わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【支援金協力のお願い】〜熊本地震で被災したこどもたちを信州こども山賊キャンプに招待します〜

2016年05月26日 | 支援基金の協力のお願い
NPOグリーンウッドの熊本地震支援

「あんじゃね震災支援基金」(第一次)

ご協力のお願い


〜 熊本地震で被災したこどもが泰阜村で安心して遊ぶために 〜

熊本県熊本市・御船町・南阿蘇村等のこどもたちを山賊キャンプに招待します。




▼東日本大震災の支援では、福島のこどもたちを5年間で250名招待した




●趣旨
 このたびグリーンウッドは、平成28年熊本地震における震災支援活動を開始しました。
 私たちがすべき支援は、私たちの本分である教育活動を通して、長期的に被災者・被災地を支えることです。
 私たちは、被災したこどもたちを招待して、全力を挙げて信州こども山賊キャンプを実施します。自然の猛威におびえきった熊本のこどもたちに、もう一度自然の素晴らしさを伝えたい。失われた小さなコミュニティの底力を、もう一度こどもたちに伝えたい。そして全国のこどもたちに、過酷な状況に陥ってもなお周囲の人と協調をとりつつ生き抜くための「支えあいの気持ち」や「サバイバルスキル」、「的確な情報収集と状況判断能力」を育成したいと強く思います。

 「あんじゃね」とは、「案ずることはない」を意味する南信州の方言です。日常では「大丈夫だ」「安心だ」という意味で使われています。今回の支援基金にこの言葉を冠したのは、九州のこどもが、まさに「あんじゃね」と安心して暮らせるための支援をささやかながら行いたいという願いからです。

→グリーンウッドの熊本震災支援方針(こちらへ→)

●第一次基金のお願い
 グリーンウッドは、方針1にある通り、信州こども山賊キャンプに被災したこどもを招待します。余震におびえ続けストレスが頂点に達する中、せめて夏休みだけは外で思いっきり遊ばせてあげたい、というニーズに応えます。現在、熊本県熊本市・御船町・南阿蘇村等から約20人のこどもたちの参加が決まっており、被災地周辺からの参加も調整しているところです。今後、説明会、健康状況とりまとめなどが続きます。
 第一次基金の使途は、第一に、方針1のキャンプに招待するこどもの交通費(九州〜泰阜)、参加経費です。第二に、方針1の折衝、打合せ、説明会などに関わる活動経費(スタッフの旅費交通費など)です。


●目標設定額
 150万円

●第一次基金締め切り
 2016年7月末日

●口座
1)ゆうちょ銀行から振り込む場合
銀行名:ゆうちょ銀行
口座番号:11110―14667441
口座名称:あんじゃね震災支援基金
フリガナ:アンジャネシンサイシエンキキン
2)ゆうちょ銀行以外から振り込む場合
銀行名:ゆうちょ銀行
支店名:一一八(読み イチイチハチ)
店番:118
預金種目:普通預金
口座番号:1466744
口座名称:あんじゃね震災支援基金
フリガナ:アンジャネシンサイシエンキキン

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【平成28年熊本地震支援についての方針】 〜信州こども山賊キャンプに被災児童を招待〜

2016年05月23日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
平成28年熊本地震支援についての方針

NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター



 このたびの「平成28年熊本地震」にて被災されました皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。また、震災により尊い命を無くされました皆様のご冥福を謹んでお祈りし、ご遺族の皆様に深くお悔やみを申し上げます。

 さて、すでにご存知の通り、熊本地震では、小規模自治体や小さな集落が山の猛威に晒されました。人口1,700人の小さな山村:泰阜村で教育活動を行う私たちにとって、それを他人事にはできません。
 泰阜村は、国道も信号もコンビニもないような厳しい立地条件ですが、それが故に村内の資源を総動員して、村民が支え合いながら村を維持してきました。
 その泰阜村で30年間育てられた私どもグリーンウッドは、度重なる災害に際して泰阜村が大事にし続けてきた「支え合い」や「お互い様」を土台にした「教育活動を通した支援」を、身の丈の支援活動として地道に行い続けております(※注1)。

 今回の過去に例を見ない被災状況に際してグリーンウッドがすべき支援は、これまでと同様に私たちの本分である教育活動を通して、長期的に被災者・被災地を支えることです。それは、泰阜村行政や地域住民他との総合的な連携による支援を意味するものです。
支援内容の概要は次の通りです。


1.「信州こども山賊キャンプ」等の教育活動への被災児童受け入れ。
2.教育を通した支援のための「あんじゃね震災支援基金」の運用(使途は被災児童支援)(※注2)
3.泰阜村民の叡智の結集による「ひと」にテーマを絞った支援
4.過去の被災者と今回の被災者、全国の地域同志が支え合う仕組みの促進

5. その他


 私たちは、全力を挙げて「信州こども山賊キャンプ」や暮らしの学校「だいだらぼっち」等の教育活動を実施します。自然の猛威におびえきった熊本のこどもたちに、もう一度自然の素晴らしさを伝えたいと強く思います。失われた小さなコミュニティーの底力を、もう一度こどもたちに伝えたいと強く思います。
 そして全国のこどもたちに、過酷な状況に陥ってもなお、周囲の人たちと協調しつつ生き抜くための「支え合いの気持ち」や「サバイバルスキル」、「的確な情報収集と判断能力」などを育成することに全力を注ぎます。


▼東日本大震災では、信州子ども山賊キャンプに、5年間で250名の福島のこどもを招待した。




 願わくは泰阜村のような小さな地域が知恵を出し合い、それが束となって、息切れしそうな小さな地域を支える。そうした小さな地域同志が学びによって支え合う構造を、今まさに創出すべきであると考えます。過去の災害で傷ついた被災者や被災地域と、今回の地震の被災者や被災地域が支え合うことを、学びを通して促進してくべきであるとも考えます。
30年間で培ってきた、全国のネットワークとも有機的に協働し、今回の震災支援方針を形にしていきます。
 どうか私どもの「支え合い」や「お互い様」を土台にした方針についてご理解をいただき、今後の支援活動にご協力をいただけますよう心よりお願い申し上げます。
 
 最後になりますが、被災地におかれましては、一日も早く普段の生活に戻れますよう、皆様のご無事を心よりお祈り申し上げます。


2016年5月1日

NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター
代表理事 辻  英 之         



(※注1)
 1995年に発生した阪神大震災では、3人の被災児童(西宮、芦屋、神戸の小学生)を3年間、暮らしの学校「だいだらぼっち」に受け入れました。生活と教育はNPOグリーンウッド、学校は地元小学校、サポートは地域住民、経費は全額村が負担するという、村をあげての受け入れ態勢を作り、長期にわたる支援を続けました。
 1997年に福井県三国町沖で転覆した重油タンカー事故では、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもが中心となり、泰阜村民と共に数回にわたり猛吹雪の中で油を掬いました。その際、「神戸のお返しや」と、村で受け入れた阪神大震災被災児童も参加しました。
 2004年に発生した中越地震では、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもが新潟県長岡市やまどり地区に雪かきボランティアに行き、翌年の2005年夏にはやまどり地区の小学生と、同じく北陸集中豪雨で被災した福井県美山町の小学生を「信州こども山賊キャンプ」に招待し、泰阜村の小学生と合同自然体験教育キャンプを実施しました。
 2011年に発生した東日本大震災では、3人の被災児童(福島県、千葉県の小学生)を5年間、暮らしの学校「だいだらぼっち」に受け入れました。また、福島県の被災児童約250人を「信州こども山賊キャンプ」に招待しました。どちらも村を挙げての受け入れ態勢を作り、特に教育を通した支援を続けてきました。

(※注2)
「あんじゃねえ」とは、「安心しろ、大丈夫だ」というニュアンスで使われる泰阜村の方言です。こどもも老人も自然環境もそしてコミュニティも、「あんじゃねぇ」と安心して暮らしていきたいという願いからです。九州で絶望的な状況に陥っている小さな地域やその地域のこどもが、まさに「あんじゃねぇ」と安心して暮らせるための身の丈の支援を行います。

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【子どもらしい顔】 〜一家総出の田植えから〜

2016年05月21日 | ひとねる=自律のひとづくり
一家総出の大仕事である。

暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもとスタッフ、そして保護者の皆さんも可決ててくれた。

田起こしから肥料まき、水路作り、苗床作りと苗の世話・・・。

すべてこどもたちが手掛けてきて今日がある。

今日の田植えは、体験の範疇ではなく、暮らしを支える仕事だ。

こどもだから・・・という甘えは、少なくともこどもたちの中にはない。

大人顔負けのプライドである。







なぜだろう、田んぼに入るとこどもたちの顔が輝いてみえる。

ひとつは、大人からの信頼がそうさせるのだと想う。

「こどもには無理」ではなく、「こどもにもできる」という想い。

信頼されている、という土台に支えられて、こどもたちは耀く。

そして、やはり自然のチカラが、足元からこどもたちにエネルギーを送るのだろう。

その顔は、実にこどもらしい。







あなたの仕事は勉強なのよ、と、いつの間にやら勉強部屋に追いやられた子どもの顔。

危険だからと刃物や火を扱わせてもらえない子どもの顔。

大人が決めたスケジュールをこなす子どもの顔。

子どもには無理だからと不便なことに挑戦できない子どもの顔。

それらは果たして本当に子どもらしい顔なのだろうか。






田植を終えた子どもたちの顔は、汗がボタボタと流れ、土の汚れがべったりだ。

その顔にカメラを向けると、彼らはニヤッと笑う。

その顔は確かに輝いている。

そう、自信に満ち溢れているからだ。

そして、これこそが、「子どもらしい顔」なのだ。







泰阜村の風土に囲まれて、、地域の人々やスタッフといった大人からの信頼されて、こどもらしい顔に輝く。

代表 辻だいち


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【そんな大学もあっていい】 〜小学生が大学生を教える?〜

2016年05月18日 | 泰阜村が大学になる
この週末、泰阜村がちょっとした大学になった。

山梨県の小さな町の公立大学、都留文科大学から14人の学生が来た。

旧知の高田研先生のゼミ生たちである。



彼らは、まずは「自然学校」の現場を見ることが目的だそうだ。

到着した後、NPOグリーンウッドのスタッフから事業概要と施設案内を受ける。

その間、私は高田先生とコーヒーを飲みながら、情報と意見を交換。

暮らしの学校「だいだらぼっち」の母屋は、創設者のカニ(梶さん)ともゆっくりと話せるし、こどもたちもちょっかいを出してくる。
豊かな時間と空間だと改めて想う。

学生たちは、施設案内を受けた後、五右衛門風呂焚きや夕食つくり。

ここでは小学生のこどもたちの方が、暮らしのレベルもスキルも高い。

なので、こどもたちが学生たちの先生である。

そんな大学もおもしろいかもしれない。



夜は、学生たちとNPOグリーンウッドのスタッフがおおいに懇親を深めた。

われわれスタッフの中にも、都留文科大学の学生がいる。

休学して参加しているクマちゃん。

今年の1年間教員養成プロジェクトに参加している。

正確にはスタッフではないのだが、一緒に暮らしているので家族なのだ。

やはり良い縁は、紡がれていくものだ。

そんな居心地の良さも手伝い、高田先生もずいぶんと語っていた。

もう覚えていないと想うが(笑)




翌日も午前中は、草刈や畑仕事を手伝ってくれたようだ。

小さな集落に生きるためには、草刈は必須である。

村の人々は見ている。

たとえ30年たったとしても、われわれヨソモノが、どのような立ち居振る舞いをするのかを。

どれだけ素晴らしい教育活動をしていても、敷地周りの草刈りをきちんとしていなければ、村民としての評価は低い。

そんなことも、学生さん、少しはわかってくれたかなあ。







今回は、1泊2日ということだったので、視察見学に毛が生えたようなプログラムだった。

2泊とか3泊だと本格的に教育目標を設定したプログラムを、大学と一緒に創る事業も行っている。

そして、泰阜村自体が高等教育機関になるという構想も動き始めた。

泰阜ひとねる大学構想。

ひとねるとは、「育てる」という意味の泰阜村の方言である。




14人が泰阜村を後にした3日後の5月18日。

今度は私が、都留文科大学の公開セミナーに招へいされた。

泰阜村の取り組みを、環境教育やESD(持続可能な開発のための教育)という切り口で話をする。

週末に泰阜村を訪れた学生たちも聴講しに来てくれた。







このような何度も往復のある双方向性の学びと育ちを、泰阜村と大学の協働が可能にしている。

単なるサテライトキャンパスではない。

泰阜ひとねる大学として、既存大学と協働する。

泰阜村の教育力が発揮される日は近い。

さて、どうなるか。


代表 辻だいち


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【自発的な参画を】 〜泰阜村が大学になる「泰阜ひとねる大学構想」が動き出す?〜

2016年05月12日 | 泰阜村が大学になる
駒沢大学に来た。

ここ数年、毎年ゲストスピークで呼ばれる。

李ヤンヤン先生だ。

同い年で気も合い、親近感もある。

彼女は、中国東北部の長春の出身。

泰阜村もまた、ハルピン郊外に満州開拓の分村を持つ。

少なからず、どころか、おおいに縁がある、と勝手に想っている。



今回ゲストスピークしたのは、「市民社会論」と「社会参加実習」。

「市民社会論」では、「市民とは創造的に社会を創る存在」というテーマで話した。

泰阜村という小さな村においての、自律的な村民の歩み。

そして、自律の教育をめざすわれわれNPOグリーンウッドの取り組み。

具体的かつ継続的な事例に、少しは学生の役に立ったかもしれない。

「社会参加実習」では、1年生を相手に、社会参画や社会貢献の意義を話した。

とはいっても、信州こども山賊キャンプなど、われわれの手に届く範囲の活動だけだが。

それでも、内向きな高校生活を送ってきた彼らにとっては、扉を開くようなお誘いだったのかもしれない。



近頃は、社会に関わらなくても生きていける。

しかし、社会に関わった方が実はおもしろい。

若者がその楽しさを感じとっていないのであれば、それは大人の責任でもある。

自分の人生を自分で決める。

自発的に社会に参画する。

こんな当たり前のことを、今は授業で教えているのも、どうかと想うが。






ヤンヤンの3年生ゼミが自発的に泰阜村に調査に来るかもしれないとのこと。

3年生たちが授業の合間に、私に質問をしにきた。

そうそう、いいぞ。

「4年世にも呼びかけて、ゼミ合宿を検討します!」

自発的に社会に参画する。

ぜひやってほしい。



ここ数年、泰阜村と大学が協働して、学生の学びの質を深めようという動きが起こっている。

名古屋短期大学と泰阜村との協働が大きなカタチではあるが、複数の大学との協働も始まりそうだ。

泰阜が、高等教育の場、青年教育の場になるように。

拙著「奇跡のむらの物語」でも記したが、「やすおか教育大学」ともいうべきカタチができつつある。

泰阜村ではこれを「泰阜ひとねる大学構想」として動きだそうとしている。

※「ひとねる」とは、育てるという意味の泰阜村の方言である。



今回の縁をいただいた、ヤンヤンに感謝したい。

学生諸君、ぜひ泰阜村に!


代表 辻だいち


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【残りの人生を捧げる】 〜命の授業から命の桜前線へ〜

2016年05月11日 | 泰阜村のソコヂカラ
5年ぶりに、東日本大震災で出会った方と再会した。


東松島市野蒜地区。

東松島市のなかでも多くの犠牲者を出したところだ。

ここに成瀬第二中学校があった。

午前中に卒業式が終わり、卒業生は隣の施設で謝恩会を行っていた。

地震の後、3階に避難した。

在校生の半分以上は帰宅していた時刻だった。

バキバキという松の折れる音と共に、普段は松原によって見えない海が視界に広がり、あっという間に津波は、中学校と隣の施設を飲み込み、校舎をつきぬける。

3階ではだめだと屋上に逃げ、隣の中学校を見れば皆一番高い場所に避難しる様子がうかがえた。

津波が校舎を突き抜けるという光景に泣くというより泣き叫んでパニックになる生徒が続出し、その日はその場所で夜を明かした。

こう語ってくれたのは、当時成瀬第二中の教員だった制野俊弘先生。

私の知り合いの教員である。


▼成瀬第二中。SOSの文字



▼卒業式直後の体育館を津波が襲った



▼津波が突き抜けた校舎。時計がその時刻で止まっている



▼校舎



▼一階の廊下





鳴瀬ニ中の生徒3人が犠牲になった。

祖父母の介護をしていた子、逃げるのが遅れる祖母と一緒にいた子、小さい兄弟と一緒にいた子(兄弟が固まって見つかったそうだ)・・・。

地区に目を移せば、家族でたった一人だけ助かった子もいるそうだ。

制野先生は野球部の顧問だったが、帰宅してた部員は津波に飲まれ、泳ぎきって命からがら助かった子も多くいたということ。



その後、制野先生は、「命の授業」を行い続け、その様子はNHKスペシャルなどでもとりあげられたという。

今年の4月から、縁あって東京の和光大学に赴任してきた。

5年ぶりに酒を酌み交わし、お互いの5年と今後の生き方について語り合った。

再開する前に、彼が私にくれたメールを、そのまま転記する。


 実は私も辻さんと連絡を取りたいと思っていました。宮城を離れるのは本当に辛かったのですが,次にやることを見定めてこちらにやってきました。
 実は,子どもたちと命の授業をしながら,「二度と同じような思いをする子どもをつくってはいけない」と本気で思うようになりました。そこで来るべき東南海の大地震・大津波に備えて,何かできないかと考えるようになりました。それは被害が想定される所,特に津波が浸水する地域とそうでない所の境目・境界に桜を植えて,「命の桜前線」として太平洋岸一体をつなぎたいと考えています。なぜ桜なのかというと,〆は開花する時期に必ずニュースになり,一年に一度は話題になる,⊇川中学校で進めている石碑はわざわざそこに行かなければわかりませんが,桜は満開になれば自然に人々の目に入る,K菁,「命の桜前線」と喧伝してもらえばいざという時にそこを目指して人々が逃げようとするなどの理由からです。
 東日本大震災の最大の教訓として「想定外を想定する」ということを考えると,政府や自治体の予想浸水区域よりも1ないし2km内陸部に「命の桜前線」を作りたいと思っています。ぜひ辻さんの知り合いでそんな「夢」に賛同していただける方や自治体関係者がいればお教えください。すぐに話をしに行きます。東南海の震災は30年以内に60%,50年以内に90%の確率でやってきます。もう目前と言っていいでしょう。 
 私が和光に来たのは残された人生をそれに捧げようと考えたからです。亡くなった教え子たちの「声無き声」を届けるのが私の死ぬまでの仕事だと思っています。こんな馬鹿げた「夢」にお付き合いしていただけそうな方,耳を傾けていただけそうな方がいればお教えください。



5年前のあの混乱の最中、制野先生は初めて会う私に「辻君、夕食を食べてけ、泊まってけ」と声をかけてくれた。

そう、被災した方の家に転がり込んだのである。

あの時の、大家族で難局を乗り切ろうとしている制野一家の姿を忘れられない。


▼泊めていただいた制野先生の家。こどもの安否を確認するためにどんな動きをしたかを語ってくれた





残された人生を命の桜前線に捧げる。

足元の東北を離れてまでも、その想いをカタチにしていこうとしている。

私もまたこの一年が、自分にとって重要な一年になるのではないかと感じているが、制野先生の想いの強さに励まされる。

私にできることは微々たるものだが、命の授業を続けてきた制野先生のこれからの夢を、周囲に広めること、伝えること。

それが私がまずできることだ。

そして、二度と同じような想いをする子どもを作らないためにも、制野先生とも力を合わせて、やはり「ひとづくり」を地道に行っていきたい。

それが、私が一生をかけて取り組むことである。


代表 辻だいち


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【やるな学生】 〜見直した〜

2016年05月10日 | 泰阜村が大学になる
この時期は、あちこちの大学からゲストで呼ばれる。

今回は順天堂大学。

お茶の水キャンパスならいいのだが、成田空港がほど近いさくらキャンパスはさすがに遠い。

しかも朝1コマ目だったのでさすがにきつい。

90人の受講生は、全員体育会運動部に在籍しているらしく、ほとんどがジャージ姿だった。

私も大学時代は体育会だったので親近感がわく。

でも私は1コマ目に出席したことはないが(笑)



順天堂大学からはこの10年間、NPOグリーンウッドが主催する「信州こども山賊キャンプ」のボランティアに学生がたくさん来る。

「スポーツマネジメント」という実習に位置づく場合もある。

千葉ロッテマリーンズや柏レイソレズといったスポーツ団体の運営を学ぶ実習らしいが、それと山賊キャンプが同列に位置づいていることに驚く。

今回は「スポーツボランティア」という授業だった。

担当教授から、講義終了後の学生のコメントがメールで届いた。

「1番印象に残っているのが辻さんの表情である。話しているときの表情がとても楽しそうで、イキイキしていて、今やっている仕事が好きなんだなと感じた。」

少しは役に立ったのかもしれない。

体育会の学生は、忙しくて子どもキャンプなんか興味ないかと想っていたが、授業終了後にはたくさんの学生が質問に来てくれた。

やるな順大。

見直した。






熊本地震で傷ついた被災児童を、山賊キャンプで招待する調整を続けている。

そんな話を授業の最後でしたら、学生たちが募金をしてくれた。

3812円。

一人では小さな額でも、多くの学生が集まればこれだけ多くの額になる。

学生さんの重い想いを確かに受け取った。

授業が終わり、すぐにバスに飛び乗って、次の大学に向かう。


代表 辻だいち


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【おふくろとツーショット】 〜いい季節に生まれたとつくづく想う〜

2016年05月08日 | 日々雑感
今日は母の日。

私を丈夫に産んでくれたおふくろと、彼女を支えてくれた多くのひとびとに感謝。

今84歳。

まだまだ親孝行しなければ。



そして今日は私の46歳の誕生日でもある。

暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちに囲まれて、誕生日の唄を歌ってもらった。

手づくりのケーキをもらって、大家族の幸せな誕生会である。

多くのひとびとからお祝いのメッセージもいただき、この歳になっても嬉しいやら恥ずかしいやら。



私は末っ子。

親父が45歳、おふくろが39歳。

遅いこどもだった。

最近でこそ、高齢出産は珍しくなくなったが、46年前ではさぞかしたいへんだっただろう。

今の私に、1歳のこどもがいることになる。



今思えば、ずいぶんと心配をかけ続けてきたものだと想う。

北陸福井で過ごした幼少期。

北海道に大学進学をすると決断したとき、おふくろはどんな想いだったのだろうか。

ちょうど昭和から平成に変わる激動の時期だった。

青函連絡船がなくなり、鉄道で北海道まで行けるようになった。

とはいえ、札幌から福井に帰ることは、年に1度あるかどうかだった。

やっと帰省したと想ったらバイクに乗って帰って、目が点になっていたおふくろ。

1泊しかせずに、心配する顔を尻目にトンボ帰りしたものだ。



体育会ハンドボール部に明け暮れ、勉学などそっちのけ。

初めておふくろが札幌に来たのは、両足首のじん帯を損傷して手術をするクリスマスの夜だった。

大学まで出してもらったにもかかわらず、まともな就職を拒否し、選んだのが今の泰阜村。

今でこそ仕事になっている場だが、山奥の場に行かんとする息子の姿をどう想っていただのだろうか。



泰阜村に行ってから、つまり社会人になってから、おふくろと一緒に仕事をすることも多くなった。

その時初めて、おふくろがどのような仕事をしてきたのか、どのようなことに人生をかけていたのかを知る。

親孝行しなければと想い続けるうちに、8年前に親父は他界してしまった。

今、もう、おふくろは84歳だ。

その年齢とは思えないほど元気だけれども、確実にその時は迫っている。



親父は、46歳の時に、人生をかけた勝負に出た。

大器晩成の男だったと想う。

それを支え続けたおふくろに、私もまた、大器晩成の男だという姿を見せる時が来ている。

何があるわけでもない。

でも、自分自身が、この一年を重要な一年に位置づけようと強く想っている。



最近、おふくろとツーショットで撮った写真あったっけ?

スマホのデータを探ってみると、2014年12月に、おふくろと兄と3人で撮った写真があった。

これが、おふくろと撮った直近の写真である。

幼少期には、あれほどツーショットがあるのに。

今度、ツーショットを撮ろうと想う。







今日もさわやかな南信州。

いい季節に生まれたとつくづく想う。

ありがとう、おふくろ


代表 辻だいち



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【ただそれだけのことなのに】 〜5月の連休は、23年間、同じ光景なのだ〜

2016年05月05日 | こどものソコヂカラ
5月の連休は、23年間、同じことやっている。

みんなで力を合わせてひたすら薪を割って、ひたすら積む。

身体を動かして、歌って笑って、おいしい物を食べて、そして飲んで。

ただそれだけのことなのに、とても気持ちいいのだ。


▼暮らしの学校「だいだらぼっち」の保護者達、ナイスショットである




▼田植上等薪割御免 このTシャツの売り上げは九州に届けられた





そんないつもの光景が、地元新聞社に取材された。

照会するので、ご笑覧いただきたい。




2016年5月5日(木) 南信州新聞


協働で1年分のまき割り

卒業生などGW合宿に120人
泰阜村の山村留学



 泰阜村田本のNPO法人グリーンウッド自然体験教育センターが運営する山村留学「暮らしの学校だいだらぼっち」で3日、恒例のゴールデンウィーク合宿が始まった。留学生19人とその保護者、OBやOGも加わって、生活で使う1年分のまきを割ったり、みその仕込み作業に汗を流した。

 ことし30周年を迎えた同学校の中でも28回を数える恒例のイベント。創設以来一貫して風呂やストーブの燃料にまきを活用した生活を続けており、1年分を準備する大事な協働作業の一つだ。
 ことしは約120人が参加して、2泊3日で開催。4日は天竜峡のリンゴ農家が剪定した木やあいパークやすおかの間伐材、近くの村民から提供された木材を割ってまきにし、流れ作業で運び出した。またみそ約120キロの仕込み作業も行った。東日本大震災のとき同学校が震災受け入れ支援を行い、福島市から訪れて2年間山村留学していた曽根レイさん(17)も今回の合宿に参加。「いつでも帰ってこれる故郷みたいな場所。居心地がいい」と話した。
 同教育センターの辻英之代表によると、熊本地震を受け、7〜8月に開く人気の「山賊キャンプ」に熊本、大分県の小学生20人余を招待しようと村と検討しているという。辻代表は「いろんな形の支援があり、ここは受け入れ専門。子どもたちの心の傷を少しでも癒す手助けになれば」と話している。







▼こどもたち企画運営の「薪割選手権」





▼こどもも大人もひたすら割る




▼そしてひたすら運んで積む





▼卒業生たちも全国から駆け付けた




連休に泰阜村に集っていただいたみなさん、本当にありがとうございました。


代表 辻だいち



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【村長レポート4月19日 No.241】 〜役場職員に言っていること〜

2016年04月30日 | 泰阜村長からのメッセージ
わが泰阜村の村長が、就任以来毎月毎月、村民に向けて発信する「村長レポート」。

2016年4月19日号を紹介したい。


村長レポート 4月19日 NO.241
役場職員に言っていること


 今年は、桜の花が大変きれいで、役場周辺の桜も見事なものでした。私は仕事柄、きれいな桜の花をみても心安らぐことも少ないのですが、村の皆さんは、花見で楽しんでいただけたでしょうか。役所は、4月からは新たな体制でスタートしました。希望の春とはいえ、桜同様、そうそう夢膨らむようなことばかりではありません。それでも、私自身が希望をもって、明るい気持ちにならないと役所全体に影響するのでは、と思いながらも4月も半ばとなりました。

 新年度のスタートなので、職員に一年間の心構えのようなことを話します。どんことを、どんな思いでしゃべっているのか、です。よく「役場が悪い」という言い方をされますが、この場合の役場は、社協(社会福祉協議会)でも、保育園でも同じです。しかし、「役場」といった総称には、人格がありませんから、要するに、対応した「職員」が悪い、ということになります。一年間の中では、その対応の悪さから、謝りに行くこともけっこうな数があります。本来なら、村長である私が行けばいいのでしょうが、ほとんどのケースは、担当者に上司がついていきます。それで何とか納めてもらうことになりますが、一番長い行政経験の私がその事案を聞きますと、そんなこともわからないのか、そんなこともできないのか、ということもたまにあります。確かに、事務そのものも仕事の仕方も変わりました。コンピュータ処理が基本となり、法律や制度を理解しなくても数字を入れれば答えがでる時代です。その面で、仕事への理解も浅くなっています。また、制度全体を考える、仕事全体を鳥瞰(ちょうかん)しながら考える、といったことができない職員もいます。これは、いまの教育にも問題があるのでは、と想っています。

 こういった事案は、ほとんどの場合、初期対応のまずさに起因します。つまり、コミュニケーションの基本的な問題です。住民の方が何を求めているのか、正しく理解しなければなりません。そして、わからなければわからないと言って、きちんと調べてあとから返事をする。分かれば迅速に対応する。生半可の知識で、分かったとうな対応をすると問題が起こります。これらのケースは、注意や訓練、経験で何とかしなければ、とうことで繰り返し話します。ただ、2回も3回も同じことを繰り返すのは、基本的な資質の問題で、それなりの対処をしなければ、です。

 そして、いま自治体職員に求められているのは、真の意味で「現場主義」、すなわち行政の最前線で働く者として、仕事を通じて村民の皆さんにどんな幸せを提供していくのか、それは法律や制度を超えた視点が必要でその意味で挑戦です。その視点を持った行政職員にならなければ、ということです。








 今年は、職員に「県庁そろそろクビですか?」はみだし公務員の挑戦(円城寺雄介著)という本の感想を含め、現場主義、そしてはみ出し公務員を目指そう、といった話をしました。この著者は、大学卒業後、佐賀県庁職員となったごく普通の公務員です。佐賀県庁医務課時代に、救急車に乗り込み、緊急医療が抱える課題を見て、救急車にiPad(アイパッド=パソコンの小型版)を配備することで患者のたらいまわしを防ぎ、搬送時間を短縮。これが佐賀モデルとして全国に普及したことで一躍有名になった公務員です。これは、文章にすればこれだけのことですが、すぐにできたわけではありません。そもそも救急車へ同乗すること自体が無理で、消防署からは「君は!ばかじゃかなね!」と言われたそうです。しかし、あきらめず、救急現場を自分の眼でみて、課題を見つけその課題解決を考えた、ということです。現場主義ということはよく言われ、私も職員にすぐ現場へ、といいますが、これは単にそこへ行くというだけです。現場で、つまり村の中で何が起こり、何が「課題」なのか、これを感じ、その解決方向を考える感性があるかどうか、ということです。この円城寺氏は、最初に土木事務所に配属され、その時担当したバイパスを何年か後に訪れたとき、一人の老女が安全になったと喜んでいた声を聞き、道がちょっと広がったなんて多くの県民はしらないがこんなに喜んでくれる人がいる。お役所仕事だって、すばらしいではないか、と思ったそうで、この時から現場感覚が育ったそうです。

 4月13日に一般社団法人振興センター泰阜の総会が開催され出席させていただきました。この法人は、農協がガソリンスタンドをやめると言ったときに、農協OBが立ちあがってガソリンスタンドの経営を引き継いでいます。この経過を振り返ってみると、まさに、現場主義だったのです。国や県が言うからではなく、法律があるからではなく、移動手段が車しかない村に暮らす生活者のために必要だ、と思った人達が動いた結果です。

 福祉の現場もそうです。大変な仕事だと思いますが、福祉に対し、権限や財源を持っているのは、実は、現場で汗を流して働く人ではなく、ネクタイを締めた役所の人間です。だからうまくいきません。ほんとうに支援を必要としている人にザービスを提供している介護員の人の発想が反映される福祉施策でなければなりません。もしかしたら、それが役所の発想からはずれるかもしれません。そでも、私利私欲でなく、住民、利用者のためにやる人をはみ出し公務員というのです。そして、上司の仕事は、その責任をとることです。きっと職員もわかったはずです。



今後も、折に触れて村長の言葉を紹介したい。

代表 辻だいち






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