わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【新ブログに移行します】~ブログ開設2500日、ありがとうございました~

2018年02月17日 | 私のルーツ・私の物語
2011年4月から続けているこのブログを移行する。
移行先は、新たに開設されたNPOグリーンウッド公式ブログだ。

NPOグリーンウッドの公式ブログの中に、代表理事のカテゴリ「わが大地のうた」が設けられた。
公式ブログには、私のカテゴリ(ブログ)他に、スタッフのブログやニュースなども投稿されるらしい。
私のブログ記事の内容が変わるわけではないので、引き続き公式ブログでご笑覧いただきたい。

移行先 ⇒ 「グリーンウッドの種」

「グリーンウッドの種」
 https://www.greenwood.or.jp/tane/








このブログは東日本大震災直後に開設した。
以来、2500日を数え、コツコツと投稿してきた。
これまでご笑覧いただき心から感謝申し上げます。


ひきつづき、新ブログでよろしくお願いします。


※新ブログの扱いに慣れるために、まずは旧ブログの記事をボチボチ掲載していきます。
※当面は、旧ブログもアクセスできるようにしておきます。


代表 辻だいち




【オレンジパスポートの夢】~アジアのこども交換留学へ~

2018年02月01日 | あんじゃねぇ=平和で安心な社会へ
中国大連にいる。
風光明媚な街は、日露戦争の激戦地でもあった。
恐ろしいほど底冷えする寒さが、ここが大陸の玄関口であることを感じさせる。
そして、驚くべき都市の発展スピード。
10年ほど前に来た時と、まるで変わっている。
中国東北部のソコヂカラだな。


さて、今回は「Kids’ A Uキャンプ」の打ち合わせのために大連に来た。
Kids’ AUとは、正式名称が「Kids’ Asian Union(こどもたちのアジア連合)」。
一応、NPO法人である。
副代表理事・事務局長を仰せつかっているが、実質は代表理事のムサシ(村上忠明氏)におんぶにだっこである。
2001年から始まるこのキャンプは、北東アジア6か国(中国、モンゴル、ロシア、韓国、北朝鮮、日本)のこどもたちが、自然体験や生活体験を通して、相互理解を深めるキャンプだ。
各国の手弁当で集うこのキャンプも、もう17年続いている。
だんだんと「歴史」になりつつあることを感じる。


▼大連実行委員会発足






▼語学堪能な若者たち



▼昨年のキャンプに参加した大連のこどもたち。今年はホスト役に。




大連では実行委員会が発足した。
初めてこの地で開催するチームは、ヨチヨチ歩きかと思いきや、開催8か月前とは思えないほどしっかりしている。
しかも語学に堪能な若者がスラリ。
大連のポテンシャルの高さを感じる。
18回目のキャンプも、きっと成功すると確信。


▼大都会



▼風光明媚



大連の打ち合わせ後、韓国ソウルに入る。
オリンピック直前の空港は、厳戒態勢だ。
ここでも、カウンターパートの仲間が迎えてくれた。
もう17年間、一緒に夢を追い続ける同志である。
その夢とは、こどもたちのアジア連合を創設することだ。
こども時代に、国を超えて交流する。
こどもたちはオレンジパスポートというものを所持し、そのパスポートがあれば自由に各国を行き来できる。
そしてそれぞれの国では、青少年施設やゲストハウス、民泊などが無料で宿泊所を提供する。
われわれのような体験活動の団体もまた、無料でプログラムを提供する。
その費用は、それぞれの国(政府)が負担する。
国が負担できないというなら、民間や市民によるファンドを創る。
そんな夢を持ち続けて17年。
私が生きているうちはそんなことは無理かもしれない。
しかし、同じような想いを持つ若者たちを、この17年間で1000人以上産み出し続けてきた。
バトンタッチの時が迫る。
いつかこの若者たちが、夢を実現してくれるだろう。
そんなことをしぶとく夢見ている。


▼アジアの仲間達


▼ソウルと言えば


ソウルでは、仲間の家に泊めていただいた。
もう何度も泊まっているから勝手がわかる。
つくづく想うことは、アジアの各地に同志がいることのありがたさと心強さ。
平和に向けた想いは、国家というくくりでは断ち切れない。
こども時代にお互いを理解しあうキャンプをやっていく必要があるな、と改めて想う。
いつの日か泰阜村のこどもを、韓国や中国に留学させたいな。

そう、私の国内での夢(小さな地域同士の交換留学)と、アジアのこどもキャンプは、実は大きくリンクしている。
国の壁を超えて、小さな地域同士が、こどもの教育の質を高めるために協働する。
小さな地域が発揮する教育力をもっともっと束にしよう。
各国の教育力をオールアジアで発揮させよう。
国内交換留学の次のステージは、アジアのこどもたちの交換留学だ。

夢は語らないと実現できない。
一緒にやりませんか。

代表 辻だいち

【一緒に未来づくりをやらないか】 ~熊本県山都町で気持ちのよい出会い~

2018年01月25日 | 全国のなかまたち
益城町での講演の翌日、今度は違う町でも講演。
熊本県山都町。
初めて足を踏み入れた。
通潤橋という有名な地があるのだが、熊本地震で傷んでしまったらしい。
その雄姿を見れずに残念。


山都町に着くころは雪が舞っていた。
大寒波が来ているということだが、どうしても熊本で雪か?とギャップに苦しむ。
でも気温を見るとマイナスをはるかに下回っているから納得せざるを得ない。



今回は山都町主催の食農観光塾というところに呼ばれた。
町の有志が入塾し、地域の資源を活用した様々な取り組みについて勉強したり実践したりするらしい。
今年度の塾(3期生)生によって呼ばれたわけだが、たまたま前日に益城町での講演があったから実現している。
これが1日でもずれていれば、残念ながら山都町に来ることはなかっただろう。
塾生の皆さんの、引きの強さには驚くばかりだ。



今年度の塾生が考えた今後の企画にはいろいろあるらしいのだが、その中に自然体験キャンプや山村留学もあるらしい。
それもかなりの本気度で考えている。
さすがにそれは難しいだろうと想っていたけれど、実現できるかも?と私まで想ってしまうほど、熱気に溢れた塾である。
懇親会では、次々と1期生や2期生が駆けつけ、20代~50代くらいのひとびとが夢を語り合っている。
その会に、町長や副町長までかけつけて、一緒に杯を傾けて議論している。
1万人の人口がいる町とは思えない。
1~3期生合わせると、30~40人はいるらしい。
この人数が、みんなで未来を語るとそれは熱が高まるというものだ。
この熱に触発されてか、私もずいぶんと夢を語ったぞ。
山深い地同士、想いとチカラを合せて、一緒に未来づくりをやらないか。
彼らにはきっと響いた。
視察や研修に、泰阜村まで来ることを信じたい。


▼山都町では写真が撮れなかった。関係ないけど水前寺公園。高校の修学旅行以来、実に30年ぶり。



気持ちの良い町とひとびとだった。
仲間探しの旅は続く。

代表 辻だいち

【泰阜村は国策被災地】~熊本地震の被災地で夢を語る~

2018年01月24日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
ウワサの天草エアラインの飛行機に乗った。
倒産寸前の小さな航空会社が奇跡のV字復活、と、テレビだかなんだかでやっていた気がする。
これがそうなんだろう。
ずいぶんとカワイイ機体だ。




この機体が降り立ったのは、熊本空港。
被災地に足を運ぶのは、今年度5回目である。
これまでの4回は、こどものためだった。
NPOグリーンウッドが主催する信州こども山賊キャンプに、被災したこどもたちを招待して2年。
呼びかけにきたり、打ち合わせに来たり、説明会に来たり、報告会に来たり。
今回は、こどものためだけではない。
被災地の復興を目指すひとびとから、講演に呼ばれた。


被災地のど真ん中、震源地の益城町。
衝撃的な光景が広がったこの地も、見た目はすっかり片付いている。
しかしこの地はこれからだ。
そんなことを想うひとびとが、益城町だけではなく広く被災地全体から集まった。
定員をうわまわる参加をいただたというから来た甲斐がある。


主催者は、RQ災害教育センター。
東日本大震災を機に、全国の自然学校といわれる運動体が束になって作った機関である。
自然学校という手法を用いて被災地を復興できないか。
このような趣旨だ。
被災者にとっては自然学校などどうでもよいことだろう。
私もそう想う。
私は泰阜村とNPOグリーンウッドの30年の実践を語った。
そして、今後の夢も。




泰阜村もまた被災地だ。
あらゆる国策に翻弄され続けてきた、いや、これでもかというほど痛めつけられてきた、弱き僻地山村である。
そう、泰阜村は国策被災地なのだ。
そんな国策被災地が今、教育立村に向けて歩みを始めようとしている。
そんな話をした。


短い時間だったが、参加者の強い想いが渦巻いた。
私は、支え合いの縁を豊かに紡いでいくことを「支縁」と呼んでいる。
支援が支縁になっていく。


代表 辻だいち


【遠いことは理由にならない】~素敵なキャンパスで想う~

2018年01月23日 | 泰阜村が大学になる
兵庫県西宮市に足を踏み入れた。
阪神大震災で被災した西宮市のこどもを、暮らしの学校「だいだらぼっち」で預かった。
もう23年前。
そういう縁が多かったが、最近は別の縁が紡がれている。

関西学院大学。
始めてこの大学に来た。
遠くから正門に向かって歩くと、特徴的な建物が目に入ってくる。
時計台と言われる建物らしい。




正門から入って、正直驚いた。
なんと素敵なキャンパスなのか。
建物の雰囲気も統一されている。
私が毎週通う東京の大学も雰囲気があるが、狭い敷地に建物と人がひしめき、落ち着かない。
こちらはなんともゆったりとした雰囲気だ。
これは驚きだ。

まあ、関西の大学にはあまり足を踏み入れないから、驚くこともあるかと想うが。
それにしても。
もっとゆっくりしたいと想えるキャンパスだった。




今回は、泰阜村の教育力を学生につぎ込みませんか、という話だ。
要は、泰阜村・NPOグリーンウッドに学生を送り込む仕組みを創ろうという話である。
「遠いからなあ」とは担当室長のお言葉。
しかし、鹿児島大学と泰阜村・NPOグリーンウッドが連携する時代だ。
まずは挨拶程度。
少しずつカタチにしていこう。

それにつけても寒い。
それにつけても素敵なキャンパスだ。
また来たいな~。

代表 辻だいち

【日本初! 教育で立つ村】 ~泰阜村も私も、本気である~

2018年01月21日 | 日本初!教育で立つ村
栃木の講演終了後に、まさにダッシュを連続して東京に戻った。
早稲田の会場に着いた時には汗だくだ。
今夜は、「地域資源を活用した地域教育の展開可能性」という会合。
まあ。要は、私が常々吠えている「教育立村」への挑戦について話してきたわけである。





国土緑化推進機構の森のようちえん担当課長、文部科学省の農業高校担当官、教委魅力化プラットフォーム代表者、そして私がそれぞれ報告。
その後、時間は短かたっが「地域×教育」の視点で議論を交わした。

ちょうど良い機会だと想ったので、交換留学など次の時代を見据えた新たな教育モデルの提案をした。

その提案の中身とは以下のようなものである。
「私には夢がありまして・・」という切り出し方で。
長くなるがぜひ通読願いたい。



私には夢がある。

それは私の住む泰阜村の子どもを、他の地域に留学させることだ。
そう考えるようになったのには、二つの理由がある。
まずは、数年前に北ドイツで知った事例(山村留学に類似する)だ。
驚いたことに、参加者の費用は参加者の出身地である大都市(ベルリンやミュンヘン)が負担するという。
なぜそうなのか、運営責任者に聞いてみた答えに、私は頭を殴られた想いだった。
「なぜそれを聞かれるかが理解できない。本来ベルリンやミュンヘンが責任を持つ若者の教育を、郊外や田舎の町にお願いしているのだから、大都市が経費負担するのは当然だろう」と。
日本の山村留学の場合、たとえば都市部の子どもが「だいだらぼっち」に参加したとしても、都市部は知らんぷりだ。
それどころか「子どもが減って困る。引き抜きのようなことはやめてほしい」と、公然と言い放つ自治体さえある。
語弊を恐れずに言えば、子どもを送り出す自治体は、山村留学に参加する子どもたちにこれっぽっちも責任を持たないのだ。

泰阜村は、受け入れる側の責任だけではなく、送り出す側の責任も持つ。

二つ目の理由。
「だいだらぼっち」は30年かけて、500人以上の卒業生を輩出してきた。「だいだらぼっち」の一年の成果は、子どもたちが自分の本拠地(家族のいるところ)に戻ってこそ発揮される。
一年間の山村での暮らしが、その後の生活や周囲との人間関係、地域に生かされる。それを30年見続けてきた。
ならば、なぜ私は泰阜村の子どもこそ、一年間「違う場所」へ留学させないのか。
私は「一年間の旅をさせることが、その子どもの人生に大きな成果を与える」と信じている。
だからこそ、「泰阜村の子どもこそ留学させるべきではないのか」と考えるのだ。
小中学生のうち、留学を希望する子どもには、一年間だけ行政が経費負担をする。
もちろん希望しない子どもがいてもよい。
留学制度は、あくまで自主的・自発的な判断が必要で、行政はその自主性を経済的に支援するべきというのが私の考えだ。
ただし、「違う場所」といってもどこでもいいわけではない。
趣旨に賛同する地域が連携・協働する。
たえば海のある漁村、大平原の農村、絶海の孤島、都市部だっていい。
もちろん、国外の地域でもかまわない。
10箇所の地域が趣旨に賛同すれば、その地域間で交換留学が可能だ。
泰阜村の子どもは、一人は北海道、一人は島根県、もう一人は沖縄の離島。
その替わりに泰阜村に来る子どもは、四国から一人、福島から一人、富山から一人というように。

この考え方は、日本の教育行政の考え方を根底から覆す。
義務教育9年間に、希望する子どもは一年間だけ国内交換留学ができる。
そんな大胆な教育行政は、おそらく国主導では進まない。
責任を持つ覚悟のある小さな地域同士が、県境を越えて教育の質を高めるために協働する。
小さな地域が発揮する教育力をもっともっと束にしよう。
小さな村の教育力を、オールジャパンで発揮させようではないか。



というようなものだ。
時間がなかったので、上記をはしょって発言したが。
すると、会場の皆さんは大いに反応する。
一番反応したのは、教育魅力化プラットフォーム代表理事の水谷さんかな。
「地に足を着けたダイナミックなモデルになる」と期待を寄せてくれた。
なるほどこういう切り口の会に集まるひとびとなら一緒にやれるんだな、と感じた。
今日、ここに集った人々に、本気で実現を提案しようと想う。





地域の教育力が、日本の教育を創る。
そんな旗を掲げる日は近いかもしれない。

この会に、泰阜村からわざわざ副村長が同席してくれた。
泰阜村は本気である。
私も本気である。

代表 辻だいち



【言葉の訛りが妙に落ち着く】 ~今週2度目の栃木で講演とイチゴ~

2018年01月20日 | 日々雑感
今週2度目の栃木である。
栃木県芳賀町というところにいる。


栃木はおふくろの実家がある。
小山という県の南端にある街である。
だから、会場の人がささやく言葉の訛りが、妙に落ち着く。
なるほど、私には栃木の血が半分流れていることに、今更ながらに気がつく。


町の生涯学習講演会に呼ばれた。
そんなに人は来ないのかな、と勝手に想っていたら、300人もの人が集まっていた。
こりゃしっかりやらなきゃ、と気合が入る。





なんでも今回講演に呼んでくれた教育委員会の課長が、以前に私の講演を聴いて、ぜひ呼びたいと想ったとか。
お互いの記憶をたどっていくと、あったあった。
2~3年前に、この周辺の広域行政組合かなにかの講演に呼ばれていた。
素敵な縁が豊かに紡がれていくことを、つくづく感じる。


講師控室にきれいなイチゴが山盛り。
さすが栃木だな。
これがまたうまいのなんの。




信州と故郷福井の話が多いけれど、ぜひ栃木にも足を運んでいただければ。
あのやわらかな方言が迎えてくれます。


代表 辻だいち




【北の大地にちょいと滞在】 ~青函連絡船からLCCへ~

2018年01月19日 | 日々雑感
北の大地にいる。
急遽札幌に来た。
私のキャンプネーム(あだ名)のいわれ の一つでもある。



今回はほんと一瞬だけの滞在だった。
ひょんなことからタクシーに乗った。
運ちゃんの話は「北海道新幹線の札幌駅が地下になるのかどうか」。
私がこの街で暮らしたのは約30年前。
そのころは(まあ、学生だったからタクシーなんか乗ったことはないが)、青函連絡船から青函トンネルに変わる時だった。
もう、ついこの前だと想っていたけれど、遠すぎる過去に頭がクラクラする。



今や東京や名古屋と新千歳空港が4~5000円で結ばれる時代だ。
今回私もずいぶんと安く移動ができている。
30年前はどれだけがんばっても、青少年割引の「スカイメイト」が関の山だった。
あの頃にLCCがあったらなあ、と恨めしく想う。
でも、私の前の時代は「青函トンネルがあったらなあ」と想っていたのだろうから、まあそんなものか。



遠くてとてもと想っていた東京~札幌の移動時間は、東京~泰阜の移動時間より案外短い。
同じく、高い高いと想っていた東京~札幌の移動費用は、もはや東京~泰阜の移動費とほぼ同じになっている。
当時の、距離が長くなるほど高くなる長距離電話代金も、今や無料通話SNS。


あの頃に比べて圧倒的に産み出されている時間とお金で、今の若者は何をやっているのだろうか。


そんな不思議な想いにかられながら、今、私は現代の大学生に関わる。


代表 辻だいち




【自分の脆弱なステレオタイプに驚く】 ~初めて静岡大学に足を踏み入れて~

2018年01月18日 | 泰阜村が大学になる
初めて静岡大学に来た。
いや、もしかすると静岡駅に降り立つのも初めてかもしれない。
駅前からなんだか新鮮な感じがしている。


静岡大学は都心から少し離れた丘陵地帯にある。
というか山肌に張り付いているように建っているから、高低差がかなりある大学だ。
今回お呼びがかかった農学部も、正門からずいぶんと階段や坂道を上った先にあった。





環境社会学という講義で話をした。
4年ほど前にお会いした富田先生のおはからいだ。
場違いかと想ったけれど、けっこうみんな聞いてくれるものだ。
コメントペーパーにも率直な学びが書きつづられていた。
泰阜村に一度行ってみたいとか、キャンプのボランティアをやってみたいとか、うれしいコメントもある。


農学部か。
縁がないと思っていたけれど。
そういえば、夏前に東京農業大でも講義をした。
おっと、しかも強い縁ができた鹿児島大学でも農学部で講義をしたではないか!
案外農学部とも縁があるんだな、と実感。
学生に自分の価値観だけに閉じこもるな、と言っておきながら、自分の脆弱なステレオタイプに驚く。
と想えば、もっともっと異分野の授業で話をしたい気もする。
なるほど、これは私自身が学んでいるんだな。
学生に学びを提供することを通して、私が学ぶ。
この循環もまた心地よい。


南信州からはけっこう静岡大学に進学する学生も多い。
実は知り合いの子どもも通っている。
なので、大学からの帰り道は、思わずその子を探してキョロキョロしてしまった。
いるわけないか。
怪しまれたかもしれない(笑)
また来よう。

代表 辻だいち


【1月17日が、「い・い・なの日」になるように】 ~阪神大震災の被災児童ももう32歳~

2018年01月17日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
1月17日
23年前の今日、阪神淡路地域に未曾有の大地震が発生した。
その当時、テレビ、新聞が悲惨な状況や死者数などを競って発表する中、私たちは「私たちに何ができるのか?」と南信州の地で考えた。
SNSなどない時代。
現地の情報なんか全く手に入らず、考えても考えてもよくわからなかった。
だから、まずは被災地に行ってみたのだ。





数回、現地神戸市に足も運び、街の状況を肌で感じた。
平衡感覚を失うほど街がゆがんでいる。
全国から集うボランティアの活発な姿や、ガレキと化した家の前にいけられた花が目に映る中、私たちは考える。
「被災児童の疎開受け入れができるのでは。もしニーズがあるのであれば、私たちの今までの経験と教育の場が役立つことになるのではないか」と。
そんな折り、伊丹市の市民団体と私たちの地元泰阜村当局の両方から「被災児童の長期受け入れができないか」という要請があった。

そして、次ような役割分担ができた。

市民団体が現地状況の調査と募集。
泰阜村行政が財政支援。
私たちNPOグリーンウッドが児童の受け入れ。
今思えばパートナーシップ事業のモデルとも言えるような協力体制ができあがった。


1995年4月から1年間、西宮市の小学4年生女子2人が、暮らしの学校「だいだらぼっち」に元気に参加した。
その夏休みには、2人が通っていた学校のクラスメイト17人を泰阜村行政が夏キャンプに招待し、企画運営を私たちが担った。
続いて1996年4月から2年間、神戸市灘区の小学5年生1人が暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加し、1998年3月に泰阜南小学校を卒業した。




暮らしの学校「だいだらぼっち」で、彼らはたくましく育った。
現地で復興に向けて親子が力を合わせるのと同じ位、離れた地でがんばることは大事なことだった。
そう自分に言い聞かせて暮らす姿はいじらしいほどであった。
そしてそんな彼らを受け入れた仲間たち、村の人々がいる。
様々な立場のこどもたちが共同生活する「だいだらぼっち」は、まさに「違いは豊かさ・多様性の共存」をこころに刻む学びの場となったのだ。
そして厳しい自然環境のなかで助け合いながら生きるひとびとの住む泰阜村での生活は、まさに「支えあい・お互い様」を身体に刻む学びの場となった。




その3人ももう32歳。みな社会人である。
彼女たちからさきほど届いたメールである。
長くなるがおつきあいいただきたい。


思うことは、もう23年経ったんやーということかな。記憶も風化してしてきて、また、日々忙しく、今日のネット情報とかで「今日は震災の日か」と、思い出す感じやね。
けど、震災への備えは昔よりもしっかりするようになってるかな、それは家族、子供ができて、何かあった時の責任感に起因してるかもしれないけど、大震災に実際経験した怖さ、大変さをどこかで覚えてるんやろうね
震災のことは今日みたいな日に一年に一回思い出すかしないかぐらいになってるけど、今後大震災が起こった時の避難、連絡、備えの大事さについては日頃のから家族も含めて話したり考えとかなあかんね





『重い地元負担…復興借金、いまだ4386億円 東日本被災地は地元負担ゼロ「不公平」の声も』っていう記事があって、いろいろ考えた1日だった。
財政について若干他人事みたいに思ってしまう自分もいて、年月が経って個人的には傷も癒えて良しとするか、もっと関心を持つべきか、と思ったり。
東日本の人が一生懸命復興しようと頑張ってる最中、阪神地域の人で「不公平」って思う人がいるって知ったら「同じ経験をしたのにな」って寂しくならないかな、とか心配してみたり。
神戸の街は元気で、見た目では完全復興のように見えても、まだまだ問題があるんだなとか。
23年間で地震以外も被災してる地域がたくさんあって、過去の被災を教訓としてどんどん改善されていくことを期待するのが当然だと思うけど、「自分の時は家が全壊して何もかも失って、あとからの人は自分の時よりいろいろサポートを受けている」ってなったとしたら、「ずるい、羨ましい。」って思うのも自然な感情なんだろうなとも思ったり。
じゃあ阪神淡路大震災の更に前に被災した人からしたらどうなんだろうとか。
支援すること、されることについては、「世の中を変えていこう」とする人と、「世の中が変わればいいな」と思ってる人でもまた捉え方が違うんだろうなとか。
平等って難しい。
こういうことを考えるのも、この日か、どこかまた被災地が出てしまった時かだけだから、1/17は大切にしていきたいと思う。




阪神地域はすっかり復興したと聞く。
しかし、復興とは元に戻ることだけではないだろう。
建物や道路はもちろんだが、価値観も再構築されてさらに磨きがかかる。
大震災が私たちに伝えるものは、この価値観の再構築だ。
私たちは「違いは豊かさ・多様性の共存」という価値観を、「支えあい・お互い様」という価値観を、こどもたちと共にもう一度築き上げていこうと強く想う。
そうしてはじめて、復興と言えるのだ。
多くの災害が日本を襲うたび、私たちNPOが担う人づくりの役割もまた磨きがかかる。
阪神・淡路で被災して心も身体も傷ついたこどもが、小学生時代に泰阜村の風土に包まれて育った。


今後、彼らが果たす社会的役割に期待である。
1月17日が「いいなの日」になるように。

代表 辻だいち