日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

百人一首の思い出。

2016-01-07 20:22:10 | 日記
 今日は七草でしたね。
私も朝は4時ことこと七草粥を作りました。
前準備を忘れていて、干し椎茸などを入れることができませんでしたが、
七草だけのあっさり、おいしくできました。

 朝イチで食べて、積込みの仕事後、帰ってからも食べました。
今年も無病息災で駆け抜けたいものです。

 さて、七草になると百人一首の
君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪はふりつつ
を思い出します。

 幼稚園に入園前から、小学1年生くらいまで、
私の父はバスの中で、電車の中で、お風呂でと、
繰り返し、繰り返し、「秋の田の~、はい、言ってごらん」という感じで、
それはそれは、しつこく百人一首を私に覚えさせようとしていました。

 私はそれが嫌で嫌で溜まらず、耳をふさいで「わーわーわー」と言ったり、
お風呂でそれが始まると、お風呂にぶくぶく沈んだり、とっととあがったりしていました。

 何年も続いたのに、私が覚えたのは、
この、「君がため~」と「秋の田の~」と「春過ぎて~」の3首のみ。
さすがにがっくりした父は「これは、集中力がないからダメだ。」と諦めてくれました。

 小学2年くらいのとき、祖母のところで坊主めくりをして、
カルタとしての百人一首をしてからは、自分で覚えやすいものから覚えていき、
年上のいとこにも負けずに取り札をとっていました。

 高校生になる頃には、
毎年毎年の正月のいとこたちとの百人一首のカルタ取りのおかげで全部覚えていました。

 母は「バスでお父さんに『言ってごらん』っていわれても言えなくて、
私のほうが覚えるくらいだったのにねぇ~。お父さんは「これだけやってもできんとは!』って
がっくりしていたよねぇ。」とその頃のことを話したことがあります。

 だって、「つまんなーい。なんで、こんなの覚えるの?しりとりは好きなんだけどな。」とか
貴重なバスでのお出かけは「あ、あの車とあの車一緒だ!」とか、車のナンバー見るのに忙しかったり、
バス通りの葉っぱにバスの窓から手を伸ばし、触ったり、
私なりにやることがいっぱいあったのですもの、おほほほほ。

 ごめんね、とーちゃん。

 興味って、だいじですね。

 
 
コメント
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