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日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

愚公山を移す。

2015-04-25 20:53:26 | アロマテラピー
 もう、12年ばかり、
以前住んでいた都城の夢屋という喫茶店の珈琲豆を買って、
毎朝、珈琲豆をカリカリ挽いて飲んでいます。

 買いに行けずに注文すると焼きたての豆を送ってくださる心遣いが嬉しくて、
他の珈琲を見つけても、必ず家に常備しておく定番の珈琲豆です。

 夢屋さんは、チキン南蛮もおいしく、
呑気なマスターと天然ひょうきんプチ毒舌ママのとても良いお店です。
チキン南蛮、食べたいなぁ。

 今日は目標にしていた、
90分のアロマトリートメントをモニター価格でのべ50人する!という目標が達成できた日でした。

 最初のお客様をお迎えしたのが、去年の8月。
やりはじめたときには、50人という数字は、とてつもないものに感じていました。
それでも、できることからしなくては!との思いで、
友人知人にメールをしたり、セミナーなどでご一緒した方に声をかけたり、
来てくださった方に、お友達をご紹介くださいねぇ~と声をかけてみたり、
思いつくことをやってみました。

 チラシを作ってスーパーに置いてもらえば?とも言われましたが、
なんせ、約5年ぶりのアロマトリートメントです。

 最初のうちは、毎日、トリートメントの手技の確認をして、
お客様が来る前にはトリートメントの手順も確認し、
タオルも足りないといけないとどっさり準備してという具合。
とてもとても、不特定多数の方をどっと受け入れる技術も度胸もありませんでした。

 なので、来てくださる方は、100%知り合いか、知り合いの紹介。
急激に人数をこなすということはできませんでした。

 でも、そのおかげでトリートメントの手順や用いる精油についてじっくり振り返ることができ、
自分の手技と知識が身に付いて行くスピードが、
お客様がいらっしゃるスピードと寄添ってくれて、
焦ることなく自分のアロマトリートメントと向き合うことができました。

 そして、のべ50人分のアロマトリートメントという目標が見え始めると、
また、やるべきことや決まるべきことも見えてきて、
「わぁ~、できるのか!?いやいや!やらねば前に進めない!」と
色々と考えることでした。

 それにしても、自分でやるということは、
自分で考え、自分で決めて、自分で責任を持って、自分で進む。
そういうことをコツコツとしていくことが大切だと思いますが、
今回はそればかりではないということを肌身にしみた9ヶ月でした。

 「ああ、気持ちよかった」とか「カラダが軽くなった」と声をかけてくださった人。
初めて会った私に、友人知人職場の同僚や身内を紹介してくださった人。
20数年ぶりに再会し、思いもしなかった方向に進んでいる私をそのまま受け入れてくれた友人。
学校での姿しか知らないのに、トリートメントを受けてくれた同僚たち。

 自分の自力を養って、自分で動くことも大事だけど、
人に助けていただくことで、自分のやりたいこともできるんだなぁ、
人との縁というものは本当に大切なものなのだ、と
恥ずかしながら、この年になって、初めて実感したことでした。

 協力してくださったみなさん、本当にありがとうございました。
これからも、よろしくお願いいたします!


 






 
 




招かざる客。

2015-04-24 21:26:17 | 日記
 朝、仕事に行くとき、アパートの階段を降りると、
桜島の向かって左側のほうがちょこっとだけ、目にはいります。
近頃は、写真か絵のような噴煙がもくもくとあがっています。

 灰の降る町になんか、絶対に住みたくないと思っていましたが、
慣れると、窓も開けるし、多少のざらつきは無視できるし、
あまり不自由ではありません。

 まったく、住めば都です。

 父が亡くなったのは、今から6年前のことです。
母も私も、そして、当の本人である父も、
おそらく100歳は生きるだろうと思っていただけに、
77歳で亡くなるなんて思ってもみないことでした。

 膵臓がんで余命数ヶ月と聞いたときにも、
それまで毎月、7年前の大腸がんの定期検診に行きながら、
電話越しに、なんとなく、体の不調を訴えていたにもかかわらず、
毎月通った病院を変えもしなかった、父に怒りすら覚えたほどでした。

 セカンドオピニオンを提案しましたが、
父が最優先にしたのは、母の近くにいることと、
毎日、母の顔を見ることでした。

 元気なとき、自分の決めたことは決して譲ることのない人だったので、
父がそうしたいなら、それが良いのだろうし、
母もそれが良いということで、近くの大きな市立病院にかかることにしました。

 母は、昼食前と夕食前の2回病院に行き、
父と話したり、話さなかったり、喧嘩ももしたりしていたようです。

 私はちょうどその頃、種子島に住んでいたので、
余り、会うこともなく、季節は夏から秋になり、初冬を迎える頃になりました。

 その頃は、抗がん剤治療も芳しくなく、
とにかく、自宅に戻りたいという父の要望を受けて、自宅で療養していました。

 いつもは何も言わない母が、早朝ヒステリックにかけてくる電話のおかげで、
私は初冬の頃、船のキャンセル待ちをしながら、毎週のように実家に帰ることになりました。

 母がヒステリックになるのは、思いもしなかった弱い父の姿を見たときで、
朝、トイレに立とうとしてふらついた、とか色々言っていたのですが、
今、全く思い出すことができません。

 父とは母が買い物に行っているときに、色々なことを話しました。

 私は元気なときの、冷徹なほどに冷静な父を知っているので、
今、自分の死を目の前にして、弱いことを言う父が受け入れられない部分があり、
そのことを尋ねたりもしました。

 子どもとはいっても、いい年こいた娘が、
よくそんなこと聞いたな、と今は申し訳ない気持ちがします。

 また、父は
「強がってるけど、泣き虫なので、とにかくお願いするよ。
ああ、ぼくが和さんを看取るつもりだったのになぁ。これには、まいった。」と
母のことを私に託していました。

 たくさんしゃべると疲れるようで、
しかし、しゃべりたい気持ちもあるし、と複雑な感じで、
「また、あとでね」と言われて私は部屋を出ることでした。

 毎週末、といっても亡くなる前の3週間の土日だけでした。
忘れたこともたくさんあるけれど、色々な話をし、
一緒にときを待てて良かったと、今も思っています。

 急にこんなことを書いたのは、
知人が今、そうゆうときに立たされているので、私も思い出したからです。

 なんの励ましの言葉も見つからないし、慰めの言葉も浮かびません。
ただ、私のほうが亡くした父のことを色々、思い出し、考える時間を持つことになりました。


武士でなくても相身互い。

2015-04-23 17:09:12 | 発達応援
 昨夜は、駅から家路に向かうときに見上げた空に、
細い三日月と金星ともう1つ光輝く星でトライアングルができていました。

 調べてみると、アルデバランという牡牛座の一等星のようです。

 同じトライアングルを福岡で、
漢∞蘭アロマの講師の先生と企画してくださった方も見上げていらっしゃったようで、
Facebookに書いておられました。

 こういうのは、ちょっと嬉しいなと思ったことです。

 昨日は漢∞蘭アロマの勉強会後、
時間のあるメンバーが残っておしゃべりを少ししました。

 漢∞蘭アロマをどう活用するかという話で、
私は自分の健康管理やアロマトリートメント、
そして、子どもの気分のジェットコースターを中庸にもっていくのに用いたいという話などをしました。

 そういう話の流れから、講座を受けておられる方々の身近にいらっしゃる、
アスペルガーと診断を受けた方やそれらしき人たちの話になりました。

 講座の場を貸してくださっている方は、
とても美しい、モザイクアートのような葉書大の絵を見せてくださって、
それはアスペルガーと診断を受けた知り合いの子どもさんが描いたものだと教えてくださいました。

 子、といっても今では高校生で、その絵はその子が小学生のときに描いたものだそうで、
今は、数学にハマっていて絵には見向きもしないそうです。

 会っても目を合わせることもなく、こちらに興味もなく、
自分の好きなことにのみ目がいくようです。

 数学好きを活かして、大学にいくのでしょうか。
先々、仕事に就けるといいですね、そのくらいしか返す言葉もありませんでした。

 また、別の方は高齢者のホームで、
他の人との関わりには一切興味なく、塗り絵に没頭する高齢者の話をされました。
その方の塗り絵のできばえが素晴らしいので、施設に張り出しているそうです。

 しかし、他の施設の利用者の方々は、なんで自分たちのは返されて、
人と挨拶も交わさないような塗り絵ばかのようなその人のものだけ貼ってあるんだと、
内心は穏やかではないようで、中々難しいそうです。

 なんだか、学校の子どもたちからも聞こえてきそうな言葉だな、と
これもまた、そうですよねぇ~としか、言いようがありませんでした。

 ちょっと自分たちとは認識の仕方が違うな、と思う人たちが
身近にいる人たちは多いようです。

 個人対個人のつながりの小さな輪の中では、
そういう性格の人、そういうことが苦手な人として受け入れられて、
その人なりの好きなことをのびのびと伸ばし、認められ、
案外、自由に生きていけている感じがします。

 これが会社、社会ほどでなくても、
個人対複数になった途端に、「ロクに挨拶もできない奴だ」と揶揄されたり、
個人のできなさを複数の方がすべて請負わねばならず、負担を強いられたりして、
関係にひずみができてくるように思います。

 自分の得意なことを伸ばしながらも、メジャー認識のことも学ぶ姿勢も必要だと思います。
できないことを気合いで乗越えさせたり、ただただ努力を強いるのではなく、
マイナーな認知の仕方を知り、合ったやり方に柔軟に対応する力を身につけることも必要です。

 どちらか一方が、責められたり、負担を強いられる関係ではなく、
お互いにきちんと向き合いながら、人同士の付合いをしていきたいものですね。


 



五行色体表

2015-04-22 17:37:14 | アロマテラピー
 初めてのこと、というのはまだまだあるもので、今日は鹿児島から福岡までバスで行きました。
なんせ、3000円でお釣りがくる値段で福岡に行けるのですから利用しなくては!と
いつもの仕事と変わらぬ時間に起きて、家を出て出発です。

 乗り逃してはいけないと、
高速のバス乗り場でバスが来る方向をじっと見つめる緊張感は、
何事かに初めて挑戦する子どもと一緒だわ、と思いながらちゃんとバスに乗ることができました。

  今日は漢∞蘭アロマの勉強会でした。
今回は「五行色体表」を一つずつじっくりと見ていきました。



 五行色体表は、色々なものを5つに分けてあって、
養生や東洋医学に興味のある人なら、見たことがあることと思います。

 私はやたらと食べたいものが偏っているときや体調が思わしくないとき、
また、体の一部分が調子を崩していると思われるときなどに
この五行色体表を頼りに食後ののメニューを考えたり、
季節によって食べるものをチョイスしたりと割と日常生活で活用しています。

 ただ、私の活用方法は五行色体表を表面的になぞって使っているだけで、
漢字一文字で表された表の中身の濃いこと!

  今日は、例えば簡単に「思」と表現されている感情は
どんなことを「思い」、どんな場所で「思い」、
その「思い」が悪く作用する場合と良い風に作用する場合があることや
そういうものを持っている人はにどんな感じで漢∞蘭アロマを用いるかを
五行色体表を紐解いて見つめ直して自分専用のブレンドを作るということをしました。

  自分の精神面も含めた体調管理に役立てることができるように、
使って学んでを繰り返そうと思います。

  講師の日本療術師協会の倉津三夜子先生がおっしゃった、
「陰陽五行を知識として哲学として知るだけで終わらず、
技として用いることができるように五行のブレンドを作りました。」
という言葉がとても印象に残りました。

来月も、楽しみなことです。




流れのままにお仕事。

2015-04-21 19:54:05 | アロマテラピー
 垣根越しに近所の方が、
通りがかった馴染みであろう高校生と話をしていました。

 どこぞの高校に合格したの!おめでとう!に始まり、
その高校生の受験勉強ぶりを褒めて、将来を楽しみにして…。
高校生は新タマネギとジャガイモを持たされて、
謙遜の言葉を発しながら、ニコニコとしています。

 そのまた昔に、私も近所のおばちゃんに、
自分の身には余るほど、褒められて、季節の野菜なんかを持たされて、
家に帰って、○○おばちゃんがねぇ~~~、と、父母に話しながら夕飯食べたりしてたなぁ~と、
懐かしくなる光景でした。

 アロマトリートメントをした後で、お茶などお出しして、
トリートメントのふり返りなどしていると、思わぬところに話がいくことがあります。

 仕事の話だったり、同僚の話だったり、
自分の性格のことだったり、病歴のことだったり、肉親の話だったり云々。

 話は、なんとなく、流れのままに進んでいって、
私は、そのほとんどに時間「へぇ~」とか「ほぉ~」とか言っているだけで、
そのうち、なんとなく、落ち着くところに落ち着いて、
場も落ち着いた感じのところで、終わりになったり、ならなかったりです。

 自分のことに置き換えて考えると、私はほとんど初対面の人に、こんなにこと細かく、
自分にまつわる話をしないような気がするなぁ、と思います。
特に、隠すではないので、聞かれたら答えるかな?

 世の中の人の心のぱーんと開いた感じと
自分の閉めてはいないけれども、自分で積極的に開ける訳ではない感じをしみじみと感じることです。

 人が嫌いだったら、アロマトリートメントをするなんて仕事もしていないでしょうし、
かといって、「オープンマインドよ~ん」というわけでもなさそうな私なので、
我ながら、こういうことを仕事にしつつあることが不思議なことです。

 続けた先には、なにか、「あ!」と思うこともあるのかもしれませんね。
いく川は流れのままにぃ~~~、でいいのだ。