日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

心があることを忘れないように。

2015-04-20 15:23:20 | 発達応援
 明日は、晴れという天気予報ですが、
本当ですか?という感じの曖昧な空の色です。
雨が降りそうなのか、灰が降っているのか、
黄砂が飛んできているのか、PM2,5なのか?
ずっと、夕方のような空の色です。

 買ったばかりで、読んでいなかった本を読みはじめました。
私より2つ年上の自閉症の方の本です。

 『言葉のない子と、明日を探したころ』 真行事 英子+英司




 お母様が書いておられて、そこに自閉症の息子さんが、
当時のことを思い出して、コメントを書いておられます。

 最初の出版が1982年で、私が買ったのはつい最近で、
2005年に再出版された本です。

 1982年というと、私は中学3年生でしょうか。
その頃の私は自閉症という言葉も知らなかったし、
私の住んでいた所は鹿児島の中でも更に、田舎だったので養護学校もなく、
障害のある人とは無縁の生活を送っていたと思います。

 それでも、鹿児島市内で過ごした小学生のとき、
近所に住む、小学生を見たら追いかけてくるという、
中学生か高校生の「変なお兄さん」がいて、
そのお兄さんが「よーごがっこーなんだって」と友だちの間でも、親の間でも言われていて、
子供心に「よーごがっこーの人は追いかけてきて、怖い!」と思っていました。

 そんな風だったので、友だちの家の近くに「よーごがっこー」があったのですが、
「自分たちとは違う人」という感じの、今思えば、とても嫌な、差別したり、区別するような気持ちで
その場を走り去り、「追いかけられなかったね!」とニカニカしていた無知な子どもでした。

 本は、おそらく、今のように「療育」とか「特別支援」などということもいわれることのない時代に、
自閉症の子どもさんの心に寄り添いながら、ときには、ぶち切れて、
でも切れる刃物は保護者にも向かい、同じように傷つきながら、子どもさんを懸命に育てた方の手記です。

 まだ、半分程しか読んでいませんが、
悲壮感がなく、からりとした淡々とした文章に、
これまた、淡々と当時を思い出す息子さんのコメントがとても良いです。

 東田直樹さんの本を読んだときも思いましたが、
自分の知っているカタチで表面にでてこなくても、人には感情や感覚や思いがあるということを
絶対に忘れてはいけない、と今回も改めて心に刻むことです。

 そして、心ある子どもたちに、関わる私たちも手を抜かず、
心あり、成長する人としてしっかりと関わっていかねばならない、と
気持ちを引き締めることでした。
コメント
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