陽射しが眩しい残暑が続きます。どうせなら、眩しく煌めいている場所へ行こうと思いました。上野東照宮へ行きます。
キラキラです。
駐輪場の看板が有ります。「芭蕉庵史跡跡展望庭園」の入り口脇です。
隅田川の堤防脇に路地が在ります。
ここかな?違うかな?
まだ先にも店が存ります。深川は若者が沢山の店を出して活気があります。
さっきの駐輪場看板はこの店ですね。
猛暑日に、流石に行列は無いけど、混み合っているようです。
おお、満席です。
振り返りつつ先を行きます。
あそこです。右に白い三角屋根が見えます。
この話、続きます。
芭蕉庵史跡展望公園の入り口でたじろいています。暑いよ、やめようよ、と心の悪魔が囁きます。
高札状の説明板を読みます。「江戸幕府の政治形態が変わった時代の道」との内容に、己を励まします。
炎天下の石段を上がります。
すぐに頂上です。奥に「芭蕉像」が見えます。
隅田川の岩壁上です。松尾芭蕉はこんな所に住んでいました。さぞかし水っぽい土地だったと思います。
芭蕉像です。この像、時刻に応じて動きます。私は昼間しか来ないので、いつもこの向きの芭蕉を見ています。
芭蕉と清洲橋です。この風景を「ケルンの眺め」と呼んでいます。ドイツのケルンの風景に似ているらしいです。ドイツと江戸の融合です。
川上は、「新大橋」です。夏の東京の景色です。
日陰が無くて風が無いので、かなり暑いです。退散します。
小名木川の西端に架かる「萬年橋」です。 葛飾北斎は冨嶽三六景で、この橋桁の中に富士山を描きました。
橋を下ったすぐそこに、案内板が有ります。炎天下、「芭蕉庵」へ行こうと思いました。熱中症になり掛かっている私の頭は、「暑いイコール芭蕉」を連想したようです。ついでに、ここに有る史跡全部行ってみます。
思ったとおり暑苦しい佇まいです。
木漏れ日を踏みます。
お参りします。
木陰ですが、全く涼しくありません。狭い神社です。
一応、「お稲荷さん」なので。
周りをビルで囲まれた、小さな地所です。ここで松尾芭蕉が暮らしていました。
この話、続きます。
続々とやって来ます。
帝釈天参道も一杯の観光客です。そして、水辺が恋しい暑さです。やっぱり帝釈天に人が来ないと、渡し場に客は来ません。
竿が折れた後、ここに旗を出すのが「営業中」の印のようです。
最後の客が乗ります。久しぶりに満員です。船頭の声のトーンが高いです。
出航しました。最近んは周囲の草刈りをしないので、舟の様子が見えません。残念です。
あ、下って来ました。
舟を追います。
客も船頭も嬉しい渡し舟です。
お盆といえば盆踊りです。境内で準備が完了していました。台が大きいし、境内が広いし、これは賑やかな盆踊りになりそうですね。
永い間訪問していたのに、永い間「男はつらいよ」を観てきたのに、帝釈天で盆踊りを催行しているのを知りませんでした。映画で取り上げそうなものなのに?
深川資料館通りの西詰です。清澄通りの向こう側の森は、清澄庭園です。
今は色々な店舗が軒を連ねていますが、ちゃんとした都市計画に基づいて建てられています。建物の高さが皆一緒です。
店舗の上の住宅も全て同じ高さです。
整然と並んでいます。誰かが意図して縄張りしないとこうはなりません。
店舗を眺めて歩きます。魚屋です。
米屋です。
居酒屋「しゃけち」です。
見上げる屋根のラインが真っ直ぐです。
鍼灸院と蕎麦屋。
ブティック。
見上げる住居は必ず1階建です。
印章屋。
不動産屋。
呑み屋。
お茶屋。色々な店舗が並んでいます。
見上げる一直線。
振り返ります。
この意図して造った店舗群が好きです。
最終回です。
当時は、夏というと北海道でした。賑わっていました。
知床のみんなと楽しく遊んで暮らす寅次郎です。今日はバーベキューです。「知床旅情」を合唱します。驚いて手を見る寅次郎です。
マドンナは無意識のうちに寅次郎の手を握っています。
マドンナの気持ちに気付く寅次郎です。
好きな人が自分を愛していると知ると、身を引く寅次郎です。急いで旅に出ます。
真夏の柴又です。
マドンナがとら屋を訪ねて来ていました。いつものエンディングです。
旅先の寅次郎です。なんだかスッキリした表情です。
商売に張り切ります。
今回、竹下景子さんは2度目のマドンナ役です。2回とも、寅次郎を好きになります。一緒になりたいと思っています。・・・今回訪問した柴又駅のホームには、1度目の撮影風景の写真が提示されています。
武下景子さんマドンナ1度目の、第32作「口笛を吹く寅次郎」はこちら。
以上で38作の撮影現場探索を終了します。お付き合いいただきましてありがようございました。
前回の続きです。柴又駅の別れのシーンから。
寅次郎はドアが閉まる瞬間満男に、「伯父さんも反省しろよ」と叱られます。生意気で分別盛りです。でも、中学生になった満男は寅次郎の生き方に憧れており、その人間性を尊敬するようになっています。
<現在>もう赤い電車はありません。
<現在>
<現在>
やるせない別れのシーンです。
<現在>
「とらや」のみんなは寅次郎を心配しながら暮.らしています
<現在>
北海道から手紙が届きました。寅次郎は北海道で居候しているのです。そこに、マドンナが帰省しました。
マドンナはアパートの退去で上京します。
マドンナは、楽しく暮らして居る寅次郎からとらやへの土産を託されます。源公にとらやの場所を訊くマドンナです。
<現在>猛暑日の平日は誰も居ません。こんな光景はコロナ禍の時以来です。
<現在>
江戸川の土手にマドンナを送るさくらです。
<現在>背後の説明板と地図から、土手に上がる坂の頂上はこの辺ですが、
土手の整備によって、100mほど左に移動しています。
この話、次回に続きます。
「とらや」に帰った寅次郎です。叔父が入院したとらやの役に立とうと決心する寅次郎です。
<現在>
寅次郎はおいちゃんの代わりを務めようと頑張りますが、やっぱり務まりません。数時間で飽きてしまい、町内の若者を誘って真昼間から呑みに行きます。寅次郎の奢りです。
<現在>
とらやに戻ったら、おばちゃんが、寅次郎の行動に「もう店を閉める」と泣いています。居づらくなった寅次郎は旅に逃げることにしました。
<現在>
満男に、誰にも言わずにトランクをもって来るように言いつけていたのに、さくらにバレます。
<現在>
さくらに叱られます。
電車を待ちます。
<現在>
<現在>
<現在>
この話、例によって続きます。
第38作、昭和62年のお盆映画です。
<現在>矢切の渡しの桟橋がある場所は、手入れをしないので藪の中です。
マドンナは竹下景子さん。第32作「口笛を吹く寅次郎」と今回と、そして41作「寅次郎心の旅路」と3本に出ています。
<現在>対岸が松戸・矢切です。
渡し場から柴又側の土手を上がる寅次郎。特別出演の三船敏郎さんは、マドンナの父親役です。
<現在>正面が渡し場です。変り様に驚きます。撮影後約40年の景色です。
<現在>熱中症でしょうか?座り込んだ小父さんが居ました。暑い探索日でした。
寅次郎が帰って来たら、おいちゃんが入院していました。入院先の映像です。今回発見しました。この病院は第14作「寅次郎子守歌」で、マドンナ十朱幸代さんが勤めていた病院です。
<現在>ずっと前にガード上に遮音壁を造ったので、病院の屋上部分しか見えません。
吉田病院です。
第14作十朱幸代さん登場シーンはこちら。
この話、続きます。
久しぶりに覗いてみたら、看板が掛かっていたので驚きました。
ここは元北の湖部屋です。
大横綱であり大理事長であった北の湖氏が亡くなったあとは、息子さんと奥様の会社兼自宅兼賃貸住宅でした。
たまたま出て来た体格の良い人に訊きました。「ああ、相撲ショーです」との答えです。期せずして「ああ、ショーなの?」と答えてしまいました。オヤジが駄洒落言っているよ、と思われた雰囲気です。
どうやら外国人相手に、食事をしながら相撲のイロハを教え、取り組みのショーを見せる企画のようです。
昔勤めていた会社の社長が北の湖部屋の東京後援会長をしていた縁があります。何度か訪れた部屋です。今はこんなことをしているのですね。日本人にも人気みたいです。
真夏の自転車散策はキツイです。やっとここまでやって来ました。この交番と公衆電話ボックスの景色が好きです。
もう、公衆電話の箱の中で、膝を抱えて泣く人は居ないのでしょうね。かぐや姫の「赤提灯」の世界ですけど、
やっと緑と木陰に辿り着きました。
大学のキャンパスです。
バスが来ません。
振り返ります。
バスが来るまでここに居ます。理由はないけど、、
四つ木の路地を走っていて気付きました。あれだ!
京成電鉄の線路脇です。四ツ木駅に向かって線路が上がって行く場所です。
背後は立石駅方面です。あそこから高架が始まっています。こんな場所です。交通量は少ないです。
改めてマジマジと見ます。TVで見ていましたが、本物を見るのは初めてです。
そうそう、TV番組でも千円でした。
思いの外高級な商品が出る代わりに、高くても五百円だろうと思う商品が出て、「さまーず」と東テレの女子アナが喜んだり失望したりしていた自販機です。そして、出た商品で、近くの公園とかで遊ぶ番組でした。
ポケモングッズもあるんですね。
やっぱり書いていました。番組名は「モヤモヤさまーず2」でしたね。今でもやっているのかな?
で私は、せっかく停まったので、隣でポカリを買いました。
猛暑日の散策でした。