ばんです!
今日は、阪神・淡路大震災から18年。
地震発生の午前5時46分、今年も現地では黙祷がなされたとのこと。
当時、凍えるような真冬の早朝。現場の混乱・苦悩を感じます(私の場合、それを想像するしかありませんが)。
改めて、この社会の中で自分たちが何をすべきか、どうあるべきかを問える機会です。
さて、一昨日は東京でひと仕事。
今年度、山賊キャンプ震災支援事業について助成をいただいている『福祉医療機構』での事務説明会がありました。
わたしたちの震災支援事業についての詳細はコチラ
(大雪中の泰阜村での『支え合いの1コマ』をだいちが綴っています。ぜひご覧ください。)
その行き帰りの道中は、ご存知のとおり、大雪の影響で高速バスも電車もお手上げ状態。
高速バスは運休。往路・復路ともに、普段の2倍の時間を要しました。
そんな中、高速バスの運転手さんの誠意あふれる真摯な対応にはすごく感動しました。
運休決定後、急遽立ち寄った最寄駅。
バスの降車場所から駅構内までの道のりを、雪の中で傘もささずに下見に走り、息を切らしながら丁寧に説明してくれました。
そんな非常時こそ、その人の本質が問われるものです。
私もそのベテラン運転手さんの姿を見習わなければ。
ちなみに、泰阜村までの帰り道。
結局、火曜日は駒ヶ根駅までしかたどり着けず、
その後、真夜中にヒッチハイクを敢行したのですが・・・失敗。
(試みたのは夜中の1時半~2時半。そりゃ車もつかまりませんね。笑)
そんなこんなで、昨日の朝方の始発で飯田へ戻ったのですが、駐車していた車のサイドブレーキが凍結。
自動車整備会社の方に協力していただき、ようやくお昼に泰阜へ戻ってくることができました。
そんなトラブル続きの道中。こんな時こそ、日常のありがたみを感じます。
バスや電車といった公共交通機関が時刻表通りに発着してくれること。
いつでも連絡をとることのできる携帯電話。それを動かすための電力が生み出されていること。
自動車のタイヤが4つ全て動くこと。
これまで、当たり前に“有る”ものだと感じていた様々なこと。
人間、それが無くなって初めて気づかされることが多々あります。
見知らぬ誰かの頑張り・支え無くして、こうした“当たり前”は存在しません。
この数日は、そこに盲目になっていた自分への戒めだったのでしょう。
本当に貴重な、有り難い(ありがたい)時間でした
感謝の心は1日にしてならず。ですね。
ばん
バスや電車での移動時間。
その時間の大半は本を読む勉強時間に充てています。
今回みたく、遅延により確保された時間は絶好の読書チャンス
でも、今回は全く本を開かず、ひたすらボケーッと雪景色を眺めていました。
たまにはそんな日もあります。笑