馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

「馬欠場」は地名ではなかった。

2011年03月09日 | 地名・地誌
奈良県と三重県境の大台山系は、山歩きを趣味とする人達にとって有名な所だそうです。
登山愛好家のブログには沢山の踏破記事が出ています。

 そのエリアの地図を眺めていると「馬駆場」と云う所があります。



高見山~国見山~明神岳~池木屋山(台高山脈)の尾根筋を南下すると日出ヶ岳、大台ケ原に至ります。
 この尾根道は古代の「スーパーハイウェー」です。
吉野から放射状に山道を駆け抜ければ、西は紀伊・紀ノ川から瀬戸内海へ、熊野本宮から熊野川を下れば太平洋、熊野へ通じています。東に向かえば伊勢、尾鷲と東国への玄関口に出ます。


 新宮市教育委員会の女性の担当者から電話を頂きました。
昨年、新宮市教育委員会文化振興課のHPの「お問い合わせ」に「馬欠場」について「お教え頂きたい」とメールーを入れておきました。

「馬欠場家伝」によると、
 新宮市は、紀州徳川家付家老水野家三万五千石の城下町でお城は丹鶴城です。
「馬欠場家」は、この丹鶴城内にあった馬場、即ち馬駆け場の管理をお殿様から任されていた家柄だそうです。
その職務から家名を「馬駆場」と名乗ったそうで、「駆」の文字が「画数」が多いため「欠」を常用したのが定着して「馬欠場」となった」との伝承があるそうです。
 ただ、記録文章などでは今のところ記載事実がありませんので、あくまでも馬欠場家に伝わる伝承です。
本格的に調査を行ったことが無いので断言はできませんが、この家伝はほぼ真実を伝えていると思われます。
馬欠場家は職務から推測して、当然士分であり恐らく新宮市内に菩提寺があるものと考えられので、菩提寺の過去帳などの調査を行えば、この事実を裏付け、また、家系図なども辿れるのではないかと思われます。

 以上の様なことを教えて頂きました。
「馬欠場」さんは由緒正しき家系の様です。

なお、地名としての「馬欠場」は「無い」そうです。
どうも僕の想像した山間のチョッとした「開けた土地」で、高知県の山間にある「奈路」のような地形ではなさそうです。

 そうすれば冒頭の地図にある「馬駆場」はどうなるのでしょうか?
また、お殿様から任された丹鶴城の「馬駆場」は、本当に城郭内にあったのだろうか?
丹鶴城の古地図をゆっくりと捜してみます。

 ただし、今回の「馬欠場」さんの由来は、新宮市教育委員会から教えて頂いた内容が、正解の様です。
これで「馬欠場」さんの疑問は解決しました。