服部緑地公園の北東に「長興寺焔硝蔵場跡」の看板と碑があります。『新修豊中市史第1巻 通史1』 (豊中市)p650-656に「長興寺の焔硝蔵」の項があり。享保1 8(1733)年 に徳川幕府が当時の長興寺村・寺内村に敷地を確保して建設した。長興寺村・寺内村は幕領と譜代大名飯野藩保科氏領の相給村であり、焔硝蔵の敷地の多くは幕領であつたが、一部保科氏領の敷地もあつた。『豊中の伝説と昔話』(鹿島友治)p50「煙硝ぐら始末記」には、蛤御門の変のころに、爆破されるのを防ぐために焔硝蔵の火薬を近隣の池に投げ込んだとの記載があり。また『新修豊中市史第7 巻 民俗』p245には、焔硝蔵の跡地は田になつたことと、江戸時代に火薬が神崎川の渡しから高川沿いに運ばれるときには、沿道では火を使うことが禁止されていたとの記載があり。
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