わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【日本で一番人口の少ない村】 ~自律の教育観に結びつきますように~

2016年11月11日 | 全国のなかまたち
「自由は土佐の山間より出づ」

感動したそのままに、高知の山村:大川村に来た。

離島を除いて日本一人口が少ないらしい。

なんと396人!

縁あって講師に招かれたが、「人口1700人の村から来ました・・・」が枕詞になっている私にとっては、何ともやりにくい土地だ(苦笑)。



実はこの村に来るのは18年ぶりである。

当時文部省の「山村留学研究会」の委員に委嘱され、この村を訪れた。

全国調査を実施する際、現地視察が中国四国地方になったからだ。

愛媛県で実施される山村留学の地を経て、山道をずいぶんと走って大川村に到着した覚えがある。

よく渇水のニュースで出てくる早明浦ダムの村で、山村留学の施設はその村の集落からかなり離れた高台にあったと記憶している。

正直なところ、活気のない冷たい施設だったのが感想だった。

以来、あそこはどうなっているのかな?と、いつも気になっていた。







今回、この大川村の依頼で仕事をしているホールアース自然学校から、講師をお願いされた。

ホールアースは同業者である。

責任者の田中さんから「大川村・・・」という話があり、おぼろげながらに「もしかして、あの高知の山奥かな・・・、いや、そんなことはないかな」と想っていた。

しかし、来てみたらドンピシャだった。

思い出すもんだな、と想う。

道中の風景や話が、そういえば、そういえば、の連続だった。

しかし、山深い。

南信州泰阜村に生きる身にとっては、ちょっとやそっとのへき地じゃ驚かない。

そんな自分にも、ちょっと驚きのへき地だった。


▼吉野川源流域。泰阜村の天竜川とあまり変わらない風景






▼その昔、この川の両岸をくりぬいて、道が開けられた。




▼いや~深い





18年ぶりに訪れた施設は、明るく変貌を遂げていた。

山村留学の質、という点では、言及を差し控えるが、あの頃より活気が増しているのは確かだ。

その場で行われるワークショップの、基調講演をやらせてもらった。

なんだか、時を超え、距離を越え、強い縁を感じる時間だった。

その後に行われた村内外の様々な立場のひとびとが集ったワークショップ。

私も議論に加わった。





ワイワイガヤガヤ、あ~でもない、こ~でもないと交わす会話と想いが、この村を次のステージに導く事だろう。

小さな小さな村が、村の浮沈をかけた柱の一つに「教育」を据えようとしている。

この山村から自由な発想が生まれつつある。

そして、それが、「自律の教育観」に結びつきますように。

小さな山村同志、がんばりましょう。


代表 辻だいち

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【自律は信州の山間より出づ】 ~30周年くらいで浮かれてる場合じゃないな~

2016年11月09日 | おかげさまで30周年!
高知に来た。

もう、何年振りだろうか。

高知に住む大学時代の友人と再会した。

といっても同じ大学の友人ではない。

私は札幌の大学、友人は神戸の大学だ。

それがなぜ、こんなに長くつながっていられるのか。

ここを説明し出すとややこしくなるし、そもそも話せば話すほど理解しがたくなる。

なので、もし興味がある人は、私と出会った時に質問されたい。

ややこしい経緯はありながらも、ずっと仲の良い友人である。




その友人が、とっておきの店に連れていってくれる。

「今のところ、ここよりうまいタタキに出会ったことないわ」というカツオのタタキを食べさせてくれた。

特に高級というわけではなく庶民的な店だったが、感動的なうまさだった。

「観光客相手のところで食べてもうまくないよ」と言われたが、もうその前に行ってしまっていた。

反省(笑)



今回の仕事は、高知は高知でも相当の山奥。

久しぶりに来たので、仕事の前の少しの時間、高知市内をぶらぶら歩いた。

高知城や坂本竜馬ゆかりの地を巡った。


▼ちょうど龍馬の誕生日が近く、特別の足場から見れた




▼坂本竜馬記念館




▼月の名所:桂浜






でも、今回一番心に響いたのは、自由民権運動の歴史だ。

「自由は土佐の山間より出づ」

心が震える。

山の中から社会を変えようとしたひとびとがやはりいたんだな。









「へき地から始まる本質的な教育改革」

これは私の持論である。

やっぱりそうか。

「自律は信州の山間より出づ」

200年後に、そう評価されるようにしたい。

30周年くらいで浮かれている場合じゃないな。

やるぞ。



代表 辻だいち


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【その報告に、涙が出てしまった】 ~コテコテの大阪で、阪神大震災被災児童と再会~

2016年11月08日 | おかげさまで30周年!
大阪にちょいと用件があった。

大阪駅もずいぶんと変わったなあ。

驚きで、天井を見上げてしまった。

天王寺あたりの変貌ぶりにもビックリ。

天を突くあべのバルカスは、雲の中。

用件を済ませた後、ここまで来たら立ち寄らなあかんやろ、と、通天閣。

お決まりの串カツを食べたけれど、一人じゃつまらんなやっぱり。

でもなんだか大阪はしっくりくるな自分に。

なんでやろか。



その後、大学時代の先輩がやっている居酒屋に行った。

ここはおススメです。

JR茨木駅徒歩30秒の「ほっかバル」

ぜひ足をお運びいただきたい。

愛想の悪い店長が、おいしい北海道料理で迎えてくれる。






その店で、暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生と一献傾けた。

阪神大震災の時に、被災児童として預かったこどもだ。

こどもといっても、もう31歳。

いい歳である。

でも、私にとっては、この卒業生は、いつまでたってもこどもだ。

教え子というのでもない。

やっぱり「仲間」だな。

ナーナ。

あの時、9歳で、泰阜村に一年間留学することを決断した。

あの大参事の直後に。

末恐ろしい覚悟だったと想う。

小学校4年で泰阜村に来たナーナと暮らしたあの日々を思い出す。

きっとあの日々が、ナーナにとっても土台になっているんだろうな。

そして私にとっても。

その彼女が、春に結婚するとのこと。

その報告を聴いて涙が出てしまった。

わが子が離れていくような寂しさと、いろいろあった彼女の幸せを願う想いが混在する。

おめでとうナーナ。

心からお祝いするよ。

月末、30周年記念祝賀会で、また会おう。








代表 辻だいち



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【30回目のだいだらぼっち祭り】 ~この混沌とした場こそ、求めれらているのだ~

2016年11月06日 | おかげさまで30周年!
この週末は、1年間の山村留学:暮らしの学校「だいだらぼっち」の感謝祭。

だいだらぼっち祭り、という。

30回目を迎える。

ということは、やはり今年は30周年なんだな、と改めて感じる。



この祭りは、30年前に、当時の母屋の棟上げを祝して開催された。

当時の母屋は、こどもたちの手作りだ。

来る日も来る日も作業にいそしみ、半年かけて建設した母屋は、立て替わるまで、こどもたちの、いや、われわれのシンボルだった。

新しい母屋に立て替わって10数年になるが、その母屋の魂は今に引き継がれている。



今年の祭りも、卒業生や保護者、村の人々など120人ほどが集まった。

私たちの教育活動を支える強い想いが、全国から持ち寄られた。

夜は、持ち寄りおつまみとそれぞれの近況を肴に、これまた持ち寄りのお酒をおいしくいただいた。

しかも朝方まで。


▼恒例の「だいだらぼっち劇場」。もう、ほんとにすごい演技だ。






▼五平餅でおもてなし




▼いつも変わらぬこの雰囲気





この祭りは何がすごいかというと、1泊2日の企画運営すべてをこどもたちが手掛けること。

うまくいかないことも多かったけれど、そんなごちゃごちゃが心地よいのだ。

こどものたちの場は、常に混沌としている。

スッキリ整理されてしまっては、不自然というものだ。

こどもたちが、自然体で遊び、語り、悩み、笑う場。

そんな場が、過去も、今も、そして未来にも、求められているのだろう。

だいだらぼっちの母屋こそ、その「場」なんだと想う。


▼団結踊り




秋晴れの空の下に歓声が響いた。

恒例の「団結踊り」も、30本締め、である。


代表 辻だいち

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【まっすぐな想い】 ~ひとねる大学(鹿児島大学バージョン)~

2016年11月01日 | 泰阜村が大学になる
鹿児島に来た。

熊本の報告会、そして被災地めぐりに同行した鹿児島大学の学生と一緒に。

今夏、ひとねる大学(鹿児島大学バージョン)で10日間、泰阜村に滞在した学生だ。






彼女とは、5月に鹿児島で出会った。

農学部の井倉先生が持つ「自然学校へ行こう」という授業に、特別ゲストで呼ばれた時だ。

私の交通や宿泊その他いろいろをアテンドしてくたのが、彼女である。

まっすぐな想いが伝わってきて、応援したいと想ったものだ。

その彼女が、夏の信州こども山賊キャンプにボランティア参加したいと申し出があった。

それだけではなく、泰阜村の教育力をもっと感じたい、と。

彼女もまた、鹿児島からわざわざ事前研修に参加するため、東京を往復した。

たいしたもんだと想う。

そして夏に10日間、泰阜村に滞在した。


▼鹿児島大学。南国ムードたっぷり




その10日間を含む夏の期間に、彼女は非常に濃い学びを得たらしい。

今回は、鹿児島大学で彼女の「私の学びの報告会」があり、井倉先生から同席をお願いされた。

堂々と自らの学びを語った彼女を眩しく見つめた。

いや、すごいわ。

若いチカラは、地域の学びをかくも吸収するものか。

報告会の後の懇親会も、もちろん素敵な時間だったことは言うまでもない。





鹿児島でがんばれ。

遠くから支えている。


代表 辻だいち



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【被災地への関心に、無関心になってはならない】 ~ほんとに素敵な学生たちだ~

2016年10月31日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
山賊キャンプに招待した熊本地震の被災児童のための報告会を、熊本で開催した。

そのサポートしに来てくれた学生がいる。

夏に泰阜村に来た、福岡、鹿児島、山口の学生たちだ。

それぞれ熊本まではそんなに近くないだろう。

それでもサッと集まってくれる。

ほんとに素敵なヤツラだ。



報道ではなかなか紹介されなくなった被災地は、次のフェーズに移行している。

その現状をその目で見た方がいい。

ヤツラはその呼びかけに応じた。

震源地の益城町はまだまだこの状況。

全国の自然学校関係者で運営する「RQ九州」がサポートした益城町東無田地区では、RQを信頼してくれた地元の若者が案内してくれた。











▼横ズレ断層で、3メートルほど動いた家





キャンプに参加したこどもたちが暮らす御船町もめぐる。

招待キャンプのカウンターパートである「一般社団法人アイ・オー・イー」の松本君が、当事者として発生当時から今に至る状況を語ってくれた。

被災地に関心を寄せることに、遠方にいるわれわれが無関心になってはなるまい。


▼この小学校(仮校舎)のこどもたちが、山賊キャンプに来てくれた





▼その夜、建物の倒壊が及ばない校庭の真ん中にひしきめきあったという




▼仮設住宅








阿蘇地域のカウンターパート:「あそBe隊」の薄井隊長。

別名「イカサマ忍者」。

なぜその別名を持つかは、ぜひ検索されたい。

彼に、阿蘇を案内してもらった。

息を呑む被災状況が目の前に横たわる。

自然の猛威を見せつけられた。

阿蘇山の噴火も追い打ちをかけたこの地域。

復興はいつになるのだろう、と頭がクラクラする。


▼阿蘇は、縦ズレ断層










▼観光地阿蘇は、噴火の影響も




▼噴煙を吐く阿蘇山




▼地震の後、豪雨が襲った




▼薄井隊長と学生たち





学生たちは、それぞれのセンスで被災地を見つめた。

きっと、質の高い学びがあったことだろう。

学生たちの一人、九州大学の学生とは、昨年11月に福岡の九州大学で出会った。

泰阜村の誇るスーパー猟師と一緒に、九大のゲストスピーカーを勤めた時だ。

九大教育学部(今は人間環境学府?)の岡先生からお呼びがかかった授業である。

その後、今年2月に受け持った九大の集中講義も、彼は受講してくれた。

その時に得た学びが、彼を衝き動かしたということ。

遠く福岡から、わざわざ夏の信州こども山賊キャンプにボランティアとして参加してくれた。

ボランティア参加といっても、事前の研修を受ける必要がある。

その研修を受けるために、東京往復もしたようだ。

そして、今、熊本で再会。

報告会をサポートしてくれ、そして被災地を一緒にめぐった。

表現が不器用な彼が、しっかりと今、自分を表現しているではないか。

信州泰阜村が提供した学びが、今、九州熊本で深く増幅される。

そんな彼らの学びを、支えたい。


▼橋が落ちた南阿蘇村。




▼学生アパートは、その時で止まっていた






代表 辻だいち


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【支え合うからこそ、豊かな縁が紡がれる】 ~被災地熊本と信州泰阜の縁~

2016年10月30日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
熊本に来た。

4月の熊本地震から、5度目の被災地訪問になる。

今回は、「夏の信州こども山賊キャンプ」に招待した熊本地震の被災児童を対象に、想い出会(報告会)を開催した。

大分県日田市中津江のこどもたちは、運動会などと重なって残念ながら参加できなかった。

それでも、熊本県内(南阿蘇村、御船町、熊本市)のこどもたちと保護者が多数集まってくれた。

そして、そして九州・山口県から参加した学生ボランティアも。

スタッフが作成したビデオやスライド、そして泰阜村民たちからのビデオメッセージ等々。

あたたかい演出に、参加した熊本のこどもたちは一様に「楽しかった」と言ってくれた。





しかし一方で考えるのだ。

私たちは、このこどもたちに、どれだけのことを支援できたのだろうか、と。

ただの自己満足ではなかっただろうか、と。

こどもたちの一言一言が、私たちの誠意を試しているような気がする。

「一生わすれない思い出」になったこと、本当にうれしい。

でも、被災地のこどもは、復興に向けての闘いがまだまだ続く。

もしかすると、心に刻み込まれてしまったトラウマとは、一生つきまとう闘いかもしれない。

それでも、この泰阜村で 自然に包まれて、村人の支えあいの気持ちに包まれて、確かに何かをその小さい胸に刻み込んで被災地に帰っ
ていったことだろう。

このこどもたちが被災地の未来をつくっていく。

このこどもたちが日本の未来をつくっていくのだ。

多くの人々の気持ちに支えられて、きっと熊本・大分のこどもは強くなる。

そう信じている。



想い出会に参加した保護者の感想を紹介する。

「村長をはじめとする地域の方々、お野菜、ボランティア、支援金・・・。様々な人と人とのつながりが支えるチカラとなっていることがとても見えました。それを継続されていることがとても素晴らしく、また参加している子どもたちの心に伝わっていると思います。これだけの想い出会をするには期間中の撮影や様々にご苦労があったと思います。ここ九州で開催いただいたことを感謝申し上げます」



支援とは、支援する側が一方的に何かを施すのではなく、お互いが豊かな縁を紡いでいくことだと想う。

熊本・大分のこどもたちと泰阜村との出会いの縁が、今後どのように紡がれていくのか。

それをみんなで楽しみにしつつ、みんなでその希望を語り合うのが、本当の意味での「支援(縁)」なんだと想う。

支援は「支縁」。

支えあうからこそ、豊かな縁が紡がれる。



また会おう。

一緒にすばらしい未来をつくろう。

いつまでもいつまでも、遠い小さな泰阜村から、きみたちのことを応援している。


代表 辻だいち


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【みんな違って、みんないい】 ~大好きな関門海峡を船で渡る~

2016年10月29日 | 日々雑感
島根津和野を後にして、九州へ向かう。

JR山口線に乗ると2両しかない気動車特急は、エンジンのうなりをあげて南下する。

あれだけぐずついていた天気が、鮮やかに快晴になっていく。

日本海から太平洋への変化が手に取るようにわかる。



そのまま海底トンネルで九州でもよかったのだが、今回は下関で途中下車。

唐戸市場でちょいと昼ごはんを仕入れる。

この市場は今日も大賑わい。

観光客が多いのだが、それでもこの市場は一般的な市場の顔も持つ。

ここから眺める関門海峡は本当に好きな眺めだ。

大きな船が悠々と目の前を進んでいく。

海峡が狭いからだろう、こんなにも間近に大型船の航行を見ることは稀だと想う。


▼唐戸市場



▼唐戸市場その2



▼関門海峡








遠い記憶をたどると下関にはずいぶんと昔に足を踏み入れている。

高校の修学旅行だ。

私は故郷福井県の高校だったが、山口県と九州北部が旅行先だった。

秋芳洞をめぐり、関門橋をかなり標高の高い位置から見た覚えがある。

もはやその場所を覚えていないが、おそらく火の山公園だろうな、と、グーグルマップを見て確信。




詩人の金子みすずをご存じだろうか。

「みんな違って、みんないい」という名文句を残した、薄命の詩人である。

山口県出身で、下関で活動をしていたそうだ。

唐戸市場の周りがそのゆかりの地だとか。

腹ごなしに少しだけ歩いた。

素敵な詩に、一気に引き込まれる。

今度は、みすずの生まれた町:仙崎に行ってみたい。


▼みんな違って、みんないい





九州へは船で渡った。

対岸の門司港までわずか5分。

レトロな雰囲気の門司港もまた、観光客でごった返していた。

ゆっくりしたかったが先を急がねば。

最終目的地は熊本だ。










春先には宇部で講演。

その地域にも顔を出したかった。

下関にも知り合いがいる。

山口県の皆さん、今回は声もかけずにごめんなさい。

次はぜひお会いしましょう。


代表 辻だいち


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【島根おそるべし】 ~志を同じくする仲間が津和野のもいた~

2016年10月28日 | 全国のなかまたち
松江を後に島根県を縦断して西の端っこ津和野町に来た。

山陰の小京都といわれる津和野町。

日本海側はこの時期特有のぐずついた天気。

それが街をさらにしっとりと美しくさせる。












私の本「奇跡のむらの物語 ~1000人の子どもたちが限界集落を救う!~」を読んで共感した人がこの町にいる。

やはり教育を通したローカルな取り組みをしているとのこと。

春にここに来る予定だったが、熊本地震が起こり、ドタキャンしてしまった。

どうしても今年中にその穴埋めをしなければと思い立った。






津和野町の山間部に左鐙(さぶみ)という小さな地区がある。

小学校がこの3月に廃校になってしまったそうだ。

しかし、この左鐙地区が持つ教育力を、なんとかして発揮しようと、その人自らが経営する牧場で通所型の森のようちえん「うしのしっぽ」を展開している。

その現場などを見せていただいたが、その充実の活動に率直に感動した。

夜に、その人の仲間たちや協力隊、Iターン者、町の若手経営者や行政職員などを中心に、パワーあふれるひとたちが集まってくれた。

即興で講演をし、そして懇親会。

厳しい環境のなかでも、教育をど真ん中においたローカルな取り組みに汗を流そうとする多くのひとびとに出会えた。

本質的な議論ができる仲間ができたぞ。

島根、おそるべし。





津和野の皆さんとは、この冬にまた会おうと約束した。

やはり全国に、志を同じくする仲間がいるものだ。

さあ、動こう。


代表 辻だいち


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【こんなにも議論が噛みあうものか】 ~山陰島根にはワクワクする出会いがある~

2016年10月27日 | おかげさまで30周年!
山陰島根に来ている。

ここ数年は、毎年1回は足を運んでいる。

松江や宍道湖、出雲大社など、想い入れが強い場所が多く、何度も来たいと想わせる土地なのかもしれない。

信州から山陰は遠いのだが、名古屋(小牧)空港から出雲空港に便があるので、名古屋に近い南信州に住んでいる身には、時間的には案外近いな、と感じた。

今回は島根県庁である人に会うためにやってきた。



岩本悠君。



もともと沖の海士町で高校の島留学に取り組んで実績を残した彼は、島根県庁に抜擢され、今度は県内に取り組みを広めている。

教育魅力化特命官といって、教育委員会と地域振興部の併任という極めて珍しい役職を担っている。

それだけでもすごいことだが、彼の口からこれまたすごい構想を聴いた。

出会ってから6年ほどたつが、「同じような想いや方向性を持ってるな」といつも感じていた。

しかし、ここまで同じ方向か、と彼の構想を聴いて驚いた。

教育に対する発想や今後の展開など、噛みあう議論に時間が過ぎるのを忘れる。

忙しい彼を午後一杯引きとめることができ、120%有意義な時間となった。

人と会ってワクワクする、というのは、いつものことだが、今日のワクワクはまた質が違う気がする。

教育をど真ん中においたローカルな取り組みが、日本の教育を変えていく。

そんな希望が持てた。





島根県庁を後にすると、ちょうど宍道湖に夕陽が沈むところだった。

日本一の夕景といわれる宍道湖。

ずいぶんと昔にも、この夕景に出会った。

今は廃止されてしまった寝台特急の車窓からみた夕焼け。

いやあ、若かったなあ、あの時は。

いかんいかん、感傷的になっている場合ではない(笑)











翌日、早朝も早朝に出雲大社にお詣りした。

NPOグリーンウッドは今年、30周年を迎える。

えんむずびの神様は、男女の縁ばかりではない。

これまで紡いできた様々な縁を、さらに豊かに紡いでいけるように、強く祈った。


代表 辻だいち


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