荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

江東二十八湯-Ⅱ

2014年11月24日 | 散文
先週に続き江東区銭湯巡りです。

<6.大島7丁目「竹の湯」>

立派な煙突が立ったオーソドックスな銭湯である。

斜め前に治兵衛稲荷があって、下町の風情がある商店街だ。

近くの砂町銀座に客を取られているのか、人通りが少ない。


<7.北砂4丁目「桜湯」>
八百屋にくっ付いたマンションの1階にあった。

こんな商店街に銭湯があるのが凄い!

銭湯の前の通りは有名な「砂町銀座」で今日も沢山の人で賑わっている。



<8.北砂4丁目「亀の湯」>
ここは随分探した。
清洲橋通り沿いにありながら、ビルの谷間に埋もれていた。

銭湯は新規客が殆んど無い商売だから、人目について分かり易い場所に構える必要がないんだろうけど・・・。

砂町中央公園脇、亀の湯の一軒隣に小さな交番があった。
暇そうだった。

交番は暇が良い。
平和のありがたさをしみじみと・・・。


<9.南砂4丁目「喜楽湯」>

ここも煙突が無くマンションの一階であるが、元八幡通りにあったのですぐ分かった。

左隣りに曹同宗中央寺がある。



<10.南砂2丁目「松島泉」>

よく見るとコインランドリーの奥に銭湯の入り口がある。

葛西橋通りに立派な煙突がある。
よく走っている道なのに分からなかった。
気にしていないと記憶に残らないものだと、改めて思った。

手前にマンションを建設中。
マンンションが出来たって銭湯の客は増えない。


<11.南砂1丁目「久の湯」>

立派な煙突がある。
この辺りは住宅が密集していないので、煙突を探したらすぐ分かった。

すぐ近くに富賀岡八幡宮があった。
南砂7丁目の分社だと思う。

日光の加減もあって輝いている。
ご利益ありそう。


<12.三好1丁目「辰巳湯」>

ここも煙突が無い。
煙突が無い場合の多くと同じく、マンションの1階にある。

近くに霊厳寺がある。


ここには寛政の改革の推進者松平定信の墓がある。

この辺りは松平家の所領だったこともあってか、近くには、大阪冬の陣の後淀君を説得して大阪城の堀を埋めさせた阿茶の局の墓もある。


<13.牡丹2丁目「第二和泉湯」>

牡丹は小津安二郎の生誕地である。

近くに住吉神社がある。

佃島にも住吉神社があって、徳川家康が江戸幕府を開くにあたって、大阪から連れてきた漁師が大阪の住吉大社を分社して持ってきたものだと聞く。
ここもそうなのだろうか?


<14.枝川1丁目「白山湯」>

ここも煙突が無い。

近隣は運河とマンションと倉庫である。

倉庫で働く人の需要があるのだろうか?

立地的に高層マンションが沢山ある豊洲に近い。
ここが江東区の銭湯分水嶺である。

近くの食堂の幟に出ていた「豊洲丼」って、どんな料理だろう?


<15.東陽1丁目「金春湯」>
この銭湯の玄関を随分探した。

小さな公園との間のホントに小さな路地にあるマンションの1階にあった。
営業していないので暖簾が出ていないこともあって、煙突を見つけても容易にたどり着けなかったと言うか、玄関前を通り過ぎてしまった。

近くに洲崎神社がある。

今日が七五三で、来週は二の酉である(訪問は11/15)。
江戸の年末風物詩が始まると、そろそろ来年の準備が始まる。


<16.東陽1丁目「第一弁天湯」>

上記金春湯と同じ町内にある。

この辺りはかつて「須崎パラダイス」と言う赤線があった場所である。
東日本大震災後、僅かに残っていた娼館全てが解体された。
葛飾北斎が描いた「須崎」の地名も無くなってしまった。
跡地にはマンションが建って、かつての面影が微塵もない住宅街になっている。
そんな歴史を知らない人々が新たな住人となっている。

写真は代表的な娼館「大賀」の在りし日の姿である。
負の歴史を無かったことにするのではなく、石碑くらいは設置して、そこに生きた人々の痕跡を残してもらいたい。


<17.東陽3丁目「ニュー松の湯」>
煙突が無くマンションの1階にあって、暖簾が出ていないので、随分探した。

周辺はマンションを中心とした住宅街である。
需要があるのだろうか?

近所には紹介できるような建物等は無いが、深川八幡祭りの際、富岡八幡を出た神輿がこの東陽3丁目の交差点を大量の水を掛けられながら左折する場所で、祭り見物の有名ポイントである。



<18.住吉2丁目「日の出湯」>
この銭湯も煙突が無い。
四つめ通り沿いにありながら、見つけるのに苦労した。

・・・ここまで多くの煙突の無い銭湯に遭遇したが、どうやってお湯をわかしているのだろう?

近くには伊勢ケ濱部屋がある。
部屋頭は言わずと知れた日馬富士である。

九州場所が終わった。
白鵬が32回目の優勝を達成して大鵬の記録に並んだ。立派である。
日馬富士は怪我の影響もあって、優勝争いできなかった。
元気でも、幕内最軽量は辛い。
格闘技は体重が大きなアドバンテージになる。
玄関脇のカタツムリは、親方が弟子に伝えたい力士の生き様だと思う。

・・・写真をアップするのに疲れました。
続きは次回に・・・。
コメント
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