わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【この村が、大学になる】 ~泰阜ひとねる大学(九州大学バージョン?)~

2016年08月24日 | 泰阜村が大学になる
ひとねる大学(九州大学バージョン)。

泰阜ひとねる大学とは、小さな村と大学が真剣に力を合わせ、2年~4年かけて学生を育てる仕組みづくりの挑戦だ。



この夏、信州こども山賊キャンプのボランティアに、九州から若者がやって来た。

この若者は、私が、今年2月に九州大学で担当した集中講義「社会教育編成論実習」を履修した学生だ。

このブログでも紹介したが、注中講義は私にとっても手応えのあるものだった。

その時の学生の学びも確かなものがあったと勝手に想っているが、まさにその時の学びが彼を衝き動かしたということらしい。



その時の様子を記したブログの記事がある。→ こちらへ

もしお時間があればご笑覧いただきたい。



特に九州大学と泰阜村、NPOグリーンウッドの間に、実習契約やインターンシップの仕組みがあるわけでもない。

それにもかかわらず、彼は来た。

自分の時間と労力を使って、こんな遠くまで来なくとも、とも想う。

でも、ここまで来たからこそ得られる学びがあるのだ。

そう想うと、やっぱりうれしくなる。





教室で得た「学び」を自分のものだけにするのではなく、次の行動につなげてオープンしていく。

きっと今年2月の彼の学びが、この夏の子供たちの学びを支えたのだろう。

そしてまた、彼は学んだのだ。

この行動を伴った「学びの循環」がなんとも心地よい。

まだまだ九州大学と泰阜村の仕組みはわずかである。

でも、こんな小さな縁を丁寧に紡いでいくことが、今、求められている。

やっぱりわが村、若者をひとねる(育てる)チカラがあるぜ、ほんとにそう想う。


代表 辻だいち


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【その力を今、発揮する時】 ~泰阜ひとねる大学が新聞に掲載された~

2016年08月23日 | 泰阜村が大学になる
小さな村に学生や若者を育てる力がある。

その力を今、発揮する時。

地元新聞に掲載された。

お時間がある時でもご笑覧ください。



2016年8月18日 南信州新聞

持続可能な地域へ
外部人材うまく活用


 少子高齢化に伴う人口減少時代を迎え、自治体は持続可能な地域づくりに向け、人手不足を補い、外からの視点で新たな風を呼び込む「外部人材」の活用に着目している。売木村や泰阜村でも取り組みは進み、村がもともと持つ資源を有効活用したり復活させることで価値を見出し、地域経済の好循環につなげようとしている。


 泰阜村が本年度取り組む村と都市部の学生が学びを通して交流する「ひとねる大学構想」が環境省の支援を受け、持続可能な地域づくりに取り組むモデルケースとして動き始めた。

 環境教育におけるESD推進(持続可能な社会形成に資する行動)のための先導的実践拠点支援事業として環境省が活動費や人件費を補助する。活動メンバーは来年1月までに都市部の学生の学びや体験を通じて村の新たな価値を発見するプログラムを作成して実践する。

 選ばれたメンバーは実施拠点や自治体、有識者、地域からの9人と、環境省や愛知教育大などからの参加も含め総勢15人。うち泰阜村出身者は2人で、地域おこし協力隊やIターンなどほとんどが外部人材の構成メンバーだ。

 村出身者の横前明副村長は「外部人材による新たな交流は、村民が村の良さを再認識するいい機会になる」と指摘する。Iターンして24年目になるグリーンウッドの辻英之代表理事は「村の持続性を高めるために頑張っている。小さな村でも学生や若者をひとねる力がある。その力をいま発揮するとき」と語る。

 環境省中部環境パートナーシップオフィス(EPO中部)の新海洋子チーフプロデューサーは「村に訪れるようになって、人との出会い、人とのつながりが本当に面白い。その人とともにつくり出す時間や空間の中で交わす議論が、日本や世界を少しでも良くすれば」と期待を寄せる。

 人口1700人の村生活の価値観を共有できる若者をどう増やせるか。横前明副村長は「お客様ではだめ。一緒になって汗をかく事が大事」と指摘。外部の視点から村の新たな価値を見出し、村民のモチベーションを高めながら持続可能な地域づくりに励んでいく。






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【この村が、大学になる】 ~泰阜ひとねる大学(飯田女子短期大学バージョン)~

2016年08月22日 | 泰阜村が大学になる
泰阜ひとねる大学(飯田女子短期大学バージョン)。

泰阜ひとねる大学とは、小さな村と大学が真剣に力を合わせ、2年~4年かけて学生を育てる仕組みづくりの挑戦だ。

地元の飯田女子短期大学で養護教諭のタマゴを対象に授業を受け持って7年になる。

3つの授業を持っているが、今回の学生は「青少年体験活動演習」の履修生。

明確に養護教諭(要は保健室の先生)を目指す5名が泰阜村にやってきた。

この5名は、短大の専攻科に属している。

専攻科というのは、本科2年の後にさらに設けられた2年の研究科である。

あわせて4年制大学と同じ学士を得られるのだろう。

それもあってか、本当に目標にめがけて学ぶ姿勢が多い5名である。









前期には大学で何度か事前講義を行った。

泰阜村のこと、NPOグリーンウッドのこと、キャンプを通した学びのこと。

7月には名古屋で開催された、山賊キャンプボランティア研修会にも参加した。

高度かつ自発的な学びを身に纏い、彼女たちは山賊キャンプのこどもたちと向き合った。

養護教諭は学校内、とりわけ保健室の中での対応が主になる。

しかし、こどもたちを取り巻く環境は常に学校・保健室ではない。

遠足もあれば宿泊を伴う学習、修学旅行もあるだろう。

施設や機器がそろっていない状況でこどもたちと向き合う経験が、彼女たちには決定的に必要なのだ。

その経験を、泰阜村全体が提供する。

ちょうど熊本地震で被災したこどもたちも参加するコースだった。

全国から集まるこどもたち、青年たちと向き合い、泰阜村の自然と格闘し、村の土で育った野菜を食べながら、彼女たちは感覚を総動員させて学びを手にした。














「わたしは養護教諭を目指しています。大人や教員が笑顔でいることで、子どもたちは安心することができるのではないかということをこのキャンプを通して改めて学ぶことができました。子どもたち一人一人のことを理解し、一人一人の力・可能性を信じ伸ばしていけるような養護教諭を目指していきたいです」

キャンプ終了後のレポートに記してあった学生の言葉だ。

9月には、学びを改めて腑に落とす事後講義がある。

きっと彼女たちは、素敵な養護教諭になってくれるに違いない。

それを泰阜村から信じ続けたい。


代表 辻だいち



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【毒が抜け切った感じがする】 ~久しぶりに3日間寝込んでつかみとった感覚~

2016年08月21日 | 日々雑感
久しぶりに3日寝込んだ。

1日目は高熱に、2~3日目は猛烈な下痢に悩まされた。

学生時代、体育会とバイト、ツーリングに山登りに明け暮れて(残念ながら勉強はない)、さすがに身体が悲鳴をあげて寝込むときが1年に一度あった。

それ以来、無理がたたると同じサイクルで寝込んでいた。

ここ2~3年はなかったのだが、それは手を抜いて暮らしていたわけではなく、無理をしなくったのだろうと思いたい。

しかし、今回は学生時代のような症状だった。

前期、大学授業で毎週毎週、東京と名古屋通いの疲れか出たか。

とりわけ、東京は往復10時間かかるが、それを15週連続で続けるたいへんさは、皆さんにはわからないかもしれない。

それとも、慣れない立場で村の総合戦略を進めてきた疲れもあるかなあ。

いや、ハードな中国訪問で水が合わなかったか。

それとも歳相応の疲労蓄積か。

まあ、すべてあてはまってるのかもしれない。



こどもたちのキャンプをやることが仕事なので、盆暮れ正月が忙しい身だ。

その盆に寝込んでしまって情けない限りだが、この際、寝床で普段なかなか読めない本でも読もうかと思った。

とてもとてもそれどころじゃなかった。

高熱で頭がおかしくなりそうだったし、下痢で全く力も入らず集中力もなく。

しかも、部屋が暑い。

この夏は、いくら信州といえども暑かった。

そもそもクーラーなど部屋にないのが信州だ。

しかし、暑くて暑くて大汗をかきながら、これでもかというほど寝た。

3日間寝込んで、やっと毒が抜けた気がする。

おかげで、ビールを飲みたい!という気もしなくなった。

まあ、お酒はまた飲み始めるだろうが。



まだ本調子ではない。

後期に向けて身も心もリセットするための貴重な時間だったと想うことにしょう。

それにしても人間って、寝れるもんだなあ。

寝て寝て寝まくって、毒素を出していくのかもしれないな。


代表 辻だいち


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【ラストエンペラーの舞台へ】 ~「なんだかほっとした」と長男に言わしめた中国庶民の姿~

2016年08月20日 | 私のルーツ・私の物語
到着した北京は昼にもかかわらず薄暗かった。

長男と長女は「やっぱりあれかな」とpm2.5などのスモッグを連想する。

空港待機中の大雨とスモッグは、気が遠くなるほど広大な敷地の北京空港を霞ませていた。



今回、滞在中のコーディネートをしていただいた中国国際青年交流中心(センター)の陸さんにお願いをして、少し観光をさせていただいた。

定番中の定番と言う事だが、天安門広場から故宮:紫禁城へ。

私は2回目だが、あの時は仕事の合間に駆け抜けただけなので、今回はちょっぴり楽しみにしてた。

天安門広場に到着して驚いた。

その広さや規模もさることながら、それを埋め尽くす人、人、人にだ。

ちょうど夏休みの週末。

中国全土から観光客が来ているということ。

日本の地方から、東京の皇居やスカイツリーに観光客が集まるのと同じか。

同じ構造でも、人口が違うので、正直その人の多さには辟易した。

このひとびとが皆、故宮:紫禁城に向かうのかと思いきやそうでもない。

天安門広場を囲むように位置する毛沢東記念館や国家博物館など、分散されていた。

少しだけほっとしたが、それでも故宮:紫禁城の人の多さはすさまじい。

どうしてこんなに広い敷地なのに、こんな人ごみの中を移動しなけれなばらないのか、となんとも矛盾を感じながら一歩一歩足を進めた。

クライマックスの大和殿は、映画「ラストエンペラー」を想い出した。

その壮大さには、やはり何度来ても圧倒される。

長男と長女も満足したようだ。















故宮を後に路地入るとメロン売りがたくさんいた。

おそらく観光客に売りさばいているのだろう。

聞いてみれば、中国の奥地:新疆から出稼ぎに来ているという。

カメラを向けると、人懐っこい目線で応じてくれた。

謝謝。

確かにおいしそうに見えるが味はイマイチだった。

でも、こういうごちゃごちゃした雰囲気がいい。

特に長男は、6年前に中国東北部の黒竜江省に行っている。

その時の街角の雰囲気を想い出したということ。








午後は天壇公園。

皇帝が祈りをささげるところだそうで、これも世界遺産。

この公園では「こうじゃなくちゃ」という光景を見た。

中国の庶民は、白昼からみんなで博打している。

まあ、おそらく健全な交流だ。

聞けば、ボケ防止でもあるらいい。

なんともこの雰囲気がいい。






中国東北部の黒竜江省の田舎町では日常の風景だったが、首都北京でも同じ。

「なんだかホッとした」とは長男の言葉。

彼は6年前に黒竜江省に足を踏み入れた。

泰阜村は満蒙開拓で多くの人を中国東北部に送り込んだ。

かつて分村もあり、もちろんその後に凄惨な歴史があった。

それを乗り越え、国を超えて村同志の交流を続けている。

6年前に泰阜村の訪中団が結成され、長男が参加した。

中学1年の時である。

黒竜江省の省都ハルピンはまだしも、東北部の田舎は、そのまま昔の中国の趣を残す。

その印象が強烈だったのだろう、長男は中国の日常を北京に重ねあわせたのだった。





北京でも庶民は、気合を入れて博打を売っていた。

そんな交流は見ていて飽きない。

「こうでなくちゃね!」

大学1年になった長男は目を輝かせてつぶやいた。



朝から夜まで北京の街をめぐって気づいたことがある。

それは「緑が多い」ことだ。

雨のおかげでスモッグが洗い流されたこともあるのかもしれない。

すっきりとした視界に緑が映える。

長男もしきりに「緑が多い」と口にしていた。

生まれた時から信州の山奥で過ごす彼が言うのだから間違いはない。

長女はマイペースで淡々と過ごしているが、長男はとにかく感動しきりだった。

緑の多さもさることながら、建物や道路、空間のとりかた等々、あらゆるものが大きいことに感嘆していた。

忙しい日程だったがこじあけてよかった。

そして、長男長女を連れてきてよかった。

次は次男も連れてこなくては、と想う。



私も今回、親父の縁で強いつながりが中国にできた。

もしかすると、これまでにも増して、中国と関わることが増えるかもしれない。







ちなみに、長女が喜んでいたのは、北京空港に駐機中のオール2階建ての飛行機。

なんでや(笑)


辻だいち


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【時空の彼方から聞こえる声】 ~万里の長城に立って世界を俯瞰する~

2016年08月19日 | 私のルーツ・私の物語
中国の続きです。


想えば、私は中国には5回ほど来ている。

主には、地元泰阜村が満蒙開拓時代に分村を作った黒竜江省を、その文脈から訪問してきた。

そのうち、親父と一緒に訪問(部分的に)したのが、1度か2度か。

記憶が薄れていく自分がもどかしい。

けれども、万里の長城には初めて来た。


1986年、詳しい事情は割愛するが、親父はこの長城に立ち、「乾坤一擲(のるかそるかの勝負をかける)」の決断をした。

その決断があったからこそ、私もこうやって生きていられる。

だからこそ、米寿にみんなで万里の長城だったのだ。

今はローブウェーで長城に立てるようになっていて、おふくろなどは「隔世の感」と驚くやら喜ぶやら。

時節柄、中国の地方の人々が観光で動くらしく、長城は人、人、人でごったがえしていた。

暑い中、長時間並んで、歩いて、ようやく長城に立つ。

もちろん、亡き親父の遺影を持って。







初めて見る長城は、圧倒的スケールだった。

山の稜線を伝い、向こうの向こうまで続く長城を、いつまでも見ていたかったが、そんな余裕はなかった。

それでもいろんな想いが私の身体をかけめぐる。

平和を考える機会が多い8月に、息子や娘と共にこの場に立てたことは感慨深い。

30年も前に、親父はここでのるかそるかの決断をしたのかあ。

そして45年前(親父が46歳の時に)、無謀な勝負に打って出て勝利したのかあ。

今、私も46歳。

その「時」に、私もこの場に立てたことは、何かの運命かもしれない。

私は、いったい、何を決断するのだろう。

時空の彼方から、そして果てしなく続く長城の彼方から、「そんなことは自分で考えて決めろ」という親父の声が聞こえた気がした。

私は教育を通して平和を創ろう。

それが、日中友好に生涯を懸けた親父の遺志を継ぐことだと信じたい。






長城を降りてから日本への帰路につくときに、そういえば大学の採点業務を大量に残してきたことに気がついてしまった。

返ってからの業務を考えると恐ろしい。

それでも、すっきりして日本に帰れる。

強行だったが、来てよかった。


代表 辻だいち



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【アジアの平和は隣国との友好から】 ~日中友好は子子孫孫~

2016年08月18日 | 私のルーツ・私の物語
山賊キャンプと、大学講義の採点業務を抜け出して、国外脱出。

ここ10年来の悲願だった中国に来た。

今回は、親族での渡航である。


最も大きな目的は、8年前に他界した親父の遺影を持って、万里の長城に立つことである。

8年前に他界した親父が、生前に「米寿には、子どもと孫と一緒に万里の長城に行きたい」と常々言っていた。

それを楽しみにして衰える身体と心を奮い立たせていたといってもいい。

それは叶うことなく、親父は他界してしまうのだが。



なぜ中国なのか、なぜ万里の長城なのか、ということだが、それには深い訳がある。

私の筆力ではその深さには到達できないが、少しだけ紹介する。

親父は、福井県小浜市の小さな集落に生まれ、青年団活動に従事していた。

そのうち日本青年団協議会の第4代会長に推される。

まだ中国との国交がない時代に「アジアの平和は日中の青年交流から」と、日本中の青年の力を結集して政府と交渉し、パスポートを勝ち取ったという。

その頃に交流した中国の青年たちとの関係が恐ろしいほど深い。

親父の友人リストには、後の中国国家主席など最高指導者たちの名前がずらりと並ぶ。

青年時代に培った友好を土台に、親父は日中友好の先端を走り続けたということだ。

親父の功績はここで書けるものではないので、とりあえずここまでにする。


親父は自らが拓いた日中友好の扉を、子子孫孫にわたって拓き続けてほしいと願い続けた。

本当は、親父が生きているうちに中国に来たかった。

それでも、遺影を持って訪問したのは、中華全国青年連合会。

日本青年団協議会のカウンターパートである。

その昔、親父の通訳を務めた人が今は上層部の役職を務めていて、出迎えてくれた。

彼女が涙ぐみながら親父の話をするのを見ると、親父の功績がどれだけのものかが偲ばれる。

親父からすれば私は子どもになる。

そして私の息子、娘は、孫になる。

子どもと孫が来訪したことを、全青連の人たちも、親父の昔からの友人たちも、ことのほか喜んでくれた。


▼中華全国青年連合会で




▼日本で言えば、国立オリンピック記念青少年総合センターのようなもの




▼亡き親父の盟友:夏さん。おふくろと親父の遺影と共に。







ちょっと長くなるのでここまでとし、続きは次回にします。

代表 辻だいち

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【この村が、大学になる】 ~いよいよ役者がそろった~

2016年08月17日 | 泰阜村が大学になる
この村が、大学になる。

泰阜ひとねる大学構想が、少しずつ進む。

国の関与はさておき、小さな村の住民が自己決定権を発揮させることが大事。

地元新聞の1面で大きく紹介された。

お時間ある時にでもご笑覧ください。


2016年8月12日 南信州新聞

持続可能拠点モデルに
泰阜村 ひとねる大学構想
環境省支援で地域づくり


 泰阜村が本年度取り組む村と都市部の学生が学びを通じて交流する「ひとねる大学構想」で10日、環境省の環境教育における「ESD推進」のための先導的実践拠点支援事業により、第1回評価会議が村役場で開かれた。環境省をはじめ、同大学構想の実施拠点や自治体、有識者などが参加して、持続可能な地域づくりへの課題解決に向け意見交換した。


 同支援事業は地域の環境教育拠点のESD(持続可能な社会形成に資する行動)的な視点の人材育成を支援することが狙い。同省が行う初めての取り組みで、中部7県の管内で泰阜村と岐阜県と三重県を流れる揖斐川流域の2か所を選び、助成金などで支援する。
 地域の多様な主体で構成する議論の場「支援プラットホーム」会議を設け、9月から来年1月までの間で視察、プログラムの作成、モデル実施、ヒアリング調査を行い、同2月の第2回評価会議でまとめる。

 この日の会議では、同大学構想の現状報告と課題などについて意見交換した。村が都市部の学生を村内で育み、将来的には4年制大学とのサテライト実現を目指す同大学構想。近況報告でグリーンウッドの辻英之代表理事は、ことしも1000人余の子どもたちと300人以上のボランティアを全国各地から受け入れている山賊キャンプの状況を含め「村の持続性を高めるために頑張っている。村にはそれを実現できる力がある」と強調した。

 ことし初めて2年生9人を村内合宿させた、名古屋短期大現代教養学科長の茶谷淳一教授は「多くの村民との輪が広がり、学生も喜んでいる。そんな姿を見て何か引き出せるものがあれば引き出したい」と語り、横前明副村長は「価値観を共有できる若者を増やし、一緒になって汗をかくことが大事」と述べた。

 環境省中部環境パートナーシップオフィス(EPO中部)の新海洋子チーフプロデューサーは「1,2年で結果を出すことは無理かもしれないが、短期間で得られるものもある。数値だけに頼らず思いのある大事な評価も念頭に支援していきたい」とし、環境省中部地方環境事務所の曽山信雄環境対策課長補佐も「素晴らしいプログラムを組み、モデルとして情報発信したい」と期待した。

 今後は村の未来を学び合う場と仕組みの創出に向けてプログラムの作成を進める。支援費用は現在算定中としている。





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【全国誌:日本経済新聞で紹介された】 ~熊本地震、教育を通した支援~

2016年08月16日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
「信州こども山賊キャンプ×熊本地震こども支援」

泰阜村とNPOグリーンウッド、村民の皆さんと、村外のファンとネットワークの協働で取り組んできた「教育を通した支援」。

全国誌でも大きく紹介された。

日本経済新聞、ご笑覧ください。



日本経済新聞 2016年8月1日

被災地の子供 海・山で癒やし
熊本地震 各地NPOが招待
自然に親しみ共助学ぶ


 熊本地震の発生から初の夏休みに入り、熊本、大分両県の子供たちを海や山での集団生活に招待する取り組みが広がっている。大きな揺れやその後の不自由な避難生活―――。小さな心が抱えるストレスを和らげるとともに、助け合って乗り越えていく大切さを学んでもらうことが狙いで、主催者は「自然の素晴らしさも再認識してほしい」と望んでいる。

 キャンプファイアにドラム缶風呂、火起こししてご飯作り―――。自然体験プログラムを提供する長野県泰阜村のNPO法人「グリーンウッド自然体験教育センター」は熊本市の一般社団法人と協力し、8月中旬まで最長4泊5日のキャンプに熊本県と大分県の小学生を招いている。同村の予算や寄付金などの支援を受け、参加費は無料だ。

 7月下旬には土砂崩れで国道が寸断されたままの大分県日田市の小学4~6年の6人が参加し、「震災後の生活と違って、のびのびと遊べた」などの声が上がった。8月は熊本県御船町、南阿蘇村、熊本市東区の小学生が自然に触れる。

 同センターの辻英之代表理事は「自然の恐ろしさや猛威でおびえた子供たちに、もう一度自然の素晴らしさを伝えたい」と企画した狙いを説明。そのうえで「食事作りなどの共同生活を通じ、力を合わせれば課題を乗り越えられることも学んでもらえたら」と、九州の子供たちを思う。

 登山家の野口健さんが理事長を務めるNPO法んも8月16日~19日、別のNPO法人と協力して熊本県益城町の小中学生約25人を招待する。野口さんらが5月末まで、車中泊で避難する住民向けに設けた同町の総合運動公園で設営したテントに避難した子供たちが対象。富士山の麓の山梨県富士河口湖町でキャンプや登山に挑戦する。

 被害が比較的軽微だった熊本県内の団体もイベントを計画する。上天草市の街づくりに取り組むNPO法人などでつくる「10000人海遊びプロジェクトinあまくさ」は7~9月末、同市の海水浴場に1万人を目標に幼稚園児から中学生までを招待。バナナボートや海の生物との触れ合いを楽しんでもらう。

 事務局を務める鍬下一嘉さん(35)は復興には長い時間が必要と考え、「県外からの支援が少なくなっても県民同士で支え合っていくきっかけとなれば」と意義を強調している。


感情出せる機会に 専門家


 過去の自然災害と同様、熊本地震の経験者の中には心のケアを必要とする子供がいる。熊本県と熊本市が5月に県内の公立小中学校や高校に通う児童生徒17万8千人を対象に心の健康調査を実施したところ、約4300人に専門家の支援が必要との結果が出た。

 日本心理臨床学会で被災者などの支援に当たる支援活動委員会の窪田由紀委員長は「のびのび遊べる環境に行くことは、地震後に我慢していた感情を出せる機会になる」と指摘する。さらに「キャンプなどの集団生活で自分が役割を果たし貢献できたと実感できることがあれば、地震後に陥る恐れがある無力感を防ぐことにも役立つ」という。




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【支え合いによる平和構築を】 ~8月15日、南信州泰阜村にて~

2016年08月15日 | 泰阜村のソコヂカラ
今夏、私たちNPOグリーンウッドは、地元泰阜村と住民、そして村外のファンとネットワークとの協働で、熊本地震の被災児童18人を「信州こども山賊キャンプ」に招待している。泰阜村は人口たった1700人ほどの、国道も信号もコンビニもない、文字通り「何もない村」だ。


「自立支援」の名のもとに、老人や若者、母子家庭、そして子どもにも「自己責任」と「自立」が強要されるようないわば新自由主義的な政策が実施され続けている。「個人の能力を高めて自立せよ」と迫る政策は、人間をばらばらな孤立した存在にし、およそ「自立」できない個人、集団、地域に「自立」を強要する。要は、「自分が強くなる」ことが「自立」だという。


しかし、どうも腑に落ちない。南信州で長年にわたり山村留学や自然体験キャンプを続けてきた私にとっては、個人の能力にスポットをあててそこをいくら強化してもそれは本質的な自立とはいえないのではないか、という思いが常につきまとう。


24年間見続けてきた子どもたちの姿は、決して「強い個人」ではなかった。むしろ、思い通りに進まないことに腹を立てたり、自分のことを自分で決められなかったり、仲間のことを思いやれないといった「弱い個人」の姿だ。そんな「弱い」子どもたちであっても、支え合い、認め合う仲間が「そこに存在する」という安心感の中で、確かに成長していく場面を見続けてきた。


例えば、暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)に目のつりあがった小5の女の子が参加してきた。触るもの皆傷つける、といった雰囲気を身にまとう彼女の口癖は、「どうせ」だった。

「どうせ私の言うことなんて聞いてくれないんでしょ!」

「どうせ私なんかできないから!」

「どうせ大人が決めるんでしょ!」

不思議でならない。自分の可能性を低く設定している。自分を否定的にとらえている。おそらくそれまでの10年間、そういうことを学習してきてしまったのだろう。


当然、毎日毎日、仲間とケンカだ。それでも仲間は誰も、彼女と関係性を創ることをあきらめなかった。みんなで彼女の意見を大事にし続けた。その日々の積み重ねが、いつしか彼女に「自分の意見が大事にされている」と気づかせるようになる。この「周りから認められる」という実感と積み重ねが大事なのだ。認められているという実感は次に、周りを認めようとする姿勢に発展する。

彼女は1年かけて周りから認められる実感を、その手に握った。その実感を通して、周りの人たちを認めることができるようになった。
そしてつりあがった目は見事なまでにやさしくなった。


「支えられている、認められている、応援されている」ということを、子どもたち自身が実感できる「場」や、実感できる「周囲との関係性」が、今は本当に少ない。その実感と安心感があれば、周りを支え、認め、応援することを自らできるようになるだろう。


同じことは、子どもだけでなく、生産能力が低いと(断定)されてきた老人や障がいを持つ人びとにも当てはまる。彼らもまた、一人一人が「自立」しているから「支え合う」ことができるのではなく、「支えあう」からこそ「自立」して生きようと思えるようになるのだ。






新自由主義政策のはざまで息切れしそうなへき地山村もまた、単独で「強くなれ」と迫ること自体にもはや限界が来ている。東日本大震災や熊本地震等で被災して壊滅的な状況に陥った小さな地域は、今、互いに「支え合い」ながら「自立」しようとしているではないか。


「『支えあい』の中から滲み出るように生まれる確かな『自立心』」。それが「自律」だ。この国にはそれが欠けている。


今なお放射線と闘う日々を送る福島の子どもに、地震に豪雨そして猛暑や台風と立ち向かう熊本の子どもに、そして疲弊しきったへき地山村に、「もっと強くなれ」と誰が言えようか。子ども、老人、障がい者、被災地・被災者、へき地・・・、弱く小さな力を侮るな。


より弱いものが犠牲になり続けてきた「負の連鎖の歴史」にピリオドを打ち、「支え合い」による「自律の国づくり」に踏み出そう。


「核」や「武力」による平和構築と訣別し、「支え合い」による平和構築へ、今、踏み出そう。


満州開拓、植林、減反、自治体合併・・・、国策に翻弄され、非効率の名のもとに切り捨てられてきた「何もない村」:泰阜村から、東日本大震災から5回目の終戦の日、そして熊本地震で犠牲になられた方の初盆の時期に、日本再生のメッセージを発信したい。


代表 辻だいち


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