先日平野国臣生誕祭に参列したところだが、誕生日は本日3月29日。
文政11年(1828)のことだ。
福岡の勤王志士であるが、「尊王攘夷派」かどうかは微妙。
「尊王」は間違いないが、「攘夷」の部分がなんとも。
少なくとも当時の日本に迫り来る危機に対しては、攘夷的な思想はあったと思われる。
しかし、当時の清国との友好を唱えるなど、無差別的な攘夷論ではなかった。
平野国臣、野村望東尼研究を40年以上続ける小河扶希子先生にお聞きした話だ。
昨日は、第54回労働判例研究会。
テーマが誠実団交義務、ユニオン・ショップ協定など労働組合法。
集団的労使紛争の時代から個別労働紛争の時代にうつってきたことは間違いなく、昭和の判例には違和感があるものも多い。