雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

人間宇宙生命社会 18 過去記録 16 哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先 20210228

2021年02月28日 19時55分08秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 18 過去記録 16  哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先 20210228


「哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先
2010年03月10日 04時03分50秒 | 人間・生命・宇宙


 量と質、あるいは質と量は、相補的な概念として考えられています。
 (相対立する概念という言い方・考え方もあるかもしれませんが、私はそういう「対立物」ではなく「相補物」として考えたいと思います。)


 では、人類の認識の歴史では、量と質、質と量、どちらが、先に認識されたのでしょうか。


 量とは、たとえば、1つ、2つ、というように、「数詞」=「言語」なしには、とらえられません。
 分離量であれ、連続量であれ、「数える」ことなしには、認識できません。
 
 でも、質は、たとえば「涼しい」「暑い」「でかい」「小さい」「丸」「四角」「植物」というように、言葉なしのイメージとして認識できるのではないでしょうか。


 あるいは、「なんかいやだ」「逃げないと」「心地よい」「好きだ」「嫌いだ」という感情。


 言語をもつ段階以前の人類、あるいは神経と脳のある動物たちは、みんな、「質感」を言葉としては表現できなくても、感覚しているのではないでしょうか。


 ですから、量よりも,質の方が人類の認識史から考えても先ではないでしょうか。」