馬糞風リターンズ

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映画「超高速参勤交代」を観ました。湯長谷藩内藤家

2014年07月04日 | 映画
映画「超高速参勤交代」で佐々木蔵之介が演じる内藤政醇(ないとう まさあつ)は湯長谷藩の第4代藩主で実在の人物です。江戸時代中期(享保~寛保)丁度暴れん坊将軍吉宗の時の藩主です。将軍吉宗役は4代目市川猿之助が演じています。
 内藤家には幾つかの系統があるようです。その中でも有力だったのは「藤原北家秀郷流内藤氏」のようです。この藤原北家秀郷流内藤氏にも幾通りかの系統があるようです。因みに今や世界の大都市「新宿」の地名の由来となった「内藤新宿」は、信濃国高遠藩・内藤家中屋敷の一部などの土地を幕府に返上させて宿場用地としたことによります。この高遠藩内藤家も藤原北家秀郷流三河系の家系で、陸奥平藩・湯長谷藩内藤家と同族のようです
 

 さて、湯長谷藩内藤家は以下のようなものです。
元和8年(1622年)、内藤政長が上総国から磐城平藩7万石の藩主として入部、平藩2代藩主内藤忠興が隠居し長男内藤義概に家督を譲る際、7万国のうちの1万石を次男内藤政亮に分与し磐城平藩の支藩として湯長谷藩が成立しました。初代藩主となった政亮(まさすけ)は、延宝4年(1676年)に湯長谷城を築城し湯本にあった藩庁を移転、城下町の建設に尽力しました。延宝8年(1680年)には内藤忠勝乱心事件を食い止めた功績などを賞されて丹波国氷上郡などに新たに2000石を加増される。貞享4年(1687年)には大坂定番を命じられたことから河内国内に新たに3000石を与えられ、合計1万5000石を領することとなります。この初代藩主政亮は名君の誉れ高い人物で 「うまれつき悠にして、行跡よし、家臣を助け育て奢ることしない。誉れの将なり」と高く評価されています。佐々木蔵之介が演じた内藤政醇は4代目藩主ですが、以後湯長谷藩は明治維新まで14代に亘り存続しました。なお、本家に当たる平藩内藤家は、延享4年(1747年)に日向延岡に転封され明治を迎えました。(つづく)