美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

「別れる決心」 映画評

2023-02-07 16:35:59 | Weblog

韓国近代歌謡の歴史を遡ると、1930年代から日本による統治時代に入った演歌の影響を受けた「トロット」と呼ばれるメロディーラインが庶民の間で広く親しまれた。そして大戦終結による独立、また朝鮮戦争(六・二五戦争、韓国戦争)を経て、在韓米軍の社交場で演奏したポップスやシャンソンなども登場し、民放放送開局(1962)とともに数々のヒット曲も生まれる。そのような時節、南珍(ナム・ジン)による「カスマプゲ」が大ヒットし、後に国民的歌手となる羅勲児(ナ・フナ)もデビューした1967年、鄭薫姫(チョン・フンヒ)が謡う「アンゲ(霧)」という曲が世に出た。彼女の澄んだ歌声と、霧の中去った恋人を想う歌詞、甘く哀しいメロディーは、すぐに多くの人々の心に響く。今聞いても懐メロと呼ぶ古臭さは全く感じず、カラオケでも広い世代で愛唱される曲の一つである。そして、今回紹介する映画「別れる決心」は、この曲から生まれた作品である。

パク・チャヌク監督がドラマ制作の仕事でロンドン滞在中、韓国への恋しさからいろいろな曲をネットで探し聞く中、チョン・ウンヒの「アンゲ(霧)」から忘れていた若い頃の感情、様々な想いが沸き、この思いをいつか映画で表現しようと考えたとインタビューで話している。打算や欲ではなく、純粋に誰かを愛し、やがて別れる悲しみを描いただけに、カンヌ国際映画賞でグランプリに輝いた「オールドボーイ」(03)を始めとする復習三部作や、「お嬢さん」(16)などの代表作と異なり過激な暴力や描写を極力抑えた作品となった。

ストーリーは、岩山に登頂した60代の男が転落死した事件を発端とする。捜査を指揮するのは、不眠症であることを言い訳に、昼夜を問わず仕事に没頭する真面目で礼儀正しい刑事チャン・ヘジュン(パク・ヘイル)、一方妻からは「殺人事件が起きたら嬉しい?」と皮肉られている。亡くなった男の若く美しい妻ソン・ソレ(タン・ウェイ)は、中国出身で韓国語はまだ苦手、事情聴取でも多少の行き違いや齟齬はあるが、へジュンはそれ以上に彼女から何かを感じ取る。ヘジュンはソレの監視を開始し、取調室では事件について語り合う中で、容疑者に対する別の感情を抱き始め、ソレもまた彼の想いに気づく。事件はやがて思わぬ展開を向かえていくのだが、葛藤の中でお互いにある決心をする。

この映画はカンヌ国際映画祭で監督賞の受賞をはじめとして、アカデミー賞 国際長編映画部門、ゴールデン・グローブ 作品賞 非英語部門など数々でノミネートされている。前述したように今までのパク・チャヌク作品に比べると、動的な激しさや表現は控えめだ。それは監督が意図した主人公と‘穏やかで、清廉で、礼儀正しく、親切な刑事’と、悲運な過去と現実の中でも、強いプライドと意志を持ち生き抜いてきた異国人という二人が出会いによる眼に見えない心の化学反応という形で魅せたかったではないか。理性で抑え込もうとするほど内部の圧力は高まり、遂にヘジュンは「(私は)完全に崩壊しました。」と呟く。彼を翻弄し、利用しているように振る舞うソレの「あなたの未解決事件になりたい。」という台詞の裏にも自分でも理解できない感情が隠されている。

ジャンルで言えばミステリーロマンスと表現できる本作だが、最大の謎は二人の愛の選択と結末であろう。哲学者ニーチェの言葉、「愛からなされるものは常に善悪の判断の向こうにある。」が思い浮かんだ。パク・チャヌク監督曰く「大人に語りかける、繊細さとエレガンスとユーモア をもった喪失の物語」の映画である。

末筆ながら、2023年を迎え最初の映画を紹介しながら、ここ数年にわたるコロナ禍や世界に漂う様々な‘霧(アンゲ)’が今年こそすっきり晴れてくれることを心より願うばかりである。


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