都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

中央区立中央小学校(旧鉄砲州小学校)

2021-09-18 | 中央区  
中央区立中央小学校(旧東京市鉄砲洲尋常小学校・旧鉄砲洲小学校)
所在地:中央区 湊1-4
構造・階数:RC・3
建設年:1929(昭和4)
解体年:2010(平成22)
Photo 2006.4.7

 関東大震災後の震災復興事業のひとつとして建てられた小学校建築。戦前期は東京市鉄砲洲尋常小学校、戦後は中央区立鉄砲洲小学校となっていた。区内の少子化に伴い、1993(平成5)年に八丁堀にある京華小学校と統合されて中央小学校となった。

 外側に半円型の柱型を見せた柱が列柱のように並ぶ姿が印象的。


 校庭側の様子  Photo 2006.4.7

 その後も同校校舎として使われ続けていたが、2010(平成22)年に校舎建て替えのため解体。震災復興小学校建築として貴重なものであるとして日本建築学会他が保存要望書を出していたが、区側は建て替え新築を選択したのだった。


 玄関部分  Photo 2006.4.7

 ほとんどの窓は長方形だが、玄関とその両側はアーチ型。

日本建築学会東京都中央区に現存する復興小学校 7 校舎保存要望書
鉄砲洲小学校/湊1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京都中央区立中央小学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
にわとりトシ子の、君の瞳に恋してる!「きれい・・・」を訪ねて 〜旧鉄砲洲小学校

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #近代建築  #学校 
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静岡県庁別館 21F 展望室から2

2021-07-08 | 静岡県  

 静岡県庁の展望室から。つづき。気になる施設など。

静岡県庁別館展望室から 駿府城公園、巽櫓と東御門
所在地:静岡市葵区追手町9-6
Photo 2016.8.18

 私が静岡に住んでいた頃にはまだ無かった建物。巽櫓は1989年に、東御門は1996年に復元された。天守閣は江戸時代中期には既に無く、図面も無いので、もし再建するとしたら推定するしかないらしい。
 巽櫓や東御門、坤櫓(2014年復元)は幕末まではあったのかな? 指図などが残っていたのか、時間は掛かったが比較的すんなり復元された。駿府城は大御所として家康が住んだ城で、外堀の大半と中堀が現存しているが、昔は建物が全然無く、やはりちょっと物足りない状態だった。江戸時代に既に無かった天守閣をむりやり造るのには賛成しかねるが、資料がある建物を少しずつ復元、整備していくのは良い。20年前までは無かったこの建物も、いつのまにか市のシンボルのようになっている。


 静岡県庁本館

 左の方の赤瓦の部分が正面中央の塔屋。正面から見るといわゆる帝冠式で立派だけれど、上から見るとやや殺風景。環境に配慮して芝生緑化したり、太陽電池パネル並べたりしてるが、屋上というものは雑然としていることがやはり多い。


 静岡大成中学・高校 2004年竣工 設計 長谷川逸子

 昔は精華高校という女子校だった。学校法人名は今も静岡精華学園だが、中学・高校の名前は男女共学化と校舎新築に際して静岡大成に改称されている。幹線道路には面していない建物だが、高いところから眺めると奇妙な外観が目をひく。

 谷津山(右)と愛宕山(左端)の間の鞍部には、草薙、清水方面のビルが見えている。左は静岡銀行の本部ビル。右と奥のマンションはどこのものかよくわからない。奥に白く微かに見えるクレーンは清水港のガントリークレーン。県庁からでも清水港の港湾施設が見えるのにはちょっと驚いた。

 谷津山(標高100m)の頂上の2つの鉄塔は、NHK静岡(JOPK)の旧ラジオ送信塔。1931(昭和6)完成で、設計は塔博士、内藤多仲。
 東京の愛宕山の頂上でラジオ放送が開始された時の塔と似たタイプの送信塔で、二本の鉄塔の間に丁字型にケーブルを張っている。初期のラジオ送信塔の遺構としてかなり貴重なものだが、文化財指定などはされていない。現在は東海大学が所有管理している模様。
 その右側の塔は、東静岡のJR操車場跡地に造られたNTT DOCOMOの塔。18階建てのビル(高さ82.7m)の上に塔が建っており、総高約160m。ビルは谷津山の向こう側の低地に建っているが、手前の谷津山の標高が低いので、山の向こう側に見えてしまっている。

静岡の街並み
#眺望  #古い建物 静岡県  #新しい建物 静岡県 
#山  #塔  #官公庁  #学校  #城・宮殿 
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中央区立京橋小学校(旧東京市京橋尋常小学校)

2020-12-07 | 中央区  
中央区立京橋小学校(旧東京市京橋尋常小学校)
所在地:中央区 銀座1-25
構造・階数:RC・3F
建設年:1929(昭和4)
解体年:1995〜97(平成7〜9)頃
Photo 1995.6.20

 関東大震災後に鉄筋コンクリートで造られた震災復興小学校のひとつ。校舎はコの字型の平面で南側に校庭があり、その南側隣接地には復興小公園として京橋公園も併設されていた。写真は北側角、信号のある交差点側からのもの。一面にツタが這っていたのが印象的だった。

 詳細部分まではしっかり見ていなかったのだが、下記サイトの写真などを見ると、装飾的だったわけではないようだ。コーナー部分はRをつけられているが、窓などはシンプルな長方形でモダニズムといっても差し支えないものだった。

 少子化もあり、1992年に築地小と合併して京橋築地小になって、学校の場所は旧築地小に移った。校舎の方は数年後に解体され、跡地には京橋プラザが建てられた(1999年6月竣工)。下町地域には多くの震災復興小学校建築があったが、建設から70年ほどが経ち、廃校などもあって大半が解体されたり建て替えられたりしている。

京橋小学校/銀座1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
廃景録京橋小学校
5:震災と復興 ~ 銀座・京橋 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産

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#失われた建物 中央区  #近代建築  #学校 
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研数学館

2020-03-12 | 千代田区 
研数学館
所在地:千代田区 西神田2-8
構造 :RC
階数 :本館4F+B1F、別館4F+RF
建築年:1929(昭和4)
解体年:別館 2016(平成28)、本館 2018(平成30)
Photo 1988.11.1

 研数学館は大学受験予備校として知られた学校。老舗なので年配の人の多くが知っているし、通っていたという人にもしばしば会う。ただ、私が受験をした1980年代後半は、代ゼミ、駿台、河合が3大予備校になってしまっていて、やや影が薄くなっていたかもしれない。

 上写真はまだ予備校として使われていた頃のもの。塔屋の上に広告看板が付いていたのに、そこを画角に入れ損ねたのは失敗。下記、「研数学館/西神田2丁目 - ぼくの近代建築コレクション」でも、この看板は一部が写るのみ。

 全体はスクラッチタイル張り。左側、コーナー部に入口があるのが別館、右側の白山通りに面して入口があったのが本館。別館の塔屋には時計が掲げられていたのだろうが、私が接した頃には既にそれはなかった。

 その後、2000年3月に予備校としての活動を終了。しかし研数学館自体は、理学研究者の支援をする財団法人として存続しているそうだ。


 Photo 2002.4.13

 予備校ではなくなったので、建物も無くなってしまうのかと思ったが、その後、校舎の一部を他の大学や学校に貸すようになって意外に長く建物は存続した。写真は大正大学になっていた時代のもの。

 塔屋のある別館は外壁が改修され、どうもタイル張りではなくなりペイント仕上げに替えられていたようだ。塔屋の上の広告も撤去されて、その点は建設当初の姿に近くなっていた。


 Photo 2005.3.25

 本館、白山通り側の入口。こちらの外壁はスクラッチタイル張りのままで、玄関まわりにはテラコッタの装飾もあった。奥の扁額は1941(昭和16)に理数系の旧制専門学校である「研数専門学校」となった際のものだったのだろうか。


 白山通り北側から Photo 2008.4.21

 研数学館の南側は2000年代になってもなぜか2、3階建ての建物が多く、4階建てで塔屋のある研数学館の建物はこの時代になっても意外に存在感を見せていた。


 Photo 2008.4.21

 2008年に訪れた時は別館コーナー部の1、2階は居酒屋チェーン店になっていた。入口上部には大きな電飾看板が設置され、外壁も山吹色に塗り直されていた。学校・財団があるビルに居酒屋が入居したのはちょっと意外だった。


 白山通り側ファサード Photo 2008.4.21

 別館は2016(平成28)に先に解体されて、プレハブのコンビニなどになった。そして本館も2018年4月から解体。こちらは現在コインパーキングになっている。昭和初期の存在感のあるデザインの建物だっただけに、街の変化のなかで解体に至ったのは残念。

研数学館 - Wikipedia
研数学館/西神田2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 千代田区  #学校  #近代建築 
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正則学園

2019-10-20 | 千代田区 
正則学園
所在地:千代田区神田錦町 3-1
構造・階数:RC・4F(屋上に増築)
建設年:1933(昭和8)
備考 :2003〜改築、2005.4・新校舎完成
Photo 1998.10.31

 正直言って、それほど美しい近代建築というわけではない。失礼な言い方であることを承知の上で言うなら、増改築を経て、薄汚い建物になっていたというのがおおかたの感想ではないだろうか。一応、日本近代建築総覧にも載っているので、戦前のモダニズム建築なのかもしれない。もしくは、どこかのディテールに美しいステンドグラスなどがあったのかもしれない(このモダニズムな外観から考えると、その可能性は低いが・・。)。モダニズム建築はあまりにも見慣れてしまったが故に、残念ながらあまり大切にされていないような気がする。
 2005年に通りかかったら、新しいきれいな校舎に建て替わっていました。(正確には改築らしい。)

 ちなみに奥に見えるのは錦城学園高等学校で、これも1935(昭和10)竣工だそうだ。

Wikipedia > 正則学園高等学校
ぼくの近代建築コレクション正則学園、錦城学園

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #古い建物 千代田区  #学校  #モダニズム 
2007.2.25
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文京区立窪町小学校

2019-04-22 | 文京区  
文京区立窪町小学校
所在地:文京区大塚3-2
建設年:1926(大正15)
構造・階数:RC・3F
設計 :中村與資平
2006(平成18)に解体・建て替え
Photo 2000.6.3

 大塚のこの小学校も、いわゆる震災復興小学校のひとつ。屋上の装飾が目立つが、基本的にモダニズムに近い感じ。春日通りに面して建つコの字型をした平面型の建物だった。数年前から敷地北側のスペースに新校舎が建設され、2007年春に工事完了した模様。


 Photo 2006.3.24

 2006年春の時点では旧校舎がまだ残っていたが、その後取り壊されたらしい。写真の時点で既に後方に新校舎が建設されていたようだが、全然気が付かなかった。


 Photo 2006.3.24

 中央上部の学校名レリーフ。戦前のものらしく、右から書いてある。壁面が少し桃色がかった建物だった。

関連・参考サイト記事:ぼくの近代建築コレクション窪町小学校

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区 #近代建築 #学校 #中村與資平
2007.2.26
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旧台東区立福井中学校(旧東京市福井尋常小学校)

2018-09-17 | 台東区  
旧台東区立福井中学校(旧東京市福井尋常小学校)
所在地:台東区 浅草橋1-22
建築年:1929(昭和4)
構造/階数:RC/3F
備考 :2010(平成22)解体
Photo 2001.5.9

 旧台東区立福井中学校の建物は、当初は東京市福井尋常小学校として建てられたもの。戦後、中学校として使われることになったそうだ。

 その台東区立福井中学校は1991(平成3)年4月に蔵前中学校と統合されて、蔵前中学校の場所で区立浅草中学校になった。このため福井中学校の旧校舎は、その後しばらくは民間の学校などに短期貸付されるという暫定利用が行われていた。写真の2001年時点では聖進学院という学校に貸し出されていたようだ。

 写真では部分的に4F建てになっているが、当初の校舎は3Fで、後年増築されたものだという。窓と窓の間隔がやや大きく、間に太い柱があるというよりも、壁と窓が交互に並んだような外観に見える。各窓はやや縦長だが、窓台と各階の庇が横に連続していて、水平線も強調されている。装飾的なものはほぼ無く、モダニズム的な考え方で造られた学校建築だった。

 この後、2010年に旧校舎は解体され、現在は跡地に、ヒューリック浅草橋ビル(12F・B2F)というオフィスビルが建っている。

東京都台東区立旧福井中学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
台東区立福井中学校/浅草橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 台東区  #近代建築  #学校  #モダニズム 
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中央区立明石小学校

2015-01-19 | 中央区  
中央区立明石小学校
所在地:中央区明石町1
竣工年:1926(大正15)
構造・階数:RC・3F
2010年解体・建て替え
Photo 2006.4.7 以下全て同じ

 全体としては南側が開いたコの字型で、玄関左側の階段室より南側は2階建てだった。

 北東側から。曲面を画いて張り出す軒先が印象的。

 玄関部分はアーチ型。半円形の付け柱の間に長方形の窓が並ぶ。

 東側の長いファサードの中で、階段室の塔屋はシンボルになっている。アーチ状になった壁面と窓が柔らかい感じでよい。

 曲面を多用したファサード。門柱の上端も丸くなっている。華やかな装飾があるわけではないが、デザイン的にいろいろ工夫されていたことが分かる。

 玄関上部のステンドグラスと校章。梁の角も丸く収められて柔らかな感じ。

 外周の塀越しにしか見たことがなかったが、敷地南西側にあった講堂も、校舎と同じく軒先や角が丸く収められ、アーチ型の窓だったようだ。

 明正小学校や中央小学校と同様、明石小学校も保存が要望されていたが、耐震性、老朽化、複合施設化の必要性などが言われ、中央区は解体・建て替えに踏み切った。2013年に幼稚園と一体的にされた新校舎が完成している。

関根要太郎研究室@はこだて東京都中央区立明石小学校(大正モダン建築探訪)

中央区立明石小学校

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#失われた建物 中央区  #近代建築  #学校 
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中央区立明正小学校

2015-01-18 | 中央区  
中央区立明正小学校
所在地:中央区新川2-13
建設年:1927(昭和2)
構造・階数:RC・3F
備考 :2012年解体・建て替え
Photo 2001.6.17

 いわゆる震災復興小学校と呼ばれる、関東大震災後〜昭和初期に建てられたRCの校舎。コの字型をしておりコーナー部が丸くなっている。また縦長の窓と横の帯が特徴。様式についてはあまり詳しくないが、流れるような曲面や横帯、楕円形の窓などは「表現派」と呼ばれるスタイルだという。

 写真右手方向のカットもあるのだが、パノラマ状につながるようには撮っていなかった。パノラマ撮影しておけばよかったなとつくづく思う。

Google Map上の航空写真

 北東側の越前堀公園は1930(昭和5)年に開設された震災復興小公園で、震災復興小学校である明正小学校とセットで造られたもの。

 中央区内にはいくつかの震災復興小学校があり、明正小学校も貴重な近代建築であるとして日本建築学会などから保存要望が出されていたが、解体・建て替えの方針は変わらず、2012年に解体された。そして2014年に新校舎、明正小学校等複合施設がRC造、6F・地下1Fで竣工した。

関根要太郎研究室@はこだて東京都中央区立明正小学校(昭和モダン建築探訪)

中央区立明正小学校

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千住汐入、隅田川近辺

2014-08-14 | 荒川区  
左:荒川区立汐入東小学校・汐入こども園
所在地:荒川区南千住8-9   Google Map
竣工年:2010(平成22)
Photo 2014.5.20

 1Fは汐入こども園、2〜5Fが教室など。6Fが体育館、7Fはプール。最近の都市型校舎はスゴイ。

水神大橋
所在地:荒川区南千住8丁目から   Google Map
架橋年:1989(平成元)
Photo 2014.5.20

 隅田川に架かる橋の中では比較的新しいもの。

 橋の奥は墨田区側の都営白鬚東アパート。1km以上にわたって壁のようにそびえる、防災アパートだ。

伊沢造船所
所在地:足立区千住曙町38   Google Map
Photo 2014.5.20

 隅田川沿いに残る唯一の造船所なんだとか。

 右側の旧綾瀬川は、水門を介して荒川とつながっている。 川の上には首都高速6号が架かる。

#新しい建物 荒川区  #学校  #海・川・池  #橋 
#公営・公団・公社・公立住宅  #眺望 
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