強迫性障害の生成?

物心ついたころにはすでに強迫性障害の症状がでていた女の生き様

周囲の白い目

2009-10-31 03:41:48 | まさにブログ
小さいころから仲間はずれにはよくあった。

気が強い私は、
仲間うちのボスになったりするが、
我儘で周囲の言うことに耳をかさなかったり、
強引にことを進めたりするので、
ボスになっても当然嫌われた。

そして、
気づくと、弱いものたちが結託して強い私をはじき出した。

そんな経験はよくあった。

かと思うと、
大人しくしていると言うことを聞く人間に見えるらしく、
子分(みたいな扱いで)にしようという人間が近づいてくる。
事なかれ主義で右に倣えをするように見えるらしい。
でも
自分の主義に反することをその彼らがしていると、
私は躊躇なく反旗を翻す。
その行動は、
周囲には脈絡もないように見えるみたいだし、
まさか反旗を翻すなんて、と裏切られたように感じるらしい。


だから私はいつも強い反発を受け、
周囲すべてが敵だらけ、ということばかりだった。


彼氏に言わせれば、
もっと自分を守らなきゃダメだ、
仲良くするにしても、離れるにしても、
後々どっちでも選べるように、曖昧にしておく方が、自分に有利だ、(みたいなことを)言う。


そんなこと考えたこともなかった。


自分の意見を、主張を通すことが、
周囲の反感を買うなんて、考えたこともなかった。

色々な人の対面などを立てることが、
映画などを見てれば、それらはした方がいいことだとわかるのだが、
実際に自分がその現場に放り込まれるとまったくそのことがわからないのだ。


こういうことが、
何度経験してもなかなか理解できるようにならないことを
「コミュニケーションの発達障害」というのだろう。


この前テレビで鬱病で薬依存になってしまった人のドキュメンドを見たが、
その人は病院の使い方や、薬との付き合い方はわかってないが、
コミュニケーションは普通にできて、
友人なども多くいた。

それだけで私よりはマシだ、と思った。

でも
それってないものねだりであって、
隣の芝生が青く見えるだけであって。

そんなことは分かってるけど、
でも
コミュニケーションができる人が羨ましい。


コミュニケーションが苦手な人は、
毎日鏡の前でニッコリ笑って
「誰かと会話することは楽しいことだ」(確かこんな感じのことを)
などと自分に言い聞かせるらしい。

そんなこっぱずかしいことで本当に治るのか疑問だが。

私の心の根底には人間への不信がこびりついている。


だって
私の周囲にいる人は、
みんな私と仕方なくつきあってる人ばかりだった。
会話もつまらない、
情報ももってない、
趣味もあわない、
だから仕方なくつきあっている。

中には
ついてこれないように
嘘をついてまで私をのけものにした。

私とは話してもつまらないけど、
ことを荒立ててまで仲間外れにするのも面倒だから仕方なく置いておく、
そんな人もいた。

私のことを好きで友達になる人なんていなかったな。

中学の同級生2人以外は。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿