Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

張力

2016-01-30 | Weblog
海に行かないまま
何年も経って
時間だけが経って
今、過去、未来
どれもが同じ一枚の中

二度と会えないような
また会えるような
偶然を装った必然のように

春に見た山並み
ずっと変わらない日の光
受けながら今も
未来、過去、今
どれをも照らし一線の上

海も
山も
町も
ビルも
歩道も

あの日が
溢れている






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prayer

2016-01-30 | Weblog
1月30日、土曜日。
午前6時43分。
曇り。


雨は、降っていないように見えます。
カーテンをほんの少しだけめくって曇り空を見ていたら
鳥の群れが飛んでいきました。


薄暗い町、雲の向こうでは
東の空では
太陽が段々と昇ってきているのでしょうね。
ゆっくり、ゆっくり
少しずつ、少しずつ
明るくなってきています。


でも、どんより曇り空だから
明るくなって行き方も微かにほんのり
とても控え目です。



テレビやラジオ、新聞などで
毎日
様々なニュースを知ります。
とはいっても
僕が知るのは、ほんの一部なのだろうけど。


悲しいニュースを知ると
心の方が苦しくなってくるので
あまりニュースは見聞きしたくなって久しい昨今だったりするけど
いい大人がそんなことではいけないと思い
頑張って見聞きするのだけど…(>_<)


暗いニュースでは悲しくなるし
明るいニュースでは嬉しくなるし
役に立つ情報は有り難いし
地元のニュースは、ほのぼのするし
毎日、世の中は、日本は、世界は
いつも元気?に回っていますね。



フィリピンへ
天皇皇后両陛下が訪問されたニュースが
最近では、よく見聞きさせて頂いてます。
毎日、戦没者の方々への
慰霊の様子が届いています。


忘れずにいてくれる。
“戦後70年”という言葉を昨年は目に耳にしたけれど
今年は71年。
忘れずにいてくれることが
どんなにか、ありがたく
慰められることだろう。


…と、僕は、もちろん
戦争は知らないけれど
戦時中のことを祖父母から聞いたり
母が誰かから聞いた話を、教えてもらったり
墓石の文字や
お仏壇から少しだけ
戦争の跡に触れるだけなのだけど
今までそれぞれから伝え聞いてきたからか


亡くなった魂などを想う時
天国で、空の国で
どんな気持ちでいるのかを想像した時
忘れずにいてくれることが
とても、ありがたく感じるのではないかなと


心からの祈りが
魂達が未だ、恐怖や痛みの中で迷子になっていたとしたら
安らか場所へと導いてくれる
灯りになるのではないかなと
思いました。



昨年、亡くなった祖母に
戦時中の思い出を訊ねたことがあって
祖母は言葉少なくポツンと
「戦争は怖い…怖いよ」
と、まるで遠く見つめるように
目を伏せがちに呟いたことを思い出します。



いつも、にこやかだった祖母が
無表情で呟くその姿に
仄暗いリアリティがあって
あまり触れてはいけないような気さえしてしまったっけ。



天皇陛下の言葉は
亡くなられた全ての方々への
一言、一言に心がこもっていて
こうして思い出すくらい
心に残ります。



平和
幸せ


こういった言葉には
今の時代を生きる中では
どんな印象を持つのだろう?


個々の性質によっても
世代でも
経験してきたことによっても
また
それから派生したもの
枝葉によっても違うのかな。


希望


永遠


こういった言葉も
口にするには
かなり気恥ずかしいけれど


でも
人として生まれたら
避けては通れない言葉なのだと
時々、
口にしないまでも
遠ざけてはいけないものだと
思ったりします。


避けても
求めても
考えても、考えなくても
嘘っぽく聞こえても
真実に感じても
本当にあるのか、なかなか謎は解けなくても


忘れてはいけないものの要素で
一人で
みんなで
結局は、求めていかなくてはいけないもの
…なのだと思っている、
世界の片隅で息をしている僕です。


祈りは
たいせつだな、と思った
フィリピンの空でした。



今日も寒そうです。
山の方は凍結とか
関東の方(他の地方も)は、大雪?とか。
気を付けていて下さいね。

良い日を!







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