本と映像の森27 クラークさん他映画『2001年宇宙の旅』
「本と映像の森13 A・C・クラークさん『2010年宇宙の旅』ハヤカワ文庫、早川書房」の続きです。
クラークさんの『2010年宇宙の旅』を娘のIさんに「読む?」と聞いたら「読む」と言うので貸したら、「お父さん、この前編の「2001年宇宙の旅」というのを読まないと、わかりにくいので、ない?」と言われました。
「本はどっかにあるけど(たぶん,押し入れの中かどこか)、てっとり早いのは、たぶん映画のDVDが出ているので、借りてきて観るのがいちばん早いと思う」と答えました。
Iさんは、さっそく高林のゲオで映画「2001年宇宙の旅」を借りてきて見たようです。
Iさんが言うには「セリフが少なくて、説明不足でわかりにくい!」と。
それはまあ、1968年に映画が完成したときに、言われたことですけどね。
「本と映像の森13」には書きませんでしたが、1968年の当時、浜松ではすぐ見れそうにないので、ぼくは当時、高校生でしたが、親に交通費をねだって(たぶん)、東京まで見に行って、たぶん東京の叔父さんの家に泊まったことを思い出しました。
なぜ、わざわざ見に行ったかというと、当時、宇宙や天文学が大好きな「天文少年」だったので、たぶん、今も発行されている月刊雑誌『天文ガイド』か何かで見たのかもしれません。
Iさんから借りて、何年ぶりでしょうか、41年ぶりではないと思いますが(たぶんどこかで、再視聴しています)、明日までにどうしても書かないといけない原稿を、パソコンの左半分で「一太郎」で打ちながら、右半分で「2001年宇宙の旅」をみました。
やはり「映像詩」なんですね。
人類が月へ実際に行ったのは、映画公開の翌年の1969年で、よくこれだけの映像を特撮でつくりあげたものだと思います。
ここで論じるより「論より証拠」で、もし、この映画を見ていない「人類」の方がいたら、まず見て下さい。
高校生の時に、この映画を見たので,あれ以来、ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しき青きドナウ」を聞くと、絶対に、頭のなかに、たくさんの星がまたたく宇宙に、白いすてきな宇宙船が、地球衛星軌道のステーションに接近して、ドッキングするシーンが浮かんでしまいます。
監督は、スタンリー・キューブリックさんで、原作小説を書いたアーサー・C・クラークさんとは、もしかして異質の人間なのかな?
クラークさんは、たいへんだったみたいですね。
「2001年宇宙の旅」のラストシーンの印象的な、地球を宇宙空間から見下ろしている「スターチャイルド」(映画ではたぶん、モノリスに吸い込まれて宇宙旅行をさせられたデビッド・ボーマン船長の生まれ変わり)は、「2010年」では、影も形もありません。
もう一つ、モノリスに吸い込まれたボーマンさんの幻想的な旅で、一度、「高速回路」から出たような印象のシーンで、球状星団のような映像の後に、絵の具を流したような幻想的な映像が出てきます。
そのあと、惑星の上を高速で動くような映像の前です。
これは、クラークさんの傑作「地球幼年期の終わり」に出てくるような、肉体をもった生命体が進化して、物質から解放された純粋の精神体を描いているのではないかと思います。
「幼年期の終わり」を参照してください。
同じような考え・表現が、マンガ「日本沈没」全15巻の最終部分に出てきます。
それの現実性はともかく、ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムさん著『ソラリス』の映画化「そらりす」とともに、SF映画の代表作といっても異論は、わたしはありません。
「本と映像の森13 A・C・クラークさん『2010年宇宙の旅』ハヤカワ文庫、早川書房」の続きです。
クラークさんの『2010年宇宙の旅』を娘のIさんに「読む?」と聞いたら「読む」と言うので貸したら、「お父さん、この前編の「2001年宇宙の旅」というのを読まないと、わかりにくいので、ない?」と言われました。
「本はどっかにあるけど(たぶん,押し入れの中かどこか)、てっとり早いのは、たぶん映画のDVDが出ているので、借りてきて観るのがいちばん早いと思う」と答えました。
Iさんは、さっそく高林のゲオで映画「2001年宇宙の旅」を借りてきて見たようです。
Iさんが言うには「セリフが少なくて、説明不足でわかりにくい!」と。
それはまあ、1968年に映画が完成したときに、言われたことですけどね。
「本と映像の森13」には書きませんでしたが、1968年の当時、浜松ではすぐ見れそうにないので、ぼくは当時、高校生でしたが、親に交通費をねだって(たぶん)、東京まで見に行って、たぶん東京の叔父さんの家に泊まったことを思い出しました。
なぜ、わざわざ見に行ったかというと、当時、宇宙や天文学が大好きな「天文少年」だったので、たぶん、今も発行されている月刊雑誌『天文ガイド』か何かで見たのかもしれません。
Iさんから借りて、何年ぶりでしょうか、41年ぶりではないと思いますが(たぶんどこかで、再視聴しています)、明日までにどうしても書かないといけない原稿を、パソコンの左半分で「一太郎」で打ちながら、右半分で「2001年宇宙の旅」をみました。
やはり「映像詩」なんですね。
人類が月へ実際に行ったのは、映画公開の翌年の1969年で、よくこれだけの映像を特撮でつくりあげたものだと思います。
ここで論じるより「論より証拠」で、もし、この映画を見ていない「人類」の方がいたら、まず見て下さい。
高校生の時に、この映画を見たので,あれ以来、ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しき青きドナウ」を聞くと、絶対に、頭のなかに、たくさんの星がまたたく宇宙に、白いすてきな宇宙船が、地球衛星軌道のステーションに接近して、ドッキングするシーンが浮かんでしまいます。
監督は、スタンリー・キューブリックさんで、原作小説を書いたアーサー・C・クラークさんとは、もしかして異質の人間なのかな?
クラークさんは、たいへんだったみたいですね。
「2001年宇宙の旅」のラストシーンの印象的な、地球を宇宙空間から見下ろしている「スターチャイルド」(映画ではたぶん、モノリスに吸い込まれて宇宙旅行をさせられたデビッド・ボーマン船長の生まれ変わり)は、「2010年」では、影も形もありません。
もう一つ、モノリスに吸い込まれたボーマンさんの幻想的な旅で、一度、「高速回路」から出たような印象のシーンで、球状星団のような映像の後に、絵の具を流したような幻想的な映像が出てきます。
そのあと、惑星の上を高速で動くような映像の前です。
これは、クラークさんの傑作「地球幼年期の終わり」に出てくるような、肉体をもった生命体が進化して、物質から解放された純粋の精神体を描いているのではないかと思います。
「幼年期の終わり」を参照してください。
同じような考え・表現が、マンガ「日本沈没」全15巻の最終部分に出てきます。
それの現実性はともかく、ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムさん著『ソラリス』の映画化「そらりす」とともに、SF映画の代表作といっても異論は、わたしはありません。