わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【天竜ライン下りに20年ぶりに乗船した!】 ~ぜひ皆さんも乗ってみてください!~ 

2016年06月13日 | 泰阜村のソコヂカラ
天竜川ライン下りに乗船した。

泰阜村内にあるにもかかわらず、約20年ぶりの乗船。

ちょっと反省だ。







今回は、研修で乗船した。

現在、私は村の観光協会の理事である。

村の観光資源をどう活かすのか?という議論のために。

乗って見てまず想うことは「楽しい!」

見どころも多いけれど、投網があったり、野生のトビとの交流があったり。

観光船というよりは、アウトドアの要素が入っていて、なんとなく新鮮だった。

もちろん課題は山積だ。

その後の総会の議論は、会長である泰阜村長のリードもあって活発だった。






天竜川は、諏訪湖に源を発し、日本中央部を横断して太平洋に注ぐ大河だ。

南アルプス(赤石山脈)と中央アルプス(木曽山脈)の水を集め、常に氾濫を繰り返し「暴れ天竜」と言われる。

隣村との境にこの天竜川が位置する泰阜村は、様々な意味で天竜川の影響を受ける。

ひとたび暴れれば大きな被害を被るが、それは同時に肥沃な土を上流からもたらした。

大河が隣の地域との境であることは、他地域との交流を途絶させることを意味する。

一方で大河は、水運の要衝ともなり、豊かな交易を実現させてもいる。

天竜は、泰阜村にとって、なくてはならない自然である。

しかし、その資源を観光に生かせているかというとまだまだだ。

天竜に限らず、この村には、きっと光る資源があるに違いない。

それを、眉間にシワ寄せて考えるのではなく、村の人々みんなであ~でもない、こ~でもないと、ワイワイ楽しくやりたい。


▼天竜ライン下りの終点は、秘境路線であるJR飯田線の無人駅。電車に乗って、始発地点まで戻ることもできる。









久しぶりに乗った天竜ライン下り。

皆さんも機会があればぜひお越しください。

そして、さまざまな角度からご意見をいただければ!

天竜ライン下りのサイトは、こちらへ



代表 辻だいち

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【福井集中豪雨の地から】

2016年06月12日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
北陸福井にいる。

ここ数年、福井市と旧美山町の皆さんでつくる協議会にアドバイザーとして呼ばれる。

自然体験教育や体験旅行を進める人びとだ。

この美山町との縁がまた深い。

2004年夏、この町は、福井集中豪雨に襲われた。

その年の秋に、新潟県で中越地震が起こる。

2005年夏、NPOグリーンウッドと泰阜村と村民でつくる実行委員会で、福井美山町と新潟長岡市のこどもたちを、キャンプに招待した。

泰阜村のこどもたちも交じって、3地域のこどもたちの交流でもあった。




その時の、福井美山町のカウンターパートが当時の美山町の前川教育長である。

今、私が関わっている協議会の会長が、この前川氏だ。

昨年も、この協議会の皆さんを連れて、泰阜村に視察に来た。

筋金入りの、泰阜村、そしてNPOグリーンウッドの応援だ。

「熊本からこどもたちをキャンプに招待します」

と言ったら、嬉しそうな顔をして激励してくれた。

「大事なことだ。応援する!」

あの時にキャンプに参加したこどもは、もう大学生か社会人だ。

きっと、応援してくれるに違いない。

この地でも、素敵な縁が紡がれている。







そして、福井は私の故郷である。

今日は実家に泊まった。

84歳のおふくろと、今春から大学に通う長男と3人で過ごす。

翌日、今日も一日がんばろうと朝、身支度していると、おふくろはちゃんとお化粧に時間をかけている。

いくつになっても女性だね。

素敵だと想う。

8年前に他界した親父の声があの世から聞こえる。

「お前、今こそ、出番だろ」と。

福井の地に立ってこその想いが湧き上がる。

福井に帰ってきたらまずは「おろしそば」。

相変わらずうまい。

やるぞ。


代表 辻だいち


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【聴く、聴く、聴く】 ~福島県飯舘村の今~

2016年06月11日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
南相馬市から、飯舘村に上がる。

地図上では、海岸線から左折して、阿武隈高地を抜けて福島市に至るという感じだ。

飯舘村は、今なお全村避難が続く。

もう5年もたつので忘れ去られていることも多いが、原発から30キロ圏外にあったがゆえに、北西方向に拡散した放射能に汚染され続けながらも、国からの避難指示が出なかったという、悲惨な被害を受けた村である。

この村とは、4年前に、飯舘村の被災児童を山賊キャンプに招待してから縁が続く。





バリケードで入れない高線量地域「長泥」地区。

区長さんはじめ皆さん、「バリケードの中なのに、なんで草刈なんかするんだ?って言われてる」と屈託なく笑う。

素敵な笑顔だ。





一方で「無駄な抵抗だとわかってる」と暗い顔も。

バリケードの中は帰還困難区域と言われ、除染すら実施されていない。

その周りの区域は、避難指示こそ解除されていないが、大掛かりな除染が続く。

方言がきつくて何を話しているかわからない時もあるが、彼らの言葉はきっとその複雑な状況を表してるのだろう。

バリケードを出ると、凄まじいまでの除染作業が展開され、山積みになった除染土が、彼らのふるさとの風景を変えている。


▼無駄な抵抗か?




▼人気のない長泥地区中心部




▼2011年3月の放射線量は、すさまじい数字




▼区長さんの家



▼牛を飼っていた




▼仔牛の名前が生々しい




▼家のカレンダーは、2011年3月で止まったまま






▼この除染済みの土とか、これからどうするんだろう?









飯舘村から福島市に降りた。

飯舘村の子育て世帯が避難している宿舎に足を運ぶ。

4年前に、この宿舎に避難しているこどもたちが、信州こども山賊キャンプに参加した。

その頃からお世話になる自治会の担当者に話を聞く。

子どもを3人抱えるお母さんでもある。

なかなか戻れない飯舘村。

でも、帰村宣言が出たところで、果たして戻るのか。

飯舘村の学校(仮校舎)に通い続けるこどもたち。

でも、もう、福島市の学校に転校した方が良いのでは。

いっそ、福島市に土地と家を購入するか。

帰村宣言が出たら、保証はどうなるのか。

あふれる想い、葛藤の想いが、口をつく。

簡単ではない結論を下さざるを得ない苦しみに、胸が痛む。

何ができるわけでもない。

私もまた子どもを3人持つ親として、彼女の想いをただただ聴いた。



夕方、バリケードの長泥から戻ってきた、区長さんと一献傾けた。

福島に来たら、ほんの少しだけでもこういう時間を設けることにしている。

最初に会った4年前は、「NPOは嫌いだ。自分たちの自己満足のために福島に来るだけだろう」と凄まれた。

そして同時に「おめえ、こんなんであきらめたらなんねえど」とニヤリと激励された。以来、4年、ことあるごとに福島まで足を運んで顔を会わせている。

今の飯舘村の状況を伝えてもらうために、私の立教大学の授業にもゲストスピークに毎年来てもらっている。

気軽に飲んで語り合う仲になったからこそ、初めて聞くことも多い。

今回は、聴き役に徹した。

彼が「人には言ったことのないことも、話せた。よかった」と言ってくれた。

こういう支援もまだまだあるんだな、と改めて想う。

「きっと一生つながっていく縁ですね」と約束して、福島を離れた。



4年前のこどもたちはもう高校生。

夏、熊本の被災児童を招待する山賊キャンプに、ボランティアでおいでと呼びかけた。

こうしてまた、豊かな縁が紡がれていく。



代表 辻だいち


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【途方に暮れる】 ~福島の海岸線に立って~

2016年06月10日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
いわきの親子と再会した翌日。

福島の海岸線を北上した。


いわき市豊間地区。

東日本大震災で、多くの津波犠牲者を出したところだ。

震災1か月後の2011年4月に、ここに来た。

目を覆うような凄惨な現場だった。

以後、毎年この場を訪れている。

5年たった今、この場を訪れて、のけぞった。

壊滅的だった集落は、区画整理どころか跡形もなく整地され、そしてこれでもかという防潮堤建設現場となっている。

あの自然の猛威を、またぞろとてつもないお金をかけた人工物で防ごうとしている。

すぐそこに、まだ収束もしていない福島原発があるというのに。

この場で命を失った人々の遺族もいるので、軽々しくは言えない。

でも、それでも、どうにもやるせない現場だった。

この現状が、福島から岩手まで、ありとあらゆる海岸線で起こっている。


▼海が見えない防潮堤




▼その防潮堤に上る








▼何もなくなった






私は想う。

海の近くに住んでいるのに、海が見えない状況はどうなのか。

海に近づけない状況はどうなのか。

海で遊べない状況はどうなのか。

海を危険と言うのなら、その危険なものから遠ざければ遠ざけるほど、やっぱり危険になる。

刃物や火、われわれはそれを歴史的に感じてきたのではないか。

危険と言われる刃物も火も、いよいよ暮らしの現場から消えつつある。

その状況自体が、どのような危険をまねているか。

海や川や、そして山、つまりは自然が、遠ざけられてしまうのか。

様変わりしてしまった福島の海岸線に立ち、途方に暮れる。









震災後に立ち入ることができなかった地に、今は足を踏み入れることができる。

しかし、放射線量は依然、高いままだ。

住民の姿はほとんどなく、作業着を着た復興関係者が被災地を行き交う。

富岡町の駅前は、震災後から2~3年は、そのままの状況だった。

原発爆発後に、その地に暮らす人々が全て避難したからだ。

暮らしがなくなった街は、悲しいまでに生命感がなかった。

今、富岡駅前は、何もなくなった。

おそらく剥がされるであろう線路が佇むだけだった。

車だけが通って良い国道6号線は、停車してもいけないし、脇道にそれてもいけない。

福島第一原発付近を通る時は、恐ろしいほどまでの放射線量だった。

富岡町の中心街も、浪江町の中心街も、あの時のままだ。

これが原発災害か、と改めて想う。


▼富岡町




▼富岡駅




▼駅の近くの家が残っていた




▼津波の被害がそのまま




▼富岡町中心街。人気がない




▼国道6号線から、福島第一原発。クレーンが動く。





▼脇道には入れない










▼浪江駅前




▼南相馬市小高地区の海岸




▼途方に暮れる







この土地に生きた人々の暮らしは、どこに行ってしまったのだろう。

福島の自然に育くまれた人々の価値観は、どこに行ってしまうのだろうか。

故郷を失った人が「失って初めてわかる」と言う。

震災後5年たっても、まだ10万人近い人が避難生活を続けている。

でも、避難先の生活は、もう避難ではなく日常になってしまうのかもしれない。

日本政府は、福島の避難地域に、次々と避難指示を解除している。

解除されるということは、補償の対象外となるということでもある。

いったい、どうなっていくのか。

福島の海が見えるはずなのに、見えない場所に立ち、途方に暮れる。



代表 辻だいち



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【今こそお前の出番やろ】 ~福島いわきで縁を紡ぐ~

2016年06月09日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
立教大学で、2コマの講義を終えて、すぐにいわき行きの特急に飛び乗った。

常磐線の特急なども、この5年でずいぶんと便利になったと感じる。

いわきはいわきでも、泉という駅に降り立つ。

駅前にホテルがある。

数年前に泊まったが、今回は、なんと別棟が増設されていた。

きっと復興需要だろう。



話を戻そう。

泉駅の周辺で、いわきに住む親子に再会した。

5年前に、いわきに住む彼(ニックネームはタカ)を泰阜村に招待した。

東日本大震災での、福島被災児童の支援キャンプ(山賊キャンプ)。タカは中1だった。

懐かしいなあ、。

震災直後の2011年4月に、いわきの家に尋ねた。

混乱の最中だった。

そこからどうやって、お互いにここまでの信頼関係を築いたのかを、笑いながら話した。


▼2016年6月のタカ(右)







いわきで再会した今、高校3年生。

進路を考える時に、泰阜にキャンプボランティアに行こうか、熊本に震災ボランティアに行こうかと考えていたそうだ。

そんな矢先に、泰阜村に山賊キャンプのボランティアにおいで、と、私から直接のお誘い。

すこぶる感動していた。

今夏、熊本の被災児童を山賊キャンプで招待する時に、彼がボランティアで駆けつける。

時を超えて、被災したこどもが、被災したこどもを支えるのだ。

今こそ、タカの出番だ。

今こそ、福島の、東北の出番だ。

そんな縁のつながりに、3人でおおいに語り合った。


▼2011年8月のタカ(右)




タカがこの夏、泰阜村に来てくれる。

このような、少ない人々にスポットをあてた支援こそが、泰阜がやるべき身の丈の支援である。

こんな豊かな縁を支えたい。

泰阜村の出番、山賊キャンプの出番だ。



代表 辻だいち


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【今はやりのアクティブラーニング?】 ~今年の立教大学はシアワセなのだ~

2016年06月08日 | 泰阜村が大学になる
今年から、立教大学は2コマ。

ひとつは、東日本大震災の年から続く「自然と人間の共生」の授業。

自然と共存しながら生き抜いてきた泰阜村のひとびとの営みや、被災地で復興に立ち向かう人々から、今後あるべき自然と人間の関係のあり方を考える授業である。

今期は、履修者300名。






そして今年から始まった授業は「大学での学び・社会での学び」という授業。

大学生になったばかりの1年生に、立教大学ではどのような学びがあるのか、その「学び方」を学ぶ授業である。

特に、立教が今年から力を入れている「サービスラーニング(社会貢献を通した学び」の一環の授業であり、私に求められているのは、教室の外の学びを強調しつつ、教室内の学びを融合させていくというものだ。

特に私は、地域社会からの学びをリクエストされている。

今期は、受講生190人。



どちらの授業とも、大人数の授業である。

最近は、アクティブラーニングが何かとはやりで、大学授業にも導入をと騒がれる。

しかし、われわれの世界では、そんなことはもう20年以上前からやってきている。

大人数ではなかなか参加型の授業はやりにくい。

確かにそうだが、それはそのスタイルをあきらめる理由にはならない。

4月からの毎週毎週の授業の試行錯誤を経て、ようやく、学びとはどうあるべきかについて活発な議論が交わされる授業になってきた。

190人という大人数の授業でも、参加型の運営にチャレンジである。







そんな授業に、6月14日、泰阜村の巨頭がゲストとして登壇する。

「わしゃ、生まれ変わったら教師になりたい」という魂の言葉を発した木下藤恒さん。

彼の住む最奥の集落から東京まで5時間半。

そこまでして語る内容は何なのか。

きっと吠えると想う(笑)







ここだけの話だが(笑)、その後も、キレキレの泰阜村長も登壇する。

5年間、授業をやってきて、初めて村長が来てくれる。

それを招いてくれる立教大学も粋だ。

私も楽しみである。

その後も、実はあっと驚くゲストが来る予定だ。




自然と人間の共生、社会からの学び。

学生はシアワセモノだと想う。

シアワセ。

そう想えるような、授業運営をしなければ、である。



代表 辻だいち




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【熊本地震の被災児童招待へ】 ~実現に向け支援基金設立~

2016年06月07日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
熊本の被災児童をキャンプに招待する。

泰阜村行政と、NPOグリーンウッドと、泰阜村民と、そして村外の泰阜村ファンと全国ネットワーク。

これらの協働による支援。地元新聞に紹介された。ご笑覧いただきたい。

そして、支援金募集の情報を拡散いただきたい。



南信州新聞 2016年6月7日


泰阜村 グリーンウッド山賊キャンプ
熊本地震の被災児童招待へ
実現に向け支援基金設立



 泰阜村のNPO法人グリーンウッド自然体験教育センターは村と協働で、毎年の人気企画「夏の信州こども山賊キャンプ」に熊本地震で被災した子どもたちを招待することを決めた。このほど熊本県と大分県の4市町村で説明会を開き、小学生高学年の約20人が参加に手を挙げた。村も交通費などの面で協力する方針で、7日開会の村議会6月定例会の本年度予算案に約64万円を盛った。

 同キャンプは大自然の中でアウトドア生活を楽しもうと、小中学生を対象に20年以上続く事業。募集開始から短期間で定員に達する人気ぶりで全国各地から参加がある。また阪神大震災や新潟中越地震、東日本大震災の発生を受け、被災した子どもたちの受け入れも積極的に実施しており、福島県からは5年間で250人余を同キャンプに招待した。

 「自然に恐怖を覚えた子どもたちに、キャンプを通じて自然はすばらしいということをもう一度知ってもらいたい」と辻英之代表理事。アウトドア関連の事業者や熊本出身の村民らの協力を得て顔が見える範囲内に声を掛けたところ、熊本県内は熊本市と御船町、南阿蘇村の3市町村、大分県は日田市中津江村から児童計20人余が参加することになった。いずれも家が全半壊したり車中泊を余儀なくされている子どもたちという。

 7月下旬から8月上旬に掛けて3泊4日の日程で順次受け入れる。期間中は東日本大震災のときに福島県内からキャンプに招待された子どもたちが、ボランティアで掛け付ける予定だ。辻代表理事は「つながる支援で支え合いの村づくりを進めていきたい」と話している。
 阿蘇熊本空港から空路と陸路を使って来村する予定で、キャンプ参加費や交通費を含め全体で約150万円ほど掛かる。村が約60万円を負担する見込みで、不足分は同教育センターが「あんじゃね震災支援基金」を設立して寄付の協力を呼び掛けている。同教育センターのホームページで詳しい内容や振り込み方法が確認できる。







皆さん、ぜひ、支援基金に協力をお願いします。

そして、基金について広くご紹介いただければ幸いです。


南信州新聞の皆様、ありがとうございました。

代表 辻だいち


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【ほんとにいろいろな支援があるものだ】 ~ありがとう、メイ!~

2016年06月04日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
今回の熊本行脚を支えてくれた、影の功労者がいる。

大分県竹田市の若夫妻。

1週間にわたる滞在に必要な、車を貸与してくれた。

これがありがたい。

レンタカーを借りるとけっこうな額になる。

その費用を九州に落としたいところだが、やはりボランティアでは限界がある。

軽ワゴンを気持ちよく貸与してくれた夫妻に、心から感謝である。



この夫妻の女性の方と縁が深い。

NPOグリーンウッドが主催する「信州こども山賊キャンプ」に、もう10数年昔にボランティアとして参画してくれた。

彼女が高校生の時である。

妹さんが、暮らしの学校「だいだらぼっち」にも参加した。

こうなると家族ぐるみの付き合いである。

同時期にボランティアに来ていた仲間の結婚式にも、私は呼ばれた。

主賓級の扱いに恐縮したものだ。






その彼女が、半年前から竹田に移住したという。

連絡をとったところ、被害はそこまでないと言う。

幼子を抱えているため、熊本の支援は気持ちがあってもなかなかできない、ならばぜひ車を使ってくれ、という申し出があったのだ。

自律的な人材の育成のひとつの結果だな、とうれしく想う。


ご夫妻と竹田の落ち着いた街中で、食事を共にした。

素敵な旦那さんと出会い、子供にも恵まれて、幸せな家庭を築いている。

生活は楽ではなさそうだ。

でも、充実した表情が、竹田での暮らしを物語る。

熊本のこどもたちを山賊キャンプに招待する。

そのための説明会やら折衝やらに、山賊キャンプボランティアOGの彼女の軽ワゴンが使われた。

山賊キャンプを通した支え合いが、こんなカタチになった。

支援にもいろいろあるな、と改めて感じる。






全国からの想いが集まりるつある。

きっと山賊キャンプに参加するこどもたちに、その想いが伝わるに違いない。


ありがとう、メイ(彼女のニックネーム)



代表 辻だいち

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【着れば着るほど熊本のためになる】 ~いろいろな支援があるものだ~

2016年06月03日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
熊本地震で被災したこどもたちを、信州こども山賊キャンプに招待する。

その経費、とりわけ熊本のこどもたちが信州を往復する交通費を使途にした支援金「あんじゃね震災支援基金」を立ち上げた。

しかし、東日本大震災に比べて、支援金は集まらないと想っている。

やっぱり、日本の大部分が「揺れ」を直接感じていないので、当事者意識が低い。

報道も、2ヶ月が経とうとする今、ほとんど報じない状況だ。

でもね、皆さん、私はこう思うんですよ。

日本全国の人々の関心の高低や報道の大小と、被災者とちわけこどもたちの心の傷の深さは、決して比例しないと。

困っているひとびとは、皆被災者だ。

その想いを強くして、熊本からこどもを迎えたいと想う。




そんな中、支援金に対して、いろいろな支援のアイディアが寄せられている。

このTシャツの売り上げが、熊本のこどもたちの交通費に充当されるという。

「着れば着るほど熊本のためになる」

本当にその通りだ。

いろんな支援があるな、と、改めて想う。

そのサイトのコメントを紹介したい。



緑深い南信州泰阜村の「山々」と熊本を繋ぐデザイン、「あんじゃね熊本」Tシャツです。
このTシャツの収益はすべて、南信州泰阜村のNPO法人グリーンウッド自然教育センター「あんじゃね震災支援基金」を通じて熊本地震で被災した子どもたちの支援プロジェクトに使わせていただきます。
現在、熊本市、熊本県御船町、熊本県南阿蘇村などから、被災した小学生約20人を泰阜村での山賊キャンプに招待する予定だそうです。
「着れば着るほど支援になる!」
皆様のご支援、ご協力、よろしくお願いいたします。
だいだら保護者連絡会 ばに〜








NPOグリーンウッドが主催する山村留学「暮らしの学校:だいだらぼっち」の保護者が、この支援を推し進めている。

この人は、東日本大震災の被災者だ。

娘さんを、5年間、暮らしの学校「だいだらぼっち」で預かった。

参加費は泰阜村行政が負担、こども受け入れはNPOグリーンウッドが担当、そして学校や村民が支える。

つい3か月前の3月末まで、娘さんが泰阜村にいた。

泰阜村とNPOグリーンウッドが続けてきた、身の丈の支援である。

その保護者が、今回の熊本地震の支援について考えてくれた。

被災したこどもと保護者が、時を超えて、被災したこどもたちを支える。

このTシャツの購入期限が迫っている。

ぜひ皆さんの手で、このTシャツ購入の支援を、広めてほしい。

オールジャパンで、熊本を支えたい。



代表 辻だいち


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【よっしゃ、信州ではとことん川遊び!】 ~熊本県南阿蘇村で説明会~

2016年06月02日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
大規模土砂崩れで、橋が落ちた村。

東海大学の学生が命を落とした村。

今、農業復興が急務な村。

こう聞けば、わかるだろうか。

熊本県南阿蘇村である。



西原町、益城町といった、震度7を記録した地域からは、阿蘇の南外輪山を大きく迂回した道路で行くことになる。

普通に行けば20分の道が、大きな被害を受けているからだ。

天気はあまり良くなかったが、阿蘇らしい雄大な風景の一端の中を車は走る。

外輪山を登り詰め、一気に下ると南阿蘇村である。

発災1週間後に来て以来、2回目となる。




南阿蘇村の子どもたちもまた、信州こども山賊キャンプに招待する。

こぢんまりとした説明会では、やんちゃな3人の参加が決まった。

お母さんたちと話をすると、避難生活が大変だった様子が聞けた。

今は元気な子どもたちだが、キャンプでは夜が心配だとも。


▼山賊キャンプの映像を、食い入るように見つめるこどもたち







何度も夜を迎える、信州こども山賊キャンプ。

しかも、そこは親から遠く離れている信州だ。

2004年に発生した中越地震と、福井集中豪雨のこどもたちをキャンプに招待している時に似ている。

あの時は、雨が降ると、こどもたちがおびえてテントに入ってしまった。

今回もまた、子どもたちの心に寄り添うことができるか。

それが問われる。



そして、川遊びの映像を見て、「俺、絶対、川で遊ぶ!」とも。

聞けば、南阿蘇では、川遊びは禁止されているらしい。

よっしゃ。

信州では、とことん川遊びをしてほしい。

自然の猛威に怯えきったこどもたち。

彼らに、もう一度、自然の素晴らしさを伝えたい。



代表 辻だいち



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