ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

ずっと行ってなかったCの店へ行く

2014-07-26 23:02:27 | 日記

 このところの強い高気圧が日本列島を覆いさらに暑くなって今日は当地区では37℃にまで達するとの予報が出ていて、連日の様に熱中対策に注意を促すニュースが引きも切らない。そんなことで今日も避暑をしようということでCの店に行くことにした。

 この店には去年の暮れから行き始めたが、その後は正月に行った後は、春先に2度ほど行ったきりでもう5カ月ぐらいは行っていない。

 もともと私にとってこの店はメジャーじゃないので片手間に行こうかと思っていたわけなのだが、舞台が高く部屋も広いのでMiさんがカラオケ大会の練習用にということで、一緒に行く予定を立てていたが、私が一時的に風邪のような症状が出て声が出せないということでボツになっていた。

 その後、そのカラオケ喫茶店の近くに住んでる友達がいると言うのでその場所を教えたが、その友達と行ったかどうかは知らない。

 私はチケットがまだたくさん残っているのでこの後、適当に行くつもりにしているが、ここはDAMとは別に数少ないJoySoundも一緒に扱っているのでDAMにない曲を歌うことが出来るのでそのうち歌うことにしている。

 ターミナル駅で下車したあと、JRの高架沿いに歩くと10分もかからずに行ける場所にある。

 店に入ると最初気がつかなかったが、この店を紹介してくれたFさんが声をかけて手を振ったので気がついた。

 彼は私より4,5歳年上だと思うが、昔懐かしい懐メロをいい声で歌ってくれる。

 この人とは私が住んでいる地区にあるカラオケ喫茶店で出会ったが、その頃は話をすることもなかったが昨年の秋ごろ私がたまに行くSの店にも来てたので、そこで話をするようになってCの店を紹介してくれてからここへ来るようになったのである。

 私が店に入った時は私を含めて13人の客だったので1時間少しで歌う順番が1廻りするかと思ってたがその後客が増えてピーク時は17名ほどになった。

 この店を出た後、買物をして帰る予定にしていたので2曲ぐらいしか歌えないかなと思っていたが、結局途中で抜けた人が4人いたので3曲歌って5時過ぎに店を出ることになった。

 ターミナル駅へと歩いて戻り昨日行ったバス停横のスーパーに行こうかと思ってターミナル駅前のバス停に行くと、カンカン照りの中を沢山の人が並んで待っている。

 しばらくビルの影になる場所へ移動してバスが来るのを待っていたがなかなか来ないので、そのスーパーと同じ系列店の西方にある店に行くことにし、地下鉄駅へと向かう。

 途中で路線を乗り換えて最寄りのバス停近くの出入り口を上がって来るとバスが止まっているので小走りで近づき乗り込む。

 2つ先のバス停で降りると、行こうとしているスーパー最寄りのバス停になるので、そこから5分もかからない位である。

 早速店に入り品切れや在庫が切れそうなものを中心に買い求めいつものバス停へと移動し、バスに乗って帰宅した後、夕食の準備に入った。

 暑い中での台所仕事は大変で、特に夏は傷み易いので気を遣うことになる。


高大へ、そして区民センターダンス教室夏のシリーズ⑦

2014-07-25 23:11:41 | 日記

 昨日、当地区では今年初めての猛暑日だったが、今日は昨日を上回る暑さである。      

 この3日間初日より2日目、さらに3日目とドンドン暑くなってきて今日が最も暑いということで高気圧にすっぽりと覆われて囲われている状態だということである。

 s今週末まではこの暑さ続くようで熱中症にも気を付けたいものである。

 この3日間のうち今日が断トツで多くの人が倒れて病院に搬送されたそうである。

 自然のままに生きている私だが、昨日始めて寝る時に扇風機を弱にしてタイマーを付けて寝付いてからスイッチが切れるようにセットして寝たものである。

 今日もやはり同様にしなければならないことは言うまでもないとにかく熱気と湿気のダブルだから寝付けないのである。

 睡眠は生活していく中での必須の条件であるから最も大事にしなければならない訳だが、概しておざなりになりがちである。

 今日も昨日の汗が染みこんだシャツや下着などを洗うために3日連チャンで洗濯をすることになった。

 一通り洗濯物を干し終えて午後から高大に行くことにしたが、23日に当クラスの1学期の授業は修了したわけだが、その日の授業が始まる前に配布した2学期からのHPビルダーVersion17のコピーを配布したが余分に作成しておいたにも拘らず、資料がないということで今日はその不足分と予備のコピー作成とした。

 終えたのは午後4時頃で近くの自動販売機で缶コーヒを取り出して通路中ほどにある椅子に腰かけて飲んでいる時に昨年同じクラスだった2人の男性に別々に会い挨拶を交わす。

 彼らは同じ教室で金曜日に行われるイラスト科に通っているので今日が金曜クラスの1学期最終日と言うことになる訳である。

 飲み終えた後、自宅に戻る途中にいつも寄るバス停横のスーパーで買物をして帰ることにした。

 自宅に戻ると5時過ぎでしばらくくつろいだ後、区民センターダンス教室夏シリーズ⑦の準備をして歩いて行くことにしたが、いつも会場で一緒のMiさんは今朝早くに電話があって体調が思わしくないので先週に引き続き今日も休むとの連絡を受けていたが、このシリーズも今後は8月に3回やって終りとなるが娘夫婦と一緒に付き合うので今回のシリーズは終わりになってしまうということだった。

 会場に到着していつもの様に舞台下から車載の椅子を引き出して置き、ダンスシューズに履き替えた後、準備体操を行なう。

 やがて7時になりレッスンが始まったが前半はいつもブルースをしばらくしてからスローフォックストロットを行なっていく。

 今までよりは少し馴染んできた感じであるが、小学校でやっている教室とは違うステップなので新しいステップの連続で覚えるのに必死である。

 後半はチャチャチャでこれは最後のステップを少し残すだけと言うところまで到達し後は、スムースに踊れるようになることである。


Sの店、そして西隣区小学校木曜ダンス教室7月④

2014-07-24 23:59:52 | 日記

 今日は暑いのなんのって、多分今日が最も暑かったのではないかと思われる。

 と、このように言うと、昨日もそんなことを書いていたじゃないかと言われそうだが、今日は35度以上の猛暑日ということである。

 日本列島を例年以上の強い高気圧が覆って明日もかなり暑い一日になるようである。

 このような天気予報が朝に出ていたので今日は木曜日でもあり先週行ったSの店に再び行く予定にした。

 何分、自宅では自然のままに過ごしているので熱中症対策上ということもあり、涼しいところへ避暑しに行こうということにしたのである。

 午前中の少しでも涼しいうちにと思い、洗濯しながらPCに向かいあうが既に9時頃の時点で30℃になっているということであった。

 この後はまたより暑くなるということだったが、作業をする時点で汗が出てくる。

 洗濯物も干し終えて後はニュースを見たり、YouTubeを見たりしていたが最近は原因は別としても飛行機事故がやたらと増えている。

 台湾で、アフリカで、その前はウクライナでと言う具合である。

 アフリカの方は未だ原因などは一切不明であるが、台湾では多分異常気象が原因だろうということのようだ。

 地上を走っている車や列車と違って、不意にエンジンが止まるだけでも、事故に繋がることは言うまでもない。

 昼を過ぎて自宅の最寄りの東方面行のバス停に行くと母親と小学3,4年生ぐらいの男の子がベンチに座っていたが数分後にバスが来る時刻になっている。

 先週バスに乗った時刻と同じであるが、しばらく待ってバスに乗り込んだが、先週より客が多い。

 5つ目のバス停から北へ歩いて行くが昔は村だった地域を縦断する形になる。

 やがて南北に連なるアーケード商店街の南側出入り口に到着し、出入口の東側にある銀行のキャッシュコーナーで手持ち資金を少し出しておく。

 そして少し商店街を北側に行ったところにある地元の寿司店の出店に入ると今日は満員御礼が出るほど殆んどの席が埋まっていたがかろうじてカウンター席が一つだけ空いていたのでそこに座り、いつもの「握り10カン」を頼む。

 食事を終えてその商店街の北側の出入り口に近いSの店に入ると、先週と違ってここもまた一杯の客が入っている。

 辛うじてカウンター席も2席だけ空いていたが、先週来た時には担当の女性から別の曜日にこの店に来ていると言ってた人達が、一番奥にいる。

 いきなオバちゃん、その友達のKさん、そして若いニイチャンも一緒である。

 お互い「久し振り!」と声かけあって座る。

 結局今日は客数が多いので帰るまでに3曲だけしか歌うことが出来なかった。

 浜田省吾、高橋真梨子、鈴木雅之が1曲づつである。

 私が帰る少し前にも客が入って来て順次出て行った客の席がすぐに埋まって行くほど今日は入れ替わりたち替わりで客が減らない。

 先週は歩いて帰ったが今日は猛暑日ということもあって地下鉄の路線を乗り換えて帰ることにして、駅に向かう。

 自宅に戻って、冷たいペットボトルコーヒーを飲み、しばらくPCを見ていたが、木曜のダンスレッスンに行く時刻となったので準備をして出かける。

 6時を回っているのでバス停はビルの影になったとはいえ道路の熱気が立ち込めて汗がじっとりと出てくる。

 バスがそんなに遅れずにやって来て乗り込み、6つ先のバス停で降りて小学校へ歩いて行くがまだ誰も来ていないので門扉にカギは懸ってないので中に入る。

 5分ほど後にメンバーが3人程やって来たが、その中の1人がカギ当番の女性である。

 全員揃って中に入り早速準備を行なって行ったが、すぐに他のメンバーも増えて7時になったのでレッスンを始めることになった。

 今日は第4週で偶数週と言うことで先生は来ないから自主レッスンということで先週習ったことのおさらいをしていく。

 男性4人に対し女性は11人で順番に組んで踊るが、男性が毎回踊るのに対し女性は3回に1回ぐらいということになり男性がある程度こなした後小休止をしながら進めていく。

 今日は前半がチャチャチャで後半がタンゴである。

 今日は早い目に終えたということでいつもは乗れないバスの時刻に間に合せるために急いでバス停に行くと、直ぐにバスがやって来ていつもより早く自宅に戻ることが出来た。

 少しだけだがいつもより少しだけゆとりを持ってブログを書いている。

 


高大1学期最終日のパワーポイント発表、その後、懇親会&盆踊りのレッスン

2014-07-23 23:37:08 | 日記

 今日は当地区では今夏、最も暑い日となったのではないだろうか。

 昨日火曜ダンス教室のレッスンを早い目に切り上げて懇親会があったが、帰りに男の先生の車で女の先生を送る途中に私の自宅近くを通るということで同乗させて貰った。

 自宅に到着してブログを書いたり、今日の高大最後の授業の準備をしているうちに時間もドンドン経ち、就寝の床に就いたのは午前2時30分頃だったが、中々寝付かれず、結局寝付いたのはごぜん4時30分を廻っていたと思われる。

 そして目覚まし時計は7時にセットした置いたのですぐに起き出して朝食を摂ったり準備をして、8時頃に自宅を出る。

 地下鉄の電車を乗り継いで高大に到着したのは8時45分頃であった。

 すぐに今日の資料をプリントし、アンプの器材などと共に以前コピーしておいたホームページビルダーVer17のテキスト40ページ×35名分のストックも一緒に教室の前まで運んだ後、一階受付に降りて部屋のカギを受け取る手続きをする。

 9時10分になってからじゃないとカギを出してくれないので、そのロビーで時間が来るまで各クラスのCDが集まってくる。

 時刻が来て鍵を受け取り教室の前まで行くと今日は予め各班から任意で早く出てきてテキストのコピーを順番に取り込むように依頼していたのでそこそこの人が出てきている。

 早速長机だけを並べてその上にコピーしている各ページを並べていく。それらを受講者達が積極的に手伝ってくれるのはありがたいが、やはり危惧していたことになった。というのも順番に並べることをしなければならないが長机が離れているためにページが上手く繋がってないのと、テキストのすべてのページがコピーされている訳じゃないのでそこで詰まったりしているから錯綜してしまい、おまけに一枚づつの上乗せをしているつもりだろうが2枚引っ付いて取ってしまっているようで足らないページが出てきたのである。

 ドンドン時刻も過ぎて行きやがて先生が来るころには収まるかと思いきや授業が始まる10時になっても1つの班がまだテキストのコピーにしがみついているので先生からも「一旦手を止めて発表の方に集中するように」との注意が飛ぶ。

 そこから発表会モードに切り替わってテキストは昼休みに再度チェックすることになった。午前に2つの班が発表を行ない、午後からも2つの班が発表していくことになった。

 中にはもう高大に何年もITパソコンの各クラスを渡り歩いたり、以前当クラスで同じことを今のF先生に習ったパワーポイントの女王なんて言われている女性もいて、その作品はみんなをうならせたほど素晴らしい。

 午前の発表が終わり、先生もこの日だけは午後からも教室を離れずに昼食を摂る。

 そして発表前の質問などを聞きに来る受講生の質問にも答えている。

 この昼休みの間にまたアンケートを書いて貰うことになったのと、午前一番に配布したHPビルダーのテキストコピーを整理して欠番があれば班毎に書き出して貰うようにする。

 授業を終えて隣のホテルで懇親会を行なうので移動することになったが、私は当日のことを記入して提出する書類を作成するので時間ぎりぎりとなる。

 部屋に入ると7,8人づつ班毎にメンバーが4つの丸テーブルを囲んでいるが、先生と私はメンバーが3人参加しない班の中に入ることになった。

 先ずは乾杯と言うことでビールがコップに継がれるがアルコールが飲めない人は烏龍茶ということになる。乾杯を済ませた後各テーブルに大皿に盛った料理が出てきて中国式のターンテーブルに置いていく。

 先ずは先生に取って貰い次に私の番と言う具合に回していく。

 次第に各テーブルで会話も弾んで賑やかになって来たが、そんな中、他のテーブルからやって来て先生に注いだ後私にも来たので受ける。

 以前クラスミーティングの時に私に突っかかって来た男であるが、「もっと笑顔を…」ということである。

 どうやら私はいつもブスッとしているということであるが、先生が助け船を出してくれた。

 CDというのは結構大変なんだということで、まして1年目と言うこともあり、慣れていない部分もあるんだということを言ってくれた。

 ついでに私が今までのこのクラスのCDはすべて1年だけで終わっていることをいうと「ヘェー」ということだった。

 

 

 

 

  


西隣区小学校火曜ダンス教室7月レッスン④&懇親会

2014-07-22 22:35:13 | 日記

 このところ暑い日々になっているが、昨日梅雨明けと言うことになった様だが、最近の天候は昔の様に雨がしとしとと降る感じではなくなり、雨が降る時にはダッーと降るが、収まる時にはいつの間にか収まっている感じになっている。

 今日も暑くなったことには変わりはない。

 いつもの時と違ってなんか暑いだけという感じになって来た。

 というのも梅雨明けというだけでも違ったイメージだからである。

 今日も昨日と同様に特に予定はないから自宅にいることに変わりはないが、明日の高大での1学期の〆となるパワーポイントでの発表会の日に向けてレジメを作成していく。

 2学期から始まるホームページビルダーを使った授業に向けてしばらく前からコピーをしていたが、全部で70枚あるうちの40枚を明日1学期最終日に渡すことにしているが、レジメに配布資料の内訳などを記していく。

 それらをプリントの原紙として印刷し、明日授業が始まる前に事務所で印刷する予定にしている。

 他は特に予定はないのでいつもの様にメールとカレンダーをチェックした後、ニュースを見た後、YouTubeを見ることになる。今日はあの中国が今後何をしようとしてるのかを考えてほしいということもあって、こんな記事を見かけたので紹介したい。

 

「華夷世界観」隠さぬ傲慢中国、尾を振る韓国の事大主義…日清戦争前夜と酷似する日中関係、心においてアジア東方の悪友を謝絶する

 

2014.7.19

 

慶應義塾大学の創立者で、時事新報(=産経新聞の前身)を創刊した福沢諭吉。(その銅像は慶応三田キャンパス内にある:東京都港区三田)

 

 「我は心において亜細亜(アジア)東方の悪友を謝絶するものなり」(明治18=1885年3月6日、「時事新報」社説)。

 

 筆者も今はこの心境に近い。韓国のホテルが自衛隊創設記念のレセプションを直前になって拒否、中国は米サンフランシスコで抗日戦争記念館を計画するなど、相も変わらず続く反日ぶりには、すでに「心において」謝絶、と構えて対策を練っていいだろう。

 

  隣国が中韓である不幸

 

 ことに7月初めの、習近平国家主席、朴槿恵大統領を韓国に訪問す、の首脳会談の図を見ていると、「脱亜論」として有名なこの文章が現代の文脈でよみがえってくる。福沢諭吉によるとされるこの「脱亜論」にいわく、「ここに不幸なるは、近隣に国あり、一を支那といい、一を朝鮮という」である。

 

 なにしろ現代において帝国主義的野心を隠さない中国と、それに尾を振る韓国の、笑みを交わし合ってのそろい踏みの図。ことに、起こる以前に哀れをもよおすのは韓国だ。日本に対しては上から下まで罵詈雑言(ばりぞうごん)、中国指導者に対しては媚(こ)びるかのごとく三顧(さんこ)の礼をもってする。国家としての主体性はどこにもない。

 

 この中韓と日本の関係は、1世紀以上も前の日清戦争前夜と似ている。日清開戦から講和、三国干渉と難局に外相として当たった陸奥宗光は、回想記「蹇蹇録(けんけんろく)」に次のように書いた。朝鮮半島は争いや内輪もめの中心であって、事件がしばしば起こるのは、「まったくその独立国たるの責守をまっとうするの要素において欠くるあるによると確信せり」。朝鮮が独立国としての責任を果たそうとしないから、争いが起こるのだと。

 

 戦争になるなどとあおるつもりはない。しかし現在も近いことが起こっているとは、冷静に見ておきたい。米国の抑止力に頼りながら、自由主義とはまるで価値観が異なる中国に媚を売っているのが韓国なのだ。気色の悪い二股ぶりといわずして、なんと言おう。

 

  さすが中国、伝統の謀略「遠交近攻」…哀れむべきは朝鮮の「事大主義」

 

 韓国を取り込む中国

 

 今回、北朝鮮より先に韓国を訪問するという異例の行動に出た習近平は、韓国を完全に取り込みにかかっているといってよい。訪問直前、習金平は韓国の新聞に歯の浮くような美辞麗句を並べた原稿を寄せる念の入れようだった。良い隣人への良い感情を抱いて訪問します、などと。あの表情、あの唇のリップサービスも気色が悪いが、以前書いたようにこれが中国の謀略の伝統なのだ。上っ面は笑って腹の内で権謀術数をめぐらすということだ。

 

 今回、中韓自由貿易協定(FTA)の年内妥結が合意された。経済で中国への依存度を高めさせ、相手国を勢力圏に取り込んでいくのも、中国の古典的なやり方の1つ。米戦略国際問題研究所(CSIS)上級アドバイザーのエドワード・ルトワック氏は、古代中国の「蛮夷(ばんい)操作」の考え方が現代にも残っていることを指摘している。経済的に依存した状態に誘導すること、価値観や行動規範を教化することにより、相手を勢力圏に置いてしまうのである。韓国は既にこの謀略に、からめとられtげいる。

 

 中韓首脳の共同声明では、日本の歴史問題は正面から取り上げられなかった。しかし、付帯文書はしっかりと、慰安婦問題で中韓が共同研究することが盛り込まれている。反日をわめき散らす韓国は、覇権を狙う中国にとって実に使いやすいカードとなる。

 

  21世紀でも「東夷・西戎・北狄・南蛮」支那思考、追随する朝鮮思考の哀れ

 

哀れむべき朝鮮の事大主義

 

歴史に詳しい人には言わずもがなだが、中国には中国こそが世界の中心であり周辺は野蛮な夷族(いぞく)であるという、華夷(かい)秩序の世界観がある。日本は古代において、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を中国に送り対等外交の姿勢を示した。華夷秩序の外にあることをはっきり表したといってよい。

 

 これに対し朝鮮は、中国に貢物を捧げる朝貢国として存続してきた。大国に事(つか)える事大主義の伝統が抜きがたくある。日本が近代化に懸命に汗を流している頃も、官僚らは惰眠をむさぼり、経済も軍事力も衰亡していた。その朝鮮を国家として独立させ、西洋の進出に備えようというのが日本の姿勢だった。

 

 「脱亜論」に先立つ明治15(1882)年3月11日、諭吉はやはり「時事日報」の社説「朝鮮の交際を論ず」でこう書いている。

 

 「かの国勢果して未開ならば、これを誘うてこれを導くべし。かの人民果たして頑陋(がんろう)ならば、これにさとしてこれに説くべし」。

 

 明治人は優しすぎた、と言わねばなるまい。

 

 諭吉は朝鮮の開化党を支援し、朝鮮に清国との属国関係を断ち切らせて独立させようとした。しかし朝鮮にはその属国関係を重んじる守旧派も根強くあった。なんと中国に事(つか)える事大党というものがあったのだ。

 

 1884(明治17)年、開化党が起こしたクーデター(甲申事変)は、守旧派が清に援軍を求めて結局、失敗に終わった。卯吉も腹に据えかねたのだろう、「脱亜論」はそういう状況の中で書かれた。朝鮮のフラフラした態度は続き、1894(明治27)年、甲午農民戦争が発生。朝鮮は清に要請し、日清戦争のきっかけとなる。

 

 悪「友」とみなす必要もなし

 

 今後も中韓は、歴史問題をはじめ日本にさまざまな無礼を働いてくるだろう。再び「脱亜論」にいわく。

 

「(支那と朝鮮は)一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際においては心理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残酷不廉恥を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者のごとし」

 

 「支那朝鮮に接するの方法は、特別の会釈に及ばず…」

 

 「支那朝鮮に接するの法も、隣国なるがゆえにとて特別の会釈に及ばず…悪友を親しむ者は、共に悪名を免かるべからず」

 

 そして「心において亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」との結論に至るのである。

 

 もはや悪「友」などと見なす必要もあるまい。不廉恥を極め自省の念なき者は、そのようなものとして処していけばよい。

 

                                                                         (大阪正論室長)

 ということで、お分かりいただいたであろうか。

 さて、このブログは日記なので綴って行きたい。

 夕方からは西隣区小学校火曜ダンス教室があるのでバス停に行き、西隣区へと20分程走る。

 いつものバスの時刻のひとつ後に来るバスに乗ることにしたが、これも早く来過ぎるとカギ当番の人に迷惑だからと後のバスにのることにしたからである。

 今日はレッスンの後に懇親会が行なわれるということで1時間だけレッスンをすることになっているということもあって、最近は行って来た男女の新人の為と言うこともあってジルバだけ行なう。

 先月の終わりに見学にやって来た40代半ばの男性は自分でもどんくさいので皆さんに迷惑をかけるかも知れないけどと、言ってた通り本当にどんくさい。

 大抵の人ならジルバのレッスンをステップを教えられたら、少なくともその日のうちにはマスターできると思うが、今日で7月になってから4回目であるにも拘らずいまだにおぼつかない足取りである。

 そんなことはさておき、しばらくジルバを踊った後、場所を変えて移動したが、殆んどの人が自転車で来ているが、私とK氏は先生の車に乗せて貰うことになった。

 懇親会の会場は全国各地にある「さと」である。

 最近しばしば利用しているマクドナルドの過ぎ近くにあるので歩いても10分程だが、先生の車に乗せて貰って到着した頃には他のメンバーは既に店の中に入っていた。

 店には部屋だけ確保してあったということだが最終参加人数をレッスンの時に確認したということもあって到着してから頼んだということでしばらく料理なしで飲み物だけで乾杯し、回りの人達と会話することになった。

 長く待たされるということで各テーブルに枝豆を注文して料理が出来上がるまでの繋ぎとする。

 私が座ったテーブルにはいつもの男の先生と時々訪れる女の先生、それに会長とこの会の主といってもいい女性Yさんのそうそうたるメンバーが同席した。

 会話は各テーブルで弾んでいるが、他のテーブルには酒豪が集まっているところもある。

 1時間以上も経った頃、酒豪たちのテーブルにいた女性(アルコールが飲めない)が私たちのテーブルに来たということもあってその席に行く。

 そして盆踊りの話になって今盆踊りのレッスンをやっているので来ないかと言うことになって明日の夕方に参加することになった。

 2時間後に解散となって、先生が女の先生を送って行く途中と言うこともあり同乗させて貰うことになって自宅最寄りのバス停で下ろして貰い帰宅する。