日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

言葉への感受性。

2015-04-07 17:44:59 | 日記
 泥のように眠い一日でした。

 ところで、この「泥(どろ)」は、
中国の言い伝えにある伝説の海に住む生き物、「泥(でい)」で、
泥(でい)は、海の外に出ると、だら~んと動かなくなるそうです。

 伝説の生き物、泥。
龍や麒麟のように、姿形は伝わっていないのでしょうかねぇ。
あちこち検索してみましたが、発見できませんでした。
ん~、残念。

 やりたいけど、できなかったり、
できるけれど、やりたくなかったり。

 子どものときには、否応なくしなくてはならなかったり、参加させられることがありますが、
大人になるにつれて、やりたくないことはお断りしたり、自分が好きなことだけしたり、
時として、やりたくないこともすることはあっても、
自分がやり易いようにアレンジして、自由が利くようにおもいます。

 でも、時として、大人であっても自由が利かず、
がんじがらめになって、困っている人もいて驚いてしまいます。

 今日は知り合いに、ちょっとした行事に1度は参加するといったものの、
やっぱり、できない…、という相談(?)を受けていました。

 私は、「参加するって言ったけど、ごめん!こういう理由で参加できない!と言えばいいよ!」と
普通のことを言ったつもりでしたが、知り合いにとっては、それはそれはそのひと言が重たい様子。

 驚くほど、色々なことを考え、
自分自身を否定し、同僚を否定し、また己の否定に戻り、と
複雑な心模様を描いていらっしゃいました。

 話をしていたら、もしかして、私が今、この瞬間言ったひとことが、
今夜この人の脳裏から離れず、
「ああ、眠れない…。」と頭を悩ませるフレーズになるのかもしれないのかなぁ、と思い、
話をすることを躊躇してしまうほどの複雑な思考の嗜好性。

 言葉の重さの感じ方の差。
投げられた言葉はとても重く受け止めるけれど、
投げかける時はそんなことを言ってはいけない!と聞いているほうがドキドキする言葉を発する人。

 自分の話す言葉は、大丈夫なのかな?
自分が書く言葉は、大丈夫なのかな?
そんなことを思った一日でした。

…こんなこと書いている時点で、アウトだな

 
コメント
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