最近ヘルマン・ヘッセの「地獄は克服できる」を引き続き読んでいる。
ヘッセによれば、神が息を吸うように万物は滅し、神が息を吐くように万物は生まれる。
抵抗してはいけない。
不安を免れるには運命の手に身を委ねるしかないとヘッセは言う。
遅かれ早かれすべては神の永遠に帰る。
仏教の言う涅槃もそのようなものではないかとヘッセは想像する。
時代のために戦争恐怖で神経症に掛かり、やがて自分は永遠の自己であると知り、
仏教に開眼する。そのような、自分とほぼ同じ経験を書いた本を読み、
ヘッセは驚愕する。
そこまで読んで本を閉じた。
昨日は友人から電話で豪徳寺で待ち合わせる。
豪徳寺のサンマルクカフェでプレミアムココアを飲んでメモ書きして待つ。
仏教の無所有処とはそこには何も存在せず、見るものと見られるものの区別はないという三昧の境地。
非想非非想は思うでもなく思わないでもない三昧の境地と最近読んだことをメモする。
友人が時間通りに来て、二人でパティヤラパレスに行く。
ヘッセがノーベル賞を取ったのはガラス玉遊戯という小説だが、彼のエッセイばかり読んでいると話す。
友人は京都の千本閻魔堂に行き、親父をよろしくお願いしますと祈ってきた、と喋る。
髪型がブリジッド・フォンテーヌみたいだなと友人が言う。
店長はパティヤラパレス銀座店を出店する、と言っていた。
豆のカレー、フィッシュカレーとナンとシシカバブとドリンクで計4139円。
ギュンター・ヴァントのブルックナーの9番を聞いて帰宅。
先日ヘッセの「わが心の故郷アルプス南麓の村」を受け取る。
フェドセーエフのチャイコフスキーの4番が届くのを待っている。
故郷にやがては帰る道行きの旅の途中の美しい空