荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「北の湖」の継承

2015年11月25日 | 散文
師匠の逝去があって、九州場所が終わり、北の湖部屋が慌ただしいです。
この部屋の行く末が気になります。
勤めの関係で、この部屋とよく懇親会をしました。
力士は一門の部屋に移籍するのでしょうか?
部屋はどうなるのでしょうか?

「北の湖」は一代年寄ですから、この部屋の名前を継承できません。

貴乃花も一代年寄となっていますが、千代の富士は一代年寄の提案を蹴って「九重部屋」を継承しました。

「千代の富士を名乗ってしまうと、二代目千代の富士の名を弟子に与えられない」との思いからだと聞いています。

初代一代年寄大鵬の場合は、大嶽部屋に「大鵬道場」の看板を掲げています。

ここは大鵬さんが、元大鵬部屋だった自宅を建て直して、大嶽部屋を造ったものです。

時津風部屋には「双葉山相撲道場」の看板が掲げられています。

この場所に部屋を持った経緯は分かりません。

北の湖部屋の場合も、例えば山響親方(元幕内巌雄)が師匠になって、「北の湖相撲道場」の看板を掲げて、「北の湖」の名を継承してほしいと思っています。


北の湖部屋から300mくらいの所にある、ここ錣山部屋に変化が起こっています。


「豊真将改メ立田川」のサインがありました。
来年1月に襲名披露です。

伝統を継承するとともに、変化がなければ発展はありません。
新しい親方に期待します。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 都電荒川線/三ノ輪駅の秋薔薇 | トップ | 戸越銀座から武蔵小山商店街へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

散文」カテゴリの最新記事