日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

雑談を聞く。

2015-04-16 17:51:52 | 日記
 天気が良いので、浮かれて外出していたら、大粒の雨。
しかも、雷もピカピカしています。
「春嵐」とか、メイストームという言葉がありますが、まさにそんな感じです。

 こういう天気が多いせいか、春は穏やかさよりも風に吹かれているイメージがとても強いです。

 職場の人と話をしました。

 その方は、色々な仕事を経験する中で手首を痛められたそうで、
見た目にもおかしくなり、病院にも行ったけれど痛みが引くのを待つしかないように言われ、
今も手首をかばいつつ、仕事をしているということでした。

 今では、見た目では手首がおかしい感じはしないのですが、
仕事中の動作によっては、痛むこともあるということだったので、
痛みがでそうな仕事のときは、代われるときには私と交代して仕事をしていました。

 ふと、あるとき、痛む手首の話を他のパートの方が聞いていて、
「私も手首が痛いよ。腰だって、ときには痛み止めの薬を飲まないと済まないくらいに痛いのよ。」と言われ、
そこから、他の方々も、五十肩で腕が上がらない話や同じように手首が痛いという話等々、
それぞれのプチ痛み自慢のような話の展開になり、
「ああ、みんな、50歳も半ば過ぎれば不具合の1つ2つはあるねぇ~。」で話は終わりました。

 そういうことがあり、手首が痛いと私に話をした方は、
「自分だけ特別扱いして欲しい訳ではなく、手首が痛いの…という話だったんだけど、
なんだか、認めてもらえない感じがして、大げさみたいだけど辛いなぁと思った。」と言われました。

 「そうなんだぁ、手首痛いのにがんばっていたのにねぇ。」といったら、
「そうなの。私、がんばったよねぇ。でも、もう、大丈夫だから~!」と言って笑っていらっしゃいました。

 手首が痛い他のパートさんたちとのやり取りも聞いていた私は、
特に体に不調もなかったので、「あら、みんなあちこち痛いのね。」くらいにしか受け止めませんでしたが、
私に話をされた方は 「私も痛いから、あなたもぐちぐち言わずにがんばれ!」と
言われたように感じたのかもなぁと思うことでした。

 ふと漏らした言葉は、別に励まして欲しい訳でもなく、一般化して一緒くたにして欲しくもなく、
ただただ、「ふーん、そうなんだね。」と聞いて欲しい心境だったのかなぁと、
話し終わって、笑って仕事から帰る彼女の姿を見て思うことでした。

 複数の人の中でのちょっとした雑談さえも、
話を発した人の話の聞くということは難しいのだなぁと、
つくづく思ったできごとでした。
 
コメント
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