荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

有名人のお墓をハシゴする

2015年10月16日 | 散文
「おばあちゃんの原宿」と言われている巣鴨地蔵通り商店街の近くに、



染井霊園があります。



先ずは、岡倉天心のお墓を訪ねました。



墓地の画内には2基の石碑がありますが、芸術家らしい佇まいではありません。

案内板が無ければそれと分かりません。

続いて、高村光雲のお墓です。



高村家のお墓ですから、高村光太郎も眠っています。



二葉亭四迷のお墓もありました。



彼の本名は長谷川辰之助なのですね。



染井霊園の隣りにある慈眼寺に移動します。



ここには芥川龍之介のお墓があります。



隣りに芥川家のお墓があります。

比呂志、也寸志はここに居ます。

この墓地には司馬江漢のお墓もあります。



隣りの本妙寺に移動します。
先ずは、本因坊歴代のお墓にお参りします。



この区画内に、ずらりと歴代のお墓が並んでいます。



続いて、千葉周作のお墓です。



坂本竜馬はこの人の弟に学びました。



最後に、遠山金四郎のお墓を訪ねました。
夫婦で眠っています。
墓標を読むと、遠山家六代目の当主で、従五位下に叙されていたのですね。


今日の散策は「これにて一件落着!」です。






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向島百花園

2015年10月15日 | 散文
時々、ここ向島百花園へ行きます。



ここには名前のとおり百花以上の植物があって、季節ごとの風情と、四季折々の花を楽しめます。



園内は秋の風情です。



この時期のここの名物、萩のトンネルです。



花を撮ろうと思ったのですが、ガラケーでは無理です。

花を眺めながら、撮ることを諦めて、風景を撮ることにします(せっかくのチャンスを勿体無い)。

秋の七草コーナーがあって、高級カメラを持って人が沢山撮っていました。



散策路を歩きます。



街中とは思えない流水の庭がありますが、


向こうにはビルが見えます。



夜には灯が入って、虫聞きの会などが開催されています。



ススキの向こうのスカイツリー。



流水の向こうのスカイツリー。



そんな事をしていたら、ガラケーにとんぼが留まりました。
そっと指を持っていくと、指先に移動しました。



とても人懐っこい(?)とんぼで、色々な方向に振っても離れません。



暫くとんぼと遊びました。

こんな秋の風情です。


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相撲部屋を訪ねて-最終回(田子ノ浦部屋・荒汐部屋・伊勢ヶ濱部屋)

2015年10月14日 | 散文
「田子ノ浦部屋」
師匠は元前頭八枚目の隆の鶴です。
大関稀勢の里と前頭三枚目の高安が居る部屋です。
新築して引っ越したばかりの立派な部屋です。
まだ工事をしていました。

新しい看板が光っています。

稀勢の里はいくら応援しても横綱になりません。
白鵬と日馬富士が休場した9月場所が最大のチャンスだったのに・・・。
某プロ野球団と一緒で、「ここぞ!」と言う時の勝負に、必ず負けます。

稀勢の里が優勝すれば、新築祝いとダブルでお祝いできたのにねえ。

この部屋は、両国近くの元三保ヶ関部屋を暫く借りていました。

前述の中村部屋のように、元三保ヶ関部屋も、誰かによって復活するのでしょうか?
その「縁」を見たいものです。

元田子ノ浦部屋は、自宅に一番近かった部屋で、無敵のアマ横綱故久島海が師匠だった部屋です。

そんな縁もあって稀勢の里共々引き続き応援するけど、東小岩はちょっと遠いなあ。

「荒汐部屋」
元小結大豊が師匠で、部屋付き親方は居ません。
前頭の蒼国来は、数年前の八百長事件で、一度解雇されました。
場所中の国技館前で、復帰運動のチラシを貰った事があります。

己の身の潔白を証明し、この部屋唯一の関取として、頑張っています。

この部屋は唯一、中央区日本橋浜町にあります。

近くの隅田川を渡ると両国はすぐですが、中央区ともなると地価が高いです。
そのせいで、誰も中央区に部屋を開かないのだと思います。

部屋の前の道路をまっすぐ進むと、清正公寺の正面に行き当たります。



それだけでなく、近くに浜町公園があり、



明治座があって、



水天宮(本殿改修の為ここに仮宮)もあって、



更にこんな老舗があって、さすが浜町!
住環境としては申し分ありません。

みんなもっと頑張れ!

「伊勢ヶ濱部屋」
我が家の最寄りの部屋で期待の部屋です。
師匠は63代横綱旭富士です。
部屋付き親方には、元小結黒瀬川が居ます。

部屋の頭文字「富士」の字が付く力士が多いです。
関取は、横綱日馬富士、大関照ノ富士、前頭に宝富士、安美錦、誉富士と5人も居ます。

先場所照ノ富士は、12勝3敗の同点でしたが、この成績では来場所の横綱推挙の対象としないと、北の湖理事長達が言っていました。
焦ることはありません。
幕内に4人も同部屋力士が居て彼らと戦わない、彼らがライバルを倒してくれる有利さがあり、何より照ノ富士の体格を含めた器は横綱のそれです。
遠からず横綱になれるので、先場所の怪我を完治する事です。

看板下の「蝸牛」のように慌てることなく、確実に歩を進めて貰いたい。

この部屋は稽古量が多い事で有名です。
駐車場奥の狭い通路で、「ゼーゼー」言いながら座り込んでいる、稽古後の力士をよく見ます。

幕下以下の力士が20人以上居ます。
まだまだ有力力士が出て来ると思います。

<終わりに>
長い間お付き合い下さいましてありがとうございました。
10年くらい前に相撲部屋巡りをして以来の訪問でした。
最近は、多くの部屋が千葉や茨城に居を構えていて、簡単に訪問できません。
自転車で通える範囲の訪問でしたが、けっこう楽しかったです。

また、様子が変わる10年後くらいに訪問したいと思います。
・・・その頃自転車に乗れるかな?


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相撲部屋を訪ねて-5(木瀬部屋・藤島部屋・武蔵川部屋・鏡山部屋)

2015年10月13日 | 散文
「木瀬部屋」
師匠は元前頭筆頭肥後ノ海です。
彼は、暴力団升席招待事件によって、謹慎処分を受けた後復帰しました。
師匠の謹慎の間は、北の湖部屋が力士を預かりました。

関取に前頭の徳勝龍、臥牙丸、英の海が、十両には常幸龍、徳真鵬、明瀬山、希善龍が居ます。

ガラスに光が反射して良く見えないので彼に再登場してもらいます。

幕下以下には、彼南海力を初め、30人程の力士が居る大所帯です。
将来に期待できる部屋です。

「藤島部屋」
私がファンだった、元大関武双山が師匠です。

優勝経験がありましたが、横綱になれませんでした。

理事長を排出した元武蔵川部屋だけあって、部屋付き親方は多士済々です。
武蔵川部屋時代の様子ですが、看板が替っただけです。

元大関出島、元大関雅山、元前頭筆頭武雄山、元前頭三枚目武州山が居ます。
関取は十両の翔天狼のみです。

成る程、先日知らない力士ばかりだったのが納得です。



「武蔵川部屋」
最近部屋を興した67代横綱武蔵丸が師匠です。
彼は武蔵川部屋の力士でした。
彼が部屋名を継承したのですね。
部屋付き親方は元小結垣添です。
力士は三段目以下8人の新興部屋です。
江戸川区へ探しに行きました。
江戸川区の地図は分かり難く散々探してから、思い当って行ってみたら、ありました。



ここは2年ほど前に廃業した相撲部屋でした。



更に時代を遡ると、ここは中村部屋だったのです。
その時随分探した記憶が蘇って、「ひょっとしたら」と思って訪ねたら、ひょっとしました。
こんな事があるんですねえ。

掃除をしていた坊主頭の兄ちゃんは、今何をしているのでしょう?

「鏡山部屋」
横綱柏戸が伊勢ノ海部屋を独立する時に興した部屋です。
現在の師匠は元関脇多賀竜です。
部屋付き親方に起利錦が居ます。

力士は2人しか居ません。

江戸川区文化センター近くの親水公園沿いにあって、住環境の良い所です。

この度、近くに武蔵川部屋が越して来たので、出稽古をして強くなって欲しい。

次回に続きます。

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相撲部屋を訪ねて-4(伊勢ノ海部屋・玉ノ井部屋・千賀ノ浦部屋・浅香山部屋)

2015年10月12日 | 散文
「伊勢ノ海部屋」
師匠は元前頭三枚目北勝鬨です。
部屋付き親方に、元前頭の大碇と元関脇の土佐ノ海が居ます。
写真を撮っていたら、勢関が上半身裸で2階から降りて来て、1階の部屋へ入って行きました。
続いてすぐ、同じ階段を小太りのおばちゃんが下りてきました。

私を見るなり、「2階には勢が住んでいて、4階には錦木が住んでいますよ」と話してくれました。
「えっ、そうなんですか」と私。
続いて話してくれます。
「このマンションの10部屋に力士が住んでいるの」
「1階の土俵の脇の部屋には4人の力士が住んでいるのよ」

話して頂いている間、私は「そうなんですか、なるほど、はあそうですか」
と頷いています。

思い切って訪ねました。
「ところで、貴女はどなたですか?」
「わたしは師匠の奥さんつまり女将さんの母親です」
「以前部屋は江戸川区にあったのだけど、双子ちゃんが生まれてね。親方が現役の時。15年前にね」
「向こうの家が手狭になったものだから、私たちが住んでいたここを建て直して、引っ越して来て、今は一緒に住んでいる訳なの」
「おしゃべりでごめんなさい」
いえいえ、そんな事はありません。

普通逢えない人に逢ってしまいました。
楽しいお話をありがとうございました。

裏口に廻ると、布団を干して、新弟子を募集していました。



「玉ノ井部屋」
元大関栃東が師匠です。
彼が最後の日本人優勝力士だと記憶しています。

彼の父も元大関で、元玉ノ井親方でした。
角界のサラブレッドは3回優勝しています。
平均より小さな体で立派な成績です。
何度か横綱のチャンスがありましたが、叶いませんでした。

関取は十両の東富士だけですが、幕下以下に30人位の力士を擁しています。
期待の持てる部屋です。

相撲部屋には珍しく、足立区にあります。

「千賀ノ浦部屋」
体育館のような外観です。



玄関は和風です。

元関脇舛田山が師匠です。
部屋付き親方に元小結普天王が居ます。
今、関取は居ません。
かつては幕内だった人気力士升ノ山は、現在幕下西六十枚目です。
頑張れ!

「浅香山部屋」
師匠は私が好きだった元大関魁皇です。

5回も優勝した大大関でしたが、とうとう横綱にはなれませんでした。
最近ここ、宮城野部屋近くに部屋を開きました。

幕下魁盛王が部屋頭ですが、これから期待の部屋です。
部屋の斜め前にはお稲荷さんがあります。

魁皇頑張れ!日本人横綱を育ててくれ!




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谷中祭り2015

2015年10月11日 | 散文
今年もやって来ました谷中祭り。
今年はゆるキャラの登場で、一段と盛り上がっています。
腕白小僧風ですが名前は知りません。

私のお目当ては、東京芸術大学生による、弦楽四重奏です。

プログラムには、芸大生の前に、子供たちのダンスがありました。
なかなかの人気演目です。

満席の椅子席の前も、ビデオカメラを持ったジ~ジと子供たちで一杯になります。

特に、先生の演技になるとこの通り、舞台に上らんばかりの盛況です。

偶然とはいえ、ガラケーで、良くこのバトンを投げ上げた瞬間が撮れたものだと自画自賛。

さあ、私のお目当て、弦楽四重奏の始まりです。
舞台の前は、蜘蛛の子を散らすように、人が居なくなりました。

予想どおりの、毎年の光景です。

舞台では、モーッアツトのディベルティメントの演奏中です。

何年も同じことを言っていますが、彼らは卒業即プロになります。
プロの演奏とは、お金を払わないと聴くことができないのです。
お金を払って演奏を聴きに行けない我々にとって、この祭りは得難いチャンスなのです。
私は毎年この演奏を楽しみにこの祭りに来ています。

舞台前はすぐ一人になって、砂遊びを始めました。

向こうでは和服の司会者が聞き惚れて(?)いますが・・・。

例年通り、舞台前を子供が走り始めました。


例年通り舞台に上ろうとする子がいます。

この毎年繰り広げられる状況を考慮してか、去年の芸大生は浴衣を着て、アナと雪の女王のテーマやソーラン節を弾きました。
大衆に迎合したのです。
それでも無駄でした。同じ光景が繰り広げられました。
今年は違います。
プロ予備軍として、再び、正統のクラシック曲を持って来ましたが・・・。

演奏が終了しました。

日本最難関をクリアした学生の演奏でした。
ちょっと気の毒です。
ひょっとしたら、学内で申し送られている、最も遣り難い舞台ではないのでしょうか?
来年も聴きに来ますから、懲りずに遣ってくださいね。


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日本橋の東京オリンピック

2015年10月10日 | 散文
日本橋に数年前に竣工した福徳神社があります。
TVCMに出てたことがあります。

竣工以来、若者が増えた街です。


その隣というか一体化した商業施設に、LEDパネルが設置されました。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを盛り上げようと意図した企画です。

映像と音響で、来るべき一大イベントを盛り上げようとしています。



映像と音響は迫力があります。
まだこの設備の知名度は低い(10月9日放映開始)ですが、現在東京でもオリンピック関係の目立った演出が無いので、今後の盛り上がりが期待できます。

開催地決定の映像です。



ロンドンオリンピック・パラリンピックの映像です。



この他、競技中の映像もいっぱい(写真に撮るにはキリが無いくらい)あります。
一度見に行ってみてはいかがですか?
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同潤会/上野下アパートのその後

2015年10月10日 | 散文
台東区役所近くに上野下アパートがありました。



同潤会最後のアパートでした。
同潤会とは、関東大震災後に住宅を供給すべく発足した組織で、当時としては画期的な鉄筋コンクリート製の建築物に電気、都市ガス、水道、水洗トイレを完備し、その敷地内に浴場や食堂や洗濯室や理髪店や、とにかく生活に必要なものを全部備えた、団地のハシリでした。

このアパートは昭和4年に建てられたものです。

2013年の6月に解体工事中が始まりました。



建築計画によると、再び共同住宅と店舗が建つようです。

今度は地上14階地下1階になって、平成27年8月に完成の予定でした。

解体工事の様子です。
ちょっとグロテスクですが、随分分厚いコンクリート造りです。
ホントに、昭和初期にちゃんとした設計思想に基づいて建てられたアパートだった事が分ります。



2014年の8月、完全に解体されました。
在ったものが無くなった違和感があります。

知らなければ気付きませんが、向こうの景色が見えてしまっている気味の悪さがあります。

大きなクレーンが入って新設工事が始まりました。



2015年3月の様子です。



急ピッチで進められているようです。



ここが正面玄関のようです。
予定通り今年の8月に完成するのでしょか?



今年8月末の様子です。



外装工事は完了のようです。

立派なマンションに変わりました。

正面玄関の作業風景です。
内部工事が完了していないようです。



10月初めの景観です。

植栽も完了しています。

正面玄関に、工事関係者と思われる靴が脱がれています。
最終点検日でしょうか。

完成したのかな?

昭和4年に建てられたアパートが戦争にも耐えて残ったのと同様に、この界隈は古い家が多く残っています。
従って、文化も残っています。
マンションの正面玄関前にある家です。
2軒長屋の好い感じの家です。
左側が何かのお稽古事を教える家で、右側が落語の師匠の家です。

マンションに新しい住人が越して来ても、この街のこの文化を継承して欲しい。

時々見に行きますよ。


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正岡子規の墓を訪ねて

2015年10月09日 | 散文
JR田端駅の近くにある赤紙仁王尊前の道路を西に進みます。



私好みの商店街がありました。
ちょっと田端銀座をひやかします。



八幡坂通りを登って行くと八幡宮が見えます。



その西隣に大龍寺がありました。



門前には「子規居士墓所」の石柱が建っています。



墓地の奥に、西日を受けて子規の墓が佇んでいます。

背後には、この墓地唯一の竹藪が小さく配されています。

右に母八重の、左には正岡家累世の墓があります。
おそらく妹律は左の墓に眠っているのでしょう。
子規はいつまでも、この二人に支えられているのですね。

更に左には石碑があります。

糸瓜と竹に飾られた石碑は、根岸の子規庵のようです。
石碑には有名な文章が書かれています。

「正岡常規又ノ名ハ虎之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹ノ里人伊予松山ニ生レ東京根岸ニ住ス父隼太郎松山藩御馬廻加番タリ卒ス母大原氏ニ養ハル日本新聞社員タリ明治三十□年□月□日没ス享年三十□月給四十円」

新しい卒塔婆がありました。

先月の命日供養のものでしょうか。

少し暑く感じる西日に背中を照らされて、誰も訪れないのを幸い、墓前に暫くしゃがみ込んでいました。



同じ墓地に、人間国宝の陶芸家板谷波山のお墓がありました。

光溢れる初秋の午後の情景です。






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江東二十八湯の衰退

2015年10月08日 | 散文
1年くらい前に江東二十八湯を探しに行った事がありました。
つまり、江東区の銭湯組合加盟店が28あったのです。

カヌー仲間から「廃業している風呂屋があるよ」と教えられました。
早速確認しに行きました。

「松島泉」
カヌー仲間が教えてくれた店です。
もう更地になっていました。



工事業者らしき人が図面を広げて打ち合わせをしていました。

マンションが建つのでしょうか?
この近辺は、更地になると、マンションが建ちます。

在りし日の姿です。
大きな煙突が印象的でした。

手前のマンションが工事中でした。

コインランドリーの奥に銭湯の入り口がありました。



「桜湯」
先日、偶然見つけました。

解体工事の真最中です。

マンション全体を解体するのでなく、1階部分を改造するのだと思います。



在りし日の姿です。
有名な「砂町銀座」にあって、混雑する商店街に面した所にある事自体驚いたものです。

内風呂が無い住宅が減って行くので覚悟はできていましたが、あれからまだ1年未満です。
廃業のペースが速くないでしょうか?
銭湯は下町の文化だと思っています。
残って欲しい文化です。

この様子だと、他の26湯の確認に行った方が良さそうです。
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紙うさぎロペの店

2015年10月07日 | 散文
今日、自転車で走っていてこんなの見つけました。

先ずは巣鴨の教会です。



こう並べると、違和感たっぷりです。



南大久保の路地にある雑貨屋さんです。



正面から見ると、「めざましTV」の「紙うさぎロペ」に出て来そうな店です。

あまりにもハマリ過ぎて感動しました。
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本郷/菊水湯の消滅

2015年10月07日 | 散文
本郷4丁目界隈は古い建築物が残されている街です。

そこに鐙坂があります。
「本郷台地から菊坂の狭い谷に向かって下り、先端が右に緩く曲がっている坂です。
名前の由来は『鐙の製作者が住んでいたから』(江戸史)とか、その形が『鐙に似ている』ということから名付けられた(改撰江戸史)などといわれています。(案内板より)」

下から覗き上げた様子です。

その鐙坂を下りきった所から、「菊水湯」の煙突が見えます。



北側の路地から本郷4丁目を入って行っても煙突が見えます。



菊坂の石段を降りて行っても、




坂の途中から煙突が見えます。



自動車の通行もままならない菊坂の底に、「菊水湯」がありました。



この銭湯が、9月末日で営業を止めました。



入口に向かって右側に「建築計画のお知らせ」看板が出ていました。

「文京区本郷4丁目ヘーベルメゾン(仮)新築工事」と書かれています。

「アパート併用住宅」が建てられるようです。



マンションでなくてアパートのようです。

この街に似合うように思います。

すぐ近くに、樋口一葉が暮らした一角があります。



一葉が使った井戸が現在も使われています。



古いものが無くなっていく中で、この場所は残さなければなりません。

改めてそう思いました。


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ノーベル賞受賞翌日の都立墨田工業高校

2015年10月06日 | 散文

大村特別栄誉教授がノーベル賞を受賞しました。
その研究内容は兎も角(大変失礼に聞こえるかもしれませんが、それを語る知識がありませんし、立派な業績に決まっています)、経歴に注目しました。
大学卒業後、定時制高校の教諭をしていたとか。

また、就職後学んだ大学院は修士課程までで、博士課程は修了していないのですね。
その学者然、エリート然としていないところが好いです。
この様な経歴の人が活躍できる環境も好いです。

さて、ノーベル賞受賞者が教諭をしていた都立墨田工業高校は、墨田区に近い江東区にあります。

向かいに銭湯がある下町の学校です。



創立1900年の伝統校で、現在も定時制があります。

19世紀の設立です!

日本がロシアとの戦争(日露戦争:1904年)やむなしの国際情勢のさなかに、工業力増大の為の技術者育成を目的として、設立されたのでしょう。

115年の歴史があります。

地価が高い都内にあるにしては、随分広い敷地のようです。

和暦で言えば明治23年の創立ですからこの辺りの地価はまだ安かっただろうし、何より近代化の推進及び戦争遂行に必要な技術者育成の大目的があったので、このような広大な敷地が確保できたのでしょう。

校舎がずっと向こうまで続いています。

日露戦争から日中戦争・太平洋戦争を経て高度経済成長期に至り、そして現在にかけて、多くの技術者を送り出してきたのでしょう。
大工場だけでなく、町の工場に就職した人も多く居たでしょう。
彼ら今の小父さん達が日本を支えて来ました。

グランドも広く取ってあります。
田舎の高校と比べても広いと思います。

この様に伝統と教育環境に恵まれた都立墨田工業高校ですが、近年、実業高校の志願者が減っています。
大村特別栄誉教授の今回の受賞を機に、志願者が増えるでしょうか?

校舎を撮っていると、やっぱり居ました。
マスコミ(多分)の撮影者と、それを撮っている小父さん。

下町の小父さん好い!

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ゴンドラ招待席へ行く

2015年10月05日 | 散文
クラブの会員サービスに応募したら、G-1「スプリンターズスークス」の日のゴンドラ招待席に当選しました。
朝から競馬場に向かいます。



船橋法典駅から、地下道を約1km歩きます。

ゴンドラ席の入り口は、駅から遠い、第4コーナー近くにあります。

時間の余裕があるので、いつもレースを観ている場所に行ってみます。

見上げた一番上の階が今日の席です。

ゴンドラ席へ上がるエレベーターはずっと奥です。



左の受付で、予め与えられた番号と名前を報告します。

ドレスコードがあって、ジャケット、ネクタイ必着の席です。

席はこの奥のようです。

1階広場とは全然環境が違います。

まだ閑散としていますが、やっぱりゴール前には人が集まっています。



広くて気持ち良いです。



レースの距離によっては、目の前からスタートします。

芝外回り1600mのスタート前の様子です。

芝コースの直線ゴール前風景です。

馬券を持っている馬が上位に居ると、やっぱり声が出ます。

さて、いよいよメインレースです。
G-1スプリンタースステークスです。
誘導場が勢揃いで挨拶しています。

誘導場は現役を引退した白い馬(葦毛)が多く採用されます。
懐かしい名前に出逢えます。

ゴンドラ席のベランダから覗き下ろしたゴール前風景です。

いつの間にか大勢の人です。
やっぱり、G-1レースです。

・・・で、優勝馬が、WIN5の結果と共に、ターフビジョンに映し出されています。



表彰式風景です。
レース前の様子と比べて、随分人だかりが違います。

レース後、あっと言う間に閑散としました。
女優さんがプレゼンテーターに来ているのですが・・・。

最終レースまで観る人は少数派です。
メインレースが終わると、多くの人は、サッサと帰ります。

このレースが終わると、年末まで、ここ中山でレースは開催されません。

最終レースを観終わって駅に向かう人達です。

少数派とはいえ、こんなに多くの人で大混雑です。
まともに歩けません。

年末にここ中山で開催される有馬記念の優勝馬オルフェーブルに送られて帰ります。

馬券の成績?
訊かないで下さい。チョッピリ後悔しながら歩いています。









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優勝翌日の神宮球場

2015年10月05日 | 散文
ヤクルトスワローズが優勝を決めた翌日、神宮球場へ行きました。



球場内では、東京六大学野球が華やかに行われています。
OB、OGも一緒になって楽しんでいます。



私も一日楽しみました。



ヤクルト優勝の余韻は微塵もありません。
来る途中、霊柩車と出逢いました。
時は停滞しません。
優勝しようが、人が亡くなろうが、淡々とスケジュールをこなして流れて行きます。

楽しんだ後、ちょっと無常観、無情感。
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