童謡「サッちゃん」「いぬのおまわりさん」などを手掛けた作曲家の大中恩(おおなか・めぐみ)さんが12月3日夜、死去した。94歳だった。新聞、TVで報道されました。当ブログは平成21年(2009年)9月30日に童謡「さっちゃん」の歌碑訪ねた時の記事を掲載しました。
今回、作曲者の大中恩さんを忍んで一部改編してUPします。
さっちゃん
1、さっちゃんはね さち子っていうんだ ほんとはね だけど ちっちゃいから
自分のこと さっちゃんて 呼ぶんだよおかしな さっちゃん
2、さっちゃんはね バナナが大好き ほんとだ だけど ちっちゃいから
バナナを半分しか たべられないの かわいそうね さっちゃん
3 さっちゃんがね とおくへいっちゃうって ほんとかな だけどちっちゃら
ぼくのことわすれて しまうだろ さびしいな さっちゃん
平成18年(2006年)10月14日(土)大阪市阿倍野区阪南町にある南大阪幼稚園で童謡さっちゃんの歌碑の除幕式があり、在阪の報道機関は一斉に報道しました。
昭和34年、松田トシの「うたのおばさん放送開始十周年記念リサイタル」のため従兄弟の大中恵から依頼を受け、初めて書いた童謡で、昭和36年にレコード化され、広く知られるようになった、とあります。
尚、主人公の「さっちゃやん」は現在も関東地方で健在だそうですが、取材に対して「どうか静かにしておいて下さい」との事だったそうです。
阪田寛夫は「さっちゃやん」以降に92篇の童謡を作詞していますが、その内、従兄弟の大中恵が作曲したのは29曲あるようです。
寛夫の父素夫は新聞用印刷インクの製造で成功し、現在サカタインクス株式会社に改称、資本金75億円弱、連結売上1,190億円強の上場企業となっています。
母京の実父大中寅二は、島崎藤村が作詞した「椰子の実」の作曲者として知られる音楽家です。寛夫の従兄弟恵は母方の家系と云うことになります。
年譜にもあるように両親とも熱心なクリスッチャンであったので寛夫も幼少から教会に通い、後年洗礼も受けています。
さっちゃんの歌碑のある南大阪教会と背中合せに阿倍野高校がありますが、逸見君は「アベ高」から早稲田に進んだと思います。
そこから西南に一キロ程の所に阿倍野王子神社があります。この神社は熊野九九王子の一つで、大阪市内にある王子で唯一平安時代から鎮座地の変わっていない神社です。
卓球の福原愛で有名になった「王子サーブ」の生まれた場所でもあります。
王子商店街で八百屋を営みながら近くの王子卓球センターで指導している作馬六郎さんが考案したそうです。
この王子神社から旧熊野街道をバス停二つ南に播磨町の交差点があります。
播磨町交差点西南角に三菱銀行北畠支店があります。ここが日本の犯罪史に残る梅川事件の 現場です。
旧熊野街道を境に西側には手塚山のお屋敷町、東側に我々が住んでいた長屋群が広があります。
阪田寛夫が住んでいた帝塚山は関西の有名人が多く住むお屋敷街で、谷崎潤一の小説に芦屋とともによく出てくるところです。
当時は結構溜池などもあり、万代池桃が池、鉄砲池など結構楽しい遊び場で、その一つに長池と云う池がありました。その池の縁に当時は驚くような大きなビルが建ちました。(私が小学校5年の頃?)それが世界のシャープの本社ビルです。長池から阪和線で二駅向うが臨南寺のある長居です。当時は野原らで競馬場があり、我々の格好の遊び場でしたが、今は長居競技場や植物園、自然史博物館などを併設した広大な長居公園となっています。
セレッソ大阪のホームグランド、世界陸上競技会場と随分様変わりしました。
その様な思い出多い阪南町に所縁の深い人が、童謡さっちゃんの作詞者阪田寛夫です。尚、阪田寛夫さんは平成17年(2005年)3月22日、肺炎のため79歳で亡くなっています。
今回、作曲者の大中恩さんを忍んで一部改編してUPします。
さっちゃん
1、さっちゃんはね さち子っていうんだ ほんとはね だけど ちっちゃいから
自分のこと さっちゃんて 呼ぶんだよおかしな さっちゃん
2、さっちゃんはね バナナが大好き ほんとだ だけど ちっちゃいから
バナナを半分しか たべられないの かわいそうね さっちゃん
3 さっちゃんがね とおくへいっちゃうって ほんとかな だけどちっちゃら
ぼくのことわすれて しまうだろ さびしいな さっちゃん
平成18年(2006年)10月14日(土)大阪市阿倍野区阪南町にある南大阪幼稚園で童謡さっちゃんの歌碑の除幕式があり、在阪の報道機関は一斉に報道しました。
昭和34年、松田トシの「うたのおばさん放送開始十周年記念リサイタル」のため従兄弟の大中恵から依頼を受け、初めて書いた童謡で、昭和36年にレコード化され、広く知られるようになった、とあります。
尚、主人公の「さっちゃやん」は現在も関東地方で健在だそうですが、取材に対して「どうか静かにしておいて下さい」との事だったそうです。
阪田寛夫は「さっちゃやん」以降に92篇の童謡を作詞していますが、その内、従兄弟の大中恵が作曲したのは29曲あるようです。
寛夫の父素夫は新聞用印刷インクの製造で成功し、現在サカタインクス株式会社に改称、資本金75億円弱、連結売上1,190億円強の上場企業となっています。
母京の実父大中寅二は、島崎藤村が作詞した「椰子の実」の作曲者として知られる音楽家です。寛夫の従兄弟恵は母方の家系と云うことになります。
年譜にもあるように両親とも熱心なクリスッチャンであったので寛夫も幼少から教会に通い、後年洗礼も受けています。
さっちゃんの歌碑のある南大阪教会と背中合せに阿倍野高校がありますが、逸見君は「アベ高」から早稲田に進んだと思います。
そこから西南に一キロ程の所に阿倍野王子神社があります。この神社は熊野九九王子の一つで、大阪市内にある王子で唯一平安時代から鎮座地の変わっていない神社です。
卓球の福原愛で有名になった「王子サーブ」の生まれた場所でもあります。
王子商店街で八百屋を営みながら近くの王子卓球センターで指導している作馬六郎さんが考案したそうです。
この王子神社から旧熊野街道をバス停二つ南に播磨町の交差点があります。
播磨町交差点西南角に三菱銀行北畠支店があります。ここが日本の犯罪史に残る梅川事件の 現場です。
旧熊野街道を境に西側には手塚山のお屋敷町、東側に我々が住んでいた長屋群が広があります。
阪田寛夫が住んでいた帝塚山は関西の有名人が多く住むお屋敷街で、谷崎潤一の小説に芦屋とともによく出てくるところです。
当時は結構溜池などもあり、万代池桃が池、鉄砲池など結構楽しい遊び場で、その一つに長池と云う池がありました。その池の縁に当時は驚くような大きなビルが建ちました。(私が小学校5年の頃?)それが世界のシャープの本社ビルです。長池から阪和線で二駅向うが臨南寺のある長居です。当時は野原らで競馬場があり、我々の格好の遊び場でしたが、今は長居競技場や植物園、自然史博物館などを併設した広大な長居公園となっています。
セレッソ大阪のホームグランド、世界陸上競技会場と随分様変わりしました。
その様な思い出多い阪南町に所縁の深い人が、童謡さっちゃんの作詞者阪田寛夫です。尚、阪田寛夫さんは平成17年(2005年)3月22日、肺炎のため79歳で亡くなっています。
①阪田さん
現在息子が住んでいる家の向かいが、旧松坂屋社長の八百坪もある邸宅で、その隣が、阪田インキ社長の家でした。
②シャープ本社前の長池
この長池前の本社工場で務めていました。長池の公園では、少しの休み時間に三角ベースでソフトボールを行なったものです。
③帝塚山西2丁目
2丁目にある老夫婦がお住まいの大きなお屋敷に、下宿(間借り)兼用心棒(?)として、学生時代からシャープに入って2年間ほど住んでいました。路面電車道を渡って、万代池でよく昼寝をしたものです。なつかしいなー。
④三菱銀行北畠支店
シャープ時代、残業で終電車に乗り遅れたときは、この三菱銀行前を通って帝塚山の下宿まで徒歩で午前帰りしたものです。忙しいときは、しょっちゅうのことで、下宿の老夫婦には大変お世話になりました。
⑤長居公園
競技場は、シャープの運動会会場として使われ、若い頃は参加していました。
長々と、思い出の地名の連想遊びを書き連ねて失礼いたしました。
阪南町の長屋で育った僕の行動範囲です。
僕の家から50m程の所に同級の井上紀人さんの豪邸がありました。王子神社には仲田孝さんが住んでいます。学区だったので他にもたくさん友達がいたと思います。
万代池に霊能少女がいると話題になり、悪ガキと見に行ったことがあります。後年、TVなどにも出て有名人になりましたが、若死しました。