荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

大使館を訪ねてー23(ペルー、クロアチア、タジキスタン)

2016年06月28日 | 散文
「ペルー大使館」
チェコ大使館のすぐ近くにあります。

近代的でシンプルで美しい建物です。
機能的な事務所であろうと想像できます。

南アメリカ西部に位置する共和制国家です。
北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面しており、首都はリマです。
紀元前から多くの古代文明が栄えており、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国(タワンティン・スウユ)の中心地でした。

その後スペインに征服された植民地時代にペルー副王領の中心地となり、独立後は大統領制の共和国となっています。
一時期日系人のフジモリ氏が大統領を務めた国です。
ウィキペディアより。

今日は休日なので玄関が閉まっています。

マチュピチュがあって、インカの都クスコがあって、大アマゾンの源流地です。
一度訪問したい国です。


「クロアチア共和国大使館」
広尾3丁目の街中に居ます。
マンションと見紛う大使館です。
東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家です。
本土では西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアと国境を接しています。
南はアドリア海に面し、飛び地のドゥブロヴニクでは東にモンテネグロと接しており、首都はザグレブです。
1991年に、それまで連邦を構成していたユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立しました。

余談:ザグレブという名の欧州の名馬がいました。

欧州の話です。
国旗と並んでEU旗が掲げられています。
EU加盟国は全てこのように併揚しています。
クロアチアの欧州連合(以下EUとする)加盟交渉は、2005年中にスケジュールが組み立てられ、2008年1月に発足したサナデル内閣は2010年のEU加入を目標としました。
ただし、クロアチアの加盟交渉の開始に当たってはオランダのハーグに設置されている旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷から訴追されているクロアチア軍退役将軍アンテ・ゴトヴィナの同法廷への引渡しが条件となっていたのです。

これに対してはクロアチア国内の民族派からの抵抗が大きく当初2005年3月に予定されていた加盟交渉の開始は、この条件が満たされないことを理由に見送られることになりました。
同年10月3日から行われたEU緊急外相会議において、トルコ及びクロアチアに対する参加交渉の開始をめぐる議論が行われ、翌4日にクロアチアに対しての加盟交渉の開始が決定されました。

当初クロアチアの加盟交渉開始の障害となっていたアンテ・ゴトヴィナは同年12月初頭にスペインのカナリア諸島で身柄を拘束され、ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に移送されました。
欧州委員会はクロアチアとの加盟交渉を終了し、同国のEU加盟を加盟27カ国に提案する方針を2011年6月に固めました。

2012年1月22日の国民投票で3分の2の賛成を得、議会によるEU加盟条約の批准を経て、2013年7月1日にクロアチアは正式にEUに加盟しました。
28番目のEU加盟国であり、旧ユーゴスラビア構成国家での中ではスロヴェニアに続く2例目となります。
ウィキペディアより。

つまりEU最後の加盟国です。
こんなに苦労して加盟したのにイギリスが離脱を選択してしまった訳です。
今後の展開に注目です。


「タジキスタン共和国大使館」
クロアチア大使館の近くにあります。
国旗が無ければ民家と変わりません。


大使館の規模はその国の国家財源と関連しています。
分譲住宅を買ったのかもしれません。
玄関先の様子です。

中央アジアに位置する共和制国家です。
首都はドゥシャンベ。旧ソビエト連邦から独立しました。
南にアフガニスタン、東に中華人民共和国、北にキルギス、西にウズベキスタンと国境を接しています。
国の周囲は全て陸地です。海を持っていません。

国土のほとんどは山岳地帯で、国土の半数が標高3000m以上であり、中国との国境に至る東部は7000m級に達するパミール高原の一部です。
首都のドゥシャンベの標高は700~800mほどとそれほど高くなく、北西部のフェルガナ盆地は標高300~500m前後と最も低くなっており、ウズベキスタン、キルギスと入り組んで国境を接しています。

主要河川は、アムダリヤ川、ヴァフシュ川、パンジ川、バルタン川(英語版)、ザラフシャン川(旧ソグド川)です。

主な民族はタジク人、ウズベク人、ロシア人などです。
タジク人の話すタジク語はペルシア語に近く、方言の一種とされています。
民族的にはイラン人に近いと考えられますが、タジク人を含めたタジキスタンのムスリム(イスラム教徒)の間ではスンナ派が多数を占め、イラン・イスラーム共和国の国教と同じシーア派の十二イマーム派の信徒は殆どいません。

むしろ、東部のパミール高原ではシーア派のイスマーイール派の信徒が大部分を占め、パキスタン北部と同様に寛容と自由に溢れるイスラム文化を築いているそうです。

タジキスタンの文化は、ウズベキスタンの文化と同根です。
しかし、ソビエト時代の共産政権下においては、地域の文化組織は崩壊し、ウズベキスタンの文化とは分断されました。

しかし、このことは全て悪い結果をもたらした訳ではなく、ソビエト時代には、タジキスタンは劇場と有名な小説家を輩出することにより知られていました。
これらタジク知識人士は、タジク語とアラビア語・ペルシャ語との関連性を調節し、タジク語をより洗練されたものにしました。
ウィキペディアより。

こうして玄関だけを見ると、全く民家です。



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