goo blog サービス終了のお知らせ 

作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十四節[自意識の三つの段階]

2023年11月27日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識 第二十四節[自意識の三つの段階]

§24

Das Selbstbewusstsein hat in seiner Bildung oder Bewegung die drei Stufen: 1) der Begierde, insofern es auf andere Dinge; 2) des Verhältnisses von Herrschaft und Knechtschaft, sofern es auf ein anderes, ihm ungleiches, Selbstbewusstsein gerichtet ist; 3) des allgemeinen Selbstbewusstseins, das sich in anderen Selbstbewusstsein und zwar ihnen gleich, so wie sie ihm selbst gleich, erkennt.

第二十四節  [自意識の三つの段階]

自意識の形成あるいは活動には三つの段階がある。
1) 欲望───自意識が他の物に向けられる場合。(※1)
2) 支配と隷従の関係───自意識が自分と対等でない他の自意識に向けられる場合。(※2)
3) 普遍的な自意識───他の自意識が自分と彼が同質であると認めるように、同時にまた自意識も他の自意識の中に自己を認める場合。(※3)


※1
自意識はまず個人として生きるためには、欲望をもって他の物に向かわなければならない。他の物とは水や空気などの無機物にかぎらず、果実や魚肉など、さらには同じ個体としての異性に向かう。それは食欲であり、性欲などである。(個別)

※2
次に自意識は、同じく多くのさまざまな他者との社会関係におかれて、他の自意識と向き合うが、さしあたっては、お互いの承認をめぐって抗争する関係である。その端的な例は戦争である。敗者の自意識は命が欲しければ勝者に隷属し支配されるしかない。(特殊)

「Herrschaft und Knechtschaft」については、金子武蔵氏は「主であること奴であること」、牧野紀之氏は「主人であること召使であること」と訳している。     

※3
自意識は第二の段階を経ることによって、さらに家族、市民社会、国家や人類といった人倫の社会に向かい「普遍的な自意識」に至る。

「私は私である」というここでの自意識の命題がフィヒテの「自我哲学」が踏まえられていること、また、自意識が三つの段階(個別ー→特殊ー→普遍)をたどるその発展の論理過程については、金子武蔵氏の訳業になる『精神現象学』の解説などに詳細に説明されている。ただ、このヘーゲル『哲学入門』の翻訳と註解は「生活に使える哲学」として、基本的な骨格のみの把握を目指している。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識 第二十四節[自意識の三つの段階] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/QhP1ye

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

2023年11月21日 | 哲学一般


ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

§23

Dieser Satz(※1) des Selbstbewusstseins(※2) ist ohne allen Inhalt. Der Trieb des Selbstbewusstseins besteht darin, seinen Begriff zu realisieren und in Allem sich das Bewusstsein seiner zu geben. Es ist daher: 1) tätig, das Anderssein der Gegenstände aufzu­heben (※3)und sie sich gleich zu setzen; 2) sich seiner selbst zu ent­äußern (※4)und sich dadurch Gegenständlichkeit und Dasein zu ge­ben. Beides ist ein und dieselbe Tätigkeit. Das Bestimmtwer­den des Selbstbewusstseins ist zugleich ein sich Selbstbestimmen (※5)und umgekehrt. Es bringt sich selbst als Gegenstand hervor.

第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

自意識のこの命題にはまったく内容がない。自意識の衝動とは、自らの概念を実現すること、そうして、あらゆるものの中に、自らを意識することである。それゆえに自意識は、1)対象の他者性を廃して、そうして、対象を自分と同じものにする。2)自分自身を外在化して、それによって自分自身に対象性と存在を与える。1)2)の両方は同じ活動である。自意識が規定されるというのは、同時に、自分を自己規定することであって、その逆も同じである。自意識は自らを客体として作り出す。


※1
Dieser Satz  
この命題とは、
Ich=Ich、Ich bin Ich.「私=私」「私は私である」という自意識の命題。

命題とは判断を文に表したもの。その判断の正否が問われる。

※2
 Selbstbewusstseins  「自意識」と訳した。武市健人氏も同じ。金子武蔵氏や牧野紀之氏は「自己意識」と訳している。

※3
aufheben  持ち上げる、廃する、止揚する、揚棄する、などと訳される。
対象の他者性がなくなるだけで、対象性は保存され残っている。

※4
ent­äußern
外部に現す、外在化する、外化する。
行動によって自己を外部に存在させ客体化する。労働は自己の外在化である。
1)は理論的な立場、2)は実践的な立場といえる。両者は同じ一つの活動の両側面である。

※5
「自意識」の衝動は、人間の生産活動のあらゆる側面に見られる。
自動車や船舶をはじめ、政治や国家に至るまで、すべては概念を実現しようとする人間の自意識の衝動の結果である。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十三節[自意識の衝動、概念の実現] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/gMQJRV

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十二節[自意識としての私]

2023年11月10日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十二節[自意識としての私]

 

 Zweite Stufe. Das Selbstbewusstsein.

第二段  自意識

§22

Als Selbstbewusstsein schaut Ich sich selbst an und der Aus­druck desselben in seiner Reinheit ist Ich = Ich, oder: Ich bin Ich.(※1)

第二十二節[自意識としての私]

自意識として「私」は、自分自身を見つめ、そして、この自意識の純粋な形での表現が「私=私」であり、もしくは、「私は私である」。

 

※1
意識の自己内分裂という類的な極限に達した人類は、ついに意識の対象を「私」そのものに向ける。それが自意識(Selbstbewusstsein)である。この自意識は「私は私である」として定式化される。

第一段 の「意識一般」においては、意識の対象は「客体」に向けられていたが、この第二段「自意識」において、意識はその対象を「意識の主体そのもの」すなわち「私」に向ける。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十二節[自意識としての私] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/iYJBrN

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十一節[物の観念もしくは概念]

2023年11月08日 | 哲学一般


ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十一節[物の観念もしくは概念]

§21

Oder unmittelbar: das  Innere  der Dinge ist der Gedanke oder Begriff derselben. Indem das Bewusstsein das Innere zum Gegenstande hat, hat es den Gedanken oder eben so sehr seine eigene Reflexion oder Form(※1), somit überhaupt sich zum Gegenstande.(※2)

第二十一節[物の観念もしくは概念]

あるいは直接的に言えば、物の 内的なもの とは、物の 観念 もしくはその概念である。意識が内的なものを対象とするかぎり、意識は観念を、もしくは、まさに意識にとってまったく固有であるところの反省を、あるいは形式を対象にもち、したがって、一般的に意識は自己を対象にもつのである。

※1
意識は自己内分裂することによって、自身を反射する。それは意識の形式であり、そのことによって自己を反省する。
意識が「内的なもの」を対象にするというのは、物についての観念や概念を対象にするということである。それは自分自身を対象とすることである。


※2
意識は、A 感覚的な意識 ー→ B 知覚 ー→ C 悟性 へと進んできて、外的なものから内的なものへと意識の対象が移り行く。そして今や、ついに自分自身を意識の対象にする。すなわち「自意識」の段階に入る。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十一節[物の観念もしくは概念] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/QkeFPV

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十節[自己を対象とする意識]

2023年11月06日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十節[自己を対象とする意識]

§ 20

Dieser Begriff, auf das Bewusstsein selbst angewandt(※1), gibt eine andere Stufe desselben. Bisher war es in Beziehung auf seinen Gegenstand als ein Fremdes und Gleichgültiges. Indem nun der Unterschied überhaupt zu einem Unterschied geworden ist, der eben so sehr keiner ist, so fällt die bisherige Art des Unterschie­des des Bewusstseins von seinem Gegenstande hinweg. Es hat einen Gegenstand und bezieht sich auf ein Anderes, das aber unmittelbar eben so sehr kein Anderes ist, oder es hat sich selbst zum Gegenstande.

第二十節[自己を対象とする意識]

 意識そのものに用いられたこの概念は、別の次元の段階の意識を与える。これまで、意識はその対象とは、異質な無関係のものだった。ところが今や、(意識と対象との)区別一般が、もはや区別がまったくないような一つの区別になってしまったので、その結果、意識をその対象から区別するこれまでのようなあり方はなくなってしまう。意識は一つの対象をもち、自らを一個の他者に関係させはするが、しかし、その他者はもはや直接的にはまったく他者でないような他者であり、言いかえれば、意識は自己自身を対象としてもつのである。


※1

「精神の現象学」として、意識との関係を「今ここにある」対象からはじめて、その弁証法的な関係を追考してきたが、先の第十九節において、意識は「力と法則」という概念の段階にまで進行してきた。

それまでは、意識の対象は意識の外にあって、意識そのものとは異物であり無関係なものであった。しかし、先の第十九節において「力と法則」という概念にまで進んでくると、「力と法則」の概念には、その外的な対象と意識それ自体との区別が消え失せてしまっている。ここに至って意識は別の次元の意識をもつにいたる。すなわち、意識はその対象として他者でない他者、すなわち自己自身を意識の対象とする。

リンゴの樹から落下するリンゴの果実は、意識にとってはまったく外的なものであり異物であるが、意識がリンゴの樹から落下する果実の力やその力の法則性を意識するにいたると、意識と力や法則との区別はなくなる。力や法則は意識そのものである。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十節[自己を対象とする意識] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/oNVvpW

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十九節[力と法則]

2023年10月23日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十九節[力と法則]

§19


2) Die Kraft bleibt mit diesem Unterschiede in aller sinnlichen Verschiedenheit der Erscheinung dieselbe. Das Gesetz der Er­scheinung ist ihr ruhiges, allgemeines Abbild. Es ist ein Verhältnis von allgemeinen bleibenden Bestimmungen, deren Un­terschied am Gesetze zunächst ein äußerlicher ist.(※1) Die Allge­meinheit und Beständigkeit dieses Verhältnisses führt zwar auf die Notwendigkeit desselben, aber ohne dass der Unterschied ein an sich selbst bestimmter oder innerer wäre, in welchem die eine der Bestimmungen unmittelbar im Begriffe der andern liegt.

第十九節[力と法則]

2) 力は、現象のすべての感覚的な区別の中にあって、同じものに留まっている。
現象の 法則 とは、力の静的で普遍的な写像である。力とは普遍的で恒久的な諸規定についての関係であり、法則と力との区別はさしあたっては一つの外的なものである。この関係の普遍性と恒常性は確かに必然性そのものへと進んでいくが、しかし、その(力と法則との)区別は(対象が)自己自身を規定したものか、あるいは(意識の)内的なものであるかの区別はないのであるから、規定の一方は直接に他方の概念のうちにあることになる。

※1
ここでの記述そのものは分かりにくいが、「力と法則」の例として、リンゴの樹からリンゴの果実が落下する場合を考えて見ればいい。

リンゴの樹からは、その果実は、いつでもどこでも(普遍性と恒常性をもって)、上から下へと落ちるから、リンゴの果実というものは、上から下へと落下する必然性のあることを認めるにいたる。(万有引力の法則)

しかし、この段階では、力と法則とのあいだには、それらが対象自体にあるのか、あるいは私たちの意識のうちにあるのか、区別はされていないから、力のうちに法則があり、法則のうちに力があることになる。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十九節[力と法則] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/hqnJAW

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの]

2023年08月10日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの]

§18

Das Innere (※1)der Dinge ist das an ihnen, was einesteils von der Erscheinung frei ist, nämlich von ihrer Mannigfaltigkeit, die ein gegen sich selbst Äußerliches ausmacht;  andererseits  aber das, was durch seinen Begriff darauf bezogen ist. Es ist daher: 1) die einfache Kraft,  welche in das Dasein, die Äußerung,  übergeht.(※2)

 

第十八節[本質と現象、概念と定在] 

物の内的なものは、それ自体において、一面では現象からは自由なものである。つまり、内的なもの自体に対して外的なものを構成する物の多様性からは自由なものである。しかし、他面において、内的なものは物の概念を通して外的なものと関連している。したがって、物の内的なものは、単純な力でもあり、それは、1) そこにある存在へと、外的なものへと移り行く。

 

※1
Das Innere  内的なもの
ここで内的なものとは、たんなる主観的なものではなく、人間の認識を通して客観的な事物の内部に見出すところの主観=客観なものである。ここでいう「Das Innere  内的なもの」とは、その意味で、より具体的には事物の「本質」や「概念」のことである。

※2
この内的なもの、すなわち本質や概念は、みずからを外部に現出させる(Äußerung)ものである。内なるものは外なるものへと、本質は現象し、概念は定在化する。その意味で、本質や概念は、また運動の源泉として単純な力でもある。本質や概念は、一つの力として、動的なものとしてダイナミックに捉えられなければならない。

この節において初めて、内なるものから外なるものへ、本質から現象へ、概念からその定在へと移行する「力 Kraft」が出てくる。

 

参考
§ 280b[概念から存在への移行] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/j9SLmx

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/JtvdIC

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十七節[知覚から悟性へ2]

2023年06月27日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十七節[知覚から悟性へ2]

C. Der Verstand

§17

Der Gegenstand hat nunmehr die Bestimmung, α) eine schlecht­hin accidentelle Seite, (※1)aber β) auch eine Wesentlichkeit und ein Bleibendes zu haben. (※2)Das Bewusstsein, indem der Gegenstand für dasselbe diese Bestimmung hat, ist der Verstand, dem die Dinge der Wahrnehmung nur als  Erscheinungen  gelten und der das Innere  der Dinge betrachtet.

 

C. 悟性
  
第十七節 [知覚から悟性へ]
  
対象は今や、α) まったく偶然的な一面をもつが、しかし、β) また、本質的で恒久的な側面をもつ規定をももっている。対象が意識に対してこのような(本質的で恒久的な側面)規定をもつとき、その意識は悟性である。悟性においては、知覚にとっての物はただ 現象 として見なして、そして物の 内的なもの を考察しようとする。

 

※1
物がさまざまな属性をもつものであり、その属性も変化することによって生成し、かつ消滅する偶然的なものであることを知覚は意識するが(§15)、その生成と消滅のうちに、恒久的なもの、存続するもの、内的なものを意識する悟性へと移行する。

※2
悟性にとっては、知覚に現れる物を現象と見て、さらにその奥に恒久的なもの、存続するもの、内的なものを探ろうとする。この過程の認識論の詳細については、「論理学」の「本質論」において考察されている。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十七節[知覚から悟性へ2] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/BahuT1

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十六節[知覚から悟性へ]

2023年06月20日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十六節[知覚から悟性へ]

§16

In dieser Veränderung ist es nicht nur Etwas, das sich aufhebt (※1) und zu einem Andern wird, sondern auch das Andere vergeht. Aber das Andre des Andern oder die Veränderung des Veränderlichen ist Werden des Bleibenden,(※2) an und für sich (※3 )Bestehenden und Inneren.

第十六節[知覚から悟性へ] 
  
この変化においては、物は、ただに自分を止揚して、かつ他者になるような或る物にすぎないだけではなく、その他物もまた消えゆくものである。しかし、その他者の他者、あるいは、変化するものの変化は、恒久的なものの生成であり、必然的(本来的に)に存在するものの生成であり、かつ内的なものの生成である。

※1
aufheben (keep preserve)保存しておくこと。
哲学では「揚棄する」とか「止揚する」と訳される。
弁証法の認識で「対立物の統一」という意味で使われるようになって一般化した。

※2
Bleibenden 恒久的なもの、永続するもの
Bestehenden 存続するもの
Inneren  内的なもの

「変化するものの変化」とは、「外的なものから内的なものへ」の変化のことである。
ここで意識の対象が外的なものから内的なものへと、「悟性」の領域へと移行し、意識の対象が「私」「自我」そのものへと代わる。「私」のうちに見出されたものは、「Bleibenden 恒久的なもの」であり「Bestehenden 存続するもの」「Inneren  内的なもの」である。

※3
an und für sich  自ずから、本来的に、必然的に、絶対的に、独立的に、などと訳せる。
岩波文庫版の訳者である武市健人氏は「即自向自に」と訳しているが、これでは、「恒久的に存続する内的なものの生成」が必然的で絶対的であることがよくわからない。

an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十六節[知覚から悟性へ] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/Eqytzm

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般   第十五節[物の生成と消滅]

2023年06月19日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般   第十五節[物の生成と消滅]

§15

Insofern die Eigenschaften wesentlich vermittelte(※1) sind, haben sie ihr Bestehen in einem Andern und  verändern  sich. (※2)Sie sind nur Akzidenzen. Die Dinge aber, da sie in ihren Eigenschaften bestehen, indem sie sich dadurch unterscheiden, lösen sich mit der Veränderung derselben auf und sind ein Wechsel des Ent­stehens und Vergehens.(※3)

第十五節[物の生成と消滅]

属性が本質的に媒介されたものであるかぎり、属性はその根拠を他者の中にもち、そして、変化するもの である。それはただ偶然的なものにすぎない。 しかし、その属性において存立する物は、その属性によって区別されるものでもあるから、変化そのものによって自ら消え失せ、そして、生成と消滅の交替を繰り返すものである。

 

※1
sind vermittelte  媒介された
「物の属性」が「媒介されたものである」というのは、たとえば「塩」という物の属性は「白く」あり、「辛く」もあり、結晶においては「立方体」でもあるが、「白い」という属性は「シラサギ」や「白紙」や「絹」のような他の物と比較によってはじめて規定されるものだからである。「辛い」というのも、「唐辛子」や「海水」などの他物との比較、抽象によって規定される。したがって、属性はその根拠を他者との関係の中にもつ。(§14)

そして、物がその物であるのは、その属性によるのであるから、もはや「黄色」くも「酸っぱく」もないものは「レモン」とは呼ばないのである。

※2
verändern sich  変化する
感覚(感性的意識)は、空間に対する直覚でもあるが、それに対してここでヘーゲルは「変化」という時間に対する直覚によって「生成」と「消滅」という概念を導き出してくる。カント哲学がカテゴリー表で静的に並べたにすぎないものを、変化、運動として動的にとらえる。ヘラクレイトスの「万物は流転する」という思想を引き継いでいる。

※3
さまざまな属性をもった「物」は「感覚(感性的意識)」(§11)の対象であると同時に、「知覚」の対象でもある。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十五節[物の生成と消滅] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/X9Nhmm

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする