馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

背中で泣いてる唐獅子牡丹。

2015年02月21日 | 映画
 BSで「昭和任侠伝・死んで貰います」が放映されました。これぞ高倉 健!映画俳優高倉健の評価はいろいろあるでしょうが、当ブログはこの時代・仁侠映画の高倉健が最高です。
 クライマックスで池辺良が「ご恩返しの花道なんですよ」に対して高倉健「ご一緒ねがいます」そして高倉健と池辺良が雪の降る野道を番傘をさし殴りこみの道行のシーン。映画公開当時の劇場の観客は全員高倉健状態。
バックに流れる挿入歌。
「白を黒だと 言わせることも どうせ畳じゃ 死ねないことも 百も承知で やくざな稼業 なんで今更 悔いがあろ ろくでなしよと 夜風が笑う」
唐獅子牡丹
「親にもらった 大事な肌を 墨で汚して 白刃の下で 積もり重ねた 不孝の数を なんと詫びよか オフクロに 背中で泣いてる 唐獅子牡丹」
 当ブログの少年時代には街の銭湯で「入墨」をした強面のおっさんをよく見かけたものです。最近は温泉や公衆浴場など公共の場では「入墨」の人の入場を禁止しているので見かけることはなくなりました。
最近のニュースとしては、大阪市長・橋本徹が「入墨調査」を拒んだ男性職員を戒告処分したことで、処分は「不当」と云う裁判所の判断が下されました。この頃はファッションとして入墨をする人がいて、それをタトゥーと言うのだそうです。
野球の助っ人外人などにもタトゥーをしている選手がいます。また芸能人でなくても気軽にタトゥーをしている外人を見かけます。ただそれ程嫌悪感も恐怖感もありません。
 当ブログの子供の頃、入墨をしたヒーローは「さくら吹雪」 ご存知「金さん」こと入墨判官・遠山金四郎ガいました。渋いところでは「切られ与三 =お富与三郎」(与話情浮名横櫛)で与三郎の相棒・蝙蝠安は顔に「蝙蝠」の彫り物があります。
蝙蝠安・多々良純 与三郎・市川雷蔵  お富・淡路恵子
 しかし、当ブログは市川雷蔵の「切られ与三郎」は見た記憶がありません。しかし、TVで長谷川伸シリーズと云うのがあり、長谷川伸の名作「蝙蝠安」(歌舞伎の与話情浮名横櫛とは別の設定で長谷川伸が創作した物語)がありました。蝙蝠安を若山富三郎、相手役文字春を浜木綿子が演じました。このTVドラマはどのシリーズも名作で、当ブログは鮮明に記憶しています。
 学校で「入墨」のことを習ったのは、現代国語では谷崎潤一郎の短編小説「刺青」。日本史では魏志倭人伝の「男子は大小と無く、皆黥面文身す」です。「鯨面文身」が「入墨」を指すと言うことです。「鯨」は本来「罪人としての目印として顔に入れ墨をする刑罰」、「文」は「模様」で文身は「全身に入墨する」と解釈するそうです。
 「入墨」は人類社会で古くから広く普及していました。民俗・風俗に興味のある方にはおもしろい対象になう材料かもしれません。日本だけでも「入墨」はいろいろな話題を提供してくれます。
「入墨」のことを「くりからもんもん=倶利伽羅紋紋」と云います。倶利伽羅はサンスクリット語の音写だそうで、不動明王の化身・倶利伽羅竜王」を指し「紋紋」は文字通り「紋」だそうです。この倶利伽羅竜王は背中一面に彫られることから「大きな彫り物(入墨)」を「倶利伽羅紋紋」と云うようになったそうです。
「親にもらった 大事な肌を 墨で汚して 白刃の下で 積もり重ねた 不孝の数を ・・・」とは日本人に根強くある道徳律です。「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝至始也」(身体髪膚(はっぷ)、之これを父母に受く。敢あえて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり)。これは「孝経 開宗明義章第一」にある一文です。まさに「親に貰った大事な肌」を「傷つけて入墨」をするのは親不孝の始まりの象徴なのでしょう。