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作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十四節[知覚の対象としての物]

2023年06月13日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十四節[知覚の対象としての物]

§14

Der Gegenstand dieses Bewusstseins(※1) ist daher das  Ding   mit sei­nen  Eigenschaften. Die sinnlichen Eigenschaften sind α)  für sich  sowohl unmittelbar in dem Gefühl, als auch zugleich be­stimmt durch die Beziehung auf andere und vermittelt; (※2)β) gehö­ren sie einem Dinge an  und sind in dieser Rücksicht einerseits in der  Einzelheit  desselben befasst, anderseits haben sie  Allgemeinheit,  nach welcher sie über dies einzelne Ding hinaus gehen und zugleich von einander unabhängig sind.(※3)

第十四節[知覚の対象としての物]

この意識の対象は、したがって、さまざまな 属性 をもった である。感覚的な属性は、α) それ自体が 感覚の中で直接的にあるのと同時に、また他者との関係によっても規定され、かつ、媒介されたものとしてある。β)  感覚的な属性は物に属しており、かつ、この点からすれば、物の属性は、一面おいては、個別性 それ自体にうちに把握されるが、他面においては、それらは 普遍性 をもっており、そのことによって物の属性は個別的な物を超えていき、そして同時に、互いに相切り離されて独立してある。

 

※1
dieses Bewusstseins  「この意識」とは「知覚としての意識」

※2 
物の属性が「媒介されたものとして」あるのは、それが他者との比較、類推などによってはじめて、その物に含まれる普遍的な属性(Einzelheit)として捉えられるからである。

※3
知覚の対象としての物は、「精神の現象学」の本文の中では「塩」が事例として取り上げられているのはよく知られている。 
物としての「塩」は、「白く」もあり、「辛く」もあり、「立方体」の結晶でもあるが、「白い」「辛い」「立方体」といったこれらの「塩」の属性は同時にそれぞれ普遍的であり、切り離されて独立してある。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十四節[知覚の対象としての物] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/XMTaA0

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十三節[感覚と反省の混成としての知覚]

2023年06月12日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十三節[感覚と反省の混成としての知覚]

B. Das Wahrnehmen

§13

Das Wahrnehmen (※1) hat nicht mehr das Sinnliche(※2), insofern es un­mittelbar, sondern insofern es zugleich als Allgemeines ist, zum Gegenstande. Es ist eine Vermischung von sinnlichen und von Reflexionsbestimmungen.(※1)

B. 知覚

第十三節[感覚と反省の混成としての知覚]

知覚は、感覚的なものが同時に普遍的なものとして対象にあるかぎりにおいては、もはや直接的な対象としての感覚的なものを対象にもたない。知覚とは、感覚的な規定と反省規定との混成物である。

 


※1
Das Wahr~nehmen    知覚、英語では Perceive、 Perception
                                 「真を捉えること」
Wahr  真なるもの
nehmen   捉える

※2
das Sinnliche
 感覚的なもの。ここでは具体的な個別的な対象でもあるが、知覚においてはその対象を同時に普遍的なものとしてもつ。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十三節[感覚と反省の混成としての知覚] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/clLtKf

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十二節[感覚から知覚へ]

2023年06月08日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十二節[感覚から知覚へ]

§12

Sowohl dieses  Jetzt  als dieses  Hier  ist ein Verschwindendes. Jetzt ist nicht mehr, indem es ist und ein anderes Jetzt ist an seine Stelle getreten, das aber eben so unmittelbar verschwun­den ist. Zugleich bleibt aber Jetzt. Dies bleibende Jetzt ist das  allgemeine,  das  sowohl  dieses als jenes Jetzt ist, als auch  keines  von ihnen ist. — Dieses Hier, das ich meine und aufzeige, hat ein Rechts und Links, ein Oben und Unten, ein Hinten und Vorne ins Unendliche, d. i. das aufgezeigte Hier ist nicht ein einfaches also bestimmtes Hier, sondern ein Inbegriff (※1)von Vie­lem. Was also in Wahrheit vorhanden, ist nicht die abstrakte sinnliche Bestimmtheit, sondern das Allgemeine.(※2)

 

第十二節[感覚から知覚へ]

この「」も、この「ここ」と同じように、ともに消え去るものである。「今」は、他の「今」にその場所を取って代わられもはやなく、しかし、その今もまったく同じようにすぐに消え失せてしまう。しかし同時に「今」は残っている。この残された「今」は、この「今」 でもあれば、あの「今」でもあって、また同じく、それらのいずれでもない普遍的な「今」である。私が思って指し示すところの、この「ここ」は右や左にもあり、上にもあれば下にもあり、後ろにもあれば前にも限りなくある。つまり、指し示された「ここ」は単純に指定された「ここ」ではなくて、むしろ、多くのものを総括した「ここ」である。したがって、真に存在するのは、抽象的で感覚的な確実性ではなくて、普遍的なものである。

 


※1
ein In~begriff 総括、師表、真髄
der Begriff (名詞) 概念、観念、知覚、受胎
begreifen  (動詞)把握する、理解する、思いつく
 
※2
ここでヘーゲルはとくに指摘してはいないけれども、「私」が感覚的な意識によって、「今」「ここ」「これ」を指し示すときには、「今」「ここ」「これ」という「言葉(記号)」を使って指し示すしかないのであり、「言葉(記号)」を用いて、感覚的な意識の対象を指示するときには、すでに同じく普遍的なものを指示することになる。「言葉」は普遍的なものしか言い表せないからである。

この段階で「感覚的な意識」から、言語をもって対象を把握する「知覚的な意識」へと移行するが、こうした概念の移行の把握をヘーゲルは「概念的把握」といい、その移行をより高い「真(Wahrheit)」として捉える。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十二節[感覚から知覚へ] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tfMSz3

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十一節[感覚的な意識]

2023年06月06日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十一節[感覚的な意識]

A. Das sinnliche Bewusstsein

A. 感覚的な意識


§11

Das einfache sinnliche Bewusstsein ist die unmittelbare Gewissheit von einem äußerlichen Gegenstande. Der Ausdruck für die Unmittelbarkeit eines solchen Gegenstandes ist, dass er  ist,  und zwar  dieser, jetzt der Zeit und  hier  dem Räume nach, durchaus von allen andern Gegenständen verschieden und vollständig an ihm selbst bestimmt.(※1)

第十一節[感覚的な意識]

単純な感覚的な意識というのは、外にある一つの対象についての直接的な確実性である。一つのそうした対象の直接性についての表現の仕方は、「それはある」であり、そして、確かに「これ」であり、時間からすれば「 」であり、空間からすれば「ここ 」である。外にあるその対象は、他のすべての対象とはまったく区別されて、そして、それ自体において完全に規定されている。

※1

「感覚的な意識」はかならず、「今、ここにある、このもの」についての、すなわち個別的なものについての意識であるから、それ自体において完全に規定されている。 

この部分は、「精神の現象学」すなわち「意識の経験の学」の中の、

A  意識、
I 感覚的な確信、あるいは、このものと私念
( Die sinnliche Gewißheit;  oder das Diese und das Meinen)

の個所の要約になっている。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十一節[感覚的な意識] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/EqbSHs

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十節[意識一般の区分]

2023年06月05日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十節[意識一般の区分]

 

Erste Stufe. Das Bewusstsein überhaupt.

§ l0

Das Bewusstsein überhaupt ist 1) sinnliches; 2) wahrnehmendes; 3) verständiges.(※1)

第一段  意識一般

第十節[意識一般の区分]

意識一般は、次の三つの段階に区分される。1)感覚的な意識、2)知覚的な意識、3)悟性的な意識

 

※1
前第九節と同じように、意識一般の進展が、この三つの段階をたどる必然性が論証されていなければならない。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十節[意識一般の区分] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/fnXV9S

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第九節[意識の三つの段階]

2023年06月01日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第九節[意識の三つの段階]

§9

Das Bewusstsein hat im Allgemeinen nach der Verschiedenheit des Gegenstandes überhaupt drei _Stufen._ Er ist nämlich ent­weder das dem Ich gegenüberstehende Objekt; oder er ist Ich(※1) selbst; oder etwas Gegenständliches, das eben so sehr dem Ich angehört, der Gedanke(※2). Diese Bestimmungen sind nicht empi­risch von Außen aufgenommen, sondern Momente des Bewusstseins selbst.(※3) Es ist also:

1) Bewusstsein überhaupt;  
2) Selbstbewusstsein;  
3) Vernunft.(※4)

第九節[意識の三つの段階] 
  
一般に、意識には対象の区別に応じて三段階がある。すなわち、1) 対象が「私」にふつうに相対する客体であるか、あるいは、2) 対象が、「私」自身であるか。あるいはさらに、3) 対象がまったく同じように「私」に属するものであるような客体物の或る物、たとえば思想のようなものであるか。これらの規定は外から経験的に把握されるものではなくて、意識それ自身の要素である。

意識には、したがって、以下の三段階がある。 
  
1)  意識一般
2)  自己意識   
3)  理性


※1
Ich 「私」、自我、自分

※2
Gedanke
思考の結果生まれたもの。観念、思想、概念、思考、想像、意見などの訳語が考えられる。

※3
Momente des Bewusstseins selbst. 意識それ自体の要素
Moment 契機、要素、要因、動機、境界 
1)  意識一般 2)  自己意識   3)  理性 の三つの段階が、私たちの意識の要素である。

私たちの意識の要素、契機としては、この三つ段階「1)  意識一般 2)  自己意識   3)  理性」の他にはなく、それらだけで尽きているのか、必要にして十分であるのか、そのことが論証されていなければならない。

※4
Vernunft. 理性 とは、ここでも明らかなように、「「私」に属するものであるような客体物」。すなわち、観念、思想、概念、ロゴスなど。これは哲学の主題でもある。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第九節[意識の三つの段階] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/I8atYY

 

 

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

2023年05月31日 | 哲学一般
 
ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

§8

Zugleich aber ist der Gegenstand wesentlich in dem Verhältnisse zum Bewußtsein bestimmt. Seine Verschiedenheit ist daher umgekehrt als abhängig von der Fortbildung des Bewußtseins zu betrachten.(※1) Diese Gegenseitigkeit  geht in der erscheinenden Sphäre des Bewußtseins selbst vor und läßt die oben (§. 3.) erwähnte Frage unentschieden, welche Bewandniß es an und für sich mit diesen Bestimmungen habe. (※2)


第八節[意識の発展と対象の変化]

しかし同時に、対象は本質的に意識との関係において規定されるから、したがって、その多様性は、反対に意識のさらなる発展に依存していると見なされなければならない。この相互性は、意識の現象する領域それ自体のうちに起きる。そして、先に(§ 3において)言及した問題は、これらの規定が本来的に(必然的に)かかえているところの、いずれが確定的であるかという問題については、未決定のままに残される。


※1

前第七節で、私たちの意識が対象(物)に応じて多様であるという、きわめて自明のことが説明されたが、本節では、逆に意識の発展にともなって(意識の)対象もさまざまに異なって多様であることが説明される。人間の意識の発展にともなって、その意識の対象も多様に変化していくということである。

人間も幼児のあいだは玩具などに興味を示す(意識の対象とする)が、成長するにともなって小学生などになれば、ゲームや野球やサッカーなどに彼らの意識の対象も変わってくる。そして、さらに成長して思春期などを迎えれば、異性を意識の対象としてもつようになるし、またさらに彼らが教養を積んで意識が発展していくに応じて、法律や芸術、宗教などに興味や関心をもったり、原子力や医学などの自然科学の対象に興味や関心を抱くようになる。

要するに、彼らの意識の発展水準に応じて興味や関心をもつ意識の対象も変化していくということである。意識のあり方によって意識の対象も異なってくる。

豚が豆を欲して真珠を真珠として意識しないのは、豚が人間並みの意識をもちえないからである。また、たとえば哲学などが興味や関心の対象になるには、すなわちその意識の対象となるには、そこまでに意識自体が発展していなければ無理だということである。

※2

先に(第三節において)言及した問題とは、「物が私の意識を規定する(実在論)」のか、それとも「私の意識が物を規定するのか(観念論)」という問題である。しかし、意識と物との関係は、本来的に相互的であるから、どちらが根源的であるか、という問題は未決定のまま残される。参照、第三節
 
 
 
 
 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

2023年05月31日 | 哲学一般
 
ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

§8

Zugleich aber ist der Gegenstand wesentlich in dem Verhältnisse zum Bewußtsein bestimmt. Seine Verschiedenheit ist daher umgekehrt als abhängig von der Fortbildung des Bewußtseins zu betrachten.(※1) Diese Gegenseitigkeit  geht in der erscheinenden Sphäre des Bewußtseins selbst vor und läßt die oben (§. 3.) erwähnte Frage unentschieden, welche Bewandniß es an und für sich mit diesen Bestimmungen habe. (※2)


第八節[意識の発展と対象の変化]

しかし同時に、対象は本質的に意識との関係において規定されるから、したがって、その多様性は、反対に意識のさらなる発展に依存していると見なされなければならない。この相互性は、意識の現象する領域それ自体のうちに起きる。そして、先に(§ 3において)言及した問題は、これらの規定が本来的に(必然的に)かかえているところの、いずれが確定的であるかという問題については、未決定のままに残される。


※1

前第七節で、私たちの意識が対象(物)に応じて多様であるという、きわめて自明のことが説明されたが、本節では、逆に意識の発展にともなって(意識の)対象もさまざまに異なって多様であることが説明される。人間の意識の発展にともなって、その意識の対象も多様に変化していくということである。

人間も幼児のあいだは玩具などに興味を示す(意識の対象とする)が、成長するにともなって小学生などになれば、ゲームや野球やサッカーなどに彼らの意識の対象も変わってくる。そして、さらに成長して思春期などを迎えれば、異性を意識の対象としてもつようになるし、またさらに彼らが教養を積んで意識が発展していくに応じて、法律や芸術、宗教などをに興味や関心をもったり、原子力や医学などの自然科学の対象に興味や関心を抱くようになる。

要するに、彼らの意識の発展水準に応じて興味や関心をもつ対象も変化していくということである。意識のあり方によって意識の対象も異なってくる。

豚が豆を欲して真珠を真珠として意識しないのは、豚が人間並みの意識をもちえないからである。また、たとえば哲学などが興味や関心の対象になるには、すなわちその意識の対象となるには、そこまでに意識自体が発展していなければ無理だということである。

※2

先に(第三節において)言及した問題とは、「物が私の意識を規定する(実在論)」のか、それとも「私の意識が物を規定するのか(観念論)」という問題である。しかし、意識と物との関係は、本来的に相互的であるから、どちらが根源的であるか、という問題は未決定のまま残される。参照、第三節
 
 
 
 
 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第七節[対象の多様性と意識の多様性]

2023年05月24日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第七節[対象の多様性と意識の多様性]

§7

Das Bewusstsein ist die bestimmte Beziehung des Ich auf einen Gegenstand. Insofern man von dem Gegenstande ausgeht, kann gesagt werden, dass es verschieden ist nach der  Verschiedenheit der Gegenstände,  die es hat.(※1)

第七節[対象の多様性と意識の多様性]
  
意識とは、対象に対する「私」の規定された関係である。人が対象を起点とするかぎり、意識のもつ 対象の多様性に 応じて、意識はさまざまに異なるといえる。

 

※1
意識の対象は、主に私たちの視覚を通して認識される。桜の花を見れば、花が私たちの意識の内容になるし、海を見れば、海が私たちの意識の内容になる。対象が私たちの意識を規定するという、対象と「私」の相互的な関係にある意識(これが本篇の主題である)の一面について、きわめて自明の事実を述べている。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第七節[対象の多様性と意識の多様性] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/e0KeWT

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第六節[精神の働きと意識の対象]

2023年05月18日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第六節[精神の働きと意識の対象]

§6

Das Bewusstsein ist überhaupt das Wissen von einem Gegenstande, es sei ein äußerer oder innerer, ohne Rücksicht darauf, ob er sich ohne Zutun des Geistes ihm darbiete,(※1) oder ob er durch diesen hervorgebracht sei. (※2)Nach seinen Tätigkeiten wird der Geist betrachtet, (※3)insofern die Bestimmungen seines Bewusstseins ihm selbst zugeschrieben werden.(※4)

 

第六節[精神の働きと意識の対象]

 意識とは一般に、それが外的であれ内的であれ、対象についての知識である。その対象が精神のはたらきなくして意識に与えられたものであるのか、あるいは、精神のはたらきによって意識にもたらされたものであるか、どうかにはかかわらない。精神は精神の活動を通して考察される。精神は、その意識の諸規定が精神自体に起因するかぎり、その活動性の面から考察される。

 

※1
「意識の対象が精神のはたらきなくして意識に与えられたもの」
── 「精神の現象学」における「A 観察する理性」の対象となるもの。原子から生命体などに至る自然科学の対象。

※2
「精神のはたらきによって意識にもたらされたもの」
──   真、善、美など人文科学の対象となるもの。宗教や芸術、哲学そのものなど、精神の働きによって意識にもたらされる対象。

※3
精神とは意識であり、かつ思考そのものである。精神自体も精神の活動によって、つまり思考によって考察される。

※4
「精神の現象学」は「感覚」から「知覚」、さらに「悟性」へと意識の働きを動的に考察している。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第六節[精神の働きと意識の対象] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/3YwMFp

 

 

 

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