日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

瓢箪から駒。

2015-04-17 19:28:35 | 発達応援
 土用に入り、しっかり、カラダがやられています。
寒暖の差に、カラダがついていかずだるかったり、頭痛がしたり。
肩甲骨や首が緩んでいなくて、つらい感じです。

 緩ませるべく、今日はお灸をしようと思います。

 去年の11月の頃、発達支援コーチという資格のレポートを出し、
12月になろうかというころ、不合格の通知を頂きました。

 不合格の理由は「気づきに関する記載がない」というものでした。

 この資格は、誰かに教え込むというよりも相互に学習し合うという感じでしたので、
相手に何かする際に、自分のカラダの変化や思考の気づきが、
何らかの形であるものです。

 自分では、レポート提出のためにモニターになってくださった方と、
カラダを動かしたり、ツボをさすったりして、静かなときを過ごしたりする中で、
自分なりの気づいた点はあり、それを交えてレポートを書いたつもりだったので、
不合格の通知は、色々考えるきっかけになりました。

 自分の思う「気づき」ということと
相手の求める「気づき」のレベルに開きがあるのだなぁ、ということ。

 そもそも「気づき」とはなんだろう。

 クライアントさんという存在があって、その方の何かのお手伝いになれば、と
セッションをしながら、自分の内側の自分自身の「気づき」に目を向けるって言うのは、
なんだか、相手の人をないがしろにすることにならないのかな。

 そもそも、私は子どもや誰かとセッションしたいと思っているのかな。

 そんな様々なことを考えた約半年でした。

 ところが、発達支援コーチの手違いで、
私が「気づき」として提出したレポートのシートが、
MacとWinの互換性の問題で抜け落ちた形になっていたそうで、
改めて、レポートを読んでくださった協会のほうから、
4ヶ月というときを経て、「合格」の通知を改めて頂くことができました。

 あら、びっくり。
でも、単純、素直に「合格」というのは嬉しいものです。

 そして、こういうことがなければ、
他者を通して自分を見つめるということについて深く考えることがなかったと思うし、
自分が誰かとセッションをするということについても、深くはっ考えなかったと思います。

 塞翁が馬?
転んでもただでは起きない?

 何事も、考えを深めたり、思考の端緒となるものですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする