強迫性障害の生成?

物心ついたころにはすでに強迫性障害の症状がでていた女の生き様

決意

2007-02-20 23:07:49 | ビョーキ
強迫性障害が一番ひどかったときは高3の頃と24歳のとき。

24歳
大学出たて(一浪しました)(4月誕生日なので)で、就職(派遣だったが)して1ヶ月たった頃、一番仲の良かった友人が亡くなった。
突然死で信じられなかった。
死後3日後だかなんだかでその子の友人に見つけられたそうだが、その間私は飲み会やらデートやらしていたのですごくショックだった。
友人が死んだときに私はなにをしていたんだ……!と(まあ、私のせいではないが)。
それが引き金になって強迫性障害の症状がひどくなった。
会社は辞めた。
引きこもった。
泣き暮らしてた。だって数少ない友達だったし(現在一人しかいないし)。
きっとそのときはうつ病もひどかったのだろう。
体が重くて重くて(体重のせいではなく)。
なにをしても気は晴れないし。
死んでしまうんだったら、もっと優しくしてあげたり(いや、普段からするべきなのだが)すればよかったとか。
もともと歯に衣きせぬ物言いしかできない私なので、もっと思いやりのある言動を選べばよかったとか。
後悔も多くて。
長い付き合いの友人だったので、近所はその子との思い出でいっぱいで。
悲しくて悲しくて仕方なかった。

気分転換に自動車教習所に通ったり。
それでもだめだったから、やっぱり会社に勤めて忙しくして、色々な人と接すれば良くなるかと思いバイトしたけどだめだった。

症状はひどくなる一方で、帰り、最寄り駅から歩くのが全くだめになった(行きは何とか大丈夫)。
自分の意思を制御できない感じがしたのだ。
悲しみで心が麻痺して、もうどうでもよくなってて、通行人に落ちてる石(田舎だから漬物大の石が落ちてる)を投げつけたりするんじゃないかと、自分で自分が怖かった。
本当に自分が怖くて、いつも「私はどうでもいいから自分以外の人が安全でありますように」って毎日祈ってた(変なの)。

彼氏にウィルコムで電話して(当時DDI)話ながら歩けば、もし私が何かしたとしても彼氏が異変に気づくだろうと思いそれにすがって帰っていたが、それでも
「もし異変が起きても、電話機が拾えないほど音が小さかったら彼氏は気づかないかもしれない!でも今は、通行人の安全を考えるとこれしか策はない!」とか本気で思ってた。(後にそれを話したら「そんなわけあるか!」とつっこまれたが)

そこまでの奇行になってやっと精神科の門をくぐる覚悟ができました。