしかできないか。中国が民主化されないままであるとき、日本は本当に独立を確保しながら中国との戦争を回避できるかどうか。人民解放軍が日本との戦争を絶対に望まないといったい誰が断言できるか。それとも属国に甘んじる道を選ぶか。日本国民もやがてその選択を問われることになる。