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作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

2023年04月26日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

§5

Der Geist aber nach seiner Selbsttätigkeit  innerhalb seiner selbst  und in Beziehung auf sich, unabhängig von der Bezie­hung auf Anderes, wird in der eigentlichen Geisteslehre oder  Psychologie  betrachtet.

第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

しかし、精神が 自分自身の内部における 自己活動の面から、そして自己との関係の中にあって、他者との関係からは切り離されてあるときの精神は、本来の精神論として、もしくは 心理学 として考察される。

 


精神の作用を考察するにしても、それを他者との関係において、つまり意識の問題として考察する「精神の現象論」と、他者から切り離して、精神の自己内部における自己活動の面から考察する本来の精神論、心理学との違いが説明される。

なお、心理学については、同じヘーゲル『哲学入門』第三教程、上級篇の第三部「精神の学」の中で、身体と結びついた精神として考察されている。

また哲学的百科事典(エンサイクロペディー)C 「心理学、精神」§440 の中では「心理学は、精神の能力、精神の普遍的な行動様式、たとえば、直観、想像、記憶や欲望などを考察する」と説明されている。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第五節[本来の精神論、もしくは心理学] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/Iyhzof

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第四節[意識の学としての精神の現象学]

2023年04月24日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第四節[意識の学としての精神の現象学]

§4

Das Subjekt, bestimmter gedacht, ist der Geist(※1). Er ist erschei­nend, als wesentlich auf einen seienden Gegenstand sich beziehend: insofern ist er Bewusstsein. Die Lehre vom Bewusstsein ist  daher die Phänomenologie des Geistes.

第四節[意識の学としての精神の現象学]

主観とは、より具体的にいえば、精神である。精神は自らを一つの存在する対象に本質的に関係させるものとして現れるものである。そのかぎりにおいて、精神とは意識である。したがって、意識の学は 精神の現象学 である。


※1

ヘーゲル哲学が難解であるとされるのは、ここで使われているような、「主観」とか「精神」とか「意識」といった用語が具体的に何を意味しているのか、わかりづらいためでもあるだろう。

「主観」といい「精神」と言っても、それらは存在する何らかの対象と関係づけられて現れるものである限りにおいて、それは意識でもある。

この『哲学入門』中級篇以下において簡潔に説明されている「精神の現象論」は、ヘーゲルの実質的な処女作『精神の現象学』に見られるような冗長さや難解さはなく、むしろ「精神の現象論」の核心を的確に理解するのに役立つ。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第四節[意識の学としての精神の現象学] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/bJPXjO

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第三節[実在論と観念論]

2023年04月10日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第三節[実在論と観念論]

§3

Indem im Wissen die Dinge und ihre Bestimmungen(※1)sind, ist einerseits die Vorstellung möglich, dass dieselben(※2) an und für sich (※3)außer dem Bewusstsein sind und diesem schlechthin als ein Fremdes und Fertiges gegeben werden; andererseits aber, indem das Bewusstsein dem Wissen eben so wesentlich ist, (※4)wird auch die Vorstellung möglich, dass das Bewusstsein diese seine Welt sich selbst setzt und die Bestimmungen derselben durch sein Verhalten und seine Tätigkeit (※5)ganz oder zum Teil selbst her­vorbringe oder modifiziere. (※6)Die erstere Vorstellungsweise ist der Realismus, die andere der Idealismus genannt worden. Hier sind die allgemeinen Bestimmungen der Dinge nur überhaupt als bestimmte Beziehung vom Objekt auf das Subjekt zu be­trachten.(※7)

第三節[実在論と観念論]

知識のうちには物とその規定とがあるから、一面においては、物自体は本来的にも、かつそれ自体として(独立して)意識の外にあって、そして、これらは全く外来品とか出来合品として与えられたもののように考えることもできる。しかし、他面においては、知識にとって、意識はまさに本質的なものであるゆえに、意識は自分の知識の世界を自分自身で設定し、自分の行為と行動を通してその規定自体の全体を、あるいは部分を自身で作り出すか、あるいは改変すると考えることもできる。はじめの考え方は「実在論」と、他方は「観念論」とよばれる。ここでは、ただ一般的に、物の普遍的な規定は、客観から主観に対して指定された関係とみなされなければならない。

 

※1
 die Dinge und ihre Bestimmungen
「鉄は黒い」という私たちの知識で言うなら、物は鉄で、「黒い」が規定である。

※2
dieselben  これらは
die Dinge und ihre Bestimmungen (物とその規定)

※3
植物の成長についての私たちの知識でたとえるなら、「an und für sich」は種子の状態で
「für sich」は発芽の状態ともいうべきか。それらは私たちの意識の外に独立してある。

「an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg

※4
私たちの意識なくして知識はありえない。

※5
いずれも同意語だけれど、それぞれニュアンスの違いがあるようだ。おおよそ次のように理解している。
Aktion(動作、活動、働き、action)、Handlung(そぶり、所作)、Operation(軍事的、学問的、技術的な活動、行動)、Tat(意図的な行為、行動)、Verhalten(ふるまい、態度)

※6
原子を分割して核エネルギーを引き出した人間は、青い桜の花を作り出すこともできるかもしれない。

※7
この「精神の現象論」におけるヘーゲルの立場は、「実在論」でもなければ「観念論」でもない。仏教用語で、物そのものを「色」、私たちの意識を「心」と呼ぶなら、私たちの知識においては、この物と意識の両者は切り離すことのできない関係にあるから「色心不二」の立場ということもできる。ヘーゲルが「観念論(Idealismus)」をどのような意味で使っているかを確認しておく必要がある。

§278c[至高性(主権)をつくる観念論、Der Idealismus, die Souveränität ausmacht] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/ovLOgU

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第三節[実在論と観念論] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/ffcQl8

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第二節[哲学における知識]

2023年03月27日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第二節[哲学における知識]

§2

In der Philosophie werden die Bestimmungen des Wissens (※1)nicht einseitig nur als Bestimmungen der Dinge(※2) betrachtet, sondern zugleich mit dem Wissen, welchem sie wenigstens gemeinschaft­lich mit den Dingen zukommen; oder sie werden genommen nicht bloß als objektive, sondern auch als subjektive Bestimmun­gen, oder vielmehr als bestimmte Arten der Beziehung des Objekts und Subjekts auf einander.

 

第二節[哲学における知識]

哲学においては、知識の規定は物の規定としてただ一面的にのみ見なされるのではなく、むしろ同時に、知識の規定とは、少なくとも物と共同してもたらされるところの知識と見なされる。あるいは、知識の規定は、たんに客観的に だけではなくまた主観的な 規定として、あるいは、むしろ客観と主観との相互の関係によって規定された性質のものと見なされる。

※1

die Bestimmungen des Wissens  

知識の規定

自我、すなわち「私」が目の前に、対象にある物を見て、たとえば「これは桜の花である」とか、「彼は野球選手である」とか規定することであるが、そのように規定するのは、 「私」があってこそであり、「私」の、主観なくしてそのような知識の規定もありえない。とくに哲学における知識の規定は、「私」と対象との関係において規定される。

※2

Bestimmungen der Dinge

物の規定

「私」が「私」を意識することなく、つまり主観的な反省なくして、対象としての物について直接的に感覚的に、「これは桜の花である」とか「彼は野球選手だ」とか規定するような「ふつうの意識」、常識的な段階での知識はたんなる「物の規定」である。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第二節[哲学における知識] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/bYElJd

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第一篇 精神の現象学、あるいは、意識の学

2023年03月23日 | 哲学一般

G.W.F. Hegel
Philosophische Propädeutik

ヘーゲル『哲学入門』


Zweiter Kursus. Mittelklasse. Phänomenologie des Geistes und Logik

第二教程    中級クラス  精神の現象学と論理学

Erste Abteilung. Phänomenologie des Geistes, oder Wissenschaft des Bewusstseins

第一篇  精神の現象学、あるいは、意識の学

Einleitung

序論 

§1[ふつうの知識と意識]

Unser gewöhnliches Wissen (※1)stellt sich nur den Gegenstand  vor,(※2) den es weiß, nicht aber zugleich sich, nämlich das Wissen selbst. Das Ganze aber, was im Wissen vorhanden ist, ist nicht nur der Gegenstand, sondern auch  Ich,  der weiß und die Beziehung mei­ner und des Gegenstandes auf einander: das Bewusstsein.(※3)

私たちのふつうの知識は、ただ 対象  について考える(思い浮かべる)だけだが、それは、しかし同時に自分については、すなわち、知識それ自体については考えようとはしない。しかし、知識のうちに存在する全体とは、ただに対象だけではなく、「私」と「私」と対象との相互の関係をも知っているところの「私」、すなわち、意識である。

※1

Unser gewöhnliches Wissen

私たちのふつうの知識、私たちの常識。

※2
vorstellen
前に置く、想像する、思い浮かべる

※3
人間の意識についてはすでに、序論 五[衝動と反省]や、序論についての説明の三[意識について]の考察の中でも説明されている。

人間の意識が自己内分裂を遂げ、二つに別れることによって、相互に映し合うようになり、自己を自己として「意識」するようになる。これによって人間は真偽を自己検証する。

 

参考

ヘーゲル『哲学入門』序論 二[意識と知識] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/I543LJ

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 三[意識について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/LbIryu

ヘーゲル『哲学入門』序論 五[衝動と反省] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/PlTuZQ

 

ヘーゲル『哲学入門』第一篇 精神の現象学、あるいは、意識の学 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/IiVR16

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第八十節[「祈り」と典礼]

2023年03月09日 | 哲学一般
 
ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第八十節[「祈り」と典礼]

§80

Der Gottesdienst (※1)ist die bestimmte Beschäftigung des Gedankens und der Empfindung mit Gott, wodurch das Individuum seine Einigkeit mit demselben zu bewirken und sich das Bewusstsein und die Versicherung dieser Einigkeit zu geben strebt, welche Übereinstimmung seines Willens mit dem göttlichen Willen (※2 )es durch die Gesinnung und Handlungsweise seines wirklichen Lebens beweisen soll.(※3)



第八十節[「祈り」と典礼]

「祈り」とは、思考と感情をもって神に仕えるための仕事である。「祈り」によって、個人は神と自己との一体性をもたらし、この一体化の意識と確信を自身に与えようとする。神の意思と個人の意思とのこのような合致は、個人の現実の生活における精神と行為の様式によって実証されなければならない。

※1
Der Gottesdienst
原義は「神に雇われし者」くらいの意か。 
「祈り」と訳した。教会などの他者との公同の場においては「典礼」「礼拝」「祭祀」「ミサ」などと訳せる。「礼拝(典礼)とは、思考と感情をもって、神に仕えるために定められた儀式である」

※2
dem göttlichen Willen 神の意思
神の意思の探究は、哲学研究の目的の一つでもある。

※3
ヘーゲル自身はルター主義者をもって任じていた。彼の哲学がプロテスタンティズムを母胎としているのは疑いのないところである。ここからキリスト者の使命  die Bestimmung、die Mission が出てくる。

五つのソラ - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/oDz9pv
 
「第一教程(下級) 法、義務、宗教論」はここで終わり、次の「第二教程(中級) 精神の現象学と論理学」へと進む。
 
 
 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解]

2023年03月02日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解]

§79

Aber die Freiheit des einzelnen Wesens ist zugleich (※1)an sich (※2)eine Gleichheit des Wesens mit sich selbst, oder sie ist an sich gött­licher Natur. Diese Erkenntnis, dass die menschliche Natur der göttlichen Natur nicht wahrhaft ein Fremdes ist, vergewissert den Menschen der göttlichen Gnade  (※3)und lässt ihn dieselbe er­greifen, wodurch die Versöhnung  Gottes(※4) mit der Welt oder das Entschwinden ihrer Entfremdung von Gott zu Stande kommt.(※5)

 

第七十九節

しかし、同時に個人の存在の自由は、本来は自己自身と存在との同一性にあり、あるいは、個人の存在の自由は本来は神的な性質のものである。人間の本性と神の本性は本当は疎遠なものではないのだというこうした認識は、人間に神の 恵み を保証するものであり、そうして人間に恵みを捉えさせることによって、世界と神との和解  が実現し、あるいは、人間の神からの離反が解消するに至る。

 


※1
前節§78で人間が自己を普遍から分離させる自由をもつこと、神から離反する自由をもつ点において、人間の本来性が悪であることが説明されたが、本節の§79においては、同時に人間の個別が本来的に普遍と同質であることが説明される。「人間は神の子である」とも言われるのはこのことである。しかし悟性は、人間の個別と普遍を両立しえぬものとしてしか理解しない。

§ 280b[概念から存在への移行] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/j9SLmx

※2
an sich    
潜在的に、本来的に、即自

※3
Gnade
慈悲、哀れみ、 慈心、 仁恵、恩寵、 恩恵、 祝福、 恵み、至福、仕合わせ

※4
Versöhnung
和解、仲直り、和睦、宥和、償い、慰め

※5
恵みを確信させるのは人間性と神性が無縁なものではないという認識である。この神の恵みを捉えることにおいて、人間と神との和解、宥和を実現する。ここにキリスト教の核心が説明されている。ヘーゲル哲学は神学でもある。

 

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/KqFH65

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十八節[個別の本性について]

2023年02月25日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十八節[個別の本性について]

§78

Das Böse ist die Entfremdung (※1)von Gott, insofern das Einzelne nach seiner Freiheit sich von dem Allgemeinen trennt und in der Ausschließung von demselben absolut für sich zu sein strebt. Insofern es die Natur des endlichen freien Wesens ist, in diese Einzelheit sich zu reflektieren, (※2)ist sie als böse zu betrachten. (※3)

 

§78[個別の本性について]

個別が自らの自由によって、自己を普遍から分離するという点において、そして普遍を排除して絶対的に自立してあろうとする点において、とは神から離反することである。この個別性のうちに自らを映し出すことが、有限で自由な存在の本性である点において、その本性は悪とみなされなければならない。

※1
Ent-fremd-ung は、ふつう「疎外」と訳される場合が多い。
要するに「(自己から分離して)他者、他人になること」である。
人間と異なり、動物はこの離反、分離  Entfremdung の自由をもたない。
fremd = foreign
よそよそしい、 見知らぬ、居心地の悪い、外国の、得体の知れない、なじみのない、などの訳語が当てられる。
マルクス主義で、労働者とその労働の生産物との関係を「Entfremdung 疎外」として使うようになって一般化した。

※2
die Natur des endlichen freien Wesens 
「有限で自由な存在」とは、もちろん「人間」のことである。
in diese Einzelheit sich zu reflektieren
自己を個別性に映し出すこと。個別性に固執すること。

※3
マルクス主義やその他多くのユートピア学説、人権論は、この個別の本性を見落としている。

 

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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十七節[神の性質について]

2023年02月18日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十七節[神の性質について]

 

§77

Gott ist, nach den Momenten seines Wesens, (※1)1) absolut heilig, (※2)insofern er das schlechthin in sich allgemeine Wesen ist. Er ist: 2) absolute Macht, (※3)insofern er das Allgemeine verwirklicht und das Einzelne im Allgemeinen erhält oder ewiger Schöpfer des Universums. Er ist 3) Weisheit, (※4)insofern seine Macht nur hei­lige Macht ist; 4) Güte,(※5) insofern er das Einzelne in seiner Wirk­lichkeit gewähren lässt und 5) Gerechtigkeit, (※6)insofern er es zum| Allgemeinen ewig zurückbringt.

 

第七十七節[神の性質について]

神は、その存在の契機からみれば 、 1) 神は自らのうちにおいて全く普遍的な存在であるから、絶対に 神聖 である。神は、2) 絶対的な威力 である。神は普遍を実現し、そうして普遍のうちに個別を保存し、永遠の 宇宙の創造者 であるから。神は、3)  知恵 である。彼の威力はひとえに聖なる力に他ならないから。神は4) 善なるもの である。神は個別をその現実にあるがままにさせておくから。そして、神は 5) である。神は個別を普遍へと永遠に取り戻すから。

※1
den Momenten seines Wesens  
神の存在(本質)の契機
Wesen
実体、存在、性質、本質、実質、実体
Moment
要素、要因、因子、構成要素、動因、 因数

ヘーゲルにとって宗教とはキリスト教のことであったから、神の存在の本質的な性質を聖書の中から具体例を取り上げた。

※2
heilig
神聖、尊い、聖なる、神々しい

というのも、世界が創造されてからこの方、目に見えない神の性質は、すなわち神の永遠の力と神聖な霊性は、神の働きからも理解され、はっきりと見えるものであったから、人々には弁解の余地はない。(ロマ書1:20)
 
※3
die Macht
威力、力、強力、暴力、実力

ある日のこと、イエスは教えていた。そしてパリサイ人と律法師たちがそこに座っていた。この人たちはエルサレムから、ガリラヤやユダのすべての村から来ていた。病を癒す主の力が彼のうちにあった。(ルカ書5:17)

※4
Weisheit
wisdom
知恵、叡智、智識、才気、聡明

ああ、神の智恵と知識の富の深さよ。神の裁きはなんと計りがたく、神の道は辿りがたいことか。(ロマ書11:33)

※5
Güte
goodness
良さ、善、 善良

「なぜ私を善いと呼ぶのか。」イエスはお答えになった。「神お一人をのぞいて善い者は誰もいない。」(ルカ書18:19)

※6
Gerechtigkeit
正義、 公正、 裁判、 公平、義、正直

そして、キリスト・イエスにあるあがないを通して、神の恵みによって無償で義とされる。(ロマ書3:24)

 

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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十六節[絶対的な精神について]

2023年02月01日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十六節[絶対的な精神について]

§76

Gott ist der absolute Geist(※1), d. h. er ist das reine Wesen(※2), das sich zum Gegenstande macht, aber darin nur sich selbst anschaut; oder in seinem Anderswerden schlechthin in sich selbst zurück­kehrt und sich selbst gleich ist.

第七十六節[絶対的な精神について]

神は絶対的な精神である。すなわち、神は純粋な存在である。純粋な存在とは自己を対象とするが、しかし、その中でただ自分自身を直観をするだけであり、あるいは、自身がもっぱら他のものへと変化する中で自分自身へと還り、かつ自分自身と等しくあるものである。

 

※1
der absolute Geist(絶対的な精神)は、先の第七十二節の、Dies absolute Wesen と同じ。第二教課の「精神現象論」の第四節においては、Das Subjekt ist der Geist.(主観は精神である)として説明されている。

※2
das reine Wesen
reine
「純粋な」というのは、神は自ら以外を含まない存在だからである。また神を精神(der absolute Geist)として捉えていること、この核心を精確に解明することは註解の目的の一つである。
Wesen (存在、本質)
第七十二節の註解※1参照。「時間を超越した本質的な存在」。少しこなれないかもしれないが「質在」という訳語を当ててもいいかもしれない。

 

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十六節[絶対的な精神について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/wtNJ2N

 

 

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