6月1日、4組の仲間と豊岡市にある「兵庫県立コウノトリの郷公園」へドライブに行く予定です。
梅雨入りしたこともあり、また台風2号が直撃しそうな気配で天候が心配です。
1週間ほど前に弥生時代の水田に残っていた鳥の足跡が「コウノトリ」だったとの新聞報道がありました。
弥生時代前期(約2400年前)の池島・福万寺遺跡の水田跡で見つかった鳥の足跡が、コウノトリと判明したと奈良文化財研究所が発表した。19日に新聞各紙が一斉に報道したので何か最近のニュースかと錯覚しましたが、福万寺遺跡の鳥の足跡は今から15年前の発掘調査で見付かったもので、その時数十個の足跡の内の1つを研究者が石膏で型を残しておいたそうです。
今回、この足跡が「コウノトリ」のものであることが分かったのですが、それを今度行く県立コウノトリの郷公園が協力したそうです。昨年奈文研の松井章・埋蔵文化財センター長が「兵庫県立コウノトリの郷公園」の増井光子・前園長(故人)らと足跡の石こう型を検討、更に山階鳥類研究所も分析に加わり、足跡の大きさが約15センチと大型でサギに比べて指が太い、指の間が広いなどの特徴からコウノトリのものと判定、また同遺跡の他の鳥の足跡も写真鑑定の結果、コウノトリの特徴と共通していた。と結論づけたそうです。
絵が描かれた銅鐸は数十個見付かっています。銅鐸自体がまだよく分かっていない遺物のため銅鐸に残された文様や絵は解明のための重要な手がかりになります。
その中で鳥が描かれた銅鐸として有名なものとしては、神戸・桜ヶ丘出土5号銅鐸のものと香川県出土のものです。
従来、これらの銅鐸に描かれた「鳥」については「ツル」や「サギ」とする考え方がありました。
ツルやサギは真っ白で姿形の優美さや稲の害虫を食べることなど稲魂と祖霊を運んでくれると考えられ、弥生人の信仰の対象となったと考えられています。
図に描かれた2羽の鳥は口に何かをくわえています。エサの魚と解釈されているようです。
これらの僅かな手がかりから「ツル」だ「サギ」だと議論されている訳です。
今回、弥生時代の水田からコウノトリの足跡が見付かったことで、弥生人との共存が明らかになったことで、銅鐸に描かれた鳥がコウノトリだった可能性も浮上してきた訳です。
コウノトリの足跡は群馬県の元総社北川遺跡で見つかった6世紀の足跡が国内最古と言われていました。また、福島県の薄磯貝塚などでは縄文人が食べたとみられるコウノトリの骨が見つかっています。
「コウノトリはサギより大きく目の回りや足が赤い。神々しいと考えて当然だ」として信仰の対象だった可能性を指摘する先生もいますし「当時はサギもツルもいただろう。コウノトリだけ信仰の対象というのは考えにくい」と反論する先生もいます。
いずれにしてもまた銅鐸について新しい謎が出現した事になります。
注目すべきは、池島・福万寺遺跡の水田跡で見つかった他の足跡も写真鑑定の結果、コウノトリの特徴と共通していたと云うことです。聞く所によると、コウノトリ以外の足跡は確認されないそうで、当時の生態系が伺い知れて、特に「ツル」説は、後退した感があるとの事です。
6月1日が天候に恵まれることを祈っています。
梅雨入りしたこともあり、また台風2号が直撃しそうな気配で天候が心配です。
1週間ほど前に弥生時代の水田に残っていた鳥の足跡が「コウノトリ」だったとの新聞報道がありました。
弥生時代前期(約2400年前)の池島・福万寺遺跡の水田跡で見つかった鳥の足跡が、コウノトリと判明したと奈良文化財研究所が発表した。19日に新聞各紙が一斉に報道したので何か最近のニュースかと錯覚しましたが、福万寺遺跡の鳥の足跡は今から15年前の発掘調査で見付かったもので、その時数十個の足跡の内の1つを研究者が石膏で型を残しておいたそうです。
今回、この足跡が「コウノトリ」のものであることが分かったのですが、それを今度行く県立コウノトリの郷公園が協力したそうです。昨年奈文研の松井章・埋蔵文化財センター長が「兵庫県立コウノトリの郷公園」の増井光子・前園長(故人)らと足跡の石こう型を検討、更に山階鳥類研究所も分析に加わり、足跡の大きさが約15センチと大型でサギに比べて指が太い、指の間が広いなどの特徴からコウノトリのものと判定、また同遺跡の他の鳥の足跡も写真鑑定の結果、コウノトリの特徴と共通していた。と結論づけたそうです。
絵が描かれた銅鐸は数十個見付かっています。銅鐸自体がまだよく分かっていない遺物のため銅鐸に残された文様や絵は解明のための重要な手がかりになります。
その中で鳥が描かれた銅鐸として有名なものとしては、神戸・桜ヶ丘出土5号銅鐸のものと香川県出土のものです。
従来、これらの銅鐸に描かれた「鳥」については「ツル」や「サギ」とする考え方がありました。
ツルやサギは真っ白で姿形の優美さや稲の害虫を食べることなど稲魂と祖霊を運んでくれると考えられ、弥生人の信仰の対象となったと考えられています。
図に描かれた2羽の鳥は口に何かをくわえています。エサの魚と解釈されているようです。
これらの僅かな手がかりから「ツル」だ「サギ」だと議論されている訳です。
今回、弥生時代の水田からコウノトリの足跡が見付かったことで、弥生人との共存が明らかになったことで、銅鐸に描かれた鳥がコウノトリだった可能性も浮上してきた訳です。
コウノトリの足跡は群馬県の元総社北川遺跡で見つかった6世紀の足跡が国内最古と言われていました。また、福島県の薄磯貝塚などでは縄文人が食べたとみられるコウノトリの骨が見つかっています。
「コウノトリはサギより大きく目の回りや足が赤い。神々しいと考えて当然だ」として信仰の対象だった可能性を指摘する先生もいますし「当時はサギもツルもいただろう。コウノトリだけ信仰の対象というのは考えにくい」と反論する先生もいます。
いずれにしてもまた銅鐸について新しい謎が出現した事になります。
注目すべきは、池島・福万寺遺跡の水田跡で見つかった他の足跡も写真鑑定の結果、コウノトリの特徴と共通していたと云うことです。聞く所によると、コウノトリ以外の足跡は確認されないそうで、当時の生態系が伺い知れて、特に「ツル」説は、後退した感があるとの事です。
6月1日が天候に恵まれることを祈っています。
5月19日の新聞報道のあと、昔の職場の同僚から
「なんと、我が住まいにコウノトリが・・・」
というメールが送られてきました。彼の住まいが発掘現場近くにあり、長い間発掘調査しているのを横目にウオーキングしていたそうです。
彼の家の庭で、「幸福の鳥」といわれるコウノトリと弥生人が共存生活していたのだと、半ば興奮気味で嬉しそうでした。
池島・福万寺遺跡とコウノトリ公園は直線距離で180km程あると思います。コウノトリが繁殖できる自然環境回復に努力しているようですが、豊岡の公園周辺だけを自然回帰してもあまり意味の無いことが好く分かりました。
日本全体、地球全体の話なんですよねぇ。
ナチュラリストと言われる人の脆さかもしれません。